絢子、再会する。3
イザベラ様に呼ばれて、私たちは別室に来た。呼びつけるほどのことが起こったのかと急いで来たら、相変わらずイザベラ様は店長のことをジッと見つめて眉を寄せている。店長は居心地悪そうにしているけれど、それもお構いなしのようだ。
「イザベラ嬢? なにかあったのか?」
グレイアム辺境伯……じゃなかった、お義父様が訊ねるけれど、イザベラ様は店長から視線を外すことなく片手を上げることで待って欲しいことを伝えてきた。
私も、きっとヴィンスさんやお義父様も、イザベラ様のように魔力の流れなんかは見えていない。そういうことは魔導師の方々の専売特許だとさえ思っている。単純に見える人は魔導師の方々以外にもいるだろうけれど、きちんと認識して見えることはないんだろう、と。
だから、イザベラ様の目にはどんなものが見えているのかはわからない。わからないから、この沈黙の時間が怖かった。
店長にもなにかしら影響のあることがあるとしたら、私が念じたら回避できるかな?
「……呼びつけておいて、失礼しました。さっきよりもなにやらおかしい動きをしていたので」
イザベラ様がお義父様に謝罪をしたけれど、まだ店長を気にしているようだ。ちらちらと伺い見ている。
その店長は困惑しながらもペコリとお辞儀をするので、お義父様は片手を上げて応えた。ついでに店長をじっと見つめ、首を傾げる。やっぱりお義父様の目にも、魔力の流れなんかは見えていないようだ。
「うーむ。ワシにはさっぱりわからんが……イザベラ嬢は、なにかわかったのか?」
「いいえ、残念ながらわからないままですね。けれど……すまないね、お嬢さん。試しにちょいと念じてみてくれないかい?」
そう言われはしても、なにをどう念じたらいいのやら? ヴィンスさんを見上げてもこれまた首を傾げられるので、素直にイザベラ様に訊ねた方がいいかもしれない。
「ああ、説明不足だね。この人の右肩の魔力が強いんだが、おそらくはこの人ではない別のなにかの力だ。その主を、誰の目にも見えるようにして欲しいのさ」
「つまり、店長の肩に目に見えないなにかが乗っかってるってことですか?」
「さっき話してた通り、やっぱり小さい虫かなんかですかね?」
「ヒエッ……! 虫イヤ……!!」
無理です虫は勘弁してください! ムカデにはハサミ装備で立ち向かえますけど、それ以外は無理なんですっ……!
私が全力で拒否反応を示すけれど、イザベラ様は冗談にしてくれないようだ。
仕方がないので、私はヴィンスさんの背後に隠れる。なるべくなら見たくはないし、跳ねたり跳んだり飛んだりしたら嫌だからだ。グイグイとヴィンスさんを押せば私の思うとおりに店長の側へと進んでくれるので、ある程度まで近付いたらそこで顔だけをひょっこり出した。
「……アーヤはそんなに嫌なのか、虫が」
「ごめんなさいヴィンスさん。私のために盾になってください」
「アーヤが望むならいくらでも盾にはなるが、あとで褒美が欲しいところだな」
「いいでしょう、なんでもしますよ!」
盾になってくれるのであれば、雑務でもなんでもしましょう! ヴィンスさんが苦手な事務処理の手伝いでもしましょうか?
早速ヴィンスさんは思案しているようなので、あとで私ができることと照らし合わせてやれることをやろう。
これで交渉成立かと思われたが、なにやら店長が慌てていた。今の交渉でなにか不備でもあったんだろうか。……あったかな?
「待って塚原さん、なんでもします、は駄目だと思うよ!」
え?!
「……チッ」
えっ?!
「ブフッ……!」
えっっ?!
「お嬢さん。なんでもします、なんて迂闊に言ったら駄目に決まってるよ。ヴィンスがおかしなことを要求したらどうするんだい?」
「そうだよ塚原さん。たとえ婚約者であっても、用心するに越したことはないんだよ」
「なあに、内容によってはワシが責任をもってヴィンセントをぶっ飛ばしてやるわい!」
「辺境伯、そういう話ではないんですよ」
ヴィンスさんがおかしなことを要求だなんて、そんなのあるわけナイナイ……とヴィンスさんを見上げてみたら、不満そうな顔をしてらっしゃった。おかしなことを要求する気だったんだ、この人。
次いで噴出したイアンさんを見てみたら、案の定笑いを堪えていた。ヴィンスさんがおかしなことを要求する気だったことも私がなにもわかっていなかったことも、イアンさんはわかっていたに違いない。だから噴出して笑いを堪えているんだ。いっそ笑って欲しい。
私はとりあえずヴィンスさんからそっと離れることにした。自分の身は自分で守った方がいい。
「……ええと、なんでもします、じゃなくて、事務処理のお仕事なら手伝います」
「マジかよ、なんでもが具体的にやれることに変わったぜ。なあ、もうそろそろ爆笑していいか?」
だってなんでもにしたら要求が怖いから、具体的な方がいいに決まっている。
イアンさんはヴィンスさんに爆笑する許可取りをするけれど、睨まれるだけだったのに許可されたとして爆笑し始めた。よくもまあお義父様もいらっしゃるのにしゃがみ込んで爆笑できるな、イアンさんは。今は王国騎士団所属だからお義父様のことは上司のお父さん枠かもしれないけれど、グレイアム辺境伯領に戻れば上司というか主なんじゃないの?
「はあ……アーヤ、褒美はいらない。いくらでも俺を盾にしていいから、師団長の言うとおりにしてくれ。イアンは後で覚えていろよ」
そんなに面白かったのか、未だに笑っているイアンさんをヴィンスさんは睨んだ。イアンさんはかろうじて片手を上げて応えるから、あとで叱られたりする気はあるんだろう。承知の上で笑い転げているんだ、もうなにも言わないでおこう。
そんなことよりも、ヴィンスさんの言うようにイザベラ様の言うとおりにする方が先だ。ヴィンスさんを盾にして、店長の右肩の魔力の主を誰にでも見えるようにしなければならない。
「ええと、じゃあ、失礼します」
もう一度ヴィンスさんの背後に隠れた私は、顔をひょっこりと出して店長の右肩を見る。相変わらず私の目にはなにも見えていないけれど、私が念じたら小さい虫が大きくなるんだとしたらヴィンスさんを押しやって逃げよう。
そう決意しながらも、念じる。
店長の右肩の魔力の主さん、誰にでも見えるようになってください。姿は変えなくていいです。虫系だったら私が全力で逃げるだけなので、そのままの姿で私たちの目に見えるようになってもらえると嬉しいです。
……念じるのって、こんな感じでいいのだろうか。前回の時は、蛸の足オブジェを持って真犯人は誰だと念じたらキラキラのイルミネーションになった。けれど今回は店長と少し距離をとったままなので、媒体みたいなものがない。手をかざすとかをしたら、ちゃんと私の念は届いただろうか。
今更ながらに手をそっと店長の方へと伸ばせば、その手に誰かが触れる。目を閉じていた私は驚いて目を開けると、ヴィンスさんが今まさに私を更に自分の背後に押しやろうとする直前だった。
「え、え? ちょ、ヴィンスさん?!」
「しまった。帯剣しておけばよかった。イアン、動けるか」
「へいへい、もちろんだぜ」
ヴィンスさんとイアンさんの会話が、声音が、重い。軽口を叩くような言葉なのに、ピリリとした緊張感がある。
「辺境伯、少しお屋敷が崩れてしまうかもしれませんが?」
「構わん。あとで陛下に請求するわい。ラルフでもいいな」
イザベラ様とお義父様も緊迫した雰囲気だ。
「ゲイル、その剣は自分で使え。俺たちに渡さなくていい」
「はっ、かしこまりました!」
室内にいるもう一人の騎士っぽい人が剣を鞘ごと腰から引き抜こうとしていたけれど、それをイアンさんが制す。
さて、この状況を推理しよう。私はヴィンスさんの背後にグイグイされてしまったので、店長の方がどうなっているのかはわからない。だけど私をグイグイするということは、これはアレなんだろうと考えている。あえて皆さんは言わないだけで、それは私が大騒ぎすることが目に見えているからで、でも悟ってしまった私は大正解を叩きつけるだろう。
出たんだな、虫が。しかもデカいヤツ。
いつもリアクションなど、ありがとうございます!
遅くなりましたが、いただいた感想のお返事をしております。
ありがとうございます、感想すごく嬉しいです!