グレイアム家応接間にて4
アルマさんに案内された部屋に入ると、イザベラ様に暖炉の側にあるソファに座るように促される。指示された通りにすると、僕の正面に立ったイザベラ様がじっくりと僕の周囲を見回した。そして、最終的には左のひざ下あたりで視線が定まったようだ。
「うん、今度はそこだね」
「魔力の流れがおかしいところ、ですか?」
「そうだよ。アンタのもともとの魔力はまあ……私に言わせりゃカスみたいな量なんだけどね」
「カス……」
つまり、僕は魔法を使うことは困難ということか。ややこしいことを魔法でパパっと出来たらいいのになあとは思ったことはあるけれど、できないならできないで特に憧れはない。だから悔しくはないけれど、ちょっと使ってみたかったな、という思いはある。興味レベルだ。
「だけど、流れがおかしいところだけは魔力が濃いのさ」
「濃い、とは?」
量はなんとなくわかる。ゲームなんかになるマジックポイントのことだろう。数字が大きいほど使用回数も増えるし、強力な魔法も使える感じだ。では、濃さはどういう意味だろうか。
「そうだね……たとえば、初級の魔法がある。けれどそれも人によっては威力が違うんだよ。火の魔法で例えると、煤が付く程度で済むこともあれば大火傷になることもあるのさ」
「なるほど。つまりは、僕の魔力はカスみたいな量しかないけれど、部分的に力強い、ということですかね?」
「そういうことさ。理解が早くていいね。ついでに言えば、魔法を使っている時にそういう現象が起こるよ。杖や手をかざして魔力を集めるからね。でもアンタは魔法を使っていない。使っているとしても、右肩やすぐ側の床、左足に集まるのは普通に考えておかしいだろ」
僕の勝手なイメージで言えば、杖の先から魔法が放たれるとか、手をかざせば放たれるとかだ。右肩からチュドーンとか絶対におかしい。右肩からチュドーンな例がもしあれば、ごめんなさい、僕の勉強不足です。
「まだ、なんとも言えないんだけどね……アンタになにかくっ付いている可能性はあると思うんだ」
「なにかがくっ付いて……? 別になにも……小さい虫とかですかね?」
「その小さい虫が結構な濃さの魔力を持ってるなら、私がぜひ研究したいもんだよ。見つけたら捕まえて私に渡しておくれよ」
ははは、と笑ったイザベラ様は、ようやく向かいのソファに座った。目頭を押さえているので、魔力を見るために目を酷使してしまったんだろう。僕のために申し訳ない。
アルマさんがタイミングよくお茶を用意してくださったから僕からも勧めると、イザベラ様はお茶を口にした。
「……おや、薬草茶かい?」
「はい。目の疲れがあるだろうと、執事長のハロルドの収集物の中から頂戴して参りました」
その言い方だとハロルドさんから盗んだことになるのでは……?
もしかして、ハロルドさんよりもアルマさんの方が強いのだろうか。領主様のお屋敷内の力関係の表を、ぜひ作って欲しい。誰を怒らせたらマズいのか知っておきたいから。
僕が身震いしていると、アルマさんがこちらを向いていつもの優しいお母さんのように微笑む。
「トーゴさんの方は、疲労回復の薬草茶ですよ」
僕の口は一気にあの時の苦味を思い出す。もしかして、僕がアルマさんに対して失礼なことを考えると予測したんだろうか。その微笑みがかえって怖い。
「え……えっと……」
「? ……あらやだ! 違いますよ、ちゃんと、苦味のない方の薬草茶です」
「なんだい、その反応は。もしかして、グレイアム領産の薬草茶を飲んだのかい?」
「はい……領主様と若様とイアンに、その……飲まされて……」
イザベラ様は笑うけれど、本当に苦かったからもう勘弁して貰いたい。そもそも僕は飲まなくてよかったのに、ちょっと気になって苦いのかを訊いただけだったのに、圧を掛けて飲ませるなんて酷い話だ。抵抗しても無駄だと悟った僕が、一気に呷ったのも悪いけれど。
「辺境伯とイアンはどうか知らないけど、ヴィンスのはおそらく嫉妬だねえ。……ねえ、アンタ。【聖女】のお嬢さんとは本当に雇う雇われの関係だったのかい?」
「ええと、聖女のお嬢さん、っていうのは塚原さんのことですかね?」
そういえば、聖女がどうたらとか勇者がどうたらとか言っていたな。その聖女の方が塚原さんだとしたら、イザベラ様の問いには胸を張って、そうですよ、と答えるだけだ。
「そうだよ。アヤコ・ツカーラ・マッケンジーが彼女の今の名前さ。マッケンジー公爵家現当主の義妹になったんだよ」
「こうしゃく……」
「ちなみに、私もマッケンジー家より格下だけど、侯爵家の令嬢というやつさ」
「こうしゃく……それは、辺境伯よりも身分は高いんですよね?」
お恥ずかしい話、貴族の序列はよくわかっていない。公爵が偉いのはわかるけれど、他がわからないのだ。
「……そこから教えないといけないのかい。まあいい。王家、マッケンジー家含む公爵家、ウチのマージェニー家含む侯爵家の次とされるのが、グレイアム辺境伯家だよ。下手な公爵家や侯爵家よりも力は十分あるけれどね、序列で言えばそうさ」
さらにその次に伯爵家、子爵家、男爵家と続くらしい。イアンの持つ騎士爵はその下で、平民とあまり変わらないけれど一応貴族に列されるのだと。しかも一代限りらしく、イアンが家庭を持つのならば、生まれた子供に騎士爵を譲ることはできない。
「そうなんですね……貴族社会もいろいろあるんだなあ」
「まあ、私もイアンとほとんど変わんないよ。兄がすでに家を継いでいてね、私は兄の厚意でマージェニー家を名乗ることができているのさ」
そう言って笑うイザベラ様は、少し悲しそうに見えた。彼女も彼女で、家の中でいろいろとあるんだろう。僕が想像もできないような、なにかが。
「……そんなことより、質問に答えな。お嬢さんとは? なにもないんだね?」
「ないですよ。むしろ、塚原さんに婚約者ができてよかったね、って思ってるくらいですし」
塚原さんは、恋人は必要ないですね、ときっぱり言い切っていた時もあった。店内で見かけた可愛らしいカップルの話題の流れでそういう話になったけれど、そういうカップルを眺めているだけでいい、とか言っていたっけ。
そんな彼女に、恋人どころか婚約者ができていた。しかもすごく溺愛されているっぽい。ちょっと独占欲強すぎ。嫉妬深い。そしてすごく顔がいい。強そう。
……あれ? 優良物件だけどちょっと不安な部分もあるな。気を付けてね、って助言した方がいいのかな? でも塚原さんが上手く転がしているようにも見えるので……イアンに気に掛けて貰っておこう。彼なら主人を諫めてくれる、はず。
「それならいいんだけどさ。ほら、ヴィンスが面倒くさいだろう? 今はアレでも、ついこの間までは結婚しない宣言までしていたんだよ、あの子」
「あー、そういう時代なんでしょうねえ」
塚原さんだけじゃなく、様々な事情や考えで結婚しない選択をする人はいる。若様もそういうタイプの人間だったんだ。けれど塚原さんと出会って考え方を変えた。きっと、若様にとっても塚原さんにとっても、お互いに運命の人だったということだろう。
僕が勝手にほっこりとしていると、イザベラ様が怪訝な顔をしていた。
「そういう時代って、どういう意味だい?」
「え? ……あ、そうか。ええと、僕がいた国では、結婚しない選択をする若者が以前よりも増えてきたんです。だから若様もそうなのかなって」
しまった。そうだ、ここは日本じゃない。まったく違う場所なのに、一律で同じ傾向だと思い込んでしまった。
「へえ、そうなのかい? まあ、好きにしたらいいと私も思うよ。けれどヴィンスはね、ヴィンス自身の容姿目当ての令嬢や、【英雄】の肩書に目が眩んだ令嬢の親たちを鬱陶しがったのさ」
モテすぎて鬱陶しいから結婚しない宣言した、だなんて本当にあるんだ。僕が想像つかないことが返ってきたので、驚くしかできない。
でも、なるほど。その反動で嫉妬が暴走しているのかな。だったらやっぱりイアンに気に掛けて貰っていた方がいいのかもしれない。あとで話しておこう。
イケメンも大変なんだな、なんて思っていると、イザベラ様が表情を変えた。それまで少しリラックスしている様子だったのに、魔力を見ていた時以上の真剣な顔をしている。
その視線の先には、僕の右肩あたり。また魔力の流れがおかしいのだろうか。
「……おかしいね。すまないが、辺境伯とヴィンスとお嬢さんを呼んで来てくれないかい」
アルマさんに伝えながらも、イザベラ様の視線は僕の左肩あたりから外れることはなかった。
一体そこに、なにがあるのだろう――?
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