グレイアム家応接間にて2
じゃあ頑張って、と言ったイアンは部屋には入らないようだ。手をひらひらさせると、扉の前で待機するらしい。
ちょっと寂しいな、と思いながらもゲイルと共に部屋に入ると、待ち構えていたらしいメイド長のアルマさんがお茶の用意をしてくれる。お茶請けはクッキーかな。口の中でほろほろと崩れて美味しい。
ゲイルも、と声を掛けたいけれど、彼は彼の職務が優先されるらしく扉の前で待機だ。映画やドラマなんかの護衛役も護衛対象と食事したりしないので、そういうものだろうと納得させる。会話は大丈夫なようで、アルマさんを交えて穏やかな時間を過ごしている。
しばらくすると、扉を叩く音がした。
ゲイルが扉を開ければ、アルマさんもそちらへと向かいお辞儀をする。大きく扉が開くと、まずは領主様が奥様と思われる女性と入室した。僕は慌てて立ち上がると、深めに頭を下げる。
「ああ、よいよい。顔を上げてくれ。ステラ、彼がトーゴ・アリャーギ殿だ。トーゴ殿、ワシの妻だ」
「はじめまして。ジェフリー・グレイアム辺境伯が妻、ステラと申します」
「お、お初にお目にかかります。青柳、桐吾です」
顔を上げてくれと領主様に言われたのに、再び深めにお辞儀をしてしまった。クスクスと笑われてしまったけれど、顔をそっと上げると優し気に微笑む夫人がいたので悪意はなかったんだろう。だけど恥ずかしさは消えないので、僕は頭をポリポリと掻いてしまう。
「こちらの都合で待たせてしまって申し訳ありません。この屋敷で不都合なことなどありませんでしたか?」
「いいえ、皆さんに大変よくしていただいております。この度はお忙しい中、対応していただき誠にありがとうございます」
「まあ……ご丁寧に、こちらこそありがとうございます。ジェフリー様、アリャアギ様はとても素敵な方ですわね」
僕の社会人スキルが役に立ったかな。さっきの恥ずかしさを挽回すべく丁寧に受け答えをしたら、夫人の僕への印象がよかったようだ。夫人が領主様に微笑むと、領主様も頷いてくださる。
「そうじゃろう。これで一般人だと言い張るんだから、どういう教育を受けたんだと思うわ」
「い、いえいえ、本当に私は一般人ですので……!」
「それを判断するのはこれからじゃ。ヴィンセント、入りなさい」
領主様が、まだ開いている扉の方へと顔を向ける。すると、若様が女性を伴って入室した。それからもう一人女性と、ハロルドさんともう一人執事っぽい人と若いメイドさんも入室した上で、ようやく扉が閉まる。
けれど僕は、突然室内の人口密度が上がったことよりもただ一人に視線が釘付けになった。ぎゅっと目を瞑り、こちらを見ようとしないその人を、僕はしっかりと見つめる。そして脳内で鮮明になる、彼女との記憶。
「ヴィンスさん、やっぱり私、まだ心の準備が……っ!」
「なんの準備がいるんだ? 確認するだけだろう」
若様と会話をするその声を、僕は知っている。髪型や服装でがらりと印象が変わっているけれど、僕を慕ってくれていた従業員の中に、確かに彼女はいた。
いた、のに。少し、違和感を感じてしまうのは、どうしてだろう……?
「で、でも、本当に店長だったらぁっ」
「ほら、目を開けなければ確認ができないだろう? アーヤ、ちゃんとアオヤギ殿を見るんだ」
「うう……あっ……!」
彼女はようやく目を開き、僕を視界に入れる。するときちんと僕を認識したようで、両手の人差し指で僕を差している。
この感じ、彼女は変わっていない。
「店長、ですよね……? スーパー飯山の、駅前店の、青柳店長……」
「はい……スーパー飯山駅前店店長の、青柳です。久し振りだね、塚原さん」
けれど人を指差すのはこの世界でもあまり宜しくはないんだろう、若様が慌てながらも塚原さんの両手を無理やり降ろさせた。
「てんちょおだ……ヴィンスさん、やっぱり店長でしたっ!」
店長だ、店長、と僕を呼びながらも涙ぐむ塚原さんを落ち着かせようと、若様が優しく背中を撫でているようだ。そして、心なしか僕を睨んでいるようにも見えるのは気のせいだろうか。そんな風に見られても、彼女にとっては久し振りの元の世界の知り合いで、嬉しく思ってくれているのだから、と思いたい。
そこで、ふと違和感を覚えた。
僕がエマズワース村の近くの森で発見される前の元の世界で、塚原さんは確かにそこにいた。やる気ないです、などと言いながらもビシバシ働く人で、よくいろんなものと戦っていた。特に、対お客さん。理不尽な人はそりゃあ多いけれど、戦っていい時と駄目な時を見極めて欲しかったと思うことも少なくはなかった。反省はちゃんとするので、共感しながらもお説教をすれば、いつの間にか今までで一番優しい上司認定されていたけれど。
だから、彼女は確かに僕が任されていた店舗にいたのだ。彼女の最終出勤日はいつだろう。退職届も提出された記憶はないので、僕がエマズワース村の近くの森で発見される直前も、従業員として働いていた、はず。
――あれ? 本当に、そうだっけ?
「……塚原さん」
「はいっ!」
「君、いつからこの世界にいるの?」
僕が問うと、塚原さんは指折り数え……三か月くらい前から、と答えた。
僕がエマズワース村の近くの森で発見されてから、一か月半だ。
……ではその重ならない部分の一か月半は、塚原さんを当然いないものとして店を回していたということになる。捜索願も出ていないだろう。警察やご両親が店を訪ねてくるようなこともなかったから。
そもそも、僕が無断欠勤を咎める連絡をした覚えがない。仲の良かった他の従業員からも、塚原さんのことを問われることはなかった。
――うん、考えるのやめようかな。
「……あれ? ってことは、私ってヴィンスさんと出会って三か月のスピード婚約ですね? ……早くないですか?」
「待て、落ち着いてくれ。俺はアーヤとの婚約を白紙にするつもりはないぞっ?」
「わ、わたしも、ですしっ!」
ほら、塚原さんも若様とイチャ付きだした。考えるのをやめて、目の前のバカップルを生温い目で見ていた方がいいに違いない。
けれど、記憶が確かならば、塚原さんは結婚に興味はないと言っていたはず。それが人目もはばからずイチャ付くバカップルになっているなんて、人は変わるものなんだなあ。
僕が現実逃避をしていると、パンパンと手を叩く音と共に大きな溜息が聞こえてきた。
「ヴィンスもお嬢さんも、そういうことは後でやんな! それよりも、アンタが【奇妙な招かれ人】だね。私はイザベラ・マージェニー。王国魔導師団の師団長さ」
なんかすごい色っぽい人だ。肌が見える部分は極力少ないんだけれど、雰囲気が妖艶というか、お姉様というよりは姐さん寄りというか姐御というか。
とにかく、この人がイザベラ嬢か。『嬢』というよりは『様』の方がしっくりくる気がするけれど。
「はじめまして、青柳桐吾です……」
ペコリとお辞儀をすれば、イザベラ様は僕をじっと見つめた。なにかを探るような視線は、なんだか居心地が悪い。
「あ、あの……」
「右肩。おかしな魔力の流れがあるね」
「……え?」
右肩を見るけれど、僕にはなにも見えない。マリョクって魔力だよね? そういうのって、見えるものなのかな? オーラが見える人はいるらしいけれど、そういうのは眉唾だしなあ。でもイザベラ様は魔術師団の人らしいので、本当に見えたりするんだろうか。
首を傾げていると、イザベラ様は更に僕をじっと見つめる。だから、そんなに見つめられると居心地が悪いし、段々と恥ずかしくなってきた。
「師団長、他になにかわかりますか?」
「……いいや。そもそも、我々にない魔力の流れというのは想定内だしね。右肩の部分だけが更におかしい動きをしているだけさ。それ以外は特にはないよ」
「右肩……アオヤギ殿、右肩に違和感は?」
若様に訊かれたのでもう一度確認するけれど、特になにかあるわけじゃない。肩こりはあるけれどこれは慢性的なものだし、少しほぐせば十分だ。
「いえ、特には」
試しに肩をグルグル回しても、特になにもないしなにも起こらない。多少、肩がほぐれたような気になっただけだ。
けれどイザベラ様は僕の右肩をまだまだ見つめ、眉を寄せる。そういうものが見える人が表情を変えると、少しドキッとしてしまうな。なにか悪いことでもあるのだろうかと、妙に勘ぐってしまう。
するとイザベラ様が、あ、と声を上げた。
大っっ変お久しぶりに、主人公のアーヤが登場です!
そしてバカップルぶりも健在です(笑)
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