幕間:揶揄われの先に ―ヴィンセント・グレイアム
イアンはともかく、アオヤギ殿は大丈夫だろうか。あの薬草茶は慣れていても顔をしかめてしまうくらいには、苦い。
この口に広がる苦味はいつ以来だろうか、嫌悪ではなく懐かしさを感じてしまって苦笑する。鍛錬をし過ぎるとにこやかな笑顔でこれを渡してきたハロルドは健在のようで、安心感もあるができればやめて貰いたい。もう子供ではないのだから、罰として苦味の強い飲み物を飲ませるのはどうかと思う。
「慣れてしまえばどうということはないがな!」
「それはいけませんね。慣れるまで飲ませていたとは気が付きませんでした」
「……」
今のは聞かなかったことにしよう。父がなにかやらかしてハロルドが止める、という図式は昔からあったことだ。だが現在進行形でもそうであることは、息子としてはあまり耳に入れたくはない。
「そんなことよりも、どうなさったのです若様。アヤヤギ殿に対して、少し当たりが強いのでは?」
げんなりとしていれば、ハロルドに痛いところを突かれた。俺の態度がおかしいことは一目瞭然で、その理由を執事として知っておきたいんだろう。俺やアオヤギ殿がこの屋敷内で過ごしやすいようにするのも、ハロルドの仕事の一つだ。
しかし、俺は黙った。イアンにはバレているが、おそらくハロルドもわかっていて訊ねているのだろうが、しっかりと口にしてしまうとより一層アオヤギ殿に強く当たってしまいそうなのだ。
「なあに、アーヤさんが知っている人物かもしれないと思って警戒してるんじゃ。嫉妬じゃよ、嫉妬」
「父上っ!」
「大方、二人を会わせたくない気持ちもあって、アーヤさんをゆっくりとここに向かわせておるんだろ。婚約者をここまで溺愛するヴィンスを見られるなんて、アーヤさんに感謝じゃなー」
「父上、本当に黙っていただけませんか」
ニヤニヤとする父を黙らせる術を、ハロルドに伝授してもらいたい。父の説明を否定できない俺は、そうするしかハロルドからの揶揄いを回避できないのだ。
ハロルドに揶揄われるのを防ぐ術をハロルドから教えて貰う、なんておかしな話だが、それだったらイアンにいて貰った方がよかった。レナードでもいいが、あいつは父や俺たちに馬で駆けて付いてくるだけの体力を持たないので今はまだ馬車組だ。
つまり、俺は大人しくするしかない。ほらみろ、ハロルドも父のように楽しそうに笑むではないか。
「嫉妬に、溺愛でございますか。これはこれはなんとも愉快……ごっほん、楽しくなって参りましたなあ」
「言い換えた意味がないんだが……?」
「結婚はしない、と宣言してご令嬢やご令嬢方のご家族を蹴散らしたあの坊ちゃまが、たった一人を愛するようになるとは! このハロルド、感動しております……ぷふっ」
「笑いを堪えるな。いっそ盛大に笑え」
すると、ハロルドは遠慮なく……いや、多少は遠慮したらしく背中を向けてからしゃがみ込み、笑い転げた。そこまでおかしいか、俺がアーヤを強く想うのは。そしてどうして同じく笑うのですか、父上。
豪快に笑った父は、俺の肩をバシバシと強く叩いた。よろけることも倒れることもないが、力の加減はして欲しい。
「ハロルドも悪気はないんじゃ。許してやれ。お前の変わりように驚いているだけだろう」
「その通りでございます。ああ面白かった」
「父上、面白かった、と言われたんですが?」
聞き流せないくらいはっきりと言われてしまえば、指摘せざるを得ない。しかしハロルドは意に介さない様子で機嫌よく微笑んでいるので、俺は溜息を吐くしかできなかった。
「ともかく、坊ちゃまがイアンを使ってまでアヤヤギ殿を調べ尽くそうとしている理由は、婚約者様との関係をはっきりと知りたいが故、でございますね?」
「……そうだ。アーヤに訊ねたら、とても優しくていい人で、大好きだったと言われた」
「それはそれは……」
ハロルドが残念そうにこちらを見る。やめろ、ただでさえ傷付いているんだ。
トーゴ・アオヤギという名は、エル様から伝えられた名だ。その者はエル様がこの世界に招いた【星の渡り人】ではなく、エル様以外のなにかがこの世界に招いた存在である。
エル様にその名を伝えられた時、アーヤは顔色を蒼くした。詳しく聞けば、アーヤが元の世界で世話になっていたという男の名前ではないか。同姓同名かもしれないということだったが、アーヤの知る男の可能性の方が高い。
優しくて、いい人で、大好きだった。
懐かしむように紡がれた言葉に、俺は苦しくなった。俺たちは異例の国王陛下の御前での婚約式を経て、正式な婚約者になったばかりだ。それなのに、もしかしたらアーヤの昔の男がこの世界に不可思議に招かれたとなると、そういう思いを未だに持っているアーヤの心はどこへ向かう。俺のものに、なったのに。
「坊ちゃまは、その思いを婚約者様にぶつけたのですか?」
「……いや」
「まあそうでしょうねえ。坊ちゃまならばお一人で抱え込んで、うじうじとなさるかと思っておりました」
「この歳にもなって、みっともないだろう」
「恋愛事以前に、女性を遠ざけていた弊害でしょうなあ。ですが、坊ちゃま。だからといって、そのままでいいというわけではございませんぞ」
ハロルドがお茶を淹れてくれる。きっと砂糖を多めに、ミルクもたっぷりと入れるに違いない。幼い頃によく淹れて貰っていた味だが、今の俺には相当甘いに違いないだろう。しかしその味は思い出の味で、こういう時に話を聞きながらも淹れてくれた味で、きっと最後まで飲み干してしまうくらいにはほっとする味なのだ。
「わかっている。きちんと、アーヤと話をする」
「それはようございますな。その際にはこのハロルドがお茶をご用意いたしましょう」
手渡してくれたお茶の香りは記憶にあるものと同じで、それだけで前向きな気持ちになれたような気がした。
「まあ、婚約者様も坊ちゃまに女性の影が見えたらば、同じように嫉妬なさるのやもしれませんし、お互い様ですぞ」
「ごふぉっ……!」
「……まさか坊ちゃま……そんな……私の可愛い坊ちゃまが、過去に女性とふしだらな交遊を?!」
「あるわけないだろう!! それと、坊ちゃま呼びはいい加減やめろ!!」
ハロルドへの印象としては、破天荒な主を持つが故に手綱をしっかりと握る補佐役というのが一般的かもしれない。実際に父が暴走すれば諫めるのはハロルドだし、剣の腕もたつので力業でも止めることも可能。イアンのように尋問にも長けていたので、精神的に追い詰めることもある。
……が、しかし。実際は人をおちょくるのが得意だ。これはイアンもそうだが。さすがは叔父と甥。血は争えない。まじめな部分はレナードが全部持ってる。だからあいつは苦労性なんだ。
「ああ久し振りに坊ちゃま……おっと、若様で遊べました」
「おい」
「……ですが、安心しました。婚約者様を大切になさいませ」
「わかっている。……ありがとう、ハロルド」
とはいえ、ハロルドはなんだかんだで俺を心配してくれているのだ。その思いはきちんと俺に届いている。
俺が再びお茶に口を付けると、いつの間にか静かになっていた父の肩をハロルドが揺さぶる。急いで馬を走らせていたのだ、疲れているのだろう。疲労回復の薬草茶を飲んだとて、睡眠は必要なのかもしれない。
もう、父もそんなに若くはないのか。
「ハロルド、この後のことは俺が対応する。父上を休ませてくれ」
「ではそのように」
父と国王陛下が話し合いを進め、俺の爵位と領主の継承は決まってしまっている。まだ本格的にこの地に戻ることは叶わないが、滞在中だけでも勉強はしておいた方がいいだろう。ハロルドもいることだし、いろいろと学ばねばなるまい。
ゆらり、寝ぼけながらも立ち上がった父が、おぼつかない足取りで部屋を出て行こうとする。それに苦笑するとハロルドが人差し指を口元に当てて微笑むので、俺は視線を外してこの後をどうするかに思考を持って行った。
◆◆◆
戻ってきたイアンに、まずは問いかけられた。
「トーゴって、何歳だと思う?」
「……四十三歳」
「ざんねーん、五十二歳だってさ」
「ラルフさんと変わらんくらいだと思ったんだが」
「俺もそう思ったんだよな。ほら、アーヤが見た目と実年齢の乖離があっただろ。だからそんくらいかなーって思ったらさ、違った」
アオヤギ殿が宿泊する予定だった宿屋との行き来で聞き出したんだろう。俺がアヤヤギ殿の情報を得て来てくれた頼んだから、まずは年齢を俺に教えて安心させようとしたのだ。
だが俺は、そうか、とそれ以上の情報を断った。頼んだ手前申し訳ないが、アーヤときちんと話をすると決めたので、もういいのだ。
「なんだよ、もういいのかよ」
「ああ、ハロルドに散々揶揄われ、諭されたからな」
「さーすが叔父上。未だに勝てる気がしねえや」
それは同感だと笑うと、イアンはにやりと笑った。あとは調査への感謝と謝罪を述べて本日の晩餐のことを相談しようと思ったのだが、嫌な予感しかしない。
「じゃあとっておきの情報なんて、もういらねえか」
なんの反応もせずに、いらない、とだけ言い捨てればいいだけだった。けれど俺の体は反射的にびくりと動き、まるでその情報を知りたいと体中で伝えているかのよう。
いや、正直に言えば知りたい。知りたいが、知らなくてもいいと決めたのに、という葛藤がある。
なにかを発していしまいそうな口をしっかりと閉ざし、顔を背ける。するとイアンはジッと俺を見つめ続け、にやりとした表情をのままだ。
「……知りたい?」
「……いや」
「知りたいだろ?」
「……お前、ハロルドに似てきたな」
「そりゃあ、叔父上は俺ら兄弟の育ての親だしぃ? きっと兄上も似てんぜ、叔父上に」
王都にいる時は気が付かないが、帰って来たらよくわかる。イアンも、きっとレナードも、二人の叔父であるハロルドにそっくりだ。俺は近い内に爵位も領主も継承するが、イアンとレナードの二人とこの先のグレイアムの領地を治めていくのかと思えば、頼もしくもあるが怖くもある。ハロルドが父に付いて行くだけまだマシなのだろうが。
「で、どうする?」
「……~~っ、知り、たい」
「へいへい、じゃあ教えて差し上げますよー」
俺は結局、欲に負けてしまった。イアン曰くのとっておきの情報を聞いたとて、なんの足しにもならないことだってあるだろう。イアンがそんな下手な情報をとっておきなどと言うわけがないという信頼はあるが、万が一ということだってある。
――いいわけだということは、重々承知だ。
「まずは絶対条件な。トーゴのいた世界の住んでた国では、この国と同様に一夫一妻制だということ」
仮に本当にアオヤギ殿がアーヤの知る人物だとしたら、その情報は俺も知っている。もしアーヤのいた世界の住んでいた国が一夫多妻制はまだしも、多夫一妻制や多夫多妻制ならばアーヤを独り占めできない可能性もあったからだ。我が国はイアンの言うように一夫一妻だが、心までは縛れない。
だがこの情報は単に、二人は同じ世界の同じ国からこの世界に訪れた、という裏付けの一つにしかならない。これが一体どうとっておきなのか、と思っていれば。
「トーゴには、妻と子がいる」
どうだと言わんばかりにイアンが楽しそうに笑む。つまりは、通常ならば妻子のいるトーゴには他に特別な存在などない、ということか。
まだ二人の関係がはっきりしないというのに、ゆっくりと力が抜けるのを感じた。とりあえずで安心したのだろう。
そのまま床にしゃがみ込んでしまいそうだったが、なんとか踏ん張っているとイアンが楽しそうにまだにやついている。いつまでも揶揄うようならば、こちらもこちらでとっておきの情報を伝えてやろうか。
「……ハロルドから聞いたぞ。シャロン嬢はまだ、お前を待っているらしい」
驚き悔しそうな顔をするので、どうやら仕返しは成功したようだった。
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