領都グエンディスにて4
宿に向かう道すがら、僕は不快な感じに何度も眉を寄せる。まだ口の中が苦い。口直しに甘いお菓子をいただいたけれど、消えてくれる気がしないのだ。甘いお菓子も甘いかわからなかった。口の中の苦みとお菓子の甘さが混ざっただけだった。食べなければよかった。後悔ばかりだ。
訊くと、疲労回復の薬草茶はそもそもこんなに苦いわけではないらしい。けれどグレイアム領でよりよい効能を追求した結果、苦味がものすごいお茶が出来上がったんだと。しかし、効能は従来の物よりちょっぴり回復した気がする程度、なものだから従来品を煎じた方がいいという結果が出ているようだ。
だったら何故まだ存在しているのかと言えば、ハロルドさんが出す軽い方の罰、と教えてくれたのは若様の従者らしき人のイアンだった。彼は、自分も一緒に行きたい、とハロルドさんが用意してくれた護衛役とは別について来てくれている。
「叔父上はなんというか、拷問が得意な人で……」
「ええと、聞かなかったことにしてもいいですか?」
そんな怖そうで痛そうな話、聞きたくない。
「いや、そういう任務に当たることが多かっただけで、専門は尋問だよ。悪い奴を捕まえたらいろいろと吐かせなきゃならないからさ」
「やっぱり聞かなかったことにしますね」
もう十分ハロルドさんは実は怖い人だって理解しているから、それ以上の情報は過多だ。僕にはもうなにも教えないで欲しい。
「実は俺も得意分野」
まるで弾むように伝えてくるイアンにゾッとしていると、ゴホン、と咳払いが後ろから聞こえてきた。歩みをゆっくりにしながらも振り返れば、なんとも言えない困惑の表情をしたゲイルがイアンを見ている。彼が本当の僕の護衛役だ。
「なんだよゲイル。どうした?」
「いえ、不安にさせるような話をなさっていたので、つい」
「そうか? 気のせいじゃねえ?」
しらばっくれるつもりらしいイアンはケラケラと笑う。それにゲイルがなにも言えないのは、おそらくは上下関係があるのだろう。イアンはゲイルより年上っぽくも見えるので、年齢も関係しているのかもしれない。
「ところで、トーゴって仕事なにしてたんだ?」
「仕事、ですか? エマズワース村では飲食店兼宿屋の手伝いをしていました」
「あ、『野兎の尻尾亭』だろ? あそこの飯、美味いんだよなあ」
街道沿いにある村だからか、ここと王都との行き来で立ち寄ることもあるんだろう。王都を知る人にジョージの腕前を褒められて、僕は嬉しくなる。王都とはつまり首都と同意だろうから、食については地方よりも発展しているはずだ。
僕がジョージの代わりに勝手に誇らしげになっていると、イアンが笑う。
「あー、でも違うんだよなあ。その前のことが聞きたい、って言ったら教えて貰えるか?」
「……っ」
僕は歩みを止めた。エマズワース村でも、そういう話はしていなかったからだ。村の人たちが聞かなかったから、こちらからも話はしなかった。スーパーマーケットなんて言ってもわかって貰えるかわからなかったし、わからない反応をされたらいよいよ僕は認めなければならなかったから。僕が、違う世界にやってきたということを。
イアンも足を止める。きっと、後ろをついて来ていたゲイルも立ち止まっただろう。
「言えないならいいよ。これ以上の詮索はしない」
「……スーパーってわかりますか?」
だけどもう僕は諦めがついている。夢ではないし、魔法もあった。だから異なる世界に来てしまったことを、僕は認めなければならない。
「すぅぱー? あー、イーヤァーってのなら知ってる」
「いーやぁ……? こちらにもあるんですか?」
「いや、聞いた話だから、この世界にあるかはわかんねえ。似たようなのはあるかもしんねえけど。あ、トーゴもれじぃがかり? だった?」
「れじぃがか……あ、レジ係ですか? いいえ、僕は店長で……」
「おー、店長か。じゃあ一番お偉いさんだ」
「いえ、偉いのは社長で、僕は支店を任されただけですよ」
わかるかな、という不安を抱きながらも、興味津々なイアンが結構訊いてくるから答える。こういうことを聞き出して、僕が異なる世界から来たということを確実にしているんだろう。
彼が僕について来たのは、それが理由だ。僕の素性を少しでも調べておくようにと、領主様か若様か、もしかしたらハロルドさんから命令されたに違いない。護衛役のゲイルではなく若様の従者らしいイアンがその任に就いているということは、おそらくは若様の命令かな。あの人が一番、僕を警戒していたし。
「ふーん、なるほどなあ。そんじゃあさ、トーゴから見て俺っていくつに見える?」
僕の背中をポンと叩いて、歩くようにとイアンが促す。僕は質問の意味がわからなくて首を傾げてしまうと、ゲイルが咳き込む音が後ろから聞こえてきた。そうだよね、青年がおじさん相手にそんな質問してるの、なんかおかしいよね。
「イアン様、なんですかその質問は」
「じゃあ質問変えるか。……ゲイルは、トーゴがいくつに見える?」
「はあ……?! あー、イアン様と同じくらい、ですかね」
それは流石に若く見られ過ぎやしないか。だってイアンはどう見ても二十代後半から三十代前半くらいだろう? 僕は五十二歳だぞ、そんなに若く……見られていたな、エマズワース村の人たちに。それでも三十代後半くらいに見られていたから……って、あんまり変わらないような気がする。
「俺はトーゴは四十五歳くらいって思ってるけど、どうだ?」
「それは流石に失礼では」
「五十二歳です」
イアンが自信あり気に答えたけれど、おしくは、ない。そしてゲイルは僕をどれだけ若く思っているんだ。だから居た堪れなくて、はっきりと伝える。するとイアンは悔しそうにし、ゲイルは驚きを隠せない表情をした。なんだこれ。
「あーもうちょっと上か~! 団長より少し上かと思ったのになーっ」
「え? はぁ?! ごじゅうに……三十代後半かと思っていました……」
「いや、本当に五十二歳で……って、イアンはつまり三十代後半?」
「そうそう、三十七歳。ちなみにゲイルは……いくつだっけ?」
「二十八歳ですよ」
「そうかぁ……大きくなったなぁ……」
「なにを仰ってるんですか……」
イアンはゲイルを茶化しているわけではなく、本気でそう思っているらしい。まるで親戚の子の成長を見るような目をするイアンに苦笑してしまったが、気持ちはわかる気がする。滅多に会わない親戚の子の成長の早さには驚くよね。ということは、イアンとゲイルは親戚関係かな?
「もしかして、二人は親戚だったりする?」
「え? 違うけど?」
「そんな、恐れ多いです。自分は平民ですし、イアン様は子爵家の方なんですよっ?」
ししゃく……ひしゃく……いや違うか、子爵、だろう。そりゃ領主がいて辺境伯がいるなら子爵もいるだろうな。あとは公爵に男爵も絶対にいる。僕には偉い順番はさっぱりわからないけど。
だとしたら、イアンには自己紹介の時に気軽に呼んで欲しいと言われたので呼び捨てにしているけれど、ゲイルのように敬称を付けて呼んだ方がいいだろうか。フランクに話すよりも敬語の方がいいのか。
僕がつい黙ってしまうと、イアン……イアン様? イアンさん? が、慌てだした。
「子爵家と言っても爵位は兄が継いでるし、俺は騎士爵だからそんな偉くはねえよ。ほら、そんなことよりそこの宿だろ?」
「あ、ホントだ。じゃあ荷物を持って来ますね」
「自分も部屋まで同行します。スコットがいたら話があるので。……オレ、エマズワース村出身なんです」
「えっ?!」
えー?! そうならそうと早く言って欲しかった。そうなると、スコットとは幼馴染なのだろうか。確か歳が近かったはずだから、きっとそうに違いない。
もしかしたら、ゲイルはエマズワース村出身だから僕の護衛になったのかもしれない。共通の話題があれば僕の緊張なんかもほぐれるのでは、というハロルドさんの気遣いだろうか。やっぱりあの人が色んな意味で一番強い気がする。いや、気を遣ってくれて大変ありがたいけれど。
「俺は宿の人間に、トーゴの宿泊取り消しの件を話しておくよ」
イアンが手を振るので、彼に任せて部屋に向かうことにする。イアンは若様の従者か右腕か、とにかくそういうことなので、キャンセルの説明くらいは慣れているんだろう。遠慮なく、甘えさせて貰おう。
それにしても、ゲイルがいるとはいえスコットへの説明は気が重い。残念がる顔が簡単に思い浮かぶな、なんて考えながらも、宿泊予定だった部屋の扉を開いた。
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