領都グエンディスにて3
ハロルドさんの溜息が響く。
「とりあえず、お帰りなさいませヴィンセント様。お久しゅうございますね。それから、この度はご婚約おめでとうございます。このハロルドもようやく安心いたしました。本当に生涯独身を貫くお覚悟なのかと思っておりました故に」
金髪の美丈夫の方に恭しく頭を垂れたハロルドさんは、ポケットからハンカチを取り出して目元を拭った。
この人が領主様のご子息なのだろう。ハロルドさんは昔から仕えているみたいだし、若様の結婚が決まってほっとしたのかな。僕も機会があれば、あとで若様にお祝いの言葉を伝えよう。
「……ただいま戻った。ハロルドも息災の様でなによりだ。それから……心配をかけたな」
若様の方も嬉しそうだ。照れくさそうにしていて、なんだかいいシーンだなあとほのぼのとしてしまう。
しかし、ハロルドさんの目付きが一瞬で変わった。僕にしたように、真顔の恐ろしい気配をさせる。
「ええ、ですので、貴族としてきちんとした振る舞いを今一度学び直されませ。婚約者様に恥をかかせるおつもりですかな? ……イアン。お前も勿論一緒に、だ」
「うわあ、俺にも飛び火させなくてもいいじゃないですか、叔父上ぇ!」
「口答えをする気か、イアン」
「ひっ」
うん、ハロルドさんが一番強い。そう確信した僕は、本当にここに滞在しなければならないのなら絶対にハロルドさんには歯向かわないことを決めた。
僕が勝手に決意していると、領主様が首を傾げていらした。腕を組み、若様とその従者らしき人の後ろを覗き見る。
「ヴィンセント、アーヤさんはどうした。ステラは? イザベラ嬢もおらんのか?」
「父上を追い掛けるのは、馬車では無理ですと何度もお伝えしています。護衛はウェスリーに任せ、ゆっくり向かって貰っていますよ」
「なんじゃあ、馬はグレイアム領産で馬力は他とは比べ物にならんのだぞ? ワシに付いてくることも、馬車であっても可能じゃ」
僕は初めて馬車で移動したばかりの身だから言えるけれど、馬車はツラい。お尻は痛いしガタガタ揺れるし、スコットがゆっくり行ってくれてよかったと思っている。領主様や若様のような身体つきの人ならば平気かもしれないが、もし馬車に乗っている方が女性ならば速く駆けられるとたまったものじゃないだろう。
それを言いたいんだろうが、言ったとて伝わらないとでも思っているのかな? 若様もハロルドさんもこれ見よがしに溜息を吐いた。
「まあまあ、あと二日もしたらちゃんと着く予定ではありますので、話、進めませんか?」
正直、ずっと空気のままなのかな、とは思っていた。僕の存在を忘れていないだろうか、と危惧していた。領主様とは握手したけれど、若様が突然現れてからは視線が一度もこちらに向かない。だからタイミングを見計らって、咳払いでもして気付いて貰おうとは考えていた。
そこの若様の従者らしき人、あなたはもしかしたらできる人では?
ちょっと嬉しくなっていると、若様が真顔で僕の方に近付き、上から下までじっくりと見てくる。見定められているような視線は、どうも居心地が悪い。こちらから声を掛けてもいいかもわからない中、若様がようやく少しだけ微笑んでくれた。愛想笑いだ。
「グレイアム辺境伯領ジェフリーが嫡男、ヴィンセント・グレイアムだ。貴殿は、アオヤギ、トーゴ、で間違いないな?」
「は、はい。青柳桐吾、です」
驚いた。発音し難いんだろうな、と思って細かくは突っ込んでこなかったけれど、きちんと発音してくれる人は初めてだ。確かに言い難そうだしゆっくりだったけれど、ちゃんと名前を呼んでくれるのは大変嬉しい。見定められたし愛想笑いをされたけれど、いい人認定できるくらいには嬉しい。大丈夫、チョロいってちゃんと自分でも思っているから。
握手を求められたので応じると、強めに握られた。腰には剣を携えているし、きっと握力もあるんだろう。だから力加減を間違えたんだ。意図的ではないし、一瞬顔をしかめてしまうと鼻で笑われたような気がするけど、それも気のせいだ。
「ヴィーンス。そんなことしたらアーヤに叱られんぞ」
「アーヤには黙っておけ」
「婚約者様にはこのハロルドがお伝えいたします」
「ぐっ……すまなかった、アオヤギ殿」
気のせいじゃなかった……!
アーヤという人が怖いのか、ハロルドさんが怖いのかはわからないけれど、若様が素直に謝ってくれたので僕はとりあえず笑ってみる。当然、あはは、という力のない愛想笑いだ。
と、いうかだ。何故か僕は若様にものすごく警戒されているような気がするけれど、これはあれだよね? 僕が得体の知れないどこの誰だかわからない人物だからだよねっ?
「申し訳ない、アーヤギ殿。若様は嫉妬で貴殿の手を強く握られた。お詫びに治癒魔法を掛けておくので、それで勘弁していただきたい」
従者らしき人が手を僕の手に翳せば、じんわりと暖かい空気に包まれる。耐えられないほどの痛みではなかったし、痛みはとっくに引いているけれど、なんだか手の動きが軽いような気がした。
マホウ、とは魔法だろうか。ファンタジーの、定番の。へえ、これはいよいよ、異なる世界、だ。
「あれ? 魔法は初めて見るカンジ? アーヤはもっとはしゃいでたけど、ポカーンってされたのは初めてだわー。……ってことで、ヴィンス、ジェフリー様。間違いなさそうですよ」
「まだ確定はできんじゃろう。アーヤさんとイザベラ嬢がおらんと、なんとも……なんでおらんのだ?」
「それは父上が待たせるのは悪いと言って、馬を走らせたからでしょう。俺とイアンで追い駆けるのが精一杯でした」
「そういうことなら共にゆっくり帰ってきた方がよかったな」
「レナードとイアンが何度もそのように説明したじゃないですか……」
ええと。とりあえず僕は、どうしたらいいんだろう? 皆さんの会話によると、彼らの中では僕をどういう扱いをすればいいのかわかったようだ。確定するにはアーヤさんとイザベラ嬢というお方たちが必要で、けれどあと二日はここには着かない。その間の僕は……
「あの、領主様。僕はその、このお屋敷に滞在するようにと、ハロルドさんから聞いています」
「ハロルドから聞いているのか。それならよかった、グレイアム家は貴殿を歓迎する」
「ありがとうございます。でもその前に、荷物を取りに宿の方に行きたいのですが……」
スコットには悪いけれど、抵抗しても無駄だし宿に泊まることに拘っているわけでもない。エマズワース村への、モリスさんへの言付けをスコットに頼むことはもはや諦めた方がいいだろう。エマズワースの村人のスコットに直接頼みたかったんだけれど、お願いすれば手紙を届けて貰えるだろうか。それとも我儘を言って、一度エマズワース村に行かせて貰おうか。
「それでは貴方に護衛をお付けします」
すると、ハロルドさんが許可云々ではなくそんなことを言い出した。
護衛、とは……? 僕に? 要人でもないのに??
「護衛、ですか……? そんな、宿までの道は覚えていますし、必要ありませんよ?」
「貴殿に必要なくても、こちらには護衛を付けなければならない理由がある。窮屈だろうが理解していただきたい」
「なあに、ウチの騎士団の者だ。側が嫌なら少し離れての護衛もできる」
「いや、あの……はい、じゃあそうして頂いて……」
そうか、逃亡する予定はないけれど、その可能性を考えたのかもしれない。護衛なんて大袈裟過ぎると思ったが、得体の知れない人物相手にはそのくらいの警戒は必要だ。
「それでは私はアヤヤギ様の護衛を呼んで参ります故に、しばしお待ちくださいませ。ジェフリー様と若様、それからイアン。お疲れの様子ですので、疲労回復の薬草茶を出すようアルマに伝えておきます」
「ゲッ」
「ワシ、薬草茶はいらん」
「……俺もできるなら遠慮したい」
ハロルドさんは出て行ってしまったけれど、ハロルドさんが残した言葉に三人ともげんなりしていらっしゃる。
「もしかして、とんでもなく苦いんですか……?」
僕が訊ねると同時にメイドさんが入室してきたので、三人からの強い圧を受けて僕も飲む羽目になった。
許さない。絶対に。
(いろんな意味で)強いジジイはお好きですか?私は大好きです。
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