領都グエンディスにて2
なにかしでかしたか、いいやそれだったらそういう表情をしない。だからハロルドさんがなにを思っているかわからなくて、僕の不安は大きくなった。
「大変申し訳ありません。折角来ていただいたのですが、手紙の通り主はまだ帰領しておりません。ですが、あと二日ほどで戻る予定ですので、アヤヤギ様には今しばらくお待ちいただくことになります」
「それは……その、承知で参りました。宿の方も取っておりますし、差し支えなければ領都の観光でもしようかと思っております」
なんだ、そんなこと。
モリスさん曰く待たせない方がいいとのことだったから、できるだけ早く行動したつもりだ。だから正直に言えばほっとしている。出発まで三日、領都に着くまで五日は掛かったから、もしかしたら領主様が戻って来ているかもしれなかったからだ。まだ二日あるんだったら、もう少しゆっくりでもよかったのかもしれない。
「そのことですが、アヤヤギ様にはこの屋敷に滞在して貰うようにと仰せつかっております。申し訳ありませんが、宿の方は予定を取り消していただけたら幸いです。違約金などあれば、こちらで払わせていただきます」
「あの、ですが、連れがおりまして」
「お連れ様はエマズワース村の方ですか? それならば……一度村の方に戻っていただいた方がよろしいかもしれませんね。村長のノーマン殿と、それからモリス殿にも手紙を書きましょう」
僕は固まってしまった。展開についていけない。いや、確かに領主様に会うために領都まで来たけれど、立派なお屋敷に滞在することも早急にスコットが村に返されることも想定していなかった。話を聞いて、沙汰を待って、それらが長引けばスコットには戻って貰うことも考えてはいたが、僕の処遇が決まってからすべてが動くものだと。
だって、これじゃあもしもの場合の時にスコットに言付けを頼めない。スコットはエマズワース村の人だから、スコットに、頼みたかったのに。
「……まず、このことをお伝えしろ、と主からは指示されております。貴方はもしかしたら、この世界に招かれた【星の渡り人】かもしれない、とのことです」
「ほしの、わたりびと?」
「この世界になにかしら脅威が起こった際に、異なる世界から神が平和をもたらす存在を招くのです。貴方はもしかしたらそういう存在かもしれないと」
「……は?」
ますます僕は混乱する。なにを言っているのか、さっぱりわからない。そんな、映画や漫画の世界のようなことが、僕に起こっているわけがない。
確かに、僕はこの国を知らない。プレスタン王国なんて名前は聞いたこともない。騎士団も領土のない騎士団だけだって。領地? 領主? まるでファンタジーの世界だ。
これは夢だ。確定した。こんなことが実際に起こっているわけがない。僕は休日の惰眠をむさぼっていて、目を覚ませば妻から呆れた顔で、寝過ぎよ、と叱られるんだ。
――わかっている。現実逃避だ。僕はちゃんと、今が夢ではないと理解している。
だけど、異なる世界とは一体どういうことだろう。そこがいまいち理解ができなくて、夢なんじゃないかと揺らいでしまう。
「なんなら、引っ叩いて差し上げましょうか? まるで夢であれと思っていらっしゃるようですので」
「ひっ……」
ハロルドさんは柔和な笑顔を引っ込めて、恐ろしいほどの真顔になった。
「……と、いうのは冗談ですよ。もし本当に【星の渡り人】ならば、どれほどお強いのでしょうと興味がございまして。私、以前はグレイアム辺境騎士団に所属しておりました故、少々血が騒いでしまいました」
「は……はぁ……?」
今度はにっこりと子供っぽく笑うので、僕は恐怖と混乱とで心臓が痛い。どれほど強いのかと興味を持たれても、僕はエマズワース村でも非力認定されていたし、今もハロルドさんに勝てる気なんて一つもしていない。
荷物は宿だ。このお屋敷に来る前にチェックインした宿の部屋ならば、コリンから貰った鉈もナイフも置いてある。領主様のお屋敷に来るのに、武器になるようなものを携帯するのは失礼だと思って置いてきたんだ。だから尚のこと、素手で誰かに勝てる気はしていない。
僕が汗をだらだらと流していると、困ったかのようにハロルドさんが頬を掻いた。
「申し訳ありません。そこまで怯えられるとは思ってもおらず……大変失礼いたしました。それからなのですが、今のとは別件でもう一つ謝罪をさせてくださいませ」
僕に頭を下げたハロルドさんはおもむろに立ち上がると、大きな窓の方へと向かうとカーテンを少し開けて外を眺めだした。外でなにかあったんだろうかと首を傾げていれば、大きな溜息が僕の耳にも届く。それから、馬の駆ける音も聞こえてくるような気がした。
「主が戻って来るのはあと二日とお伝えしましたが、訂正いたします。本日、つい今し方、主は戻って参りました。本来の予定ではあと四日後と算出し、しかしあの方ならばあと二日後になるだろうと思っておりましたが、少々計算を間違えたようです。場を整えますので、アヤヤギ様はこちらでしばしお待ちくださいませ」
「は、はい」
笑顔なのに、ハロルドさんの目は一切笑っていなかった。この短時間で僕にも笑顔を向けてくれていたけれど、それは仕事上の最上の笑顔というか、例えるならなんちゃらパークのキャストさんの笑顔みたいな感じだった。
それなのに、今はどうだ。怒りが滲み出ているような笑顔で、僕は先ほどまでとはまた違った恐怖を覚える。いや、一緒だろうか?
ともかく、僕は恐怖で顔が引き攣る。それにフッと申し訳なさそうな笑顔を零されると、ハロルドさんは何故か右肩をグルグルと回しながらも部屋から出て行った。こわい。
「ええと……僕はどうなるんだ……?」
零しても、今は答えてくれる誰かはいない。とりあえず落ち着くために紅茶に手を伸ばすと、少し冷めていたので苦みを感じた。
――よくわからないことを言われてしまった。ホシノワタリビト、とはなんだろう。説明されたが、上手く飲み込めない。僕は別に特殊な能力は持っていないし、ただの平凡なおじさんだ。
「待たせたなぁ!」
だから細身のハロルドさんとは真逆の屈強そうなおじさまが、乱入のような形で部屋に入ってきた時の対処法は知らないんだ。
「ジェフリー様、アヤヤギ様が驚いておられます。もう少し上品になさってください。それでも領主なのですか、辺境伯なのですか」
「お、そのことだがな、ハロルド。領主も辺境伯もヴィンセントに継承できるようになったぞ! 陛下から言質は取ったからな、これでワシはステラと隠居生活ができる」
「なっ……いつの間にそんな重要な話を?! そ……それはようございましたが、その話はまた後でになさってくださいませ。アヤヤギ様が、聞いておられます」
ハロルドさんに促されるように僕の方を見た屈強そうなおじさまが、ニカッと笑ってずんずんとこちらに向かってきた。慌てて立ち上がると、僕の手を奪うようにして握手をしてくる。豪快な雰囲気だとは思っていたが、その通りの人みたいだ。
「失礼した! ワシは領主で辺境伯のジェフリー・グレイアムだ。貴殿がエマズワースのモリスが拾ったという男か」
「え、えっと、青柳桐吾と申します。青柳が名字で、桐吾が名前です」
腕が吹っ飛ぶんじゃないかと思うくらいにブンブンと上下に振られた腕は、無事とは言い難いがくっついたまま解放された。今はまだなにもないが、あとから痛みが出てきませんように。
僕が右の二の腕や肩を擦っていると、それに気付いたハロルドさんが領主様に向かって握り拳をして見せた。領主様は咄嗟に視線を逸らしたけれど、もしかしたら力関係は領主様よりハロルドさんの方が上かもしれない。自由奔放な主とその手綱を引く部下、なのだろう。
「父上、最後の最後で飛ばし過ぎです!!」
「申し訳ございませーん。一応若様の入室をお止めしましたぁー」
そういう関係性もいいなぁ、などと思っていると、再び勢いよく扉が開く。そして入室する、誰か。やたらと顔がいい若い男性二人は、ハロルドさんに睨まれると途端にしゅんとしてしまった。もしかしたら本当にハロルドさんが一番強いのかもしれない。
いやいや、それよりもこの二人は一体誰なんだろう?
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