幕間:グレイアム辺境伯家の執事 ―ハロルド・デクスター
グレイアム辺境伯家には、家令はいない。前任者が高齢になり退いてからは、私が執事長と兼任している。高位貴族には珍しいが、後任がいなかったので致し方ないだろう。
というのも、主であるジェフリー様が私に様々なことを押し付けるからだ。前任者も前任者で覚えておいた方がよいと言って学ばせるので、家令の仕事を私が覚えてしまったことも要因である。グレイアム辺境騎士団在籍時よりずっとジェフリー様の右腕を務めているため、特に大変なことはないけれども。……おそらくそれも私が兼任している要因だろう。
さて、私の仕事の一つに手紙の確認がある。我が主が領主故に、様々なところから手紙が届くのだ。
中でも、民からの手紙はよくあることだ。
ここをこうしたい、あれをこれに変えたい、それが欲しい、こういうことが起きた。
たくさんの声が辺境伯であり領主たる我が主、ジェフリー様の元へと届く。それらを精査して重要度や緊急性が高いことから順に目を通し、手を伸ばしていくのだ。
中には叶えられないこともある。保留の案件だってある。それでもその時の最善で対応することを、ジェフリー様は徹底していた。
「ジェフリー様。こちら、エマズワース村の村長からです」
「エマズワース村ぁ? なんじゃ、モリスになにかあったか?」
モリス殿は、二十年ほど前までグレイアム辺境騎士団に在籍していた猛者だった男だ。魔狼狩りではジェフリー様とよく競っており、勝敗は終ぞつかなかったのもいい思い出である。
引退してからは生まれ育った村へ戻り、村長を十数年務めて後任へと引き継いでいる。一年ほど前に奥方が亡くなったという報せがあったが、それからは特になにもない。訃報ならば、モリス殿の孫が騎士団に在籍しているのでそちらから情報が入るだろう。
ジェフリー様が手紙を開けば、読み進めるほどに眉が寄っていく。まさか本当に訃報か、と胸がざわついたが、私に手紙を寄越してくるのでしっかりと読ませて貰うと。
「……他国の者が不当に越境した情報は、特にありませんでしたね?」
「ワシは聞いとらん。じゃが、掻い潜った可能性はあるかもなあ?」
「御冗談を。ジェフリー様率いるグレイアム辺境騎士団ですぞ? ……と言いたいところですが、その可能性は否定できませんねえ」
手紙によると、モリス殿が村の西にある森で倒れていた男を保護したとのこと。衣服が平民のそれではないことや、男の出自を聞き出せばニュヒョンという知らぬ国であることが綴られていた。
この手紙だけではその男がどういった経緯で西の森で倒れていたかはわからないが、注目すべきは衣服の件とニュヒョンという国のことだろう。
平民らしくはない衣服ならば、貴族が着るような上等なものに違いない。ということは、そのニュヒョンという国の貴族である可能性が高い。
しかし仮にそうだとして、どうしてそのような人物がエマズワース村の西の森で倒れていたのか、という疑問が残る。我が領はプレスタン王国の辺境にあり、他の国の数国と隣接している地だ。諸外国の越境者はいくらでもいる。だが不当に越境する者にも決して容赦はしないのが、我が領だ。プレスタン王国の王に、この地を任せられている矜持がある。
――とはいえ、すべてを零さない、ということも不可能ではあるが。
「もしや、の域ではあるが……【星の渡り人】の可能性はないか?」
「そうですねえ、十五年ほど前に若様とドウェイン・タルコット師が倒した魔竜が脅威とされないならば」
私たちが生きる世界では、脅威が起こると神が異なる世界より【星の渡り人】を招くとされている。ニヒェンという国が確認されないならば、そちらの可能性もあるだろう。そうなると、この世界はなにかしらの脅威に晒されているということになるが……はて。
特に、なにも起きてはいない。ここ最近は魔物や魔獣の数も減りつつあるような気もする。穏やかな日ばかりで、魔狼狩りに明け暮れていた過去が懐かしいくらいだ。
……これは、調べてみるべきか。
もし本当にエマズワース村の件が【星の渡り人】ならば、穏やかな日々はなにかの前触れかもしれない。
私はそれをジェフリー様に伝えたかったが、扉を叩く音がしたのでまずはそちらへと向かう。……と、同時に扉は勝手に開いた。
「ジェフリー様! 大変ですわよ!!」
「……ステラ様、どうなさいましたか」
「申し訳ありません、叔父上。奥様をお止めすることはできませんでした……」
「あー……レナード、あとで薬湯をアルマに頼んでおこう」
執務室に入って来られたのは、奥様であるステラ様。それから、痛むのだろう腹を押さえている甥のレナードだった。私と同じく執事である彼は、よくステラ様に振り回されている。
「どうしたんだ、ステラ。そのように慌てて」
「ジェフリー様、たった今手紙が届きましてよ。わたくしたちの息子、ヴィンセントからです」
ステラ様はジェフリー様に手紙を渡すと、何故か私の方を見てにこにことなさる。
もしや若様は私のことも手紙で気に掛けておいでで……? という期待をしてもいいだろうとは思っている。若様の剣の師はジェフリー様は勿論のこと、私もなのだから。
若様が御幼少の頃は、そりゃあもう可愛らしかった。そして剣を持たせれば瞬く間に強くおなり、賢さもあってかすぐに私の手からは離れてしまったけれど。それでも、短い期間ではあったが若様の師をしたことはこの上ない栄誉だと思っている。
「ハロルドォ!!」
私がジーンとしていると、ジェフリー様が屋敷中に聞こえるかのような声を上げられた。勝手に心温まるような手紙を想像していたが、なにか不穏なことでも起こっているのか。だとしたら、ステラ様の笑顔の意味がわからなくなってしまうが。
「吉報だっ」
「そうなのですか。まさか若様がようやく縁談をお受けになられた、などという」
「よくわかったな!」
「空と大地が逆さになるようなことが……なんと仰いましたか?」
「まあ、ハロルドらしくありませんわね。ヴィンセントが結婚相手を決めたのですよ」
ジェフリー様とステラ様が抱き合って喜んでいらっしゃる。レナードを見れば、笑顔になりながらも目元を拭っていて。
「……お待ちください。お相手は? まさか裸体を見られたとか見たとかそういった醜聞ではないでしょうね?!」
「なにを言う、ハロルドォ! ヴィンセントがそんな間抜けなことをしでかすとでも?!」
「滅相もございません。イアンならばしでかしそうですが」
「叔父上……あり得そうなことを言わないでください……」
兄としても弟が間抜けを晒す姿を安易に想像できたのか、再び腹を押さえる。また痛むのだろうか、レナードには早急に薬湯を煎じなければならないようだ。アルマに頼むのではなく、私が直々に煎じてやろう。いらぬ心配をさせた、せめてもの詫びだ。
「ハロルド、レナード。貴方たちに命じます。この件は屋敷内だけに留めなさい。王家が絡んでいる事案です。正式に発表されるまで、領民に報せてはなりません」
そう仰ったステラ様は、喜びの舞を踊りそうなジェフリー様を落ち着かせに掛かった。その前に私の手に若様からの手紙を置いたので、レナードと共に読ませていただく。
「……お、おじうえ……これは……」
「いや、まあ……確かに若様は【英雄】ではあるけれども……お相手はまさかの【聖女】様とは……」
これは大変なことになった。ステラ様が命じたように、屋敷内だけに留めて若様の縁談の件を漏らさないように徹底しなければ。つまり、ジェフリー様の浮かれ加減をどうにか落ち着かせなければいけない。それは至難の業だが、私は長年ジェフリー様の副官を務めあげ現在は執事でもある。やり方は、いくらでも知っている。
いい機会だから、レナードにも伝授してやろう。
そういうわけで、直前のことなど頭からすっかり抜けてしまったというわけだ。
◆◆◆
ジェフリー様にしては、耐えた方だと思う。
あれからマッケンジー公爵家宛てに正式な婚約の打診を送り、その返事が届いた。それから婚約式をいつ行うか伺いの手紙を送ったのが、十日ほど前。マッケンジー家からの返事はないまま、おおよそ十日だ。
遠方の手紙のやり取りはグレイアム領産の馬を使うため、早くて一日、通常でも二日で届く。普通の馬ならば三日は絶対に掛かるので、王都から距離がある領とのやり取りは必ずグレイアム領産の馬を使用するはずだ。これまでのやり取りも迅速だったので、婚約式の話になった途端マッケンジー公爵が渋りだした可能性がある、とジェフリー様はお考えになる。
そうなると、こちらから催促するのは当たり前の流れだろう。婚約式の件を進めるよう言い含め、ジェフリー様とステラ様とで王都へ向かう旨をしたためれば、あちら側も急ぐに違いない。
こうも早く早くとことを進めようとするのは、若様が今回の縁談を投げ出さないようにするためでもある。あの方は【英雄】であるが故に、言い寄ってくる女性に辟易してしまったからだ。そこにようやく降って湧いた縁談話を、ジェフリー様もステラ様も逃すはずがない。
荷物をまとめ、いざ王都へ、と意気込むジェフリー様の元にその手紙が届いたのは、王都へ出立の前日だった。
「忘れていたな」
「不覚にも、私もですね」
私とジェフリー様が眺めるのは、一通の手紙。エマズワース村の村長からではなく、モリス殿からだった。二十日ほど前に確かにジェフリー様と二人で確認した件の、返事の催促だった。こちらは同時に若様の縁談の話が発覚したため、すっかり忘れていた件だ。
「急を要する案件ではない、と思いたいのですが、これからニュヒョンなる国を調べますか」
「その件じゃが、ハロルドに一任してもいいか? ワシ、明日からステラと王都に行くし」
「……ええ、そうですね。そのようなご予定ですね。そうなると……おそらくこちらで調べるにも限界があります」
「わかっておる。王都でも調べてみよう。レナードの王都での実践勉強にもなるだろうしな」
レナードはいずれ若様付きの執事となる。私がそう教育している。今現在は弟のイアンの方が右腕となっているが、そこにレナードが加わればより一層強力な布陣となるだろう。そこに婚約者様が加われば、グレイアム領と辺境伯家の未来は安泰である。
「それで、だ。ハロルドはどう思う。モリスが拾ったという男も、ヴィンセントの婚約者殿と同じ可能性は」
「以前も仰っておりましたね。そうですね……現状、特になにも起こってはおりません。多少の小競り合いはあれど、平穏です。ですがその平穏こそが、なにかが起こる前触れならば」
「わかった。叶うかわからんが、国王陛下との謁見も願い出てみよう。ラルフもなにか掴んでいるかもしれんから、締め上げてもいいかもしれんな」
「公爵閣下に手を出さないでくださいませ」
豪快に笑ったジェフリー様は、続いて私をじっと見た。
「どうかなされましたか」
「もしその男が【星の渡り人】ならば、ウチのヴィンスとどちらが強いのだろうな」
なるほど。それは大変興味があるし、老骨の血が騒いでしまう。敵わずとも剣を交えたいと思ってしまう。
「……気を当てるくらいならば、許されますかな?」
「ワシの帰りが間に合わぬならば勝手にしておれ」
ジェフリー様が不敵に笑むので、それならば勝手にさせていただこう。まずは簡単にでもニュヒョンのことを調べ、それから領都に赴き滞在するようにと手紙を出そうか。そうしたら、ジェフリー様もその男と対面することが可能になるだろうし、私も試すことができる。
「楽しみでございますね」
「婚約者殿だろうっ? 逃げられてなければいいがな!」
ジェフリー様は、若様の婚約者様のことと婚約式のことに頭が切り替わられた。私としても勿論若様の婚約者様のことも婚約式のことも楽しみではあるが、エマズワース村の男のことも楽しみだ。
さて、と眼鏡を押し上げる。明日からまた忙しくなるだろうが、楽しみがあるならば忙殺も悪くはない。
「レナードのことはお手柔らかにお願いしますね」
イアンと違ってもともとあまり体力がなく、剣よりも本を選んだ男だ。未だに屈強なジェフリー様が振り回してしまえば、簡単に寝込んでしまうだろう。
けれど、それも経験かと思う。養い子も今や家庭を持つ立派な子爵位で、私がいつまでも過保護に扱っていいわけがない。
それでも、いくつになっても私が養った子は可愛いのだ。レナードは勿論のこと、イアンのことも。
私の思いを察してくださるジェフリー様は、私の肩をポンと叩いた。わかっている、という子を持つ親の声が聞こえたような気がした。
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諸事情で、次回は一週間後の4/8(火)に更新します。
それまでお待ちくださると幸いです。




