幕間:息を吹き返した日 ―モリス
一年前に妻が亡くなった。それからというもの、わしは生きる気力をなくしたかのように家の中に引き籠り、社交性を捨ててしまった。
村の連中は優しい。誰も彼もが気に掛けてくれて、世話を焼いてくれようとする。自分で言うのもなんだが、人徳なのだろう。村の長を長年務めていたから、というのもあるかもしれない。
時には食材を玄関の前に置いていく者もいる。わしに気を遣ってか声を掛けずに、けれど気付いてもらえる様にだろう、物音を立てて置いていく。しかしわしは腐っても元グレイアム辺境騎士団に所属していたから、物音を立てなくても気配でわかる。余計なことを、とは思わないが、心遣いが嬉しかった。
それでも外に出て誰かと話す気力はなく、気配がした時に窓から顔を覗かせて礼を言うくらいしかできない。いつかちゃんとした礼をしたいとは思っているが、それがいつになるのやら。
とはいえ、完全に家の中に籠りきりというわけでもない。時々だが西の森に赴いて、キノコや木の実、山菜なんかを採取する。罠を仕掛けて小動物を捕ることもあるし、小川で魚を釣ることだってある。その頻度が村の連中よりも少なすぎるだけであり、独り暮らしの老人ならばそのくらいの頻度で十分だとは思うんだが。
わしが人を拾ったのは、その森の恵みを採取に出掛けた時だった。
仕掛けた罠を確認するために森の奥の方へと向かう。小川が流れている側まで進むと、なにか気配がして足を止めた。装備はナイフと短剣のみ。魔法の心得は多少あるが、あまり得意な方ではない。この森ならばそう強い魔物や魔獣は存在しないはずだが、万が一のこともある。
慎重に気配を消しながらも周囲を探ると、かすかに人の声が聞こえたような気がした。もし悪意ある者だったらば、返り討ちにできると思う。複数人だったとしても、なんとか逃げられるだろう。この辺りは庭のようなものだ、地の利はこちらにある、はず。
そう考えながらも声がしただろう方へ警戒しながらも向かうと、若い男が倒れていた。周囲に他の気配はない。
「大丈夫か?!」
駆け寄れど、反応はない。もしかしたらもう駄目なのかもしれない。そう思いながらも鼻と口あたりに手をかざせば、まるで眠っているかのような安定した呼吸を感じた。
安堵しながらも、肩を揺さぶる。若い男のようだが、旅人が迷って行き倒れたんだろうか。それにしては装備があまりにも少なすぎる。身を守るようなものは一切なく、もしかしたら連れに裏切られでもしたんだろうか。装備を奪われ、森に放り出されたのかもしれない。
……いいや、それにしては綺麗な衣服じゃないか。こんなに白く上等なシャツと、黒くこれまた上等なズボン。この鮮やかな赤の前掛けだって、ツルツルとして気持ちがいい。なにより、どれもまったく薄汚れていない。
「……ふぅむ。ひとまず、ノーマンを呼んでくるか」
もしかしたら高貴な存在なのかもしれない。運んでやりたいが、このところ腰が悪くて運べそうにもない。それならば、人を呼んできた方がいいだろう。周囲に魔物除けの香を焚いておけば、ある程度の時間は襲われはしないだろう。
「少し待っておれ。人を呼んでくるからな」
こうして人を拾ったことで、わしのジメジメしていた生活が一変することになった。
◆◆◆
ノーマンとその息子スコットに頼み、荷車を使って若い男をわしの家に運んだ。寝台に眠らせるとスコットの妻に治癒魔法をかけて貰ったので、小さな外傷なんかは治っただろう。
昏々と眠っていたと思われた若い男が目を覚ましたのは、それからしばらくのこと。状況を把握するのに時間がかかったようだが、なんとか落ち着いて会話もできるようになった。
若い男は、アーヤギトーゴ、と名乗った。ああいや、アアヤギだったか、とにかくトーゴという名前だというので、そう呼ぶことにした。
歳は五十二歳とのこと、見た目よりも年上だったので驚いたが、わしは七十八歳なので五十二歳も三十代後半もさほど変わらん。ノーマンのヤツも驚いていたが、そりゃ息子のスコットより少し上くらいだと思っていたんだろう。自分との年齢の方が近いとは思わなかったに違いない。
そのトーゴは、ニヒョン? ニィ、ヒュ、ン? 聞いたこともない国から来たそうだ。仕事をしていたら強烈な光に包まれ、気が付いたらここにいたんだというから首を捻る。なにかの魔法に巻き込まれたか、だとしたら転移できるような魔法は未だ開発されていないはず。王都におわす、かの【英雄】ドウェイン・タルコット師ならば開発できるかもしれないが、そのような発表はまだないはずだ。
とりあえずトーゴには、ここはプレスタン王国の南にあるグレイアム辺境伯領の最北のエマズワースという村だということは伝えた。トーゴもトーゴで聞き覚えのない地名らしく、首を捻っていたけれど。
「どうするよ、モリスさん」
混乱している様子のトーゴを少し一人にしてやりたくて、ノーマンと一緒に外に出る。するとノーマンが不安そうな顔をした。
「どうするもなにも……お前は一応、領主様に手紙を出すんだ。トーゴの身なりは上等なものだった。事実を話せないだけで、もしかしたらどこかの王族か貴族かもしれない」
「モリスさんは、ニュヒョン? って国は知ってるか?」
「知らんよ。知らんが、ジェフリー様ならご存じかもしれんだろう。ジェフリー様がわからなくても、王都には若様がいらっしゃる。若様は【英雄】だし王国騎士団の副団長様だ。調べてくださるかもしれん」
なにもわからないと言うトーゴからは、悪人の臭いはしない。悪いことを考えている奴はどこか仄暗さを感じるもんだが、そういった類の気配は感じられない。ただ自身の置かれている状況に困惑しているだけで、害はないだろう。
とはいえ、警戒はするべきかもしれない。いつ牙を剥くかもわからないからだ。大人しそうな奴ほど、追い詰められたらなにを仕出かすかわからない。
「とりあえず、トーゴはウチで面倒見る」
腐ってもグレイアム辺境騎士団に所属していたんだ、未だに村の誰よりも力はあると信じている。それに老い先短い老体だ、もし襲われたとしてもわしより若い連中が犠牲になるよりかは断然いい。
「だがよ、モリスさん……いや、頼むよ。ちょくちょく様子見に来るからな?」
「なんだ、心配性だなノーマン。食事はまあ……たまに『野兎の尻尾亭』で食べさせて貰うよ」
「食事も心配なんだがよ、まあいいや。うちのカレンにも頼んでおくよ」
「カレンの作る渡り鳥を煮込んだスープ、絶品なんだよなあ。さっき持ってきてくれたのもそうだろう? また作ってくれるとありがたい」
「ああ……ああ、言っておくよ。カレンなら喜んで作るさ」
ノーマンがわしの顔をじっと見た。言葉では了承したが、本当は迷惑だっただろうか。図々しいことを言った覚えはあるので、冗談だということにしよう。
「いや冗談だ。そこまでして貰うわけにはいかない」
「どうしてだ? 遠慮しなくていい。他になにかあるなら、なんでも言ってくれよ。ああ、そういやルイーズが人手が欲しいなんて言っていた。ほら、カールが領都に行っちまっただろう?」
「そうなのか? ああ、そういや挨拶に来たなあ。それじゃあ、トーゴが仕事がしたいって言ったら話しておく、が……」
ノーマンはまたわしの顔をじっと見た。おもむろにわしの肩を二度軽く叩くと、よかった、と言って今にも泣きそうな顔をしたので驚く。
「どうした、ノーマン」
「だってよ……エイダさんが亡くなってから、滅多に顔出さないし話もできなかった。俺らモリスさんに世話になりっぱなしだったから、今度はこっちが世話してやんなきゃって。……でも、駄目だった。もうやめた方がいいかって話になってたんだよ。迷惑じゃねえかって。でも、こうしてまた、モリスさんと関りができて……トーゴのおかげ、なんだな」
わしは思っていた以上に、村の連中から慕われていたらしい。同時に、思っていた以上に心配をかけていたことを知って申し訳なくなった。
これからはちゃんと生きよう。村の連中と関わりを持ち続けよう。まずは食材の礼をすべきだ。正直言えば、あれのお陰で食事の面で助かったことが何度もある。外に出るのも億劫な時もあったから、尚のこと。
「すまなかった。いや、ありがとう、だな。感謝しとる。わしを見捨てないでくれて、ありがとう」
「なに言ってんだ。言っただろう、俺たちはモリスさんに世話になりっぱなしだったんだ。誰が見捨てるかよ」
「見捨てられても、もう平気になったがな。わしはかつてグレイアム辺境騎士団で、ジェフリー様と魔狼狩りを競い合えた唯一の男だぞ」
「ははは。久しぶりに聞いたな、それ」
泣きそうな顔から笑顔になったノーマンと、握手をする。深く頷き合うとノーマンはそのまま帰って行った。それじゃああとは頼みます、と一言残して。
わしはノーマンを見送ると、家の中に入る。トーゴは食卓の椅子に座ったままで、感情が読み取れない表情を失った顔を少し俯かせていた。出していた水も、ちっとも減っていない。いろいろと考えて、なんの答えも出ていないのだろう。
「トーゴ。ノーマンと話したんだがな、行く当てがないならここにいてもいい。わしはどうせ独りだし、一緒に住まないか」
だったら、だ。答えが出ていないのなら、トーゴの選択肢はないに等しい。それならばこちらが選択肢を提示したら、なにかを見出すことができるだろう。
「……ご迷惑、では?」
よし、食いついた。
「そんなもん気にすんな。一度助けたんだ、ふらふらされて魔獣にやられでもしたら嫌だろう。老い先は確かに短いが、心臓が止まるような思いはしたくない。この老いぼれに、アンタの死体を見せる気か?」
「僕も……死ぬような目には合いたくないです」
「アンタならすぐにやられそうだもんなあ。そんな細っこくて、よく生きてこれたな。なにをするにも体力はいるだろうに」
「いえいえ、これでも二十五キロくらいなら持てますよ」
「イジューゴ・キロ……? そいつは重い人間なのか?」
わしの言葉にぽかんとしたトーゴは、眉をしっかり寄せて再び俯いた。言葉は通じるのに単位は通じない、などとブツブツ言っているが、イジューゴ・キロとは誰かの名前ではなくトーゴの国の言葉だったんだろう。プレスタン王国にはないものなのだ、きっと。
「まあいい。どうするかはアンタが決めてくれ。わしは歓迎するし、もし仕事がしたいと言うなら紹介もできる。人手が欲しいと言ってる店があってな。でもその前に……ノーマンの、村長の奥方が飯を作ってくれてる。腹は減ってないか。わしは減った。共に食おう」
台所に、カレンの作った渡り鳥を煮込んだスープの鍋がある。食卓の上には籠があり、中には野菜と肉を挟んだパンが入っているだろう。こちらもカレンの得意料理だ。スープを温め直し、食べられるだけ食べてゆっくりとするといい。
わしも久し振りに誰かと食事をする。たとえトーゴが複雑な心境を抱いているのだとしても、温かな食事をとれば少しは気持ちも落ち着く。それから、今後を考えたらいい。
「……はい、いただきます」
トーゴの瞳には生気がない。今朝までのわしのように、生きる意味を持たないのかもしれない。今の状況がそれの原因ならば、どうしようもないなりにちゃんと生きてみるのもいいのかもしれないと、勝手に思うのだ。
「まあとりあえず、わしの手伝いをしてくれんか。村の連中への礼を怠っているんだ」
ああこれは強引だったかな。けれどトーゴは驚いた顔をして見せ、破顔した。
――さあ、息を吹き返そう。まだ、生きている。




