エマズワース村にて4
僕はお世辞にも子育てを頑張ったとは言えない。妻に頼りきりで、甘えていた自覚はあるのだ。とはいっても、妻に大変だった頃の愚痴をたくさん聞かさる機会があったので、それで反省しての自覚だ。
だから、こういう時はどうすればいいのか緊張してしまう。自分の対応がちゃんとできているのか、できれば妻に採点してもらいたい。
そんな思いでコリンの様子を窺っていると、僕が手に持ったままの鉈を指さした。頬は膨らんだままだ。
「だから! オレが研いだんだよ、オレは使わないのに!」
「うん? 研ぐ練習をした報告かな?」
「ちがう!」
困った。コリンがどうして怒っているのか、見当もつかない。
僕が困っていると、いつの間にかルイーズさんが僕たちの様子を見ていたようだ。大きな溜息を吐く彼女は、とりあえずという感じで僕におかえりと言ってくれる。
「なにやってるのよ。窓からトーゴの姿が見えたから、コリンと話をしてるのかと思ったら」
「ルイーズ! トーゴがぁ!!」
「はいはい。そうよね、トーゴったら鈍いもんね。でも、コリンもちゃんと伝えたらよかったのよ」
「え、鈍い?」
「だって! トーゴにあげようと思って持ってきたのにさっ、オレからもらえるとか思ってないんだもん!」
「え、僕にくれるの?!」
そ、それはわからないだろう?! 無理だろう、だってプレゼントの雰囲気でもなかったし?!
「わかんないよ……」
「ほら、ちゃんと言わないとわかんない人だっているのよ」
「わかってよ、もお!!」
コリンは怒ったまま、駆け出してしまった。途中で振り返って、それあげるから、なんて叫ばれたので追いかけない方がいいのかもしれない。ルイーズさんにもなにも言われないので、きっとそれが正解なんだろう。
「困った子ね。でも、トーゴも悪いわよ。コリン、そういう雰囲気じゃなかった?」
「いや……昔使ってた鉈を綺麗に研いだから自慢しに来たんだと……」
「あの子、家の手伝いでそんな暇ないわよ。でもトーゴに使って欲しくて一生懸命研いでるって、この前言ってた」
「可哀想なことしちゃったかな」
手の中の鉈をもう一度ケースから抜くと、研いである刃にそっと触れる。薪割りに斧ではなく鉈を進めてくれた少年が、昔自ら使っていた鉈を研いでプレゼントしてくれたことに、今更ながらに嬉しくなった。
どんな思いで研いでくれたんだろう。それ以前に、物置から見つけ出す時間を捻出するのにも苦労したのかと思うと、ますますさっきの対応が駄目だったことを思い知らされたけれど。
コリンのそういうところ、なんだか僕の息子に似ている気がする。世話焼きの割りに、ぶっきらぼうなところが特に。
「そう思うなら、その鉈でたくさん薪割りしなさいよ。そしたらコリンも嬉しいんじゃないかしら」
「うん、そうさせて貰うよ。今度コリンに会ったら、ちゃんとお礼も言う」
それがいいわね、とルイーズさんが言うので、僕は鉈をケースに仕舞う。
「さて、と。僕ができる仕事、なにかある?」
僕が『野兎の尻尾亭』に戻ってきたのは、仕事を再開するためだ。コリンと話をしていたから、本日の終業時刻まで少なくなったけれど、まだ十分に時間はあるといえばある。
すると、ルイーズさんは腰に手を当てて、大きく溜息を吐いた。
「なにもないわよ。……と、いうか。今日はもうこっちに来ないと思ってたわ。村長の所に行って、そのままモリスさんと家に帰るんだと」
「そんなこと、言ったっけ?」
「聞いてないし言ってないけど、そうするんだと思ってたの」
まるでそれが当たり前みたいに言われるから、僕は驚く。だって、ただ仕事を抜けて用事をすませて来ただけだろう? その用事が終われば職場に戻るのが普通なんじゃないんだろうか。ここは携帯電話なんかはないから、そのまま早退しますの一言も可能な限り職場に出向いてした方がいいんじゃないのか。
僕が首を傾げると、ルイーズさんも首を傾げる。
「……ええと、整理しよう。僕は今日もいつもの時間の勤務がある」
「そうね」
「でも、昼休憩中に村長からの呼び出しに応じて、外出した」
「外出? ……まあ、外出、なのかしら?」
「用事は早く終わったし、仕事が終わる時間までまだあるので、僕は仕事に戻った」
「ここに戻って来るのも面倒だろうから、別によかったのよ」
「そんな無責任なことはできないでしょう?」
「責任? 誰が負うの? トーゴが? どうして?」
「いや、だって……雇われてるんだし、ちゃんと働かなきゃっていう……」
「働ける分でいいのよ?」
「でもそれじゃあ店が回らなかったりするんじゃ」
「大丈夫よ。今日はマリアやシェリーがいたんだし」
「……」
「トーゴが家に帰って、なにか問題があった?」
「……お賃金」
「そうね、お賃金だけね!」
からからと笑うルイーズさんに、とうとう言い返せなくなった。
そうだ、ここでは僕は責任者じゃないし、どうするかはルイーズさんとジョージが決めることだ。すべての会社が一律同じというわけじゃない。昔はそうだったかもしれないが、企業や職場ごとに働き方は違ってくる。たまたま『野兎の尻尾亭』が、とっても緩いホワイトな職場だったというだけだ。
「そのお賃金も、今日の分はちゃんと半日分で計算するから大丈夫よ。だから明日からまたよろしくね」
背中をバンっと叩かれた僕は、前につんのめりながらも慌てて踏ん張ってルイーズさんの方へと体を向けた。明日からまた、の言葉で一番重要なことを思い出したのだ。
「そのことなんだけど、ちょっと領都に行くことになって……」
「領都に? どうして?」
「いや、ほら僕は得体の知れない存在じゃないか」
「トーゴはトーゴでしょ?」
「そうだけど、そうじゃなくて。なんて言えばいいのかな、僕は出自が不明な謎の人物、だろう? 僕自身も、ここが本当にどこなのかさっぱりわかっていない」
「そ……れはそうかもだけど。だから領都に? 領都に行けばトーゴが何者かわかるの?」
「わかるかもしれないし、わからないかもしれない。とりあえず、僕の正体が不明だから万が一を考えて領都で身柄を預かりたいって、領主様から手紙が来たんだ」
説明をすると、ルイーズさんはムスッとした表情をする。なにに怒っているのかはわからないが、僕が説明した内容に不満があるのだろう。
……まさか従業員が減ると困るとか、そういうことだろうか。いいや、僕がいなくても店は回るだろう。だからそちらの方面での心配は、一つもないはずだけれど。
「……よくわからないけど、この村に帰って来るのよね?」
「それは……ごめんなさい、断言できない。でも、その可能性もある、かな」
領都に行くことでなにかわかればいいけれど、できれば僕がいた場所に帰りたい。その思いは、モリスさんや村長の優しさに触れても消えない。だから、手掛かりがあれば飛びつこうと思っている。
だけどもし手掛かりがなにもなければ、この村に戻って来てもいい。この村の人たちの優しさに包まれて、生きるのもいいかなと思い始めている。
「そう……わかった。ジョージにも話しておくわね。それで、いつ領都に向かうの?」
「スコットが一緒に行ってくれるらしくて、とりあえず三日後かな」
「みっ……!? 時間ないじゃない! もお、トーゴは早く家に帰ってモリスさんに荷造り手伝って貰いなさいよ! 仕事のことは気にしなくていいから。でも、発つ前に絶対に顔を出してちょうだい!」
「は、はい!」
ルイーズさんに背中をまた叩かれた僕は、今度はちゃんとつんのめってしまった。踏ん張ることもできずに無様にバランスを取ろうともがくと、なんとか転ばずにはすんだけれど。
しっかりと両足で立つと、ルイーズさんに叩かれた背中に手を回す。体が硬いから叩かれた場所を直接撫でられるわけではないけれど、雰囲気で撫でた気にもなればじんわりとした痛みも引いてくれるだろう。
「そうだ、コリンのことだけど」
「トーゴが直接言う? 多分、この話は明日にでも村中に広まるだろうけど」
「明日、僕から会いに行くよ」
「じゃあ明日、コリンが卵の配達に来てくれた時に言っておくわ」
「ありがとう。……それじゃあ、帰らせてもらうよ」
コリンに貰った鉈をしっかりと握ると、ルイーズさんに手を振る。すると店の中からジョージが顔を出して片手をあげる仕草をするので、僕は軽くお辞儀をした。顔をあげて踵を返す直前に見えた夫妻は話をしている様子だったから、きっと僕の話をルイーズさんがジョージに伝えているんだろう。
ちらり、様子が気になって振り返ったらジョージは顔をしかめていた。残念に思ってくれたんだろうかと、申し訳ないが嬉しく思ってしまった。
どうやら僕は、僕が思っている以上に村に馴染んでいたらしい。