エマズワース村にて2
客室の掃除が三か所と、シーツの洗濯もしたからそれで午前中は潰れた。掃除は褒められても洗濯は不慣れなのでルイーズさんには厳しい目で見られてしまうが、今日はなんとか及第点を貰えたからよかった。ここでは全部手洗いだから、洗濯機に放り込んで洗剤を入れてスイッチを押すだけ、なんてことはできない。現代人としてはそちらに慣れてしまっているから、手洗いなんてよっぽど繊細な衣服を洗う時くらいしかしないんじゃないだろうか。
ほっとしながらも本日の賄いをジョージさんから受け取り、カウンター席の端の方で有り難く戴く。温かなスープは野菜がごろごろとたっぷり入っていて、ベーコンのような燻製肉もジューシーで美味しい。これだけで十分だけれど、ガーリックトーストもあるから満足度は高い。
「今日も美味しい。ありがとう」
ハフハフとしながらもジョージに伝えれば、ニッと笑って調理に戻った。昼時なので、村の人たちや旅人なんかも訪れてはジョージの料理に舌鼓を打っているのだ。手を休めている暇はない。
この村は大きな街と街の間にあるそうだから、飲食店も宿の方も結構繁盛している。昼間の忙しい時間帯は僕の他にもお手伝いをする人はいて、今はその人たちとルイーズさんでホールを回している状況だ。僕がそういう時間帯に昼休憩に入れるのは、ホール業務ではあまり役に立たないから。結構混雑してしまうし、村の人たちは常連故に、いつもの、というものが存在するので僕では到底務まらない。村の人達の顔も名前もまだうろ覚えだったりするから、戦力外とみなされても仕方ないだろう。顔と名前を一致させる訓練になるかもしれないが、僕がいつまでもここにいられるとも限らない。
なにもわからない世界で、この村に馴染もうとしながらも元の場所に、妻や子どもたちのところに帰るという希望を、僕はまだ捨ててはいない。
「ごちそうさまでした。しばらくしたら仕事に戻るよ」
皿を空にして手を合わせれば、すかさずホールを舞うように動いていたルイーズさんが皿の回収をした。その早業は見事なもので、行列のできる店以上の動きかもしれない、などと勝手に思っている。
「もっとゆっくりしてていいよ。ああそうだ、連泊のお客さんで、ちょっと掃除して貰いたいって言われたんだった。お昼上がったらまずそっちをお願いしていい?」
「勿論。早速取り掛かってもいいよ」
「休憩はちゃんと取って! ……あ、はーいただいま〜! トーゴはまず休憩だからね!」
お客さんに呼ばれたルイーズさんに釘を刺されるけれど、どうもウズウズして仕方ない。慣れないことだらけだけど、長年体を動かしながら働いていたからか、筋力は村の若者達より全然ないけれど動いていたいと思ってしまう。昼休憩も、ちゃんとしっかり取った記憶は店長になってからはあんまりないし。
だから、ルイーズさんやジョージたちにこうやって甘やかされるのは、少しむず痒い気持ちになる。いや、休憩はちゃんと取るべきだし休憩が休憩じゃないのは大問題なんだけれど、それは自分の能力と突発的な事象のせいであって……という言い訳はさせて欲しいけれど。
「トーゴ。そろそろコリンが卵を持ってくる。トーゴと話をしたいと言っていた。付き合ってやって欲しい」
「コリンが話? なんだろう、相談かな? こんなおじさんでも答えられることだったらいいけど」
「トーゴはおじさんじゃあないだ……いや、五十歳を過ぎていればおじさんか」
「十分おじさんだよ、僕も」
どうやら僕の見た目は若く見えるらしく、五十二歳をつかまえて三十代半ばと認識されていた。確かにそういう時期もありましたけれど、よく見なくても白髪はたくさんあるし壮年期終盤で中老のくたびれ感は見て取れるだろう。若く見られてやったーと喜ぶような元気さえもないのに。
逆にこの村の人たち、というよりはこの国の人達は、いうなれば日本人から見た外国の方々のよう。実年齢よりも少し年上に見えるので、二十代後半のジョージさんは三十代半ばから後半に見えたし、これから卵を持ってくるコリンは十四歳には見えなかった。しっかりしているから、もう少し上だろうと思った。
その三十代半ばに見える五十二歳のおじさんに、しっかりしている十四歳の少年がどんな話をしたいのか少し緊張してしまうと、こんにちはー、という元気のいい声に振り返った。
「あれ、スコットだ」
「ああよかった。配達とか買い出しに行ってたらどうしようかと思ったんだ」
「なにか用か、スコット」
「ジョージじゃなくて、トーゴにな」
その途端、ジョージやルイーズさんだけじゃなく、この『野兎の尻尾亭』にいる村の人達が動きを止めて僕を見たようだった。スコットは村長の息子なので、その彼が用があるということはつまり、村長が用があるということ。
「トーゴ、今日はモリス爺さんが親父のところに行くって言ってただろう? やっぱりアンタにも来て欲しいって言ってるから、ジョージ、すまないけどトーゴは借りていくぜ」
「構わん。ルイーズ、客室の掃除は別のヤツに頼んでくれ」
「わかったわ。スコット、トーゴをよろしくね」
「え、あ……いや……よろしくお願いします?」
僕のことなのに僕のことは無視されているような気がするが、決定事項ならば仕方ないんだろう。僕は大人しくスコットに付いて行くだけである。
「あ、コリンは」
「コリンにはちゃんと言っておく。また機会はあるだろう」
心残りがあるとしたら、コリンのことだけ。仕事はどうにかなるけれど、コリンが話したがっていたというのはどうにもできないかもしれない。また別の機会でいいのならそれでいいけれど、もし村長の件が早く終わるのなら仕事終わりにコリンに会いに行ってみよう。
そういうわけで、僕は仕事を抜け出して村長の家に行くことになった。
◆◆◆
中心部から少し外れたところに、村長の家がある。僕よりも一回り年上の村長夫妻はすでに子育ては終えており、夫婦二人暮らしの家だ。息子のスコットは、向かいに家を建てて妻子と一緒に住んでいる。
スコットが無遠慮に実家の扉を開けると、来訪に気付いた村長がひょっこりと顔を出した。よく来てくれた、と歓迎されて中に入れば、奥さんのカレンさんがにこやかにお茶を出してくれる。僕はお茶を飲んでいるモリスさんの隣に座らせて貰うと、仕事中にすまなかったな、とモリスさんに謝罪された。
「いいえ、店の方は大丈夫みたいですし。……それより、なにかありましたか?」
すると、村長がおもむろに手紙を差し出してくる。つい受け取ってしまったが、中を読んでもいいのかがわからずに戸惑う。するとモリスさんが読んでみろと言うので、恐る恐る読ませて貰うことにした。
実は、文字を追うことが怖かったりする。そもそもここは、村の人たちもこの村に立ち寄る人たちも皆が日本人ではない顔立ちで、聞き覚えのない国名や村の名前を有してる地だ。日本語が通じるはずがないのに、文字を読める自分に違和感を持っている。
その違和感に気付いたのは、モリスさんの家で目を覚ましてから、しばらく経ってから。そういえばおかしいな、と思った時には文字も読めれば何人もの人とも会話をしていたから、そういうものなんだろうと無理矢理飲み込んだけれど。
だけど、こうして文字を見るとやはり違和感はチリチリとある。それをなんとか抑えのけて、最初から最後までをゆっくりと頭に入れるように読む。
「ええと、つまり僕に、領都? に、来い、とのことですか?」
少し堅苦しい文章だが、要約するとそう書いてある。
領主が所用で不在ではあるが、万が一のことを考えるとエマズワース村に置いておくことはできない。領都にて領主の帰りを待ち、それから判断したいと思う。
これもまた簡単にしたけれど、僕の処遇についてのことだ。得体の知れない僕をどうしたらいいのか、村長がもっと偉い人にお伺いを立てた返事だ。
僕が戸惑っていると、モリスさんが優しく微笑んだ。
「……トーゴ。村には馴染んだか?」
「え、ええ。皆さん親切ですし、今日も褒められた客室の掃除を任されて。モリスさんにも勿論お世話になってますし、食事も美味しいし……」
「そうだな、よく働いてくれるとルイーズから聞いてるよ。ジョージも助かっていると」
馴染んだかと問われたら、結構馴染んだ方ではないか。まだたったの一か月半だけれど、最近では肩の力が抜けているようにも思える。
目を細めてウンウンと頷くモリスさんに、村長は困ったような表情をした。
「そうなりゃあ、この村にいてくれてもいいんだけどなあ。そういうわけにもいかねえ。お前さんが一体どこの誰なのか、名前と歳がわかってりゃいいってわけでもねえんだ。この国でぶっ倒れてたのに、この国の名前すら、近隣国も知らねえじゃねえか。着てた服も、ありゃ高級品だ。だからよ、この村の長として、領主様にお伺いを立てたってワケだ」
すまねえな、と村長は言うけれど、そんなの当たり前じゃないのか。得体のしれない人物がいたら、村を守るために様子を窺いながらでも上に報告するだろう。身なりがよければ、偉い人を保護したという報告もするだろう。コミュニティのトップならば、なおのことそういう行動を取るのは普通だ。僕だってそうする。
……ああ。でも、そうか。……そうかなの。
本当は僕がモリスさんにお世話になっているのも、警戒しているんだ。だからルイーズさんやジョージがお節介で食事の世話をしてくれているんだ。
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