エマズワース村にて1
しばらくはアーヤではない別の人物が主役です。
薪割り台に太い薪を置き、鉈の刃を当てる。逆の手でそのまま薪を浮かせ、トントンと数回薪割り台を叩けば薪に鉈が食い込んでくれる。それから両手で鉈を持ち、薪割り台にまっすぐに何度か叩きつければ、薪が少しずつ綺麗に割れてくれる。
このコツを教えてくれたのは、まだ十四歳だというコリン少年だった。僕が斧を振り回すさまが恐ろしかったんだろう、おじさんはこっちを使った方がいい、と鉈での薪の割り方を教えてくれたのだ。鉈があるならあるで、最初からそちらを渡して欲しかったが、世話になっているモリスさんのお宅には薪割り用の鉈は存在していなかったらしい。斧で薪が割れないと知られると、斧の扱いも知らないのか、と驚かれてしまった。
解せぬ。
そりゃあ、都会とは言わないが田舎とも言えない場所で生まれ育ったのだ、鉈も斧もそう縁があるわけでもないし、キャンプなんかも趣味としていない。ただ、なんとなく扱えるかな、程度である。薪を割ったのなんて、幼い頃に祖父にせがんで補助されながら経験した程度だ。
今ならば声を大にして言える。ありとあらゆる経験をしていた方がいい。サバイバル系は、特に。
というのも、僕は生まれ育った場所でもなく、かといって知っている場所では決してないこのエマズワースという長閑な村に、突如として厄介になることになったのだから。
コンビニなんてない。チェーン店もない。あるのは飲食店兼宿屋が一軒と、日用雑貨品を取り扱う店が一軒、それから食材は肉と野菜で一軒ずつ。民家はざっと十数件程度。何処の田舎だ、と叫びたくもなるが、僕はこの村どころかこの世界すら知らない。エマズワースという村どころか、プレスタン王国という国も知らない。
わかっているのは、倒れている僕を発見したのがモリスさんというお爺さんで、モリスさんの家に運んでくれたのが村長のノーマンさんとその息子のスコットだということ。この村の人々は得体の知れない僕に、大変優しく親切であるということ。
青柳桐吾という名前を持つ僕が、トーゴ、と呼ばれていること。
「トーゴ、そろそろ時間じゃないか」
「あ、はい。そうですね、では今日も行ってきます」
「ルイーズに、毎日メシの世話をせんでも料理くらいできる、と言っといてくれ」
モリスさんはそう言うが、実際モリスさんは、僕も、料理は得意じゃない。僕は結婚して家庭を持っていた……持っている、のだが、仕事が忙しく、妻が料理好きだったこともあってなかなか手料理の機会がなかった。……いいや、それは言い訳だ。仕事が忙しくても休日はあったのだから、その日に妻からキッチンを奪えばよかったんだ。大雑把なものしか作れなかったが、決して不味くはなかったはずなのに。
妻への後悔で僕の表情が曇ったからだろうか、モリスさんが僕の背中を思い切り叩く。
「ほら、ルイーズに叱られるぞ。わしも今日はノーマンの所に行くからな。昼のことは気にしなくていい」
「……ええ、はい。わかりました。それじゃあ行ってきますね。モリスさんもお気を付けて」
「はっはっは、転ばんように気を付けるよ」
もう一度僕の背中を叩いたモリスさんは、老齢らしくゆったりした足取りで家の中へと入っていった。
僕は用意していたバッグを掴み、服に付いたおが屑なんかを払う。それからルイーズさんが待つ飲食店兼宿屋の方へと向かうことにした。――今の僕の、仕事先だ。
僕はもともと、地方チェーンのスーパーで店長を任されていた。店の利益を考え、従業員に寄り添い、気持ちよく利用してくれるお客さんに感謝しながらも、日々を過ごしていた。時に本部の上司に叱咤されながらも、充実感はあったんだと思う。いやだな、やめたいな、などと思うことはあっても、やっぱり楽しいな、という思いがあったからだ。
それが崩れたのは、かれこれ一か月半前。僕が任されている店舗の、常温保存の在庫を置いている倉庫の扉を開けた時だった。
倉庫内の電気はまだ点けていなかった。広がるのは暗闇で、扉を開けた側からの光だけが頼りになるはずだった。目が慣れない内に、体が覚えているのでスイッチの場所まで難なく進めば、電気のおかげで倉庫内は明るく照らされるはずだった。
けれどこの時は違った。扉を開けた瞬間に、強烈な光が僕の目を閉ざした。誰かが電気を消し忘れた程度なら、目を閉じることはしない。それ以上の眩し過ぎる光が僕を襲って、多分、気を失ったんだと思う。
気を失う直前に、青柳店長、と僕を探す声が聞こえた気がしたが、目を覚ましたら見知らぬ光景。店舗の従業員控室でも病院でもなく、ロッジの一部屋のような場所だった。
モリスさんが言うには、僕はエマズワース村の近くにある森の中で倒れていたらしい。キノコや木の実を採取に来ていたモリスさんは、見たことのない衣服を身にまとっている……とは言ってもスラックスとワイシャツとエプロンだったんだけど、そんな僕を見てたいそう驚いたそうだ。服の質なんかを見て、どこかの王族かと思ったんだと。そんな馬鹿な。
とりあえず僕に意識がなかったので、村に戻って村長親子を呼びに行って、荷車に乗せて運んだらしい。あのまま放置していたらマジュウなんかに食われていただろうと言われたけれど、マジュウとは一体……? 熊や狼の類だろうか? そんな気がする。
とにかく、僕の命はこの村の人たちに助けられた。得体の知れない僕が受け入れられたのは、ここがどこなのかさっぱり見当もつかず、絶望していたからだろう。抜け殻のようになった僕を憐れんで、優しい人たちが手を差し伸べてくれたからだ。
「おはよう、トーゴ。今日もよろしくね」
「おはよう、ルイーズさん。今日はなにからしたらいいかな?」
「そうだね、朝一番で出て行ったお客がいるから、客室の清掃をしてくれる? あと二部屋も朝のうちに出立なの。そのあとは、明日の分の野菜の選別をしてちょうだい」
村の中心部にある、『野兎の尻尾亭』に着けば、店の周囲を掃除していたルイーズさんとあいさつ。その流れで今日の仕事を訊ねれば、ここで働かせて貰えるようになってすごく褒められた仕事を任された。
客室の清掃はシーツを取り換えてベッドメイキングと、室内の掃除。簡単にできそうな仕事だが、僕は細かなところまでよく目が行き届いているらしい。ルイーズさん曰く、この村の人たちは大雑把だから、とのことだったけれど、僕も結構大雑把なんだけどな?
野菜の選別は、店長になる前は肉や魚、野菜の担当を一通りは経験していたからこそできるんだろう。新鮮な物を選ぶコツなんかは、その当時の諸先輩方に教えて貰っている。保存方法も頭の隅の方に置いてあるので、『野兎の尻尾亭』の主人でルイーズさんの旦那さんのジョージにはものすごく感謝された。
「ああそうだ、ルイーズさん。今日はモリスさんは村長の所に行くそうで、お昼はおかまいなく、と言ってたよ」
「そうなの? それじゃあモリスさんには晩御飯だけね。トーゴはなに食べたい? お昼は適当に賄いだけど、夜はなんでも言って。今日もジョージが美味しいの、作ってくれるから」
ジョージの作る料理は、ものすごくおいしい。特にジビエ肉なのかな、なんのお肉かはわからないけれど、香草焼きが美味しかった。スープもほぼ毎回違うのを出してくれるし、その時の気分でパパっと料理ができるすごい料理人だ。
そんな料理を、僕はお昼の賄いの時と、夜は無償で食べている。ついでにモリスさんも。
いや、モリスさんはわかる。採取した森の恵みや罠で得た獣肉を『野兎の尻尾亭』に無料提供しているのだから。食事がその還元だと思えばいい。モリスさん自身は自炊したいそうだけど。
けれど、僕はどうだ。店の手伝いをアルバイト感覚でやっているだけで、賄いはまだしも夕食を無償で得られるのはおかしい。ルイーズさんには、お給金から引いておくから、とは言われているけれど、それにしても親切過ぎないか。モリスさんのおまけだと言われても、納得できないくらいだ。
「そのことなんですが……」
「なあに? まさか遠慮してる?」
「モリスさんが、毎日世話してくれなくても料理くらいできる、と。それに僕も、毎日作ってもらうのは心苦しいな、って……ごめんなさいルイーズさん」
段々と表情を険しくするルイーズさんに、思わず謝罪をしてしまう。親切心を傷つけてしまったかな、と思ったからだ。
腕を組んでムッとした表情のまま、ルイーズさんは口を閉ざしたままだ。口を一文字にして、言いたいことがあるのに耐えているようにも見える。
居心地が悪いので、指示された通りに客室の掃除に取り掛かりたい。けれど、多分ルイーズさんは僕が立ち去るのを許してくれないだろう。こちらに視線を合わせ、まるで蛇に睨まれた蛙のような心地を僕は味わっている。
「あのね、トーゴ。私もジョージも、村の人たちは全員、モリスさんのことが大好きなのよ。だから、お節介でもいいからモリスさんに関わっていたいの。それに、トーゴには感謝してるのよ」
だからお節介を受け続けて、と続けるルイーズさんに背中をぐいぐいと押されて、僕は店の中へと強制的に入らされた。奥のカウンターの向からジョージが、おはよう、と告げてくるので僕はそれに返事をする。
「じゃあトーゴ、お願いね!」
最後にもう一つ、今度は強めに背中を叩かれた僕は、片手をあげて妻の所業の謝罪をするジョージに苦笑いをするしかできなかった。
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