序幕:研究対象と『煉獄の魔女』 ―イザベラ・マージェニー
三度目の神様からの招集を聞きつけたので、現場となった騎士団の鍛練場へと向かう。
今日は若い連中が景気よく打ち合いをしていたはずだが、すでにイアンが指示を出したんだろう、すっかり人はいなくなっていた。若い連中の代わりにいるのは、ラルフとイアンとロドニーに、【聖女】のお嬢さん付きになった侍女のブランシュ。それから、以前お嬢さんの世話係をしていたマリーネもいるね。
あと、私の馬鹿弟子。
「あ、師匠も来たんですね」
「神様が招集した直後の現場を見ておきたかったもんでね」
一度目の時は馬鹿弟子が調べたので、報告書を読むだけだった。二度目は婚約式の直前だったために、そんな時間は取れず仕舞い。三度目の今回、ようやく現場に立つことができたのだ。
心なしか気分が高揚していると、反対にげんなりと力のないイアンが苦笑する。
「師団長、楽しそうですね」
「お前は元気がないじゃないか。さすがに三回も友が目の前で消えるのは堪えるのかい?」
「じゃあ、師団長は目の前でドウェインが消える想像でもしてみてくださいよ」
「……すごく楽しいね?」
「ししょー! 酷くないですか?!」
だって目の前で馬鹿弟子が消えるんだよ? まさか転移の魔法でも開発したのかと思うじゃないか!
転移の魔法は、そういう考えはあるが実現はできていない。私と馬鹿弟子が長年行っている研究は、転移の魔法だ。だからイアンの状況ははっきり言って羨ましい。一番羨ましいのは、ヴィンスとお嬢さんなんだけど。
イアンがさらに元気がなくなってラルフに慰められていたけど、私はそれよりも周辺の魔力の流れに興味津々だ。なんたって、馬鹿弟子が報告書にまとめたことと一致していることが、ちゃんと確認できるからね。
「……なるほどね。お前の報告書通り、二人が消えただろう場所に感じたこともない魔力が集中している」
「そうでしょう? でもほら、本当にそこだけで、ちょっとずれるとその魔力は一切感じられない」
「……楽しいねえ」
「楽しいですぅ」
「でもこれ、そろそろ消えてしまうんだろう?」
「でもでもぉ~、ほら、まだあの二人、戻って来てないですしぃ~」
「戻ってきたらまた濃い魔力を感じられるというわけだねえ。はー、早く戻って来て欲しいね、早く見たいねえ!」
「ねー!」
すると、ラルフが顔を引きつらせながらもこちらを見ていた。なんだいその顔は。私もちゃんと、ヴィンスとお嬢さんを心配してはいるんだよ。ただ、付属する現象の方に興味があるだけで、これは魔導師として研究者として仕方のないことなんだよ。
「わかってはいる。わかってはいるが……危機がないとわかっていると、これほど楽しそうにするのだなと改めて思っただけだ」
「悪かったね。自分が変人だということは自覚しているよ」
「だから縁談がことごとく白紙に戻ったんですもんね」
「ラルフ、今この場でドウィーを燃やしていい許可を出しなっ」
「ぎゃーっ! 『煉獄の魔女』がいじめる~っ!」
ふざける馬鹿弟子と溜息を吐くラルフを睨むだけにしておくと、男女の悲鳴が聞こえる。ロドニーとブランシュ、マリーネのものだ。
見上げれば、なるほど、これがふわふわよぼよぼと浮遊する球体か。元気がなさそうなのが面白い。意図的にそうしているのか、それとも神様の気持ちなどが現れているのか。
その球体はじわじわと発光しだし、強烈な光となって私たちの目を強制的に閉じさせた。
◆◆◆
婚約式が終わり次第、お嬢さんを領地に引っ張っていくつもりだったんだろう。グレイアム辺境伯はそういうお方だ。そしてそれを止めないステラ様もステラ様である。
だが、今回ばかりはヴィンスも文句も言えないだろう。その準備のお陰で、この人数でも一つの馬車で済んだのだから。
「アーヤ、気分を変えたければいつでも言って欲しい。馬に乗るのは初めてだろうが、俺がちゃんと支える」
「あぅ……いや……ええと、大丈夫です!」
「……!」
「はははっ! きっぱりと振られたねえ、ヴィンス」
「あ、いえ、違うんです! だって、急ぎだし、私に合わせてゆっくりして貰うわけにもいかないですしっ!」
ヴィンスのことだ、ちゃんとお嬢さんが落ちないように支えながらも、馬の歩む速度を変えることはない程度の技術はある。だけど、お嬢さんが馬に乗っているというだけで過剰に慎重になってしまえば、グレイアム領の領都まで四日から五日程度がさらに時間を有してしまう。お嬢さんが断ったのはいい判断だ。
「こっちは気にしなくても平気だよ。馬車内でゆっくりとお嬢さんの魔力を観察さえて貰うからね」
「……師団長、あまりアーヤが嫌がるようなことは控えてください」
「はいはい、過保護が過ぎると逃げられるよ」
ヴィンスに睨まれたが、そんなものは効果はない。私はお嬢さんの手を引くと、さっさとグレイアム辺境伯家の馬車に乗り込んだ。
三度目の神様からの招集は、新たに違う世界から招かれた人物の件だったらしい。トーゴ・アーリャギなる人物を保護し、どういった経緯でこの世界に招かれたのかを調べなければならないようだ。もし神様が言うようにかつてヴィンスと馬鹿弟子が屠った魔竜が関わっているとすれば、それでどのような影響が出るのかも調査が必要だろう。
つまりトーゴ・アーリャギなる人物は、お嬢さんのように【星の渡り人】ではない、ということだ。
まあ、お嬢さんが祈れば世界は平穏であるはずなので、空と大地がひっくり返るような事態にはならないとは思うが。
「それにしても、イザベラが直々に調査しなくてもよかったのではないの?」
「お言葉ですが、ステラ様。私も私の弟子も、研究を進めているのは転移の魔法ですよ。違う世界から招く、というのも手掛かりの一つなのです」
「まあ。師団長であっても、研究となれば必ず自分で動くものなのね」
自分の研究を、誰かの手に委ねるなど誰がするのか。一つ一つ解明していくのが楽しいのに、共同で行っている馬鹿弟子以外が触るのは遠慮願いたい。自分の目で見て感じてこそ、だろう。
とはいえ、違う考えの者もいる。私は自分で動く方がいいというだけで、他の者を否定するつもりはない。
「ドウェインさんは、ええと……どこでしたっけ、どこかの森に向かうんですよね?」
「ラヴィロッティの森だよ。王都のはるか北東にある、魔竜が倒された森さ」
「イザベラもグレイアム領での調査が終われば向かうのよね? その時はグレイアム領産の馬を使いなさい。速いですわよ」
「それでは遠慮なく使わせていただきます」
ステラ様に頭を下げると、そのタイミングで馬車の扉を叩く音がした。
そろそろ出発のようだ。
そう思ったけれど、ヴィンスが眉を寄せながらも扉を開く。
「母上」
「どうしたのです」
「緊急事態です。父上がわがままを言い始めました。俺とイアンが追います。ウェスリーを置いていくので、なにかあればマージェニー師団長も戦力に加わってください」
「想定内です。わたくしたちはこの馬車の速度で領都に向かいます。お前もイアンも、無理はしませんように」
「わかったよ。気を付けて行きな」
「アーヤ、アオヤギ殿のことは俺が先に行くから急がなくていい。ゆっくり、馬車の旅を楽しんでくれ」
「は、はい……」
ヴィンスが、ゆっくり、の言葉を強調したのはどういう理由かねえ? まるでトーゴ・アーリャギなる人物となるべくなら会わせたくないようだ。これは面白くなってきたよ。
とりあえず、お嬢さんはヴィンスの言葉の意図には気付かずに、グレイアム辺境伯のわがままの方に驚いているようだ。婚約式の時に初めて顔を合わせてから、グレイアム辺境伯がそういう人物だということはわかっただろうに。
きょろきょろとするのをブランシュが宥めているが、落ち着かせるためになにか話をしてやろうかね。そうだね、ヴィンスのことでも話してやろう。……そうしたら逆に落ち着かなくなるかもしれないね。それはそれで愉快だ。
「レナード、速度はいつも通りで構わないわ。アーヤさんが乗っているのだから、安全にね」
「はい、かしこまりました」
馭者の隣に座っている執事に命じたステラ様は、外の慌ただしい音や声を耳にしながらもころころと笑う。学生時代に大変お世話になったお姉さまは、相変わらず豪胆な性格をしていらっしゃるようだ。
「さあて、余計な男たちはおりません。たっぷりと時間はあります。たくさんおしゃべりをして、アーヤさんのことを教えてくださいな」
「は、はあ……あの、よろしくお願いします?」
「可愛らしいわね! イザベラ、お前の話も聞かせていただきますわよ! ブランシュもね!」
余計な男は確かに先に馬で駆けてしまったが、ブランシュの夫は外とはいえまだいるのですがね……
ステラ様は一体なんの話をなさりたいのやら、我々がヴィンスの話をしてお嬢さんの可愛らしい表情を見た方が有意義な時間を過ごせるんじゃないのかね。
溜息を吐いてしまうと、ステラ様は私に狙いを定めたらしく、それから数時間は根掘り葉掘りと様々なことを聞かれてしまうことになる。
「……だから、自分の恋愛事はもうなにも興味がないんですけどねえ」
「いいえ、イザベラ様。私も十年くらい興味なかったですけど、今は何故か真っただ中です」
「それはヴィンスがだねえ……いやいや、ステラ様。話を変えましょう。ブランシュの話ならばウェスリーも巻き込めます」
「そうですわね。……それで、イザベラのお相手は王宮にはいなくても、よそで出会いがあるのではなくて?」
「そうかもしれないですねえ……」
これが王都から領都までの約四日間も続くのかと思うと、私がラヴィロッテの森に向かい、馬鹿弟子をグレイアム領へと向かわせればよかった。
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