絢子、臨む。4
私がニコニコとしていると、ヴィンスさんの表情が段々と曇っていった。どうしよう、ヴィンスさんが不機嫌だ。ムッとした顔をしていらっしゃる。
「……俺が話題を振ったんだが、俺以外の男の名前がアーヤから出るのは不愉快だな」
おぉっと。おっと、ではなく、おぉっと、ですよ。これは嫉妬ではありませんか。ヴィンスさんは独占欲強めだから嫉妬している姿を見たことがないわけではないけれど、むしろよく嫉妬してるけれど、ここまでなのは珍しいような気がする。……珍しい、よね?
私がポカンとしていると、自分の嫉妬心が剥き出しになっていることに気付いたのだろう、ヴィンスさんが恥ずかしそうに顔を背けた。
なんだろう、すごく可愛い。私よりも年上の、【英雄】や【勇者】と称される騎士団の副団長様に見合う形容詞ではないことは重々承知だが、それ以外の言葉を今のヴィンスさんに当て嵌められないのもまた事実だ。
「ヴィンスさんって、かわいいですね……」
「かっ……!? いや、そういう言葉は俺のような男にではなく、アーヤのような女性にこそ相応しいだろう?」
「いいえ、私から見たヴィンスさんも可愛いです!」
私が念押しすると、ヴィンスさんはちょっと複雑そうな顔をした。そりゃそうだ、力いっぱい言われたらそんな顔をしてしまう。ヴィンスさんは優しいので抗議はないけれど、普通だったら文句の一つや二つあってもおかしくはないだろう。けれどこれは私の紛うことなき本心なので、ヴィンスさんには受け止めて貰いたい。
するとヴィンスさんは、溜息を吐きながらもブランシュさんとマリーネさんに部屋から出るように指示を出した。ロドニーさんの部下さんたちも、勿論退室である。
もしや説教でも始まるのだろうか、とは、以前ならば思っていただろう。それだけ恋愛事から遠ざかっていたのだ。けれど、今は違う。婚約者と部屋に二人きりのシチュエーションは、舞踏会前なのでなにもないとは思うが、身構えてしまうのは致し方のないことだろう。
私は変に緊張し始めた体を抱き締め、ヴィンスさんの一挙手一投足を見守る。
「可愛いと言われてしまっては、格好が付かないんだがな。……これを、アーヤに贈りたい」
そういえば、ヴィンスさんは手になにかを持っていた。長方形の、シンプルな箱。だけど、ベルベットに覆われているのでおそらくは……装飾品、だろうか。
箱を受け取ると、促されるままに開けてみる。そこには、小さいながらも綺麗な瑠璃色をした一粒の宝石をシンプルなチェーンで通したのネックレスと、同じ石なのだろう瑠璃色のイヤリングが収まっていた。
「……これ」
「アーヤは恐らく、あまり華美な物は好きではないな?」
「はい……」
「……あと、純粋に時間が足りなかった。もう少し細工のある物がよかったんだが」
「これがいいです」
「……そうか」
「すごく、すごく嬉しい。ヴィンスさん、ありがとうございます」
「改めて、希う。アヤコ・ツカハラ・マッケンジー嬢。私、ヴィンセント・グレイアムと結婚してくださいませんか」
ヴィンスさんが片膝をついて私を見上げた。真剣な表情に、真っ直ぐに見詰める瑠璃色の瞳。決して揶揄っているわけではなく、本当に本気の、ヴィンスさんからのプロポーズだ。
私の瞳から、はらりと雫が零れた。途端に慌て出すヴィンスさんだけれど、待って欲しい。ちょっと待って。そうです、いつものちょっと待って欲しいコールです。
この涙は、嫌とかじゃない。ついさっき国王陛下をはじめとした王族の皆様、この国の貴族の方々の前で婚約式を執り行ったのに、結婚は嫌だとか今更言わないし思わない。私はちゃんと、少し先の結婚式を経てヴィンスさんの妻になります。
だから違うんです、この涙は嬉しいの。私の恋愛の歴史は十年くらい前で止まっていて、特に結婚願望はなくて、ただなあなあに生きていただけだ。だけどアラフォーなのにこの世界に招かれて、ヴィンスさんと出会って、最初こそ宙ぶらりんな私という存在をどうにかしようと結んだ婚約だったけれど、ちゃんと、好きになった。私のことを誰よりも慮って考えて発言して実行してくれる貴方に、私の動いていなかった恋愛の心が跳ねたんです。勿論、見目の良さにもドキドキしっぱなしだけど、貴方の内面を私はちゃんと好きになった。今は可愛いとさえも思っている。
ヴィンスさんの顔が、不安そうにしている。その表情も可愛いなと思いながらも、その不安を拭う為にも私はちゃんと返事をしなければならない。
「私、アヤコ・ツカハラ・マッケンジー……もとい、塚原絢子は、ヴィンセント・グレイアム様との結婚を望みます」
今の私はマッケンジー公爵家の令嬢かもしれないけれど、これまでの三十七年間は塚原絢子として生きて来たのだ。元の世界に生きた私も、この世界で生きる私も、共にヴィンスさんに嫁げるのならば。
ヴィンスさんは私をお姫様抱っこする。突然すぎて涙もプロポーズの感動も引っ込んで、ぎゃっ、という色気のない声を出してしまったけれど、ヴィンスさんはお構いなしに私を大事そうにギュッとした。
「ありがとう。生涯大切にする。共に生きよう。これまでの君も、これからの君も、すべて俺に愛させてくれ」
本当なら、ジタバタともがいて降ろしてくれるように叫びたいところだ。いくらドレスが軽かろうが、私自身の重さがあるのでお姫様抱っこなんて遠慮したいのである。確かに憧れはあったけれど、憧れは憧れで本当にやって貰えるとは思っていない人生でした、これまでは!
けれど、ヴィンスさんがこんなに嬉しそうに、幸せそうに甘い声で私に言ってくれるから、今日の所はジタバタともがくのはやめておこうと思う。私も、嬉しくて幸せだからだ。
二人、笑っていると、ぽんぽんぽん、と花や花弁が雪のように周囲に舞っていた。まるで魔法だ。こういうことができるのは、魔導師たる方々に違いない。
ヴィンスさんは人払いをしているので、遠隔操作とか時間設定とかなんらかのシステムなんだろう。色とりどりの花や花弁が舞うので、綺麗だなぁなんて思いながらも眺めていれば、ヴィンスさんの眉間に皺が深く刻まれていた。もしや、発注した内容と違っていたのだろうか。けれど私は結構気に入っているから、どうかドウェインさんのことを叱らないで欲しい。
「綺麗ですね、すごい演出」
「……この悪戯、ドウェインだろうか?」
「えっ? ……え?」
ヴィンスさんが降ろしてくれたので、舞う花を手のひらに掬ってみた。そういえば床には一つも落ちていないので、映像とかそういうものか、落ちると消える仕組みになっているとかなのだろう。手のひらに掬った花もしばらくするとスッと消えるので、すごいなぁと思いつつもヴィンスさんの言葉を反芻する。
これ、ドウェインさんの悪戯……?
ヴィンスさんがそう言うということは、ヴィンスさんがドウェインさんに発注した件ではない、ということだ。つまり、これは一体……?
二人して顔を見合わせていると、舞う花や花弁は次第に少なくなっていき、やがてすべて消えた。とんだ怪奇現象である。それとも私の聖女のスキルだろうか、飛び切り幸せになると周囲に花が舞う、とか。なんだそのスキル。
すると、顔を見合わせ続ける私たちの名前を呼ぶ声がする。それは直接脳内に語り掛けるような、決して耳で拾っている声ではなかった。
《アーヤ! ヴィンセント・グレイアム!》
この声は、私たちの婚約式の直前にやらかしてくれた、あの。
《やっほー! おめでとー! おしあわせにー!》
あの、ポンコツでペラペラな紙様、もとい、神様のエル様の声だ。その声はそれ以降聞こえなくなり、私とヴィンスさんは顔を見合せたままぐったりと溜め息を吐いた。
「確かに、俺たちへのお祝いは考えていると仰っていたが……何故、今なんだ」
「私、てっきり結婚式の時になにかしてくださるのかと思ってたんですけど……」
私たちはまだ、婚約式を終えて改めてのプロポーズをヴィンスさんからして貰っただけである。私がそれに応えただけである。何故このタイミング。何故待っていられなかった。流石はポンコツ。ポンコツの神様。出てくるのはもはや悪口ばかりだ。
「あーもうやれやれですよ。でもまあ、あのポンコツのエル様のお陰で、今私はこうしてこの世界でヴィンスさんと生きることを選べたんですけどね」
「それに関しては、心から感謝しよう」
ヴィンスさんが私の手から箱を取った。ネックレスを取り出せば、それを私に着けてくれる。
「……耳には着けてくれないんですか?」
「もっと触れていいということか?」
王子様とお姫様は幸せなキスをして、いつまでも幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし。
……ではないけれど、私の異世界転移はそうなってしまうようだ。アラフォーなのに、聖女なんてまだあんまりピンときてないのに、結婚願望なんてなかったのに、この世界に招かれたおかげで私の人生設計は大きく狂ってしまった。オバチャンでもそういうことがあり得るから、皆さん油断しない方がいい。
――ということを、誰に伝えたらいいんだろうね? 私はもう異世界転移しちゃってるから、エル様に伝えて貰えばいいのかな。とにかく、私はこの世界でのんびりと聖女をやりながらも、ヴィンスさんと共に生きていく。
どうかどうか、この世界が平穏であり続けますように。聖女らしく、祈って。
ひとまずここでいったんエンドです。
お付き合いいただきありがとうございました!
現在続きを書いていますし、次に繋がる幕間を2つ用意をしてあります。
そちらは近いうちにポツポツと更新しようと思っておりますので、お待ちいただけると嬉しいです。
そして続きの方はもう少し書き溜めてからになりますので、そちらもお待ちいただけたら本当に本当に嬉しいです。
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