絢子、臨む。1
卒倒してもいいですか、いいですよ! ……というわけにもいかず、私は緊張で震えながらも相変らず拙いカーテシーを披露している。きっと顔色も悪く蒼褪めているに違いないので、即刻この場から退出したいがきっと誰からも許可は出ないだろう。
そう、この国の最高権力者以外には。
私は今日、ヴィンスさんとの婚約式を迎えた。それは貴族院の方に両家で赴いて家長が婚約申請書を提出し、許可証を貰うだけの簡単な儀式だ。だから私の最難関はヴィンスさんのご両親と初めてお会いすることで、粗相をしたらどうしようとか気に入られなかったらどうしようとか、そういうことばかりで悩んでいたはずだったのに。
どうして私は今、ヴィンスさんとラルフお義兄様とトリスお義姉様、それからグレイアム辺境伯ご夫妻と共に、このプレスタン王国の国王陛下の御前にいるのでしょうか。答え、ラルフお義兄様とグレイアム辺境伯、王太子殿下とランドン宰相の企みと、それに乗った国王陛下のせい。
皆さんはニコニコとご機嫌麗しいようだけど、私とヴィンスさん……特に私はそれどころじゃない。
まず、私はグレイアム辺境伯ご夫妻とまともなご挨拶をしていない。これには私とヴィンスさんがエル様に拉致られていたという、立派かどうかは不明な不可抗力な理由がある。つまり、時間がなかったのだ。だから精々名乗り合うことしかできず、急いで謁見の間へと連れて来られた。
次に、謁見の間での作法を知らない。一般的であろう挨拶の作法は、ブランシュ先生とマリーネ先生に教えて貰っているし及第点も取れている。けれど果たしてその作法を国王陛下の御前でしてもいいのだろうか。知識が乏しいので判断に困るが、今の段階では雰囲気的に大丈夫のようでほっとしている。勿論、まだまだ気は抜けないが。
そして、突然の大物との対面に口から心臓がこんにちはしそうなほど緊張している。無理矢理押し込んではいるが、胃なら簡単に飛び出そうである。つまり、緊張のあまり吐き気がしてきたのだ。エチケット袋が切実に欲しいし、できるならトイレに駆け込ませて欲しい。エレエレしたらスッキリすると思うんです。
「どうか面を上げて欲しい。【星の渡り人】である【聖女】様や、【英雄】もとい【勇者】殿にいつまでも頭を下げさせるのは忍びない。本来ならば私の方が跪く側だろう」
「陛下、発言をお許しください」
「おお、マッケンジー公爵。これにはわけがあるのだな? 発言を許可しよう」
「ありがとうございます。ここにいるのは確かに【聖女】様と【勇者】殿ではありますが、【聖女】様は私の義妹となりました。【勇者】殿も今はグレイアム辺境伯子息としてこの場におります。ですので、陛下はどうぞ、そちらにお願いしたく存じます」
「そうかそうか、ではこの場にいるのはマッケンジー公爵令嬢とグレイアム辺境伯子息だな。今はそのつもりで婚約式を進めよう」
私は賢いのでわかってしまった。吐きそうになってるけれど、なんとか我慢して国王陛下とラルフお義兄様のやり取りを理解した。これは安定の、茶番、である。こうやって知らしめなければならないのは、私たちの他に私にとっては見知らぬ方々がずらりと左右に立っているからだ。
仮にも聖女と勇者の私たちは、本来ならこの世界のどの国であっても誰よりも立場は上だそうだ。だから国王陛下が玉座に座って私とヴィンスさんが頭を下げている図はあり得ないことなのだ。でも私はマッケンジー公爵家の令嬢になったのだし、ヴィンスさんは辺境伯家の子息だ。婚約式は聖女と勇者ではなくこの国の貴族である令嬢と令息が執り行うのだと知らしめたことで、本当の意味で私はマッケンジー公爵の義妹でこの国の一員だと公表したことにしたのだろう。他の貴族たちに、証人となって貰って。
でも私は聖女だしヴィンスさんは英雄で勇者なので、国王陛下の御前で婚約式を執り行うことは不自然ではない、ということも含めているのだ。だから、ついでに私が聖女だということも、この場で公表したということになる。ややこしいが、この茶番で一気にそこまでやってのけたのだ。うーん、面倒臭い。
「それでは、紹介させていただきます。私の義妹の、アヤコ・ツカァラ・マッケンジーです」
ラルフお義兄様が私の隣まで移動して手を差し出すので、触れながらもようやく頭を上げた。男性に手を取られながらもできるお辞儀を教えて貰っていてよかった、なんとかやってのけると、私からも挨拶をする。し、していいん、だよね?!
「紹介に与りました、アヤコ・ツカハラ・マッケンジーと、申します。どうぞお見知りおきを……」
「王太子と王太子妃からそなたのことは聞いておる。異なる世界からよくぞ参った。でき得る限りの永遠の安寧を、この世界に願って欲しい。それが、そなたがこの世界に招かれた理由なのだろう? そのためにも、そなた自身にも幸いであって貰わねばならん。……どうだ、なにか不便なことや脅威なことはないか?」
問われ、私は自然と笑みを零していた。確かに不便なことばかりなのかもしれない。便利なものはなにもかも存在するような世界から、ある程度しかない世界に来たのだから。脅威もあった。けれどそれは私が念じたら脅威ではなくなったし、なにより私の周囲にいる人たちがどうにかしようと動いてくれる。こういうのは、恵まれている、と言うのかもしれない。
「気に掛けてくださり、誠にありがとうございます。幸いなことに、この世界の方々はとても親切で優しい方ばかりでございます。元の世界と比べたら、確かに不便はあります。ですがその不便さえもどうでもよくなるくらい、私はこの世界で恵まれた生活を送っております。ですから、私は私のやるべきことを、これからものんびりと行っていきたいと思っております」
私がもう一度お辞儀をすると、シーンと静まり返った。なんだか怖くてゆっくりと頭を上げると、まずはラルフお義兄様を確認する。私をジッと見ているので慌ててヴィンスさんの方を見ればヴィンスさんも私の方をジッと見ているし、国王陛下もジッと私を見ていて……ということは、失敗したのだろう。本心からの言葉を伝えたつもりだったが、なにか間違っていたのかもしれない。今度は謝罪の意味で頭を下げようとすると、この静寂を破ったのはグレイアム辺境伯の豪快な笑い声だった。
「がっはっは! なるほど、どうやら息子の嫁になる娘は、のんびりと、務めを果たしたいのだそうだ。――おおっと、発言を失礼しますぞ、国王陛下。我が辺境伯領は確かに防衛の要とされる位置に存在しております。しかし、とある時期より段々と魔物も不届き者の数も減ってきているのですよ。これは既にご報告してあるとおりですが」
「うむ、確かにその件は王太子より報告があがっている」
「ありがとうございます。……ですので、【聖女】様の言う、のんびりと、は我が領内でも可能なこと、なのではありませんか?」
「……そうであるな」
「私も、そろそろ隠居を考えております。騎士団の方も、各個人この十数年で十分な力をつけたはずでございます。【英雄】であり【勇者】である我が息子、ヴィンセントの指導によって」
「なるほどな」
私は賢いのでわかってしまった。これも茶番である。何故なら国王陛下が愉快そうに笑っているからだ。それとは対照的に周囲の貴族の方々がざわついているのは、この王都から聖女と勇者が一気にいなくなる危機感、とかなのだろう。つまり、グレイアム辺境伯の地位も領地のこともヴィンスさんに継いで貰って、私もグレイアム領で生活をすることになる、ということだ。
「やれやれ、その件はまた追々と伝えていたでしょう?」
「なにを言いますかな、マッケンジー公爵。【聖女】様が自ら、のんびりと、を所望されておられるのですよ」
「副団長候補の精査もまだ進んでいないのです。せめて候補が絞られてからでもよかったのでは?」
「しかし、さっさと宣言でもしておかなければ、宜しくないことを考える者も出てきますでしょう」
そう言って周囲に視線をやるグレイアム辺境伯に、貴族の方々は声にならない叫び声を上げたようだ。流石はラルフお義兄様の剣の師匠で、ヴィンスさんのお父様で、グレイアム辺境伯領騎士団の団長様。淑女教育の時に学んだけれど、辺境伯が若い頃は王宮の騎士団の方でやっぱり騎士団長を任されていたらしい。ラルフお義兄様の前の前の騎士団長だったとか。
すると、私の耳に深い溜息が聞こえてきた。ヴィンスさんだ。頭を抱えているのは、この茶番に対してなのかお父上に対してなのか、頭痛が酷そうなので一旦休憩時間を貰いたい。婚約式も、何故だかまったく進まないし。
……というか、え? ヴィンスさん、騎士団を辞めるの?
「ヴィンスさん、騎士団辞めるって聞いてませんけど!」
私が小声でヴィンスさんに声を掛けると、ヴィンスさんが少し屈んで私の耳に小声で答えてくれた。
「まだ話を詰めている段階だった。だがおそらくこの機会にすべて公にする算段だったんだ、国王陛下を筆頭に」
もう一度溜息を吐くヴィンスさんの疲労の色が濃いので、本当に休憩時間いただいてもよろしいでしょうか? そして、私は叫びたい。
この茶番はいつからだ?!
誤字報告すごく助かります!
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