幕間:問われる覚悟に ―ヴィンセント・グレイアム
ラルフさんと共に王都の外れの方にあるマッケンジー公爵家の所有する邸宅に訪れると、既に父と母がくつろいでいた。領地にある本邸と王都中心部の方にある別邸ほどの規模ではないとはいえ、本来なら辺境伯家が公爵家の所有地でゆるりと過ごせるわけがない。しかし、俺の父であるジェフリー・グレイアムがラルフさんの家に厄介になる、となれば話は別である。
「遅かったな」
「遅かったな、じゃないんですよ父上」
「いや待てヴィンセント。まずは謝罪が先だ。遅れて申し訳ありません、師匠、ステラ夫人」
父を剣の師と仰ぐラルフさんなので許されることなのだ。
それにしても、公爵家の使用人を丸々ではないが勝手に使っていいものなのか。ちらりと見遣った先にいる辺境伯家の執事であるレナードがゆっくりと首を左右に振ったので、公爵家の使用人たちが先に動いている、イコールでラルフさんの指示なのだろう。
その事実に、深い溜息を吐いてしまう。
「お久しぶりでございますわ、公爵。愚息がいつもお世話になっております。ヴィンセント、お前はもう少し父と母を敬いなさい」
「それならば多少は遠慮という言葉を理解し、実践していただきたいのですが」
苦言を呈したつもりだが、母は優雅に笑むだけで俺に威圧してきた。流石は魔物や隣国やらの問題が多い辺境伯に嫁ぎ、父の隣に立ち続けている人だけはある。その物怖じしない性格は、今は慎んで欲しいのだが。
「まあまあ、ステラ夫人もお元気そうでなによりですよ。王都の滞在中は、この屋敷も使用人もご自由にお使いください」
「その件なんだがな、ラルフよ」
父がピリリとした雰囲気を出した。まるで討伐に向かう前のような雰囲気に、ラルフさんさえも息を呑む。
「……なにか、ありましたか?」
「ワシ、王宮で過ごしたい」
「わたくしも」
俺はラルフさんを見た。父と母の王都滞在に関しては、ラルフさんにすべてお任せしていたからだ。勿論、この公爵家の別邸で過ごしてもらうことは俺にも知らされている。
蒼褪めているラルフさんが、眩暈がするのだろう額に手を当てながらもなんとか声を出す。
「……それは、何故です?」
「ヴィンセントの嫁に会いたい」
「却下ですっ」
父が真剣な顔つきで理由を言ったが、ラルフさんがすかさず否やを突きつけた。当然だ、アーヤにはなにも言っていないし予定にも入れていないので、恐縮してしまうしなによりそんな時間はない。ただでさえ婚約し期以降の準備と称して淑女教育の時間を詰め込められているというのに。
「あら、どうしてです。家族になるのですもの、早くに顔合わせをしてもよろしいでしょう?」
「駄目ですっ」
母もどこか甘えた顔をするが、そんな顔をしても可愛いわけがない。そういうことは父にだけにして欲しい。
するとこの両親、揃って頬をふくらませるのである。仮にも辺境伯夫妻が、たとえ公的な場ではなくとも公爵の目の前で。
「……父上も母上も、我儘はやめてください。アーヤは【聖女】なのです、なんの準備もないままに会える存在ではありません」
「いやじゃいやじゃ! ワシらも【聖女】様にお会いしたいんじゃい!」
「父上、辺境伯家の恥です。マッケンジー公爵家でそのような振る舞いはおやめください」
「ヴィンセント、お父様に無礼ですよ! 仕方ありません、ジェフリー様の手を煩わせるわけにはいきませんので、ここはわたくしが相手になります」
「やめぬかステラ! ……そのように格好いい姿はワシの前だけにしておくれ」
「ジェフリー様……」
「ステラ……」
「大変申し訳ありません、ラルフさん」
手に手を取り合った両親に、零れる溜め息が尽きない。頭の痛くなる話だが、我がグレイアム家ではこのようなやり取りが日常だったりする。流石にラルフさんの前ではやらないかと思っていたが、どこででもやるのだろう、この人たちは。
申し訳ない気持ちでラルフさんに頭を下げたら、ラルフさんは笑ってくれた。父の弟子として過ごしている頃に、何度もこの茶番を経験しているからこその反応なのだろう。
「まあ確かに、【聖女】様ともなれば警備も大変であろう。我儘を言うてすまなかった。じゃが……早く会いたいのは本心じゃからな」
「ええ、ヴィンセントの妻になってくださるのです。それが【聖女】様だというのは本当に光栄なこと。ヴィンセントの結婚は殆ど諦めておりましたが、この良縁のためだったのだと思っております」
そんなことを言われたら、照れ臭い気持ちと心配をかけていた申し訳なさがないまぜになる。それよりも此度のアーヤとの縁を認め受け入れてくれているのが、なによりも嬉しい。まさかこうやって俺に届くように口にしてくれるとは思わなかったから、尚のこと。
俺が父と母の言葉に感動していると、ラルフさんがぽんと俺の背中を叩いた。
「それは私も思っておりますよ。我が義妹が【英雄】の元へ嫁ぐのならば、なにより安心できます。ヴィンセントの人となりは、私もよく知っておりますので」
「ほぉ……ではよいのじゃな、マッケンジー公爵の義妹君を我がグレイアム辺境伯家が貰い受けて」
「……勿論です」
言葉とは裏腹なラルフさんの嫌そうな表情に、父が豪快に笑う。父と母が王都に着き、婚約式の準備も着々と進んでいるというのに、ラルフさんの心境は未だに複雑なままのようだ。俺としては、いくらラルフさんが嫌そうにしようが複雑であろうがアーヤを誰かに譲るつもりも諦めるつもりもないので、知らぬふりをさせてもらう。
高笑う父の声はどこまでも嬉しそうで、息子としてはようやく安心させることができたのだと、安堵した。
◇◇◇
「まあ、ワシらも予定は詰め込んでおるからな! 【聖女】様に会えるなどと端から思っておらんわ!」
「そういうわけですので、王都に滞在中、わたくしたちは勝手に社交をしております。約束してある予定にはきちんと応じますので、久し振りの王都を満喫させてくださいな」
そう言って、両親は馬車に乗ってどこかへと出掛けて行った。共に付いて行ったレナードが疲れているというかやつれているように見えて可哀想に思えたが、あれはイアンの実兄なので胆力はある。借りにも執事を担っているのだ、主人に振り回されることにも慣れているだろう。
……父と母には落ち着いたらしっかりと話をしなければならない。あまり周囲を振り回してやるな、と。
「相変わらずだな、師匠もステラ夫人も」
「もう少し落ち着いてくれたらいいんですが」
「いいや、あれはあれで……アーヤが心配だな。あの雰囲気についていけるだろうか」
「そこはまあ、俺がいますので……」
きっとアーヤは父の豪快さに目を白黒させ、母の気の強さに身が縮こまってしまうだろう。せめてアーヤの前では大人しくして欲しいが、あのお二人なのでそうはいかないことは明白。それならば俺がちゃんと盾になってアーヤを守ろう。アーヤには不快な思いはさせたくない。誰よりも、なによりも、大切にしたい人だから。
「とにかく、あと一週間と少しだ。今日はウチのベアトリスがアーヤと茶会をしている。婚約式には家の宝飾を身につけるのが習わしだからな、似合うものがあればいい。……が、わかっているな、ヴィンセント」
勿論、わかっている。ラルフさんが言いたいのは、婚約式を終えたらアーヤに宝飾品を贈れ、とのことだろう。
「婚約式が終われば、俺が贈った物を身に着けさせてもいいんですよね?」
「なんだ、もう用意してあるのか」
俺の瞳の色と同じ、深い青の石が付いた耳飾りと首飾り。それらを既に用意してあるので、婚約式が終わり次第アーヤに渡して、その日の夜にある両家の食事会の時に身に着けて貰うつもりだ。両家の者たちしか目にすることはないだろうが、俺が贈った俺の色を身に着けたアーヤを自慢したい。
「……ちなみに、ドレスの用意はしてあるのか?」
「ええ、実は少し前には。アーヤの体力に合わせた、なるべく軽いドレスです」
こちらもアーヤの雰囲気に合った、俺の瞳の色と同じ深い青を基調としたドレスだ。体力も筋力も他の令嬢たちより劣るアーヤに合わせ装飾の少ないシンプルなデザインにして貰い、且つとある細工も施してある。婚約式が終われば慌ただしくも【聖女】のお披露目会なども予定されているのだ、できる限りアーヤの負担にならないような物が好ましい。
我ながら素早い行動だったと自負しているが、ラルフさんは少し考える素振りを見せた。なにか、間違ってしまっただろうか。
俺は縁談は勿論のこと、これまでずっと女性を嫌厭していたので対応がよくわかっていない。婚約者には自分の色を身に着けて貰うことは承知だったが、ドレスまであれこれと勝手に準備してはマズかっただろうか。アーヤには軽量のドレスを贈るようにイアンから情報と助言を得ていたので、すぐに仕立て屋に頼んだのはマナー違反だっただろうか。
「そうだな……なるほど。いや、よく準備した。どうせなら、婚約式のあとの晩餐でそのドレスを着て貰うといい。……楽しみが増えたな」
二度ほど深く頷いたラルフさんはそう言うと、馬繋ぎの方へと歩いて行く。俺の両親が馬車で出掛けてしまったので、王宮の詰め所に戻らなければならない。これでもない時間を割いて来たのだ、戻ったら騎士団の業務をこなさなければならない。
俺も愛馬の元へと足を向ければ、馬上のラルフさんが俺が乗馬するのを待つ。
「ヴィンセント。もう一度言うが、婚約式まであと一週間と少しだ。覚悟は、できているな?」
アーヤの婚約者としての覚悟なら、とっくの昔にできている。婚約式はまだだが、以前から婚約者として立っていたのだから。だとすればラルフさんが問う覚悟とは、その先のことだろう。
妻を得ることも、夫となることも、【聖女】の伴侶になることも、【英雄】として守ることも、アーヤを幸せにすることも、俺自身が幸せであることも、覚悟がいるというのならば。
「できておりますよ。【聖女】の、アーヤの隣にいるのは俺です」
「よし、ならば任せるぞ」
ラルフさんが古狸になれる公爵だということを、俺は失念していた。
この時に気付けばよかったのだ、ほんのりとした違和感を。
そうすれば俺もアーヤも、婚約式をあんな場所で行うという覚悟がもう少しできていたはずなのだ。
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とりあえずは、あと4話です。