絢子、任される。4
渾身の力でなんとかヴィンスさんを押しやって、五メートルくらい距離を取る。ヴィンスさんが物凄く悲しそうな顔をしながらやり場のない手を私の方に向けているけれど、キッと睨めばしょんぼりと手を降ろした。罪悪感が多少はあるが、これ以上エル様の目の前でイチャイチャしてなるものか、という思いの方が強い。いい加減、羞恥心に苛まれたくないのである。
「そーんなに恥ずかしがらなくてもいいのにねぇ?」
「お構いなく!」
「あははは、まあいいや。それでフィランダー・バブスの件なんだけど、暴走したのはわたしの所為かもしれないんだ。ほら、わたしってポンコツだからさぁ、なんかやってたりやってなかったりしてるみたいで色々と影響が出てるみたいなんだよね、ビックリ!」
ビックリ! じゃあないんですよ、ペラペラの紙様。大変なのかもしれないけれど、管理者ならちゃんとやって欲しいんですが。これをいい機会だと思って、本当に補佐役を得た方がいいのでは?
「では、本来ならフィランダー・バブスは【聖女】や王太子妃殿下を呪うような愚か者ではなかった、と」
「そうだよ。人よりも少し魔力の強い、どこにでもいる善人だったはずなんだ。わたしが蒔いた種を彼も持っていてね、ヴィンセント・グレイアムのようにわたしの知らない内に大きな力を育み、そして暴発したみたいだ。【英雄】にもなれたかもしれないのに、彼には申し訳ないことをした。……とは言ってもなにが原因かはサッパリなんだけどね、ビックリ!」
いやだから、ビックリ! じゃないんだってば。イエーイって言いながらも両手でピースしまくるの、本当にやめて欲しい。
ふざけだしたエル様に大きく溜息を吐いていると、ヴィンスさんがなにやら眉間に皺を寄せて深く深く考えているようだった。五メートル離れている距離を数歩進んで詰め、ヴィンスさんの名前を呼んでみる。するとヴィンスさんは、とても言い難そうにしながらも口を開いた。
「俺の種が暴発まで至っていたら……もしかすると、俺がフィランダー・バブスの立場になっていた可能性もある、ということですよね、エル様」
「んーー……そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。だってもしもの話だよ? まぁた、もしもの話だよ? さっきも言ったけどね、今は君が【英雄】で【勇者】でアーヤの婚約者なんだから、余計なことは考えなくていーんだよ」
私もエル様の言葉に同意する。私がエル様によってこの世界に招かれて、右も左もわからない私の傍にいて私の身を一番に案じて私を想ってくれているのは、フィランダー・バブスさんじゃない。初めから、ヴィンスさんだ。英雄でも勇者でもない、フィランダー・バブスさんのように闇落ちしたヴィンスさんを、私だけじゃなくこの世界の人々も知りもしないのに、そんな余計なことは考えないで欲しい。
「私は、世界も、今の貴方しか知らない。エル様だってそうです。だから、誰も知らないヴィンスさんの話を、ヴィンスさんがしないでください」
「アーヤ……」
ヴィンスさんが五メートルにはまったく満たない距離を詰めてくる。まるで泣くのを堪えるかのような表情で手を差し伸べられるので、そっと手を重ねるとエル様がゴッホンとわざとらしく咳払いをした。
「はいはーい、イチャ付くなら帰ってからにしてくださーい。とにかくね、フィランダー・バブスの件は残念だったけど、【聖女】がこの世界に招かれた後でよかったねって話! わたしがどれだけポンコツでも、アーヤがいたら大丈夫! いやあ、わたしったらホンットにいい仕事したよね~」
「私という存在がお役に立ってるならいいですけど……でもエル様も、そのポンコツをどうにかする努力はしてくださいよ?」
重ねた手を離したい私とそのまま繋いでおきたいヴィンスさんの地味な攻防を繰り広げながらも、溜息交じりに私は言う。フィランダー・バブスさんの件のようなことが頻発するとなれば、流石に私も被害に合うであろうこの世界の方々も迷惑この上ない。私がこの世界に存在しているだけである程度は抑止できるのだとしても、できればなにもない方がいいに決まっている。それが、エル様のポンコツ具合の程度によるならば、是非どうにか改善して欲しいのである。
「わかったわかった、努力はしてみるさ。だから、アーヤはこの世界を末永く宜しく頼むよ。ヴィンセント・グレイアム、君にはアーヤを頼みたい。よくよくやってくれるよね、わたしの知らぬ間に【勇者】にまで上り詰めたのだから」
私とヴィンスさんの地味な攻防は、ヴィンスさんに軍配があがった。しっかりと私の手を握ったままのヴィンスさんが恭しくエル様に頭を垂れるので私も慌てながらも同じようにすれば、エル様は満足そうに、上品に笑った。
「はい、そんなわけで、わたしとの面会はこれにてしゅーりょー! 二人、結婚するんでしょ? ちゃーんとお祝いは考えてあるから受け取ってね! それじゃ、ばっいばーい!」
は? え? ちょっと待ってよ相変らずコロコロと神と紙を行き来する方だな! さっきまで上品に笑ってたんだから最後まで上品でいて欲しかった! ああ、ちょっと待ってなんで毎回その強烈な白い光に包まれなきゃならんのよ、失明したらエル様の所為だからね!!
エル様がおもむろに右手を高く上げると、途端に真っ白な光に包まれた。相変らず眩しくて目を開けていられない。両手で顔を覆い、なるべく光を見ないようにする。次第に光が和らいだ気がしたから手を外してゆっくりと目を開けると、そばにはヴィンセントさんがいたし顔面蒼白のイアンさんとブランシュさんとマリーネさんがいた。
◇◇◇
「なにが起こったのかはわかってるんだけどさあ、ほんっと、勘弁してくれ……!」
御尤もである。
「二度目だったのだから、そこまで慌てなくともよかったんじゃないのか」
「はあ?! おまっ……マジでぶっ飛ばすぞ」
イアンさんが出来得る限りの重低音でヴィンスさんに凄む。私とヴィンスさんがエル様に攫われるのは二度目とはいえ、目の前で忽然と消える現象は三度目も四度目もあって欲しくはないんだろう。
「まあまあイアンさん。犯人には私の方から、抓り千切る、と脅してきましたから」
「アーヤも信じらんねえ……だからなんで神様を抓られるし脅せるんだよ……」
「神様じゃなくて八割方ペラペラの紙様だからですかね」
キリっとした表情で言い切ってみるが、私の方は私の方で絶賛ブランシュさんとマリーネさんに泣きつかれ中である。イアンさんと同じく、わかってはいるけれど心が追いつかなかったのだろう。
両手に花の状態で二人をよしよしと慰めていると、勢いよくスウィートルームの扉が開いた。顔面蒼白のラルフお義兄様の登場である。
「あ、ラルフお義兄様」
「ロドニーから報告を受けたが……何故、今日に限ってなんだ」
御尤もである。
私とヴィンスさんの姿を見て安堵した様子のラルフお義兄様は、よろよろと歩いてソファに座り込んだ。ラルフお義兄様と一緒に来たロドニーさんも、ほっと息を吐いて部下さんたちを労っている。多分、部下さんたちがイアンさんの命じられてドタバタとしてくれたんだろう。
そんな皆様に、今はブランシュさんもマリーネさんもお仕事ができなさそうなので、私がお茶の用意でもしましょうか。そう思いながらも立ち上がれば、イアンさんに止められる。
「ドレスが汚れるから俺がする。ブランシュ、マリーネ、動けるなら手伝え」
「いいえ、自分がしますよ。イアンさんも座っていてください」
「いや、イアンもロドニーもいい。もう時間がない。アーヤは少し直して貰え。それが済み次第、陛下の御前に向かうぞ」
おや残念、淑女のレッスンでお茶の入れ方もレクチャーして貰えたのに。私が残念がっていると、そういえばラルフお義兄様がなにか爆弾を落としたような気が……?
「ちょっと待ってください、ラルフさん。……陛下の御前、とは?」
これはヴィンスさんも知らなかったようで、ラルフお義兄様に訊ねる。するとラルフお義兄様は古狸のようなちょっと怖い笑顔を見せて、私とヴィンスさんにこう言った。
「本来なら貴族院の方に婚約申請書を出し許可証を貰い受けるんだが、それらを国王陛下の御前で行うことになった。それから、今夜はアーヤのお披露目と二人の婚約発表会だ」
ウソだ、貴族院に申請書を出して許可証を貰って、それから両家だけのささやかなパーティーがあるからドレスアップするんだって言ってたじゃない! 詐欺だ! 訴えてやる!!
私が呆然としていると、ブランシュさんとマリーネさんが気持ちを切り替えられたのかテキパキと動き出した。私は奥の方でお化粧直しをして貰うんだろうけれど、ラルフお義兄様のことはヴィンスさんに託そう。上司とか義理の兄になるとかは関係ない、家格とかどうでもいい、一発腹に入れるなりして欲しい。あと、イアンさんも共犯者だろうから遠慮なく殴ってて欲しい。ロドニーさんはわからんので保留で!
どういうことですか、というヴィンスさんの声がした。いいぞ、やってやれ!




