絢子、任される。3
それはそうである。
「わたしにはね、やることがたくさんあるんだ。この世界にはアーヤのいた世界よりはずっと少ないけど、たくさんの人間がいるし魔物だって蔓延ってる。いくら君たちが【聖女】と【勇者】だろうと、ずっと見守るなんて無理に等しいのさ」
「なるほど……確かにそうですね。ご無礼仕りました」
ヴィンスさんが頭を下げるので、私も慌てて同じようにする。
エル様とて万能というわけではないんだろう。他に誰か、神様仲間がいる気配もない。もしかしたら神様ワンオペレーションシステムなんだろうか、聖女やら勇者やら選出する前にお手伝いしてくれる存在を創造すべきだったのではないだろうか。
「あー……そうだね、その方がいいのかもしれない。でもなぁ……まあ、その件はわたしの方でも考えてみよう」
うんうん、と頷くエル様に、私はホッとする。少しでも考えてくださるのなら、ああよかった、だ。けれどその、ああよかった、と思うのは私だけだ。エル様は時折私やヴィンスさんの思考と勝手に会話をしてしまうので、今回はヴィンスさんにはなんのことなのかわかっていないだろう。現に今、私が一人でホッとしているとヴィンスさんが困惑している。
「アーヤ。エル様はアーヤの思考を読まれたのだろうが、なんの話をなさっているんだ?」
「あ、そうです思考を読まれました。ええとですね、お一人で大変なら聖女や勇者の前にお手伝いさんを創造すべきだったのでは、と私が考えたんです。そしたらその件はエル様が考えてくださる、と」
「なるほど……確かに補佐役がいたら少しは楽になりましょう」
ヴィンスさんにはイアンさんという優秀な補佐役がいるから、実感が籠った言葉だ。それに微笑んだエル様は、パチリと手を叩いた。話が脱線したので修正の意味を込めてそうしたのだろう。
「はいはい、じゃあそろそろ近況を教えてくれないかな。なんかこう……魚の小骨がのどに刺さってるような不快感がずっとあってね、君たちから話を聞いたらなにか判明するかもしれない」
そうは言われてもエル様に伝えられることといえば、私がティフ様と共に呪われそうになった件、くらいしか思いつかないような。ヴィンスさんもそのつもりのようで、呪いの件だろう、と頷く。とはいえ、お忙しくされていたとしてもこの件に関してはエル様でも知っているのではないだろうか、という思いもある。結構慌ただしくしていたつもりだったからだ。
「え、アーヤは聖女なのに呪われそうになったの? すごい度胸だね、その術者」
でも、この反応を見るにあんまり気に掛けてなかったのかも? やっぱり神様とただの人間じゃ、感覚が違うんだ。自意識過剰、という言葉と羞恥心が襲ってくるけど、エル様に於きましては何卒スルーして戴きたく。
「フィランダー・バブスというプレスタン王国の貴族だった者です。【聖女】であるアーヤとプレスタン王国の王太子妃殿下が狙われましたが、【聖女】の助力を得て捕縛ができました。現在は相応の刑罰を下すまで少し期間があり、魔力を封じた上で牢に入れてあります」
私が自意識過剰という言葉と羞恥心に襲われまくっていると、ヴィンスさんがエル様に簡単に説明してくれた。その説明ではヴィンスさんは課せられた刑罰をはっきりと言葉にしなかったけれど、私はフィランダー・バブスさんに利用されたギルバート・カーライルさんの顛末を知っている。ヴィンスさんが以前教えてくれたことが本当ならば、真犯人だったフィランダー・バブスさんの刑はそれよりももっと重いものだろう。だとすれば、おそらくは。
聖女や王太子妃を狙った件だから、最高刑で処断されることは間違いないだろう。彼はそれほどのことをしたのだ。だから異議を申し立てるつもりはない、けれど。
自意識過剰という言葉と羞恥心がいつの間にか消える。代わりに訪れたのはなんとも言い表せないような複雑な思いで、私が俯くとヴィンスさんがそっと肩を抱いてくれた。なにも気にしなくていいとでも言うように、肩を優しく擦ってくれる。その気持ちが嬉しくてヴィンスさんにだけ聞こえるような声量で感謝を伝えると、ふわりと優しい微笑みが降って来る。相変らずの破壊力である。結構な至近距離で浴びてしまったので、私の顔は真っ赤に茹で上がっているに違いない。
「ああ……やはりそうか」
意図せずイチャイチャしてしまった私とヴィンスさんを余所に、エル様は難しい表情をしていた。こういう時は神様ではなくペラペラの紙様の方になってふざけたりしそうなエル様なのに、しっかりと眉間に皺を寄せて顔色も多少悪くしている。
「なにかありましたか?」
エル様の様子に流石に私の顔の火照りも引っ込んでしまうと、悲しそうな顔をして言い難そうにしながらも答えてくれた。
「フィランダー・バブスは、ヴィンセント・グレイアムと同じく【英雄】候補だった者だよ」
英雄という言葉に、私は思わずヴィンスさんを見上げた。今やヴィンスさんは勇者に格上げされたけれど、元々は英雄の称号を得ていたからだ。
すると、ヴィンスさんは殺気というか苛立ちというか、とにかく不機嫌さを隠さない様子で私の肩を抱いている手を少し強くする。エル様の言葉のどこに怒ったのかがわからない私は、とりあえずはヴィンスさんの手を強く叩いて離して貰おうと奮闘する。けれど苛立っているヴィンスさんは私を解放する気はないらしいので、仕方なく黄金の右手で手の甲を抓らせていただいた。ムギュっと捻じるのも、勿論忘れない。
「……痛いんだが」
「それは私のセリフです。取り敢えず私を解放してください」
「嫌だ。アーヤは俺のものだろう」
「そっ……! そうです、けど……今は離してください!」
もう一度ムギュっとグッとヴィンスさんの手の甲を捻ってやると、流石に痛かったのかようやく解放してくれた。ムキムキの筋肉を持っているだろう騎士様相手でも、私のこの黄金の右手の抓り捻じりは効果があるらしい。今度はイアンさんにも仕掛けてみよう。
「そう殺気立てるものじゃないよ、ヴィンセント・グレイアム。君が【英雄】であり【勇者】であることは既に決まっている。フィランダー・バブスが【英雄】候補だったのはかつての話なのだから、焦る必要はないさ」
もしやヴィンスさんは、自分の英雄とか勇者という立場をフィランダー・バブスさんに奪われていたかもしれないと考えたのだろうか。でもエル様の言う通り、フィランダー・バブスさんは候補だったというだけで今現在はしっかりとヴィンスさんが英雄で勇者なんだから、そう警戒することでもないと思うのだけれど。
「候補だったのなら、俺のようにアーヤの傍にいる可能性もあったのでしょう?」
……思うのだけれど、もしかして私は見当違いなことを考えたのかも?
エル様が私の方を見て、ニヤニヤとしている。多分、絶対に、ヴィンスさんが怒った理由は私に対する独占欲というヤツで、だからエル様は愉快そうにしているのだ。
「もしもの話をしても仕方ないと思うけどねぇ。今現在、フィランダー・バブスはただの罪人でアーヤの傍にいるのは君だ。警戒するのは構わないけど、あまり過剰になりすぎるのもよくないよ。……それはさておき、わたしの思い描いた通りに進んでいるようで、わたしは満足しているよ」
堪えきれない笑みが声となり、わははと響く。嬉しそうに愉快そうに声を出して笑うエル様を、私は真っ赤になりながらも悔しい気持ちで睨み付けた。以前エル様が私とヴィンスさんをこの空間に招いた時は、私とヴィンスさんの間にはただの聖女と護衛騎士様という関係だったからだ。ヴィンスさんからの私への矢印はともかく、私からヴィンスさんへの矢印は、まだ恋とか愛とかではなかったからだ。
「それはようございましたっ。別に、エル様に言われたから始まった関係じゃありませんからね! 政略的な婚約ですけど、私はちゃんとヴィンスさんを好きになっ……なんでもないです! あ、ちょっとヴィンスさん待ってください近いですってば離してくださいぃ!」
「始まりは政略かもしれないが、それ以前から俺はアーヤを想っている。アーヤも同じ想いを持っていることはわかっているから、ちゃんと言葉にして欲しい」
ごめんなさいごめんさい、誤魔化そうとしてすみませんでした! だから圧を掛けないでください!
そうは思っても、ヴィンスさんが引くことはない。引くことはないとなると、私が折れなければこの時間はいつまでも続く。だから私は、エル様の前でヴィンスさんに想いを言葉で伝えることになる。なんたる拷問。今日くらいは、とは思うけれど、誰かの目の前でストレートな愛の告白だなんて、できれば経験したくなかった。
「……すき、です」
だけどなんだかものすごく悔しいので、聞こえるか聞こえないかくらいの声量で伝えるのだけれど、しっかりと聞こえたらしいヴィンスさんは満面の笑みを見せてくれた。
「ああ、俺も愛している」
「――ねえ、わたしはなにを見せられてるの?」
ヴィンスさんからも愛の告白をして貰ったら、エル様が先程までの愉快そうな笑みを引っ込めて、スンッとした表情になっていた。エル様がきっかけでこんな状況になってるんだから、責任はエル様が取って欲しい。