幕間:自覚はあれど止められずに ―ヴィンセント・グレイアム
その可能性だって最初からあったのだろう。その可能性を否定できなくなったため、こうして俺の耳にも入ることになったのだ。
マルヴィナ・アドルファス公爵令嬢。隣国ギュスターヴァ王国の大公家令息との縁談が密やかにも進められていたのにもかかわらず、アーヤという婚約者がいる俺との時間を欲した令嬢だ。彼女にはある疑惑が浮上した。王太子妃殿下と【聖女】を呪おうとした容疑でこのほど捕縛したフィランダー・バブスとの共謀説である。ドウェインが捕縛の現場で感知したのは、フィランダー・バブスの濃い魔力。それはマルヴィナ嬢がいた周辺に濃く漂っていたのだ。
マルヴィナ嬢を呪いの媒体にしたのか、もしくは呪いの媒体をマルヴィナ嬢に持たせてあるのか。共謀なのか、そうではないのか。フィランダー・バブス自身はマルヴィナ嬢の関与を否定しているが、マルヴィナ嬢本人を調べなければなんとも言えない。
アーヤが妃殿下主催のお茶会への出席を強制された翌日に俺に報告があるあたり、あらゆる方角からの意図を感じられるのだが。
「確実、なのですか?」
俺の問いに、ラルフさんは肯定も否定もしない。判断しかねるが故に断定もできないのだ。こういうことは多々あることなので、珍しいことでもない。つまりは、現在進行中の疑惑ということ。
「すべては今度のお茶会の時に解決するだろうと、殿下やイザベラ嬢の見解だ。私やお前への報せが遅かったのは、どうしてもアーヤをお茶会に向かわせるためだろう。やれやれ、お前はともかく、私までアーヤに過保護だと思われているらしい」
苦笑こそしているが、ラルフさんにも過保護の自覚はあるはずだ。俺ほどではないが、アーヤを大切にしようという思いや行動は見て取れる。とはいえ、それを突きつける勇気はないので俺が口を噤んでいると、ラルフさんがアーヤの義兄の顔から瞬時に騎士団長の顔に戻した。
「それで、だ。妃殿下のこの国とご友人への思いを利用し、アーヤをも欺く結果になってしまうが、お茶会の日にイザベラ嬢とドウェインをはじめとする魔導師団数名を密かに配置する。目的はマルヴィナ嬢の魔力の感知と、もしもなにかが暴走した場合の戦力だ」
「妃殿下の護衛は?」
「妃殿下付きの近衛隊のユージーンに、宰相の方から話を通す。父親からも頼りにされたらば、ユージーンもいつも以上に張り切って妃殿下をお護りするだろう」
「それならば俺はアーヤの護衛に専念できますね」
「マルヴィナ嬢が黒だった場合は捕縛も任せる。わかっているとは思うが、この件は一切の他言無用だ」
「承知しました」
俺が敬礼をすると、ラルフさんはフウと息を吐いて疲れた表情を晒した。騎士団長の仮面を脱いだようである。頬杖を付き、あまりにリラックスした姿に俺の体の力も抜けてしまう。
「なあヴィンセント。今は軍務の長官でも騎士団の長でもない、ましてやマッケンジー家の当主としてでもない、ただの一人の義妹思いの男でいさせて欲しいんだが」
「はあ……」
「この世界に招かれてまだ日は浅く貴族の世界などにも慣れていないアーヤを、王家や国自体の問題に巻き込むのは心が痛い。だが国際問題に関わるとなると、彼女が【聖女】である事実もあり、どうしたって巻き込まねばならん。どうやら私は彼女を【聖女】としてよりも義妹として見ているらしい」
自嘲するラルフさんを、俺は決して笑えない。俺自身もアーヤをこの世界に招かれた【星の渡り人】や【聖女】としては見ていないからだ。彼女は俺にとって大切な婚約者で、妻と乞う相手だ。だからアーヤが傷付くようなことには触れさせたくはない。しかし、アーヤは【聖女】であるが故に、本人の知るところでも知らぬところでも様々な事象に巻き込んでしまうのだろう、今後もずっと。ただこの世界にいるだけでいいと神であるエル様に言われているとはいえ、この世界にいるためにはひっそりと生きることは困難なのかもしれない。
「だからこれは私の勝手な願いなのだが、お前がアーヤと正式に婚姻したあとは騎士団を抜け、グレイアムの領地に戻るがいい。辺境の地で諍いはあろうが、直接的な王家にしろ国などとの関わりは薄れるはずだ」
そうなったら私は寂しい思いをしてしまうがな、と笑うラルフさんに、俺は精一杯に感謝の思いを込めて頭を下げた。
「その場合はイアンもグレイアム辺境騎士団の参謀として連れて帰りますが、許可を得られますか」
ラルフさんは豪快に笑う。
「大きな穴の覚悟はできている」
おそらく、ラルフさんの言う通りに事が運ぶのだろう。ただの一人の義妹思いの男だなんて、そんな訳がない。少なくともマッケンジー公爵家の当主としての思いがそこには詰まっている。その思いを騎士団の長が汲み取り、軍務省の長官が王太子殿下や国王陛下へと進言するんだろう。この人のことだ、ランドン宰相を筆頭に他の貴族たちにもきちんと根回しをして。
◇◇◇
それはそれとして、俺は不安が拭えないでいる。もしマルヴィナ嬢が黒だった場合、アーヤの傷はどのくらいになるのだろう。それを思うと、ますますお茶会には出席させたくはない。しかし殿下と妃殿下の連名の招待状を受け取ってしまった手前、アーヤの出席は病にでもならない限り取り消すことはできないだろう。
そんなことを考えていると、ドウェインを発見したので首根っこを掴んで俺の執務室に引きずり込む。人払いをした上でドウェインに防音の魔法を掛けて貰うと、それで、と詰めた。
「きゃー、【英雄】様がご乱心ですぅ〜! なにをなさるおつもりなのぉ〜!」
「ふざけるな。マルヴィナ嬢の件だ」
素直に防音魔法を掛けておいてどういう了見だ。両腕を己の体に巻きつけてクネクネと気持ちの悪い動きをするドウェインの頭を軽く叩いてやると、頬を膨らませて睨まれる。
「ひどい! 痛い!」
「痛いわけがない。いいから答えろ、マルヴィナ嬢の件の、お前の見解だ」
頬を膨らませたままのドウェインが、面白くなさそうに俺の椅子に座る。適当に紙を手繰り寄せてペンを握るので、書かなければ説明し難いのだろう。そう思いドウェインの手元を覗き込めば、解りやすく落書きをしていたのでもう一度頭を叩いてやった。
「いったーい!!」
「ふざけるなと言ったが?」
「だって! なにが知りたいんだよぉ、ラルフ様から聞いてるんでしょ? それ以上のことなんてなんにもないってば」
確かにラルフさんの説明だけで十分だとは思うが、何故か俺の胸は漠然とした不安が覆う。だから俺はマルヴィナ嬢の関与を疑っている筆頭のドウェインを捕まえて、こうして問うているのだ。
「ヴィンスのそれは、アーヤのことを心配しすぎてるだけ。それに僕は、マルヴィナ嬢のことは潔白だと思ってるよ。懸念がほんのちょーっとあったから師匠に報告したし、殿下にも伝えた。関係者に変に地位があるから大げさになってるだけで、単なる確認作業だと思ってくれたら僕は嬉しいんだけど?」
紙に大きく下手くそな絵を書いたドウェインは、ヴィンスにそっくり、と俺に似顔絵のようなものを渡した。つい受け取ってしまったのでしょうがなく四つに折り畳むと、ドウェインを立たせて椅子を返してもらう。深く座れば、大きく息を吐きながらも眉間の皺は消えないまま。
ここに引きずり込む時から今現在まで、ドウェインの雰囲気は緊迫しているわけではなかった。王太子妃殿下と【聖女】が再び狙われている懸念がある中で、懸念を指摘した人物が醸し出していい雰囲気ではない。多少なりとも苛立ちや緊張があってもおかしくはないのに、ドウェインは普段となにも変わらない。意図してそうしている可能性も拭えないが、それなりに付き合いがあるが故にそれもないと判断できた。
それを、今になってようやく冷静になって思えた。指摘どおり、俺はアーヤを心配しすぎているのだ。ラルフさん同様、過保護の自覚はある。しかし自分が思っているよりもずっと、過保護がすぎるようだ。
「……すまん。自覚はしているが、度が過ぎるな」
「いいえー。女性に辟易していた君が初めて一途に想っている存在だもんね、アーヤは。いいんだよそのくらい。ようやく【英雄】ヴィンセント・グレイアムに春が来たんだらさ、アーヤを大切にしている姿を見せつけたら君を取り込もうとする人たちは君を諦めるかもね」
「そうだと有り難いんだがな」
確かに俺の【英雄】という地位を取り込みたいお偉方には、効果は絶大かもしれない。言い寄ってくるご令嬢方にも、勿論。それならば多少は抑えつつも過保護さと独占欲を周囲に見せつけよう、と心で決意すると、そろそろドウェインを解放しなければならない。無理やり引きずり込んだので、仕事の途中だったのかもしれないし俺だって仕事が残っている。
「じゃあ僕は戻らせて貰うよ。マルヴィナ嬢の件、納得してくれてよかった。当日はよろしくね。……でもさあ、アーヤがなにも起こらないと念じちゃえばなんにも起こんないんだろうけどね、多分」
「……それもそうだな」
ならばアーヤにこの件を伝えて最初からなにもないと念じて貰った方がいいのではないか、とは思ったが、【聖女】の力を乱用すべきではないので我々で密やかに動くのだろう。もともと【聖女】はこの世界に招かれたが故に存在する。この世界の者が起こしたすべてに対処して貰っていては、招かれた【聖女】を搾取するだけになってしまう。それは神であるエル様も望んではいないことだろう。
――エル様は、今回の騒動をどう思われているのだろう。エル様がこの世界に招いた【聖女】が危険な目に合うかもしれなかった事実を、どう捉えているのだろう。へにゃり、と気の抜けた笑顔を晒しながらもお怒りになられているのかもしれない。
もう一度、エル様にお会いできないだろうか。もしその機会に恵まれたのならば、誠心誠意の謝罪をしようと思っている。
いつもありがとうございます。
お知らせです。
いろいろと思うところがあり、明日更新の際にタイトルの変更をいたします。
旧→「アラフォー聖女と英雄様」
新→「アラフォーですが、異世界転移しました。」
ご了承くださいませ。
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