絢子、安心する。2
ティフ様に促された私達は、ようやくテーブルに着く。近くで見るとより素晴らしい出来栄えのケーキが美味しそうで、思わず溜め息が溢れると同じような声が隣からも聞こえてきた。そちらを向けば、マルヴィナ様がキラキラとした表情を中央のケーキに向けている。まだ少女っぽさが残る二十代前半の、可愛らしい表情だ。
「うふふ。お聞きくださいな、アーヤ様。マル様は果物をたくさん使ったお菓子がお好きなのですよ」
「ティフ様! ……申し訳ございません、アヤコ様。はしたないところをお見せいたしましたわ」
「いえいえ、私も果物は大好きなのでお気持ちはわかります。美味しいですよね、果物たっぷりのお菓子」
「……! ええ、キラキラと輝く様がまるで宝石のように美しくて見るだけでも十分ですのに、食べても美味しくて。アヤコ様も同じだと知り、大変光栄にございます」
座ったままでも華麗にお辞儀をなさるマルヴィナ様に、私は慌てる。私が聖女だからか敬意を払った扱いをされるのは理解できるが、私の周囲にはそこまで堅苦しい人物はいない。精々、丁寧な言葉で接してくれるくらいで、皆さん結構フランクだ。だからそういう扱いはくすぐったいのである。
「あの、マルヴィナ様。私、貴女よりもだいぶ年上ですけど元は貴族でもないですし、本来ならお目にかかれない存在というのはマルヴィナ様やティフ様の方なんです。ですから、もう少し砕けた対応をしていただければ、私は嬉しいです」
「つまりはアーヤ様は、マル様とお友達に……と?」
え? 砕けた物言いや気さくなやり取りって、イコールでそうなっちゃうの?
いや確かに腹の探り合いばかりであろう貴族の世界でラフな関係でいられるということは、イコールで親しい友人となるんだろう。
私とマルヴィナ様がお友達になる。うん、それはいいことかもしれない。私はもうマルヴィナ様に対してスッキリしているので、一歩進んでもいいだろうと思うのだ。
元々彼女に対してあったのは、恐怖心だ。マルヴィナ様は私よりもずっと若くて綺麗でちゃんとお嬢様で、ヴィンスさんの隣りに立っていても遜色なしである。もし私が先にヴィンスさんの婚約者になっていなかったら、完全敗北間違いなしだっただろう。だけど私はヴィンスさんの婚約者で、ヴィンスさんは私を大切にしてくれている。マルヴィナ様はちゃんとヴィンスさんへの想いを断ち切って、己の行動を反省して私に謝罪した。苦手意識は多少残るけれど、お友達になるのは有りだと思う。
――それがティフ様を始め、王太子様やこの国の思惑通りだとしても。
チラリとヴィンスさんを見ると案の定ムスッとしていて、あのブランシュさんがプルプルと肩を震わせながらも口元を抑えていた。爆笑したくてもできない状況でごめんなさい。あとでスウィートルームに戻ってからたくさん笑ってください。
「ええ、マルヴィナ様がよければ、の話ではございますが」
私はこの瞬間のヴィンスさんの顔を見たかった。元の世界なら隠しカメラとかで撮影できたのに、それらがないのが悔しい。あとでブランシュさんにどんな様子だったのか訊ねようと心に決めながらもマルヴィナ様の反応を待つと、みるみる内に表情がフニャリと溶け、それにハッとして急いで扇で顔を覆った。なんとも可愛らしい表情や仕草に、アラフォーオバチャンの心がくすぐられる。ついさっきまで恐怖だった存在が、思いっきりひっくり返った瞬間だった。
「も、申し訳ございません! 本当に嬉しくて……わたくしも、アヤコ様とお友達になれたら光栄でございます!」
「はい! それでは私のことはどうか、アーヤと呼んでください。ティフ様を初め、皆さんがそう呼んでくださっていますので」
「ならばわたくしのことはマルと。家族からはマリーと呼ばれておりますが、お友達からはマルと呼ばれたいのです」
キラキラな笑顔を見せるマルヴィナ様……マル様は、ちゃんとお話したらとてもいい子で可愛い子だった。最初が最初だったのでその印象が強く残ってしまうけれど、それはこの先で変化していくだろう。それが必ずしもいい方向ばかりには転がらないかもしれないけれど、今のこの時点ではマル様とお友達になってよかったと思っている。
「さあお二人とも、そろそろお茶とお菓子をいただきましょう。お喋りは美味しくいただきながらにしませんか?」
「アーヤ様、ご存知です? わたくしたちは果物のお菓子を好みますが、ティフ様も大好きなのですよ」
「そういえばこの間のお茶会の時に小さなお菓子を数種類いただいたんですが、ティフ様は果物のお菓子ばかり選んでいたような……?」
「ま、まあお二人とも! ……だって美味しいんですもの。わたくしたち三人とも果物のお菓子が好きだとわかって、わたくしは嬉しいですわ」
少し頬を膨らませたティフ様がまるで幼い子供のように見えて、私はついつい笑ってしまう。羞恥心で顔を赤くしたティフ様が勢いのままにケーキに手を出すので、マル様もコロコロと笑った。
「マル様、このままではティフ様に全部取られてしまいそうですよ。私達もいただきましょう」
「はい、アーヤ様」
「もおっ、そんなつもりはございません!」
ティフ様と二人でのお茶会も楽しかったけれど、そこにマル様が加わって楽しさが増したような気がする。隣国に嫁ぐ予定のマル様とはいつまでお茶会ができるかはわからないけれど、もっと仲良くなりたいな、と私は穏やかな気持ちになった。
◇◇◇
私は結構単純で、結果的に仲良くなったら別にいいや〜、と楽観的でもある。マル様とのことだ。
楽しくお喋りをして名残惜しくも終えたお茶会は、私の心をホクホクと暖かくさせた。可愛らしいお嬢様たちの語る私がまだ知らないこの世界のアレコレは楽しくて、いつか訪れてみたり食べてみたり見てみたりしたいと思わせるようなものばかりだった。まずは書物から、とティフ様もマル様も私にお薦めの本を貸してくださる約束をしてくださったので、私からはなにをお二人に返そうか。私はなにも持っていないから、またお茶会の時にでも私のいた世界の話をしたり、貸していただく本の感想を話すくらいしかできない。そうだ、お手紙を書いてもいいだろうか。元の世界ではメールやメッセージを気軽に携帯電話で送受信できたけど、この世界ではそういうことを簡単にできるツールがない。けれど私が幼い頃はまだメールどころか携帯電話も世間一般に浸透していなかったから、その幼い頃を思い出してお手紙にしたためるのもいいかもしれない。
ホクホクと言うよりもワクワクが勝っているような気持ちでブランシュさんの紅茶を飲んでいると、私に突き刺さる視線に気が付いた。隣を向けば、ヴィンスさんが私を見ている。
「……どうしました?」
「いや。楽しそうだなと思ってな」
そりゃ楽しいもの。もう一人、若いお嬢さんが私と仲良くなってくれたんだから。
「楽しいですね?」
「それはなによりだ。アーヤが傷を負っていないのなら、俺はそれでいい」
最初から、私を案じて私を気遣い、私の気持ちを優先させるヴィンスさん。あまり甘やかさないで欲しいとは伝えてはいるけれど、これはもうヴィンスさんの性分なのだろう。だからといってヴィンスさんの好きにさせていても、私がなにも成長しないままだ。定期的に不満を零していこうと心に誓いつつも、今この場でも口にしておかなければ。
「ヴィンスさんは私を過保護に扱いすぎです。私だっていい年したオバチャンですしそれなりに人生経験を積んでるんですから、ちょっとやそっとじゃ壊れたりしませんよ」
「年齢を重ねていようが人生経験が豊富であろうが、アーヤは俺の婚約者だ。大切に扱ってなにが悪い」
はーーっ! なにこの人! なんか開き直ってない?! この前は、私は幼い子供じゃないって言ったら反論できなかったのに!!
「でもそれじゃ……」
「アーヤは嫌がるだろうが、俺はこの先もずっと同じようにアーヤを扱うぞ。勿論、アーヤの意思は尊重するが、それでアーヤが傷つくのなら全力で止める。心身共に健やかに、幸せであって欲しいからな」
窒息しそうだ。ヴィンスさんの愛が凄すぎて。私はもう少し自覚をしなければいけないらしい。ヴィンスさんにものすっごく愛されているという自覚を。ものすっごく大切にされているという自覚を。そしてそれを受け入れる容量を増設しなければならない。そうじゃなきゃ、婚約者から正式に夫婦となり歩んでいく未来が、ヴィンスさんの凄すぎる愛で溺れっぱなしになってしまう。
息ができなくて口をパクパクさせていたら、ニヤニヤしているドウェインさんが視界に入った。そういえばこの人、お茶会終わりでスウィートルームに向かっている最中にばったり会って合流したまま、ここに居座っているんだった。お仕事はいいのかと訊ねたら、休憩中でーす、と言ってヴィンスさんに溜め息を吐かれていたけど、イザベラ様に連絡して引き取って貰った方がいい気がする。
「いいねいいね、いい雰囲気だね。ヴィンスもなんか吹っ切れすぎじゃない? あんまり愛情が重いとアーヤが逃げちゃうよ」
「そんなことはない。……ない、よな?」
からかうドウェインさんに噛み付くけれど、自信がないのか私に確認するヴィンスさん。そんなしょんぼり顔をしなくても、自信なさげに確認しなくても、ついさっき自分で大切に扱い続けると宣言したではないか。まだ私がそれに対してなにも言っていないからか、大きくは出たものの不安が勝ってしまったんだろう。それがなんだか可愛くて、私は思わず吹き出して笑う。
「……笑わなくてもいいじゃないか」
「ふふふ、ごめんなさい。大丈夫ですよ、ドウェインさんの言うことなんて無視してください」
「えー、ひどーい。じゃあもうそろそろお仕事しちゃおっかなー」
紅茶を飲み干したドウェインさんが、私にとびきりの笑顔を向けた。