絢子、安心する。1
マリーネさんとブランシュさんが張り切って支度を整えてくれたお陰で、アラフォーの私でも肌はピカピカで髪はトゥルトゥルに仕上がっている。ヴィンスさんの瞳の色に近い瑠璃色のドレスと髪の色に近いイエロー系の宝石をあしらった装飾品で、私がヴィンスさんの色をまとえる婚約者だと主張もできた。これからお茶会という名の戦場に向かうので、このくらいはしておかないと、という優秀なお世話係たちが意見を通した結果である。
ちなみに私が身に着けているヘアアクセやネックレスやイヤリングは、絶対に高価なものだ。ヴィンスさんがマッケンジー公爵家が用意したものだと持って来たけれど、ラルフお義兄様の奥様の所有品だったらと思うと緊張で震えてしまう。落としてしまったり壊してしまったりしたら、弁償できる気がしない。もしそうなってしまったら、一生をマッケンジー公爵家に捧げよう。それで弁償できるかはわからないけれど。
そんなわけで私はヴィンスさんにエスコートされ、ブランシュさんを伴ってティフ様のお茶会の会場へと向かった。場所はいつもの薔薇の苑ではなく、屋内の一室。人払いをすれば場所は厭わないとはいえ、より強固に人目を避けるために屋内が選ばれたのだろう。
緊張しながらも入室すれば、笑顔が満開なティフ様に歓迎される。すぐに私から離れて護衛役に戻ったヴィンスさんに助けを求められる訳でもなく、それでもティフ様とお会いできたのは純粋に嬉しいので応じていると、ティフ様の後方に王太子様の姿を確認した。いつもの微笑みからは、ちゃんと来て偉いね、という言葉が見え隠れしている。
「ようこそ、マッケンジー公爵家のアヤコ嬢。我が妻が君を招いてお茶会をすると聞いてね。そろそろ私も茶会の席に顔を出して、挨拶したいと思っていたんだ」
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。まさか王太子様がいらっしゃるとは思ってもおりませんでした。妃殿下にはいつも大変お世話になっております。これからも仲良くさせていただけたら光栄でございます」
カーテシーをなんとか披露すると、ティフ様の軽やかな笑い声が聞こえてくる。
「まあ、およしになってお二人とも。そんなに堅苦しいのは、わたくしは嫌ですわ。アーヤ様もいつもどおり、わたくしのことはティフと呼んでくださいな。殿下もそろそろお仕事にお戻りくださいませ。きっと今頃、侍従が泣いていますよ」
「おやおや、ティフは真面目なんだから。けれど……そうだね、アヤコ嬢の婚約者のヴィンスもこの場にいるから、彼も巻き込んでお茶会に参加してもいいかと思ったけれど、侍従を泣かせるのは私の本意ではないからね。ティフにも嫌われたくないし、私はそろそろ退散するよ」
ウィンクをした王太子様は、手をひらひらさせながらヴィンスさんに近付いた。多分、後は任せるよとか私が把握していないこととかを一つ二つ交わしたんだと思う。それからようやく部屋を後にした王太子様を頭を下げながらも見送ると、ティフ様に声を掛けられる。
「さあアーヤ様、こちらにどうぞ。本日は、ずっとアーヤ様に紹介したいと思っていた方をお呼びしているのです」
この状況に、胃がキリッと痛む。ティフ様が私に紹介したいと仰った方は、実はチラチラと視界に入っていたのだ。私よりも先にこの部屋に入室していた彼女は、ただ静かにずっと頭を下げ続けていた。
「アドルファス公爵家の、マルヴィナ様ですわ」
ティフ様に紹介されたマルヴィナ様は、一度深く頭を下げてからまっすぐに私を見た。緊張の面持ちで少し顔色が悪そうだが、マルヴィナ様は見事なカーテシーを披露してくださる。流石は生粋のお嬢様。しかも公爵家の、かつては王太子様の婚約者候補だった方だ。私の付け焼き刃感が拭えないなんちゃってカーテシーとは雲泥の差である。
「アドルファス公爵が長女、マルヴィナと申します。どうぞお見知りおきくださいませ、【聖女】様」
「マルヴィナ様、こちらはマッケンジー公爵家のアヤコ様ですわ」
「ええと……マッケンジー公爵家の、アヤコ・ツカハラ・マッケンジー、と申します。私のことは、どうか聖女以外の呼び方をしてください」
なんちゃってカーテシーを披露すると、いよいよ胃の痛みが強くなった。マルヴィナ様を受け入れる方向でこの場に赴いたとは言え、好きな人を好きな人、という存在はやはり怖い。表面上は繕えるかもしれないが、心の中は直撃した大型の台風だ。バケツも飛べば瓦も看板も飛ぶし、容赦ない風と雨が吹き荒ぶ。なんとか顔には出ないように微笑んでいるけれど、顔面が引き攣ってしょうがない。それもそうだ、私は接客業従事者にあるまじき顔に出易いタイプの人間なのだから。
私の表情が引き攣っていることに、ティフ様もマルヴィナ様も気付いたはずだ。けれどそれを指摘しないのは、流石は淑女教育を徹底的に受けたであろう王太子妃殿下と公爵家令嬢だ。そんな気遣いができるなら、この場に呼ばないで欲しかった気もしないでもないけれど。
ナディアさんを始め、ティフ様の侍女の皆さんが手際よくお茶の準備をしてくれる。瑞々しいフルーツが乗ったショートケーキが本日のお菓子で、それに合うような少し濃い目の紅茶は今日も抜群に美味しいのだろう。この微妙な雰囲気の中、せめてちゃんと美味しく味わうことができますように。
「お二人とも、どうぞお座りになって。ゆっくりとお話いたしましょう?」
ティフ様がそう促すので、重い足取りでテーブルの方へと進む。すると、マルヴィナ様が私の名を呼んでそれを引き止めた。
「アヤコ様、その前にお話がございます」
振り返るとマルヴィナ様は可哀想になるくらい顔色を悪くしていて、今にも倒れそうだった。それでもなんとか踏ん張って立っているマルヴィナ様は、もう一度私に向かって深く頭を下げる。
「大変申し訳ございませんでした。わたくしの軽率な行動で、アヤコ様を深く傷付けてしまったことを深くお詫びいたします」
思わずティフ様を見て、ブランシュさんを見て、ヴィンスさんを見た私は、相当混乱しているのだと思う。胃がひっくり返りそうになりながらも、三人共に深く頷かれるだけだった私はマルヴィナ様からの謝罪を考えなければならない。倒れてもおかしくないくらいの顔色の悪さでも私に謝罪をするマルヴィナ様を、受け入れるべきか否か。
「……どうしてそのような行動を取ったのか、お聞かせいただけますか?」
それには判断材料がまだ足りない。先日の王太子様へのフィランダー・バブスさん捕縛の際の報告会でいろいろと情報を得たけれど、マルヴィナ様本人からはなにも聞いていない。だから私が訊ねると、マルヴィナ様は俯き気味に顔を上げて口を開いてくれた。
「私事ではございますが、婚姻の話が進んでおります。国内でのことならば心を乱すようなことにはならなかったかもしれませんが、わたくしの嫁ぎ先は隣国のギュスターヴァ王国です。それ故に、未練なく隣国に嫁ぎたいというわたくしの我が儘で、アヤコ様にご不快な思いをさせてしまいました。ヴィンセント卿やマッケンジー公爵にもご迷惑をおかけしました。本日はその謝罪の場を、ティファニー様がご用意してくださったのです」
予想していたとおりだ。マルヴィナ様がヴィンスさんに接触を図ろうとしていたのは、想いを断ち切るためだった。貴族令嬢ならば政略結婚が基本で、マルヴィナ様の隣国行きが決定事項ならば悔いを残さず嫁ぎたいだろう。マルヴィナ様のご実家から正式にヴィンスさんとの会談を打診した方がよかったかもしれないけれど、それができない理由とか、単騎出撃の方がよかった理由とか、マルヴィナ様なりにあったのかもしれない。
私はそれらを踏まえてもう一度考える。胃がひっくり返りそうなくらいだったが、なんとか宥めて思考を巡らせた。
――うん、何度考えてもマルヴィナ様はちゃんと反省しているし、これ以上のことはなにもない。私への嫌悪感とかも、なにも感じない。ただただ申し訳なかった気持ちが、私の方へとちゃんと流れてくる。
「隣国に嫁ぐという重圧を、私は知り得ません。けれど、想いを残して嫁ぐよりも断ち切ってから、という気持ちは理解できます。マルヴィナ様は少し方法を間違えただけ。その間違いは誰にでもあり得ます。どうか顔を上げてください」
私が促せば、マルヴィナ様は瞳いっぱいに涙を湛えながらも顔を上げた。顔色はずっと良くなっていて、笑顔も溢れて、これでマルヴィナ様は大丈夫だと私は判断する。
チラリ、ヴィンスさんの方を見ると不服そうではあるがちゃんと頷いたから、この話はこれで終了にしよう。ヴィンスさんは私が心に傷を負うことを嫌がっていただけなので、私がスッキリした事実がある限り文句は言わせない。この先のことは、私が決める。