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幕間:我が国と民のためならば ―フェリクス・エヴァン・プレスタン

 本日の執務を終え、静かな夜。

 ティフの柔らかな髪に触れると、おやめくださいと困ったような笑みを浮かべて窘められる。それでも私はティフの髪に口づけを落とすので、今度は真っ赤な顔を見ることができた。このような戯れはティフには永遠に慣れないようで、仕掛ける私も楽しくて仕方がない。困った方と溜め息混じりに言われても、ちっともやめるつもりはないのだ。これは私とティフのスキンシップだからね。けれど、これ以上はティフの機嫌を損ねてしまうおそれがある。程々に戯れて解放してやれば、今度はティフがつまらなさそうに頬を膨らませるものだから、堪らない。

 私達は政略結婚だけれど、実を言えばティフが私の婚約者候補の頃から好意を寄せていた。他にも数名の候補の令嬢がいたけれど、ティフだけが輝いて見えていたのだ。だからこそ私は父王に我儘を言って、ティフとの婚約と結婚を掴み取った。表向きはティフの生家である四大公爵家の一つのメレディス家との政治的な婚姻とされているが、真実は私の我儘だ。幸い、ティフも私を想ってくれているので、こうして温かな結婚生活を送ることができている。


「それで殿下、わたくしはマル様……マルヴィナ様の件をお訊ねしてもよろしいのでしょうか?」


 ティフの膨らんだ頬が可愛らしくてツンツンとつついていれば、その手をやんわりと両手で制したティフが少し怒っているような声音で私に訊ねた。これはいけない。あまり調子に乗り過ぎたようだ。


「ごめんごめん。怒らないで、私のティフ。マルヴィナ嬢の件で聞きたいことがあれば、なんでも質問していいよ」

「それならば……マルヴィナ様はヴィンセント卿に個人的な対面を求めたとお聞きしております。なにか……罰を受けることになるのでしょうか?」


 ティフはマルヴィナ嬢と古い友人だ。二人がまだ私の婚約者候補だった時代も、その仲の良さに周囲が驚いていたくらいだ。そして、ヴィンスの婚約者のアヤコ嬢も最近できた友人。ティフにとってはどちらも大切な友人なので、心が苦しい思いをしているのだろう。


「マル様の行為は褒められたものではございません。アーヤ様も大変心を痛めていることでしょう。ですが……ああ殿下、わたくしはどうしたらよいのです?」

「優しいね、私のティフは。そうだね……正直に言えば罰を与える云々の話では収まらないかもしれない。彼女の縁談の話は、ティフにもしていただろう?」

「ええ、ギュスターヴァ王国のシリル・イフィジェニー様でしたわね、大公家のご嫡男の」

「シリル殿がマルヴィナ嬢を見初めたという経緯があるが、国同士の友好を強めようという政治的な面も勿論ある。それなのに今回の件だ。あちら側に知られたら、破断になるだけでなく国際問題になる可能性が高いんだ」


 アドルファス公爵家には、隣国のギュスターヴァ王国大公家嫡男との縁談が密やかに進められている。それは勿論私や父王も承知で、アドルファス公爵も諾と応えて進められている件だ。ティフに伝えたように大公家嫡男のシリル殿がマルヴィナ嬢を見初めたことを機に両国の友好を強めようと、あちらは王家に次ぐ大公家、こちらは王族の血が濃く交じる四大公爵家よりアドルファス家で結ぼうと話が進められている。本来なら互いに王家同士で結ぶべきなのだろうが、ギュスターヴァ王家には男女ともに適齢期の者がおらず、我が国は私は既婚者だし姉二人もすでに嫁いでいるのでそういう形になった。


「そのようになった場合、マル様は……?」


 ティフの問いに、私は答えられない。口を閉ざして少し俯けば、ティフは大きな瞳に涙の膜を張った。

 政治的な問題なので、私的な感情だけでは動けないことは重々承知だ。軽率に、安易な約束もできない。だが私はティフが可愛い。そろそろ零れ落ちてしまうだろう涙を、ティフの夫として止めたいと思っている。


「……そうですわ。殿下、わたくし、お茶会を開こうと思います」

「うん? それでティフの気持ちが少しでも休まるならいいと思うよ?」


 心を痛め、悲しい思いを抱えながら過ごすよりも、美味しいお茶をいただきながらお喋りに花を咲かせたらティフの気も紛れるかもしれない。いい提案だと私が了承すれば、ティフは先程まで潤ませていた瞳を笑みに変えた。


「はい、それではアーヤ様とマル様をご招待しようと思います」


 私は思わず動きを止めた。微笑んでいる愛しい妻は、なにを考えているのだろう。


「わたくしがお二人の仲介をいたします。今回はマル様とヴィンセント卿の件ですが、アーヤ様がマル様をお許しになれば、ギュスターヴァ王国との国際問題も和らぐかもしれません」


 それがわたくしの役割です、とティフは胸を張る。

 私は胸が一杯になる。私のティフは、私という王太子の妃に相応しく、頼もしい。ティフとアヤコ嬢を狙ったフィランダー・バブスは本当に愚かだ。あの男は盲目過ぎて、ティフの強さが見えていなかったのだろう。夫の欲目ではなく、ティフは見た目通りのふわふわとした女性ではないと評する。

 しかし、ティフの提案には不安もある。もしもアヤコ嬢がマルヴィナ嬢を許さなかったら、事態はなにも変わらない。国際問題に関しては悪化の方へ進む可能性が高いままだ。

 私が考えあぐねていると、不安そうな顔をするティフが控えめに私の手を握った。


「殿下……駄目、でしょうか……?」

「いいや、駄目ではないよ。でもひとつだけ確認させて欲しい。ティファニーは、【聖女】様がアドルファス公爵令嬢をお許しになると考えているね?」


 私の質問に、ティフはまっすぐに私を見る。


「ええ。アーヤ様はそういうお方ですわ」


 ティフを信じよう。私も、アヤコ嬢をそういう人物だと思っている。

 ――ただ、ラルフやヴィンスがどう出るかはわからないんだけれど。



 ◇◇◇



 ティフの提案を勝手に進めるわけにはいかない。ランドン宰相を味方に付け、せめてラルフにだけは伝えておかねばならない。


「個人的には嫌ですね」


 私の予想通り、二つ返事で頷くことではなかった。にっこりと笑うラルフは怒りさえ滲ませている。王太子の私を相手にいい度胸をしているとは思うが、ラルフの憤りの気持ちもわからないでもない。義妹であるアヤコ嬢の心を傷付けた相手を許させる為にお茶会に出席させるなど、マッケンジー公爵家として許可したくはないだろう。

 しかし、国内だけの問題ではないことはラルフも重々承知の筈だ。だから、個人的には、と言ったのだ。


「ではこの国の臣としては?」

「……やむを得ないでしょう。義妹や義妹の婚約者が否やと言っても無理矢理にでも応じさせます」

「そうしてくれると有り難い。それじゃあ、明日だったよね、ラルフがヴィンスと一緒にアドルファス家に向かうのは」


 ラルフが率いる騎士団は、罪人捕縛の際に息女を巻き込んだ件でアドルファス公爵に謝罪と説明をしなければならない。その日が明日なので、ラルフらがアドルファス公爵家を出た後にでも時間を貰おうか。


「ランドン宰相、アドルファス公爵に伝えておいてくれないか。明日の夕刻前に、少し時間が欲しいって」

「承知しました。王太子殿下の遣いとして、私が赴きましょう」

「ありがとう。ディーンには頼めないから、君にお願いするよ」


 普段はこういうお遣いに長けている私の側近の一人であるディーンは、アドルファス家の嫡男だ。妹のマルヴィナ嬢のことがあるので、今は自主的に登城を控えている。すごく優秀な人物だから私個人としては早々に復帰して欲しいんだけど、そうも言っていられない事案だから仕方ないよね。


「それにしても、驚きました。アドルファス家とギュスターヴァ王国の大公家との縁談が進んでいたとは」

「顔合わせの日程が整い次第、公にする筈だったんだ。その少し前にはラルフを初め諸侯の耳にも入れるつもりだったんだけどね。このような形で知らせることになるとは、私も思ってもいなかった」


 私が溜め息を吐けばラルフも苦笑する。


「アーヤの出現で秘めていた想いを表に出したのだとばかり思っていましたが、それだけがきっかけではなかったようですね」

「二つの要素が重なったのなら、暴走とも取れる行動は理解できてしまいますが……公爵家の令嬢としても、隣国との縁談が進んでいる最中だということも、十分に自覚して欲しいものでした。どのような影響が出てしまうのか、理解できない幼子でもあるまい」


 ランドン宰相の言葉は、厳しいと捉えられるだろう。しかし、貴族や王族ならばそれは当たり前のことだ。この国のために、この国の民のために、首を差し出す覚悟がなければならない。豊かで平穏で幸福な日々を(みな)で送るために。

 とはいえ、貴族や王族にも心はある。だからティフは、その心のために動こうとしているのだ。【聖女】にもきっとその心があると確信して。


「……私達は賭けるしかないよ。【聖女】の寛容さに。【英雄】の優しさに」


 そのためには、ティフが主催するお茶会を成功させなければならない。ヴィンスには悪いがこの件は伏せておいて……招待状は私とティフの連名にしておこうか。

 けれどその前に――


「ラルフ、悪いけどひと芝居打ってくれないかな」


 アドルファス家へラルフとヴィンスが謝罪に行った内容を()()()()イザベラに話せば、あとは彼女がアヤコ嬢にその際の話をしようとするはず。どうせアヤコ嬢からのバブス捕縛の際の報告を聞かなきゃいけないから、その時に盛大にヴィンスをからかってくれるに違いない。そうしたら話の流れは自然とそちらへと向かうから、あとはティフがお茶会の準備を進めているとアヤコ嬢に伝えれば彼女は応じてくれるだろう。


「構いませんが……あまり、義妹をいじめないでくださいね、殿下」

「失礼だな、ラルフ。女性をいじめようとは思っていないよ。ヴィンスを怒らせるかもしれないけどね」


 私がお茶目に言うと、ランドン宰相が笑うのを堪えきれずに吹き出したようだった。ラルフもげっそりとしているけれど、申し訳ないけれど私は王太子で、臥せっている父王の代わりに執務も行っている。この国のためならば、なんでもするよ。

 皆で豊かで平穏で幸福な日々を送るために、ね。

明日から1日1話、夜21時半ごろに更新します。


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