幕間:犯した罪の真実 ―ギルバート・カーライル
結果を言えば、私は罪を犯した。知らなかったとはいえ、敬愛する我が国の国王陛下を呪ってしまったのだ。
今は魔力を封じられ、牢に繋がれている。何度も受けた尋問もようやく叶った自白と共に減り続け、今は刑罰を受けるその日を待つだけだ。
私自身に重い罰が下ることは決定しているが、仮にも伯爵家の当主が罪を犯したのだ、家族の方も無事ではない。家は取り潰され、爵位はなくなりただの平民になり、娘は決まっていた婚約も白紙に戻ったと聞いた。
申し訳ないことをした。本当に、申し訳ないことをした。私があまりにも地位や権力にしがみ付くような男ではなかったが故に、随分と苦労ばかり掛けていたのに。領地はなくとも慎ましやかに、笑顔でいられるような生活ができたら十分だったのに。
少しの、焦り。少しの欲。見栄などはなかった。いや、一つまみくらいはあったのかもしれない。娘の婚約が決まり、嫁ぎ先で恥をかかないように、少し贅沢な物を持たせたかった。その、資金が欲しかったのだ。
私は【英雄】の一人であるドウェイン師のような膨大で強力な魔力は持たないが、小鳥の瞳程度の魔力なら有している。その些細な魔力を使いある人物を呪えば、娘のための資金を得られるという甘い誘惑に負けた。その話を持って来たのは、私よりも二十歳も若いフィランダー・バブス伯爵。彼が外務省から内務省へと異動があってすぐのことだった。
呪い、とは言っても祝福の方だと言ったのだ。まじないを掛ける程度、魔力を持ち知識さえあれば誰でも扱える、合法的なことだと。私には些細な魔力しかなかったので知識を得る機会もなく、そもそも得ようとも思わなかった。しかし、そんな私でも扱えるものならば、それで誰かの幸福のきっかけになるのならば、娘の幸せに繋がるのならば、喜んで力になろうとバブス伯爵の誘いに乗った。
バブス伯爵が用意した花瓶と陣を用いて、早速取り掛かった。陣は見様見真似でなんとか描き、その上に花瓶を置く。それから私の魔力を流し、一晩月光浴をさせる。どうか私の施したまじないで、幸せになりますように。そんな思いを込めてバブス伯爵に出来上がった呪具を渡せば、約束通りの謝礼金をすぐに渡してくれた。
これで、娘のための資金ができた。私が施したまじないで、どこかの誰かも幸せになるだろう。
いいことをした気分だった。いいことをした気でいた。
しかし段々と、王宮の気配が暗くなったような気がした。財務省で役職もなく働いている私の耳にも、それとなく噂話は聞こえてくる。
国王陛下がお倒れになった。
血の気が引いた。陛下は私とは同年で、私に役職がないばかりに社交の場程度でしか交流がなかったが、それでもよく気に掛けてくださるので、恐れ多くも親しくさせていただいていたのだ。学生時代も、隅の方で本ばかり読んでいた私にも眩しいばかりの笑顔を向け、誰にでも分け隔てなく優しく声を掛けてくださっていた。憧れの存在だった。
伯爵とはいえ、私には陛下のお見舞いに上がれるような地位はない。精々お見舞いの品を託す程度しかできない。歯がゆい思いをしたが、それは私が選んだ生き方だ。こんなことならば、もう少し貪欲にしがみ付いていればよかったのかもしれない。後悔しても、今更なのだが。
どうか陛下の病が早く快復しますように。有力な陣を知らないので、魔力に思いを乗せて祈るだけの日々が続いた。
しかし私なんかの祈りは届くことはなく、陛下は王太子殿下への譲位の時期を早めると発表された。それはつまり、陛下のお加減が思わしくないということなのだろう。人は老いる。いつかは死ぬ。次に繋ぐのは道理だ。けれど、もう少しだけだと思うのは、少なくとも私にとって陛下は素晴らしい君主だったからに違いない。
――このように、本当に、なにも知らなかったのだ。陛下の快復を祈ったのも本心で、心からお慕いしていたのも本当だ。
愚かなのは私だ。勿論、バブス伯爵こそが根源であり、庇うつもりは毛頭ない。だが、私はバブス伯爵を恨むつもりはない。バブス伯爵の誘いを疑うことなく簡単に乗ったりした私が悪いのだ。
私はよく、人がいいと称される。だから貧乏などとも陰口で言われたこともある。昇進も私なんかよりも優秀な者たちが先だと進言し、困っている人がいたらつい手を差し伸べてしまう。
バブス伯爵のことは、特になにも知りはしなかった。二十歳も歳の差があるのだ、同じ爵位ではあるがあちらは外務省から内務省へ、私は財務省で勤務しているが故に交流もなかった。お互いに特に親しくしなくてもいい家に位置していたのだろう、過去を遡っても両家の交流の記録はない。
けれど、彼が持って来た話に飛び付いたのは、私の人のよさなのだろう。困っている人がいるのなら、祝福を得たい人がいるのなら、私なんかの力が役に立つのなら、私なんかでよければ。
そこを、バブス伯爵に利用されたのだろう。私には、人を見極める力がなかったのだ。それでこそ貴方よ。人を騙すよりずっとマシです。優しい方がいいわ。家族の言葉が温かかったから、そこで構わないと世界を狭めていたのだ。
だからこれは、当然の結果なのかもしれない。愚かな私の末路なのだ。
私は今、牢に繋がれている。待つのは刑の執行日だ。いつでもいい。いつ、この命を散らしてもいい。それで陛下を呪ったという罪を償うことができるのなら。愚かな男をこの世から消せるのなら。
ぼうっと簡易な寝台に腰を掛けていると、扉を叩く音がした。次いで重厚な扉が開かれると、一人の騎士が中に入って来る。私はぼうっとしたまま騎士を見上げ、伝えられる言葉を待つ。そろそろ、刑の執行日を告げられるのだろう。覚悟は疾うに決まっている。だから早く、その日を告げられ、その日になって欲しい。
「……ギルバート・カーライル。貴殿の刑罰内容が変更となった。魔力を封じた上で鞭打ち刑。それに耐えられたらば、塔に無期限の幽閉。なお、カーライル伯爵家の取り潰しの変更はない。フィランダー・バブスに利用されたとはいえ、この国に於いて最も尊きお方を呪った罪は重い。だがな……待っている、という同じ言葉を二つ、預かっている。もう会えることはないが……また、会えるだろう」
騎士は、マッケンジー公爵だ。軍務省の長官であり、騎士団の団長をも務めている。彼の尋問を幾度となく受けた私には馴染んだ顔になってしまったが、尋問の時はいつも険しかったはずの彼の顔が、最後に少しだけ笑んだ。
伝えられた刑罰の変更内容と、言付け。それをゆっくりと反芻している間に、マッケンジー公爵は牢から出て行ってくれていた。私は彼の優しさに笑み、伝えられた言葉に大粒の涙を流してみっともなく泣き叫んだ。
もう会えることはない、アロイス・エヴァン・プレスタン国王陛下。私は今でも変わらず、貴方を敬愛しております。
また会えるだろう、私の家族。私が刑罰に耐え抜き罪を償えたと認められた暁には、どうか笑って抱き締めてくれますか。
こんな私でも生きることを望んでいいのだと、告げられた日だった。