絢子、顛末を知る。4
イザベラ様が落ち着きを取り戻してソファに座り直した頃には、私の中のマルヴィナ様をどうこうしたい考えも落ち着いていた。それがベストならば、私が口を出したりお節介したりするのはご法度だ。マルヴィナ様はすべてを乗り越えて、隣国に嫁がれる。私はそっと心の中で、マルヴィナ様の先の幸いを願うのだ。
「でもまあ、アヤコ嬢がマルヴィナ嬢と友人になるのはいいと思うんだけどね」
「……え?」
王太子様の発言に驚いたのは、私だけでなくヴィンスさんもだ。ヴィンスさんが駄目なら私をぶっこむのは、マルヴィナ様にしてみたらえらい迷惑じゃないのだろうか。好きな人の婚約者と仲良くするのは、普通は避けたいところだろう。もし私がマルヴィナ様の立場なら、たとえ王家に命じられてもはっきりきっぱりと否を突きつけたい。
「実はね、ティフが提案しているんだ。私が許可したら、喜んでお茶会の準備をすると張り切っていたよ」
「ティフ様が、ですか」
「恐れながら殿下、俺はアーヤの意思を尊重したいと思いますので、妃殿下が準備を進めていたとしても参加するかは……」
「それがですね、ヴィンセント卿。アドルファス公爵家にその話を持っていったら、喜んで、とマルヴィナ嬢からの返事があったのです」
「ちょっと待ってください。俺がアドルファス公爵家を伺ったのは昨日ですよ? いつの間に話を進めていたんですか?!」
すると、王太子様とランドン宰相が目を合わせて、ふふふ、と意味有りげに笑った。
「それは内緒だよ」
「国家機密です」
ヴィンスさんが納得いかないという顔をしているが、国家機密と言われてしまえば強く出れないのだろう。いやそんなわけあるか。これは強く問い質してもいいと思うけど、私は悟っている。ラルフお義兄様の反応を見れば一目瞭然だ。気まずそうな、困ったような表情をしているので、ラルフお義兄様もアドルファス家を伺った時にはすでにその件を把握していたのだろう。
「茶番はいつからですか……」
私が大きく溜め息を吐きながらも問えば、返ってきたのは王太子様の感情の籠もっていない乾いた笑い声だけだった。
◇◇◇
「……そういえば、ギルバート・カーライルさんはどうなったのかな?」
スウィートルームに戻って、ブランシュさんの淹れた紅茶で一息。様々な茶番が私の神経をすり減らしていたので、五臓六腑に染み渡って生き返るようだ。イアンさんに年寄り臭いと言われたが、ソファに沈んだ時にはあぁ〜なんて声も出してしまった。
まあ、アラフォーですからね。まったく若くはないですからね。
そうやってゴロゴロとくつろいでいると、先程までの報告会の中で唯一出てこなかった名前があることに気が付いた。彼は確か、フィランダー・バブスさんに隠れ蓑にされていたんじゃなかったっけ。
ポツリと零していると、イアンさんがヴィンスさんの名前を呼ぶ。
「駄目だ」
「ですよねー」
「刑罰内容だけなら伝えても構わん」
「お、優しい。……いや優しくねえわ。アーヤといえ、淑女になにを聞かせるつもりだよ」
「じゃあ駄目だ」
「駄目なのかよ」
そのやり取りを、笑いを堪えて聞いているのがロドニーさん。そこまでプルプルするならいっそ笑った方がいいと思うが、上司二人に遠慮しているんだろう。
そんな中、私は思いっきり挙手をする。それに、はいアーヤさん、とイアンさんが当てるので、遠慮なく立ち上がった。
「ギルバート・カーライルさんの刑罰内容を教えてください!」
「お、元気がいいですね〜。ヴィンセント先生、アーヤさんがそう言ってますけどどうされます?」
「……気分が悪くなる恐れがあるが?」
「平気です」
イアンさんが茶化す感じだけど、暇潰しにインターネットで読んだ中世頃の刑罰内容でも気分が悪くなることはなかったから大丈夫だと思っている。想像したらうわぁとはなったけれど、それで食事ができなくなったとかの弊害はない。この世界のこの国と元の世界の刑罰はまったく違うかもしれないが、耳にするだけなら耐性は多分あるだろう。
「それならば……ギルバート・カーライルは、フィランダー・バブスに匹敵するほどの大罪を犯した。誰かを呪った以上、死罪に処することは決まっている。……が、フィランダー・バブスの件で少し刑が軽くなった。魔力を封じた上で、鞭打ち刑。それに耐えられたらば、塔に無期限の幽閉。勿論、カーライル伯爵家は取り潰し。子供が二人いたが、二人とも平民となった。息子の方は結婚して子供もいたが全員が平民へ降格し、娘の方には婚約者がいたが破断が決定した」
私は馬鹿だ。確かに残虐な刑罰を想像していた。それほどのことをしたのだろうという想像はできていた。
しかしこれは、心が苦しい。罪人はギルバート・カーライルさんだけど、その家族も断罪されてしまうのだ。よくある悪役令嬢モノだって、家族ごと平民に降格されることだってあったじゃないか。
私の顔が蒼くなったのだろう、イアンさんがヴィンスさんの頭を容赦なく叩いた。気さくな関係はいいと思うけど、イアンさんは子爵家でヴィンスさんより家格が下で、ついでに言えばヴィンスさんの方が騎士団内でも上司だ。その対応はどうなのか。お陰で私の心は逆に落ち着いたけど。
「なにするんだっ」
「アーヤが怯えてんだろ。もうちょい考えて伝えろよ」
「だが平気だと言っただろう」
「加減しろって言ってんだよ」
なんだか幼馴染の喧嘩に発展しそうなので、私はロドニーさんとブランシュさん、マリーネさんを手招きした。三人にそれぞれクッキーを手渡し、私も一つ摘んで食べる。
「副団長とイアンさん、放っておいてよろしいのですか……?」
「口論だけのようですが……」
「大丈夫でしょう? なんだか二人でじゃれてるのが楽しそうだし」
「そうですわね、お二人とも楽しそうです」
ブランシュさんがポットの紅茶を注いでくれる。まだ十分に温かく、渋味なんかもまったくない。流石はブランシュさん。クッキーとの相性も最高だ。もう一つ、とクッキーに手を伸ばせば、その手をぺチリと弱めに叩かれた。手を叩いた主はイアンさんだ。
「なにしてんだよアーヤ。俺とヴィンスの喧嘩止めろって」
「イアンお前、アーヤの手を叩くとはどういう了見だ」
「ほらぁ、止めねえとヴィンスが喧嘩続けちゃうだろ〜?」
「そうは言われましても……あ、そうだヴィンスさん! ティフ様とマルヴィナ様とのお茶会ですけど」
「行く必要はない」
喧嘩の仲裁を引き受けてみたものの、内容的にミスをした。どうやらヴィンスさんには逆効果だった。そして私もチョイスを間違えた。できればそのお茶会には参加したくないからだ。けれど、そうも言ってはいられない。
「私だって行きたくはありません。でも、ティフ様のご提案を王太子様が許可され、準備を進めてらっしゃるんでしょう? それを無下にはできません」
「アーヤの心はどうなる」
「ヴィンスさんが私を思ってくださるのは有り難いですし嬉しいですけど、私が聖女だからって私を甘やかさないでください。確かにこの世界のことは初心者ですけど、なにもわからない幼い子供じゃないんですから、それなりの対応はできます」
「だが……」
ヴィンスさんが言葉に詰まって、そして黙った。言い返す言葉がなにも出てこないのだろう。
私のことを心配してくれていることは、十分に伝わっている。だけど、いつまでも守られているだけでは駄目だ。私はもう、この世界で生きていかないといけない。元の世界には戻れないから、たとえラルフお義兄様の義妹でもヴィンスさんの婚約者でも、私は私としてきちんと地に足を付けなけねばならないのだ。
これはいい試練だ。私がマルヴィナ様とちゃんと対峙できたら、私の足はほんの少しでも地に付くのかもしれない。
「あのなぁ、どうせお前がアーヤの護衛で付いて行くだろうが。とりあえず参加して、なにか問題があれば妃殿下に許可を得て退席すりゃいいだろ」
「……」
私達が黙って見つめ合っていると、イアンさんがため息混じりに提案してきた。それにヴィンスさんがジロリと視線をよこせば、イアンさんがいい笑顔で握り拳を作る。この二人のパワーバランスって、もしかしてイアンさんの方が上なんだろうか。イアンさんの補佐は、職務だけではないのかもしれない。
ムスッとしたヴィンスさんは、きっと納得していない。けれどイアンさんが言うことも一理あるからと、それを飲むんだろう。だから私は、イアンさんの味方をしてヴィンスさんにとどめを刺すのだ。
「ヴィンスさんがいてくれるのなら、私は安心してお茶会に出席できます」
ニッコリと微笑みながらも言えば、ヴィンスさんは大きく溜め息。私の勝利が確定した瞬間だ。イアンさんとハイタッチをするとヴィンスさんがまたイアンさんを睨んだけれど、ロドニーさんを壁にしたブランシュさんとマリーネさんがこちらを伺っていたのでいずれも中断だ。
「あの……王太子妃様からお手紙が届いております。お返事は至急、とのことです」
「侍女の方がお待ちですので……」
早速、お茶会のお伺いがティフ様から届いたようだ。お手紙をブランシュさんから受け取ると、内容を確認する。そして私の血の気がサッと引いていくのを感じた。
「ヴィンスさん。どっちみち、逃げられないです。私がマルヴィナ様に冷たい対応をしていたら、ティフ様に許可を得て退席するという流れでいいですか」
お手紙をヴィンスさんに突きつけると、イアンさんが不敬にも大爆笑をした。
ティフ様からのお手紙は、王太子様との連名だったからだ。