絢子、顛末を知る。3
ヴィンスさんやラルフお義兄様が言うには、三日前に遡るらしい。マルヴィナ様のアドルファス公爵家から騎士団の方へ先の事件の説明を受けられる日時の連絡があり、その翌々日……つまりは昨日、ラルフお義兄様はヴィンスさんを伴ってアドルファス公爵家に伺ったのだそう。
ラルフお義兄様的にはヴィンスさんではなく、別の騎士団員を連れてアドルファス公爵家には行きたかったそうだ。それができなかったのは、アドルファス公爵家からヴィンスさんの同席を打診されたから。つまりは、マルヴィナ様が必ず同席することを示唆されたということだ。
「先の報告の通り、マルヴィナ嬢はヴィンセントの時間を個人的に求めています。ヴィンセント本人はそれに応じるつもりはない。しかし、公爵家から指名されたのなら無下にはできず……仕方なく、私とヴィンセントの二人でアドルファス家へ向かうことにしました」
「まずはアドルファス公爵とマルヴィナ嬢に、先日の説明と謝罪をしました。とある高位貴族を狙った罪人の捕縛の際に、マルヴィナ嬢を巻き込んでしまった。公爵にはその説明で納得していただいております。フィランダー・バブスとの交流があったようなので、酷く残念がってはおりましたが」
確かあの時も、マルヴィナ様もフィランダー・バブスさんと直前にお話をしていたはず。おそらく家族ぐるみで親交があったんだろう。知り合いが罪人になるなんて私には想像できないからどれほど心を痛めたのかもわからないけれど、できれば経験したくない。
まあ、騎士団の大浴場への侵入罪とヴィンスさんの裸体を覗き見しちゃった罪が私にはあるけれども。そしてそれらに対しての罰はなにもないけれども。
「本来ならばそこで此度の件は終了となりますが、我がマッケンジー公爵家とグレイアム辺境伯家及び同子息に対し、アドルファス公爵から謝罪がありました」
この世界に招かれた聖女でよかった、と今更ながらに安堵していると、ラルフお義兄様がなんとも言えない微妙な表情をしていた。
アドルファス公爵の謝罪がそんなに微妙な感じだったのかな。もしかして、謝罪の言葉は述べるけど気持ちが一切籠っていなかったとか? だとしたら戦いましょう、私がヴィンスさんの婚約者です!
一人で勝手にメラメラしていると、そんな私に気付いたヴィンスさんが握っている手を強くした。よし、戦いましょう!
「気合が入っているところ悪いが、マルヴィナ嬢からも謝罪があったんだ。それを私とヴィンセントは受けた」
「えっと……じゃあ、えーと」
私が言葉に詰まってしまうと、ヴィンスさんがクスリと笑った。
「もうマルヴィナ嬢が俺になにか言ってくることはない」
お願いだから、イザベラ様は愉快そうな表情をやめて欲しい。流石は師弟、ドウェインさんもニヤつかないでくれないだろうか。ランドン宰相、まるで幼子を見るような目を向けないで。王太子様にも同じような目を向けられているけれど、私の方が一回り以上も年上なんですからね?!
落ち着け私、頬を染めながらも嬉しくてニヤニヤしてしまうから皆様にそんな感じに見られてしまうのだ。このヴィンスさんに握られている右手を振り払ってバチンと頬を叩いて気合を入れたら、ラルフお義兄様の死んだ魚のような目だって元に戻るはずだ。
「ええい手を離してくださいヴィンスさん! 私は気合を入れるんですから!」
「何故だ? そんなことをする必要はない。マルヴィナ嬢は隣国へ嫁ぐことが決まっているから、本当にこの先はなにもないんだ」
「……はい?」
私がブンブンと振っていた右腕を止めると、そうだよ、と王太子様がヴィンスさんの言葉を肯定する。
隣国……?
「ですからマルヴィナ嬢の件をマッケンジー公爵から聞いた時に、まさかと思ったんですよ。彼女は隣国ギュスターヴァ王国の大公家ご嫡男との縁談がある。ですから、何故、と」
ランドン宰相が首を傾げるけれど、なんとなく、私はマルヴィナ様の気持ちがわかる。好きじゃない人と結婚しなきゃならないのなら、その前に少しだけでも思い出が欲しい。ただ他愛もない会話をするだけでいいのだ。勇気があれば、想いを告げてもいい。その時間を、マルヴィナ様は欲しかったんだろう。
「……今からでも、マルヴィナ様にお時間を差し上げられないかな」
私がポツリと零したら、皆さんに信じられないような表情をされてしまった。
「ねえアーヤ、それ本気で言ってる……?」
「え……駄目です?」
「駄目というか……ヴィンスはどう? アヤコ嬢は君がマルヴィナ嬢に会ってもいいみたいだけど」
「頭が痛いです」
頭を抱えて溜め息を吐くヴィンスさんは、本当にしんどそうだ。私、なにかおかしなことでも言ったかな?
私が悩んでいると、王太子様がラルフお義兄様にクスクスと笑っていた。君も大変だね、なんてラルフお義兄様に言っているけれど、それはどういう意味なのか私に教えてくれないだろうか。取り分けて頭がいいわけでもないので、自分が馬鹿なのは重々承知なのだが。
「アーヤは俺をどうしたいんだ。俺がマルヴィナ嬢と二人で会ってもなんとも思わないのか?」
ラルフお義兄様のやれやれとした表情にムッとしていると、深い溜め息混じりでヴィンスさんが問い掛けてきた。苛立った声色のせいなのか、私の右手を握る強さも増す。
私はヴィンスさんの言葉を考える。ヴィンスさんがマルヴィナ様と二人で会っていたら……嫉妬、すると思う。けれどそれはコソコソ隠れてだったりしたらのことで、私が会って来てくださいと送り出したら、ちょっとモヤっとするけれど別に平気じゃないのかな。
――本当にそうだろうか。元気に送り出すまではいいけれど、帰ってくるまでウジウジとしてブランシュさんやマリーネさんに迷惑をかけるんじゃないだろうか。きっと、イアンさんには爆笑されるしロドニーさんには心配される。そんな時間を過ごして、ヴィンスさんが帰ってきたらきたでマルヴィナ様となにをしたのか聞くに聞けないまま、モヤモヤとしたまま日々を過ごすんじゃないだろうか。
終わった。駄目だ。マルヴィナ様の気持ちを汲みたい思いはあるけど、それだと私が苦しい。ヴィンスさんも気まずい。オールオッケーにならない。
ならばどうしたらいいのか。私が同席して、私が観察できる範囲で二人にしてお話をして貰えばいいのでは? 会話は聞こえずとも、動向は把握できる。私がいる手前、なにも不誠実なことなどできないだろう。
いいことを思いついた、とヴィンスさんに向き直れば、手で顔を覆って俯いていた。どうしたんだろう、気分でも悪いのだろうか。
「ヴィンスさん? どうしました?」
「アーヤ……よくないことを考えているだろう……」
「そんなことないですよ、朗報です! 私が同席するので、私が見える範囲でお二人でお話をされてはどうでしょう!」
「ラルフさん、助けてくれ……」
「アーヤ、その話はまた後日しよう」
ヴィンスさんに請われ、ラルフお義兄様が私を制止する。確かに王太子様の前で話すようなことではないのかもしれない。マッケンジー家とヴィンスさんでしっかり話をして決めて、マルヴィナ様に打診してから報告してもいいだろう。
「わかりました。ちゃんとお話しましょうね」
ニコッと微笑めば、何故だかラルフお義兄様が特大の溜め息。そして、それまで黙っていたイザベラ様が、あーもう駄目、と大きな声を出して大爆笑をする。それをランドン宰相もドウェインさんも咎めることなく、イザベラ様の笑い声が室内に響く。
大丈夫かな、この部屋って防音してあるんだろうか。
そんなことを考えてしまうのは、どうしてイザベラ様が大爆笑しているのかがわからないからだ。いや、多分私が見当違いなことを発言しているからだろう。それは理解できている。
でも、だって! 偽善だろうが、最善を尽くしてもいいんじゃないだろうかと思うのだ。マルヴィナ様は隣国に嫁がれることが決まっている。そうしたら、滅多に帰省なんてできないのではないか。つまり、もう二度とヴィンスさんを見掛けることだってないのかもしれない。だから私は一生懸命考えて……
「あーおかしい。お嬢さん、優しいんだねえ。流石は【聖女】様ってやつだ。でもね……マルヴィナ嬢にとっては迷惑だよ」
イザベラ様の笑い声がやんで、豪速球が私に投げつけられた。
「貴族の令嬢はね、ちゃんと覚悟がある。公爵家ともなれば立場を十分に弁えているものさ。少し走ってしまっても、止められたら身を引く。マルヴィナ嬢はきちんと止まった。公爵である父親に咎められ、それでもヴィンスに直接謝罪の場を設けて貰った。それで十分なのさ」
きっと、私がマルヴィナ様を思ってあれこれと考えていること自体、有難迷惑なのだろう。私がしようとしたことは、マルヴィナ様の公爵家令嬢としての矜持を傷つけてしまうのだろう。
イザベラ様は、苦笑する。
「私も一応、侯爵家令嬢というヤツだからね。彼女の気持ちも多少はわかるのさ」
「そうそう、師匠ってばこの国最高齢の既婚歴のない独身令嬢ですもんねー」
「燃やされたいのかい、ドウィー!」
ドウェインさんに向かって手をかざすイザベラ様を、ランドン宰相が慌てて止める。ここで魔法を使ったら大惨事になるだろうし、王太子様が危険にさらされる。ラルフお義兄様やヴィンスさんが守り抜くだろうけれど、とりあえずドウェインさんはイザベラ様に向かって舌を出すのはやめた方がいいと思う。