絢子、顛末を知る。1
ドキドキして仕方ないんだろうな、とは思っていたが、まさか気まずい思いをするとは思わなかった。こんなにも気まずいお茶の時間は、この世界に招かれてから初めてである。
ブランシュさんに淹れて貰った薔薇の香りがする紅茶に、お菓子はシフォンケーキ。クリームをたっぷりと付けて食べたらふわふわの食感がなんとも言えない。まるで空気を食べているような軽さなのに食べ過ぎたらカロリーが凄いことになる一品だが、しっかり楽しめそうにないのは目の前のヴィンスさんのせいである。
無言で紅茶を飲むヴィンスさんは、いつもより落ち着きがないようにも思える。こちらをチラチラと伺い見ているからだ。視線が合う度に私がヴィンスさんにヘタクソな笑顔を向けてしまうのは、何度も同じことを繰り返しているからに違いない。
なにかあったのだろうか。挙動不審一歩手前になるくらいのことが、ヴィンスさんにあったのだろうか。
……まさか、マルヴィナ様となにかあったのかな?
チクリ、と胸が痛む。私がようやくヴィンスさんへの想いを自覚してから、あの捕縛劇から、まだ一日しか経っていない。もしかしたらその短い期間で、私の護衛をしていない午前の時間帯にマルヴィナ様に応じたのかもしれない。その場合はラルフお義兄様が同席しているはずだから、滅多なことはなかったのかもしれないけれど。
その報告なのだろうか。報告してくれるのは有難いが、こうやって私を窺うのは余計なことを考えてしまうので、きっぱりすっぱりとして欲しい。
「あの、どうかされましたか」
痺れを切らした私は、軽いジョブを繰り出す。
「いや……これまで調子に乗っていた自分を反省して……これからアーヤとどう接したらいいのかと、すっかり自信をなくしている」
紅茶を置いたヴィンスさんは、腕組みをして少し俯いた。眉が寄っているようにも見えるが、確かにヴィンスさんの挙動はずっと自信のなさが滲み出ている。いつもの強い姿勢はどこにも見受けられない。
そんなヴィンスさんに、私は驚いている。強引だとは思ったけれど、もう少しゆっくりのペースをお願いしたけれど、それらを反省してどう接したらいいのかなんて悩むとは思わなかったからだ。反省して悩むことを否定しているわけではない。ヴィンスさんのそういう面を見ることができて、嬉しいとさえ思っている。格好悪いからと隠したがる人ではなかったことに、多少の優越感さえある。もしかしたら他の人が相手でもそういう面を見せるのかもしれないけれど、私にも見せてくれることが嬉しいのだ。
ほらほら私だってヴィンスさんのそういうところを知っているんだぞ、エッヘン!
口元がニマニマと緩んでいるのを自覚しながらも、私はヴィンスさんとは逆に調子に乗って、軽く右ストレートをお見舞いした。
「反省なんてしなくていいです。これまで通りでいてください。反省して自信をなくしてるヴィンスさんも好きですけど、いつものヴィンスさんも好きです」
「……っ!」
「……あ」
しまった、調子に乗り過ぎた。これじゃ軽くじゃなく、強烈な右ストレートでノックダウンの勢いだ。
ボンっと顔を真っ赤にした私がどうにか逃げようと立ち上がると、正面に座っていたヴィンスさんも勢いよく立ち上がって私の腕を掴む。そのまま隣に移動してきたヴィンスさんに強制的に座らされた私は、せめて赤い顔を見られないように俯くことしかできなかった。
「すまない、もう一度言ってくれ」
「かんべんしてください……っ」
「そうだな、アーヤだけに言わせるのは卑怯だな。君が好きだ。君の想いも聞かせて欲しい」
倒れなかっただけ褒めて欲しい。ヴィンスさんに両手をにぎにぎとされながらも想いを告げられるなんて、頭が沸騰して倒れても不思議ではない。それをぐっと堪えた私は、表彰されてもおかしくないくらい偉いだろう。誰か褒めて欲しい。
こんなところを、きっとヴィンスさんを狙うご令嬢方に見られたら阿鼻叫喚だろう。もしもマルヴィナ様に見られたら……どうなるんだろうか。ヴィンスさんを疑ってはいないけれど、生粋のお嬢様、しかも私よりずっと若いご令嬢が相手だと、やはり弱気になってしまう。私がヴィンスさんの婚約者なのだから胸を張ればいいが、持てる武器が弱すぎて強気になれない。聖女という肩書きが強いとも思っていないので、まだまだ聖女の自覚さえも足りないのだろう。
だから、ついついポロリと零れてしまうのだ。
「マルヴィナ様じゃなくてもい……いいえなんでもありません今のはナシです忘れてください!」
しまった、と思った時には言い切った方が早いくらいのところだった。強引に取りやめて捲し立てるようになかったことにしようとするが、果たして。
残念ながら、つい口から零れた私の弱音をヴィンスさんは逃がさなかった。必死で抵抗しても、捕まえられた両手は振り解けない。
「昨日も言ったが、俺はアーヤだけだ。……そうか。なんだ。こんなにも解り易いんだな、アーヤは」
うっとりと、とろけるような甘い表情で微笑まれたら、私はもう倒れるしかなかった。ぐるぐると目を回せば、そのまま意識を手放せばいいのだ。
そう思っていたのに、このスウィートルームはそもそも私とヴィンスさんの二人きりじゃないことを、私は失念していたのである。
「もういいかな? もういいよな? はいはいごめんねー。邪魔したくなかったんだけど、団長命令だからヴィンスをあっちに行かせるからな?」
声がすると、私はヴィンスさんの手を思いっきり振り払った。さっきは必至で抵抗しても振り解けなかったのに、あっけなく解くことができた。どうやら恋愛脳になって体の動きまで染まっていたらしい。恋愛は怖い。
まるで油切れの機械の如く、グギギギと首を動かして声の方に顔を向ける。すると、にやにやと笑っている顔が見えた。
「い、いいいい、イアン、さんっ?!」
「へいへい、イアンさんですよ。アーヤごめんね、声掛けもしたし結構大きな音立てて扉も閉めてみたんだけど、二人とも気付かないから至近距離で見守ってた」
最悪である。一人掛けのソファに隠れるような位置は、確かに至近距離だ。こんなにも距離を詰められていたのに気付かないだなんて、私はまだいいけれどヴィンスさんは騎士失格レベルじゃないのか。ちらりとヴィンスさんを見れば、その事実に少し蒼褪めているようにも見える。
「もう少しこう……話に割って入るとかしていただけたら嬉しかったですね……」
「そんなことしたら俺がヴィンスに殺されんじゃん。やだよ。俺の夢はまだ叶ってないのに」
「イアンさんの夢って?」
「グレイアム辺境伯領で参謀として大暴れすること!」
親指を立ててウィンクまでして見せるイアンさんの頭を、ヴィンスさんが容赦なくグーで殴った。至近距離に気付かなかったことと、突然のイアンさんの出現に腹が立ったのだろう。痛がってギャーギャー抗議するイアンさんをひと睨みしたヴィンスさんは、とろけるような笑顔からはほど遠い、苛立った表情に変わっていた。
「うるさい黙れ、喚くな。……それで、ラルフさんが俺を呼んでるんだろう?」
「ったく……そうだよ。アーヤの護衛は俺と交代。詳しくはオスカーさんから聞いてくれ」
「お前の仕事は終わったのか」
「まあ一応は? あそこまで吐かせりゃ、あとは他の奴らに経験積んで貰ってもいい」
そうか、と返したヴィンスさんは、大きな溜息を吐いてから私の方に向き直り、そっと左手を掬い上げる。私は少し逃げ腰になりながらも振り払わずにいると、ヴィンスさんはとても自然な仕草で私の手の甲に口付けた。そこで振り払わなかったのは、昨日までの自信満々なヴィンスさんの笑顔があったからだ。
「アーヤ。また来る」
「……う。はい」
なんとか返事をした私にフッと微笑んだヴィンスさんは、そのままスウィートルームから退出した。
「アーヤ、平気? 大丈夫じゃないっぽいけど大丈夫か? ブランシュ、アーヤのお茶新しくしてあげてくれ。あと俺にもお茶となんか甘い物くんねえかな」
「はい、ただいま」
その場に固まって動けないでいる私を心配しながらも、イアンさんは私を追い詰める。そうだ、ブランシュさんもスウィートルーム内にいるし、なんならロドニーさんの部下の皆さんもいるのだ。そんな中で二人きりの世界にいた私とヴィンスさんは、一体どんな目で見られていたのだろう。そう考えると、今すぐにベッドに潜って丸くなりたい気持ちになった。