幕間:今更湧いた自信のなさに ―ヴィンセント・グレイアム
渋い顔をしたラルフさんが、俺を見て溜息を零す。呼んだのはラルフさんなので、そんな対応をされるのは心外である。頭を抱えてもう一度溜息を零されたので、ご用件は、と簡潔に訊ねた。
「ああ……悪い。先を考えたら胃が痛くなってきた。アドルファス公爵への説明を、誰かに代わって貰いたいくらいだ」
「そうですね……イアンにでも行かせますか」
「イアンは今、嬉々として尋問中だ。自白できない呪いは掛っていないらしく、どうやって吐かせようかと嬉しそうにしていた」
それはあのフィランダー・バブスに少し同情してしまう。妃殿下やアーヤを狙った件ではまったくひとかけらも同情できないが。するつもりもない、と言った方が正解か。
とにかく俺は、どんな理由があったとしてもヤツを許すつもりはない。王太子妃と【聖女】を狙った罪は、陛下を呪ったギルバート・カーライルと同等に重いだろう。もしかしたらそれ以上かもしれないが。
私怨ではなく、一国の君主や王太子の妃よりも【聖女】の方が単純に尊ばれるからだ。アーヤがこのプレスタン王国以外にいて同じようなことが起こったとしても、同様の対応になるだろう。
「お前も尋問に混ざるか?」
「規定により、被疑者や被害者に近しい存在は尋問を行うことができません」
「そうだな。だから私も、ここで報告を待つしかない。規定さえなければ今頃尋問に加わり……まあ、きっちりと吐かせているだろうな」
「ギリギリ、イアンが規定から外れています。アイツにしっかりと仕事をして貰いましょう」
まるで友人のように接してはいるが、イアンはアーヤの護衛の一人だ。それ以上でもそれ以下でもない、と誰かに指摘されたらラルフさんはそう押し通すつもりなのだろう。仕舞いには公爵家の名を使い、黙らせるのかもしれない。普段は本人が言うように善良な狸だろうが、こういう時ばかりは古狸の面が出てくる。
「ところで、お前を呼んだ理由だがな……マルヴィナ嬢のことだ」
なんとなく、そうだろうとは思っていた。尋問に参加できないことはわかりきっていたので、俺はアーヤの護衛を優先せねばならない。それなのにロドニーと交代させたのだから、なにかしら重要な話があるのだろうことは察していた。それが、マルヴィナ嬢のことだということも。
正直、俺はそのご令嬢のことはどうでもいい。できれば関わり合いたくはない。というのも、これまで【英雄】の名に言い寄って来たご令嬢方と似た雰囲気を持っていたからだ。ご実家のアドルファス公爵家がなにを考えているのかは知らないが、俺にはもうアーヤという婚約者がいるので関わって欲しくない。
「不快です。誘いに応じることはありません」
「そう切って捨てるな。相手は公爵家の令嬢だぞ」
「アーヤも公爵家の令嬢です。家格は双方ともグレイアム家よりも上だということは承知しております。しかし、アーヤが俺を選ぶならば、アドルファス家のご令嬢に応じることはありません」
個人で言えば、【聖女】であるアーヤは王家よりも、【英雄】と称される俺も王家に並ぶ程度には身分は高いとされている。俺は【英雄】の身分を振り翳すつもりはないので国仕えの騎士としているが、それに対してあちらは公爵位を持つ父親の娘だというだけだ。
きっぱりと言えば、ラルフさんは愉快そうに笑った。
「……それで? 我が義妹は、お前を選んでいると」
一転して冷めた目に見られてしまい、俺は言葉を失う。そうです、という言葉が喉をつかえて出て来なかった。アーヤが俺を想ってくれている自信が、これっぽっちもなかったからだ。
晴れて婚約者になり、自分なりにアーヤとの未来で幸せが続くようにと距離を縮めようとした。政略的な婚約だが、できれば俺を想ってくれたらいいと思い行動に移したのだ。術者をおびき出すためとアーヤの傍には【英雄】がいることを知らしめるために城内を散歩した際は、いい機会だと思ってより密接にエスコートまでした。その件に関しては、お茶会の折にアーヤに助言した妃殿下と、その助言を絡めて城内の散歩を提案したイアンに感謝したい。
それでも恥ずかしそうにするだけで嫌がりはしないが、しかしアーヤからの想いはないように感じたのだ。
俺が少し俯くと、三度目の溜息が聞こえて来た。
「ああそうだ、今夜はアーヤと夕食を共にしよう。そういえば義理の兄妹になったというのに、ゆっくりと話すことはなかったな。その際に訊いてみようか、婚約者殿とのことを。なんて返してくれるだろうか。義兄としては、とても愛されて幸せです、くらいは言って欲しいが……それもそれで悔しいな。いやはや、まるで義妹というよりは娘を嫁に出す父親の気分じゃないか」
これは愉快で不愉快だな、などと言いながらも席を立つラルフさんを、俺は驚いた表情で凝視してしまう。
「……もし応じねばならなくなった際は、私も同席しよう。アーヤの返答次第ではあるが、義兄としてマッケンジー公爵家からあちらに釘を刺さねばならん」
背中を強めに叩かれた俺は、呆然としてしまったのでよろけてしまう。それをクククッと笑ったラルフさんはそのまま扉を開けて騎士団長の執務室を出て行ってしまった。今夜の食事はなんだろうか、と楽しげにしながらも。
◇◇◇
いつもならばざわついている食堂も、今日は少し静かだ。大きなことがあり出払っているからで、俺も本来なら指揮をとらなければならない立場にあるが、今はラルフさん共々待機の状態にある。……とはいえ、ラルフさんは今頃アーヤと夕食を共にしているのだろうが。
ともかく、静かな食堂で一人で食事をしていると、お疲れ、という声を掛けてイアンが正面に腰掛けた。手には本日のおすすめの魚料理ではなく、麺料理の皿がある。その昔、イアンが尋問に当たっている際にその量で足りるのかと訊いたことがあるが、この程度が丁度いい、と返って来たことがある。少し足りないくらいの方が、頭がスッキリして尋問しやすいのだそうだ。だから、本日も少し足りないくらいの量の食事なのだろう。
「順調か?」
「まあ……まだ素直に話しちゃくれないかな。気分転換に、ウェスリーのところの若いヤツと交代して来た」
「経験させるのはいいが、尋問相手を考えろ」
「大丈夫だって。オスカーさんと一緒だから」
ラルフさんよりも二十歳も年上の御仁は今では若者の育成に精を出しているが、若い頃はイアン以上に尋問に長けていたと、古株の方々は言う。その話を聞いた時にイアンにオスカーさんへの弟子入りを勧めてみたが、オスカーさん側から自分よりもラルフさんに師事しろと断られたようだ。確かにラルフさんの尋問は華麗だ。公爵家当主の品と圧もあり、閉ざされた口が軽くなるのも早い。
「で、アーヤには今、誰が護衛に付いてんの? ロドニー班だけ?」
「ラルフさんが夕食を共にしている」
「今まで黙ってたけど、団長ってアーヤに過保護すぎねえ? 義理の妹とはいえ、アーヤはあらふぉおだぜ?」
「夫人や先代夫人以外は男所帯なんだ、突然できた義妹が可愛くて仕方ないんだろう」
「まあ、それはお前にも言えるけどな。ウェスリーが言ってたぜ、副団長って婚約者にあんなにデレデレなんですね、って」
食事の手を止めてイアンを睨むが、ニヤニヤとされてしまう。
「俺もすっごいビックリした。いくらアーヤが疲れてそうでも、いきなり抱き上げるとかねぇわ。そうやって二人きりの散歩も過ごしてたんだ? お前に懸想するご令嬢方や【英雄】を取り込もうと必死なお偉方たちザマアミロご愁傷様ぁ~」
口悪く言いながらも食事をするイアンだが、俺は逆に食欲が失せてしまった。それを目敏く見つけたイアンが眉を顰める。
「どうしたよ。俺としては、そのくらいの独占欲は示してた方がいいと思うぜ?」
「……いいんだろうか」
「なにが」
「俺がから回っているだけなんじゃないか」
「……は?」
ラルフさんとの会話から、すっかり自信をなくしている。これまでの己の積極性でアーヤを困らせているのではないかと、情けなくも消沈しているのだ。
アーヤを抱き上げた時、しきりに降ろしてくれと言っていた。恥ずかしいからではなく、本気で嫌がっていたのではないだろうか。降ろした後の安堵の息も、恐怖から解放されたからではないのか。名前も、愛称で呼ぶように強制した。呼び捨てではなく敬称を付けるのは、彼女なりに精一杯距離を取った結果なのではないか。
イアン相手だからと口が滑り、吐露してしまう。静かに聞いてくれていたイアンは、段々と眉間の皺を濃くした。
「やべえ……馬鹿がいる……団長に報告しよ……」
「おい」
そして、イアンは頭を抱える。こんなことをラルフさんに報告しなくとも気付いているに違いないから、改めて話さなくていい。
俺がムッとすると、イアンは困ったように笑う。
「いや、だって、なに言ってんだって話だぜ。アーヤ、お前のことすげえ好きじゃん」
食事を再開させたイアンが、食べないなら甘味ちょうだい、と手を伸ばして攫っていく。食欲がないので咎めることはしないが、そんなことよりも今俺はなにを言われたのか。
呆然とイアンを見続けると、やっぱり駄目? と甘味を返そうとしてくるので押し返した。
「いい。お前、甘味が好きだろう。それよりも……アーヤがなんだって?」
「あんがと。だから、アーヤはお前が好きだって言ったんだよ。自信持てよ馬鹿。傍から見りゃ、お前ら相思相愛だぜ」
イアンが言っていることを理解するのに時間が掛かる。相思相愛、という言葉を何度も頭の中で繰り返さなければならないほどだ。そうしてようやく理解した俺は、顔が赤くなるのを自覚した。
一方通行かと懸念していたが、イアンから見たらそうではなかったらしい。解り易く自分は行動していたが、解り難くもアーヤからの想いは周囲に見えていたようだ。
片手で顔半分を覆ってなんとか表情を見られないようにしている俺に、イアンは更に続ける。
「ウソだと思うなら、アーヤ本人に訊いてみろよ。顔を真っ赤にして答えてくれんじゃねえかな」
「……っ」
ニヤリとイアンが笑うが、俺はなにも返せない。ただただ赤い顔を隠すことしかできない。一つ二つと深呼吸をして冷静さをなんとか取り戻すと、甘味に手を付けているイアンに俺が返せたのは、この言葉だ。
「こういうことはゆっくりお願いします、と言っていたアーヤの気持ちがわかった気がする」
イアンは少し思案して、声を出して笑う。きっと、俺に押されて慌てているアーヤを思い出したのだろう。そうだな、お似合いだぜ、とイアンが言うから、俺はもう少しアーヤの気持ちを考えて行動しようと誓った。
明日からお昼の12時半ごろに一回と、夕方ではなく夜の22時半ごろに一回、更新します。
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