絢子、嫉妬する。4
このままでは悪役令嬢になってしまいそうである。年齢など関係なく正々堂々と戦うなんて思ったが、嫉妬に駆られてなにかしてしまいそうだ。私は念じたらなにかしらできてしまう聖女なので、気を付けなければならない。聖女が悪役令嬢に闇堕ちとか洒落にならないだろう。エル様も世界を平和にする星の渡り人が闇堕ちとか望んでいないはずだ。もし闇堕ちしたら、それこそ指差して笑いそうではあるが。だってエル様はおふざけ様だから。
「アーヤ様、私も夫からいろいろと聞いておきます。それよりも……アドルファス公爵家のマルヴィナ様のことは、明日にでもブランシュに訊いてみたらいかがでしょう。彼女は嫁がれる以前の王太子妃殿下の侍女を務めておりましたし、マルヴィナ様は王太子妃殿下のご友人です」
私はマリーネさんの手を取った。そして小さな声で、いいんですかね、と訊ねる。するとマリーネさんはにっこりと笑って、私たちはアーヤ様の味方ですよ、と言ってくれた。その言葉が嬉しくて、闇堕ちから遠ざかったような気がした。
◇◇◇
その夜の食事は、何故かラルフお義兄様がふらりとスウィートルームにやって来たのでご一緒した。騎士団の食堂で得た夕食を私の分まで持って来たので、遠慮なく受け取る。いつもはお世話係の二人と食事を一緒にとるので、公爵様相手だとテーブルマナーが心配だ。別にテーブルマナーが必要な料理ではないけれども、緊張したら普通のこともできなくなりそうだ。
「今夜は魚料理だ。食後の甘味もあるぞ」
騎士団の食堂のご飯は、美味しい。よくある異世界転移とか転生では食事がまずいから改革しようとする主人公がいたりするけれど、この世界はそんなことはない。紅茶もお菓子も美味しければ、食事も満足できるほど美味しい。イメージとしては喫茶店のお食事メニューのような、ちょっといいところの賄いメニューのような、都会にあるバルのメニューのような、洋食だけではあるが結構多彩だ。日本人としては醤油やお味噌が恋しかったりもするけれど、ないならないでないことに慣れたらいいだけの話である。多くは求めない。食べられるだけありがたいのだ。ただ、お米が食べたい欲はまだ抑えきれていない。主食だったのだ、あれはかなりの時間を要するに違いない。
ラルフお義兄様が運んできてくれたのは、お魚料理とスープとサラダ、それにふかふかのパンだ。そしてデザートは硬めのプリン。トレイに載ってはいるが、二人分を運ぶ騎士団長様というか公爵様を見て、門番をしているロドニーさんの部下さんたちはどう思ったのだろう。イメージが崩れたとかなら、大変申し訳ない。私のために運んでくれたんです。
それにしても、もしやこのお魚は私がこの世界に招かれて一番気に入っているお魚料理じゃないだろうか。
「わー! このお魚のソテー、好きなんですよね。ソースが絶妙な酸味で、魚の身のほんのりした甘さと合わさるとすごく美味しいんです」
「私もこの料理が出るとペロリと食べてしまう。……しまったな、もう少し量を多くして貰えばよかったか」
私がキラキラとした目で力説すれば、ラルフお義兄様の笑顔が深くなる。味覚が同じだなんて、血は繋がってはいないけれどちゃんと家族のようだ。
「いえいえ、私はこの量でも少し多いくらいなので。よければお義兄様に少しお分けしましょうか?」
「そうやって食事の量が少ないから体力も付かないんだぞ。とはいえ、無理に食べることもない。義兄が食べてやろう」
ラルフお義兄様がお茶目に笑うと、緊張がほぐしてくれることに気が付いた。おかげで食事中の失敗はなくなりそうである。流石は公爵様、さり気ない気遣いがありがたい。別の場面では気遣って欲しかったけれど、今は感謝である。
ラルフお義兄様に私の分のお魚を少し取り分けると、ゆっくりと食事が始まった。そういえば、義兄妹になったとはいえこんな風に二人で話をするのは初めてだ。
「……今日はすまなかったな。できれば巻き込みたくはなかった。怪我などの報告はないが、なにもないな?」
「ええ、ご心配いただきありがとうございます。あの時、強く念じ続けたので疲労感はありますけど、多少は回復しています。今夜はすぐにでも寝るつもりです」
「ああ、そうしてくれ。後日また殿下とお会いすることになっている。先にわかっている範囲で騎士団からは報告を上げているが、アーヤからはまだなにも聞いていないからな。それまではゆっくりして欲しい」
それならば簡単に頭の中で整理しておくべきだろう。見たことや感じたことを時系列順に伝えたらいいだろうか。
私が早速思考をそちらへ連れ去っていると、ラルフお義兄様が食事の手を止めた。私をジッと見て、申し訳なさそうな顔をする。
「ええと……どうしましたか、お義兄様」
「マルヴィナ嬢のことだ」
出た、マルヴィナ様。私が闇落ちするきっかけになるだろうご令嬢。ラルフお義兄様がどんな話をするのかは知らないが、私を嫉妬させるような言葉を言わないで欲しい。その思いが届き過ぎたのか、ラルフお義兄様は苦笑いを見せた。
「……いいや、やめておこう」
「どうしてです?」
「ヴィンセントを取られたくない、という顔をしている。それで十分だ」
そう言って食事を再開させるので、私は取り残されたままになる。ラルフお義兄様は私の表情で満足しようだが、私はチンプンカンプンだ。この際、ヴィンスさんを取られたくない顔とやらは置いておこう。しかし、その顔でなにを汲み取ったのだろうか。
「なにが十分なんですか? そりゃ、取られたくないって、思ってはいます、けど……」
「ああ、だからそれならいいんだ。婚約の件は強引だったし、私たちはどちらかといえばヴィンセント側に付いてしまう。アーヤが流されたことを利用している自覚もある。だから、ヴィンセントを想う顔を見られただけで十分なんだ」
つまりラルフお義兄様が思っていたよりも私とヴィンスさんは相思相愛だから、マルヴィナ様が間に入る隙間なんてない、とマッケンジー公爵家から堂々とお出しできるとラルフお義兄様が理解した、ということなのだろうか。声高々に宣言されるのは恥ずかしいが、ちゃんと私がヴィンスさんの婚約者だと示すためには必要なことだろう。弱気になっていたら、いくら私が聖女であろうと横から掻っ攫われてしまう。こちらは公爵家だがあちらも同じ公爵家なので、油断はできない相手だ。
「それは……まあ……その……はい……ちゃんと、ヴィンスさんが好き、です、けど……」
とはいえ、自分で口にするのは羞恥心が勝つ。もごもごとだけれど、口にしただけ偉いと褒めて欲しいくらいだ。そんな私に、ラルフお義兄様は安心したような笑顔を向ける。
「それならよかった。義兄としては少し面白くないがな。……マルヴィナ嬢のことは気にしなくていい。公爵家令嬢として分別は弁えているはずだ。だが、どうしてもヴィンセントと話がしたいと言ってくるなら、私が同席しよう」
「私じゃなくてもいいんですか?」
そういう場合は婚約者がしゃしゃり出て、わたくしの婚約者に馴れ馴れしくしないでくださいませ、と言った方がいいのではないだろうか。それだと悪役令嬢まっしぐらかもしれないが、牽制はしておくべきだと思う。
「アーヤがマッケンジー公爵の義妹でありヴィンセントの婚約者だときっちりと伝えねばならんから、私がいいんだ」
義兄であり当主である自分の仕事だとラルフお義兄様が言うので、なるほど、と感心する。確かにラルフお義兄様が出て行った方が、あちらもきちんと対応してくれるだろう。それならば私はただヴィンスさんを信じて、ラルフお義兄様に甘えておくべきだ。
「それでは、その時はそのように、お願いします」
私がお辞儀をすると、ラルフお義兄様はなんだか複雑そうな表情をしていた。ムッとしているようにも見え、その表情のままに私の頭に手を伸ばす。
「義妹ができたのは嬉しいんだが、早々に嫁に出さねばならんのは納得できんな」
剣を持つ手に相応しい武骨な手でゆっくりと頭を撫でるラルフお義兄様に、スーパー飯山の店長を思い出してしまった。流石にこうやって撫でられることはなかったが、従業員に少し過保護なところがラルフお義兄様と似ている気がしたのだ。
私はラルフお義兄様に、元の世界でお世話になった人の話をする。その人とラルフお義兄様が似ていると言えば、ラルフお義兄様は再び私の頭をゆっくりと撫でて、そうか、と困った顔をして笑った。
エル様の嘘つき。郷愁は、少しだけ残ってたよ。