絢子、嫉妬する。3
ロドニーさんの部下さんたちは、命令を忠実に守っているのでただひたすら扉の内と外とで門番をしている。聞き耳を立てたりもするだろうが、基本的にこちらに関心を寄せないように徹しているので空気みたいな存在だ。できればもう少し交流を持ちたいとは思うけれど、発覚した場合のラルフお義兄様とヴィンスさんからの叱責が怖いのでそっとしておくしかできない。またの機会にでも交流の許可を得てみようとは思うけれども。
だから彼らはこちらを気に掛けないので、別にいいのだ。しかし、マリーネさんは違う。交流がものすごくある。むしろお世話になりっぱなしである。そんな彼女が、そっと立ち上がり、気を遣うかのようにその場を離れる。ロドニーさんの部下さんたちに声を掛け、彼らのためにお茶の用意を始める。
私はキュッと口を閉ざしたまま、マリーネさんを恨んだ。できればそばにいて欲しかった。ヴィンスさんと二人きりにして欲しくはなかった。じわりと私に詰め寄るヴィンスさんを、マッケンジー公爵令嬢になにをなさるのですと言って引き剥がして欲しかった。
「なんだ、訊かないのか」
残念だ、とでも言いたげな口調でヴィンスさんが再び紅茶を口にする。私は相変わらず口をキュッとしているけれど、訊けるわけがないではないか。マルヴィナ様とはどのようなご関係なんですかなんて、まるで嫉妬しているみたいに。
そんなものを向けられたって、面倒臭いだけだろう。まだたかが二週間の婚約者なのだ、私は恋人がいる感覚すら思い出せていないのに、一丁前に嫉妬心だけ向けてもヴィンスさんでも困惑するだろう。……困惑するのかな、この人が。だって、客観的に見てヴィンスさんはものすごく私を溺愛している、気がする。政略的なもので決まった婚約者に対するそれではない。
「……訊いて、いいんですか」
「さっきからそう言っている」
「じゃあ訊きますけど……マルヴィナ様とは、どんな関係なんですか」
私が視線を逸らしながらも訊ねると、そっと手を取られた。驚いてヴィンスさんを見れば、それはもう嬉しそうに微笑みながらも私の手の甲に口付けを落とす。
「……っ!」
叫ばなかっただけ、褒めて欲しい。
「心配いらない。俺は、アーヤだけだ」
だからイケメンはずるいのだ。その顔だけで凄まじい破壊力を持つのだから。
私の顔が極限まで真っ赤に染まると、ヴィンスさんは勘弁してくれたようだ。手を離して、クッキーを一つ摘まみながらも紅茶を飲んでいる。私は両手で顔を覆うと、プルプルと震えるしかできなかった。
「ヴィンセント様。ロドニー様がいらしております」
マリーネさんの声掛けに、私はハッとする。真っ赤になってプルプル震えている場合ではない。ロドニーさんはラルフお義兄様に命じられて、ドウェインさんらと一緒に現場検証をしていたはず。なにかわかったのであれば、私にも共有して欲しい。
慌ててヴィンスさんの後に続くと、なにか話しているのを強引に遮る。
「ロドニーさん、なにかわかりましたか?」
「ええと……申し訳ないんですが、アーヤさんにはまだお伝えすることは……」
まあそんな気がしたが、不満はあるのでムッとしてしまう。ロドニーさんは申し訳なさそうな顔をするが、私は協力者で被害者なのに、という思いだ。勿論、騎士団側としてはまだ私に話せる段階ではないのだろうという予想は付いているので、これ以上駄々を捏ねることはしないが。
「ロドニー、職務を優先しろ。それで、俺はラルフさんの所に向かえばいいのか」
「あ、はい。団長がお呼びです。王太子殿下にご報告に上がるとのこと、自分はこのままアーヤさんの護衛に付きます」
了解したヴィンスさんは、先程までの甘い雰囲気をきれいさっぱり消し去って、スウィートルームから出て行った。
私はしょんぼりながらもソファに戻る。なにも情報を得られなかったし、ヴィンスさんがあっさりと行ってしまった。仕方がないので、マリーネさんが淹れ直してくれた温かな紅茶を遠慮なく飲む。
「……では、アーヤさんに話せる範囲でならば話しますが、なにかお知りになりたいことはありますか?」
私に続いてソファに座ったロドニーさんが訊ねた。真面目なロドニーさんが、珍しい。職務を優先しなければならないのなら、この話題はするべきではないはずだ。驚いた表情をつい向けてしまうと、ロドニーさんは困ったように微笑んだ。
「団長から許可を得ております。なので、ご遠慮なくどうぞ」
「なにも、ありませんでしたか。なにか他に被害とか……影響とか」
今更になって、気になってしまった。大体がヴィンスさんのせいで頭から抜けていたけれど、あの黒い靄はちゃんと綺麗に消えたのだろうか。呪いは誰も襲わなかっただろうか。ティフ様は、ご無事だろうか。
「今のところ、なんの報告も上がっていません。すべてはあの男に還ったと、ドウェイン師は言っておられました」
「あのオブジェはどうなりましたか?」
「おぶじぇ……呪具のことですか? それでしたら、ただの置物になったようです。これもドウェイン師が確認済みです」
ほっと安堵の息を吐いた私は、ソファの背凭れに背中を付けた。ロドニーさんの答えだと、なにもない。なにも、起こらない。
私がすっかり安心して気が抜けていると、ロドニーさんは少しピリッとした空気を出す。まだ、気を抜いてはいけなかったか。姿勢を正せば、ロドニーさんが真面目な顔をしてこう切り出した。
「それで、アドルファス公爵令嬢のことですが」
「……あのご令嬢に、なにかあったんですか?」
さっきは被害も影響もなにもないと言ったのに、ロドニーさんは嘘を吐いたのか。
「ああ、いえいえ。先程もお伝えした通り、なにもありません。団長がアーヤさんに伝えておいて欲しいとのことですので、お伝えします」
なんだ、紛らわしい。基本的に真面目なロドニーさんなので、その雰囲気に勘違いしてしまうところだった。
それにしても、ラルフお義兄様から私に伝えておいて欲しいこととは一体なんだろう。
まさかね、という嫌な予感は当たってしまうのか。ラルフお義兄様がご令嬢のことで私に伝えることなら、そのことだけのような気がする。しかし、先程の本人の反応からすると……まさか隠されたのだろうか。アーヤには関係ないことだからと、ヴィンスさんは決めつけてしまったのだろうか。こうやって知らされた方が、私は傷付くのに。
「……マルヴィナ様は、ヴィンスさんの元婚約者、ですか?」
どうしてだろうか、血の気が引いたような気がする。目の前が真っ白になりそうな気がして、それで気が付いてしまった。今更ながらに、ストンと私の中に綺麗に収まったのだ。隠されたことをどうして嫌がったのか、どうして傷付くのか、その言葉がしっかり嵌って腑に落ちた。
私は、ヴィンセント・グレイアムという人物が好きなのだ。
気が付いたからか、ロドニーさんの声どころか顔さえも見ていられなくて、ぎゅっと目を瞑って耳を塞いでしまう。マリーネさんが私の背に手を当てて優しく撫でてくれるけれど、なにか声を掛けてくれるようだけれど、自分で言葉を発しておきながらも正解を知るのが怖い。今は私がヴィンスさんの婚約者なのに、元婚約者という立場の人が怖い。
けれど、いつまでもこうしてはいられない。マリーネさんに迷惑を掛けている。ロドニーさんだって困惑しているに違いない。だから、しっかり目を開けて、言葉を聞かなければならない。
「だ……だいじょうぶ。落ち着きました。ロドニーさん、ちゃんと、教えてください」
涙が滲んでいたので拭って、マリーネさんに感謝を伝える。それからようやくロドニーさんに向き直ると、案の定ロドニーさんは困惑していた。
「それならいいんですが……ええと、結論から言えば、アドルファス公爵令嬢は副団長の元婚約者ではありません」
「……うそ」
そりゃあ困惑するだろう。恥ずかしい。今なら羞恥心であの世に逝ける。エル様がそこにいるなら指差して笑いそうだ。だってあの神様はおふざけ様だから。
羞恥で顔を真っ赤にしていると、ロドニーさんが申し訳なさそうに続ける。
「ただ、アドルファス公爵令嬢は副団長のことを気に掛けていらっしゃるようです。テレンス小隊長がアドルファス公爵の元へご令嬢を送っていった際に、副団長とアーヤさんのことを訊ねられたそうなので、確定、かと……すみません」
私がプルプルと震えているのを、ロドニーさんは憤りと解釈したようだ。違う。恥ずかしいだけなのだ。つい先程の羞恥を引き摺りつつ、新たな羞恥も加わってプルプルと震えているのだ。
その新たな羞恥とは、年齢である。私はアラフォーのオバチャンなのである。十年振りの恋人に恋心を暴発させた初心者返りなのである。マルヴィナ様は恐らくはまだ二十代で、対抗意識を燃やす自分が恥ずかしくなったのだ。
いいや、恋愛に年齢は関係ないが、私はオバチャンをそれなりに自覚しているので若者相手になにしてるんだ、という思いが強くなったのだ。とはいえ、もしマルヴィナ様が私に恋のライバル的な敵意を向けるのなら、年齢など関係なく正々堂々と戦うつもりではいる。自覚したばかりだが、私だってヴィンスさんがちゃんと好きだ。
「いえ、私こそごめんなさい。早とちりしてしまった挙句に、羞恥心で死んでしまいそうになってました。ええと、マルヴィナ様のことはヴィンスさんはご存じなんですか?」
ロドニーさんが首を縦に振るのを、私はどうしてこんなにも腹立たしく感じてしまうのだろうか。




