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絢子、転移する。2

 誰か酒をくれ。日本酒が好ましい。ビールは好きじゃないから、取り敢えず日本酒をくれ。ちょっと辛口のヤツがいい。

 ――そう、単純に現実逃避がしたいのだ。

 目が覚めるとそこは、高級ホテルのスウィートルームみたいな部屋のベッドの上だった。どういうことだ。しかもお姫様御用達の天蓋付きのベッドだ。

 これはまだ夢の中だな、と思い込むことにしてもう一度目を閉じてふわふわでフカフカのベッドに潜り込むけれど、抓んでみた頬っぺたがちゃんと痛いので夢ではないのだろう。布団から顔を出し、もう一度ベッドの周囲を見てもレースが見事な天蓋が目に入るだけだった。

 意を決して上体を起こすと、まずはベッドから降りようと思う。服装は見覚えのある花柄プリントのシャツとジーンズなので、十分に動き易い。そばに私のバッグがあれば、携帯電話で助けを求めよう。警察でいいのだろうか。警察は助けて……いやだめだ。駄目なことはないが駄目だ。警察を呼ぶとなると、自首の覚悟を持って呼ばなければならない。何故なら私は知らない建物内で覗き見をしたからだ。

 そうだ、私はワケわからんけど温泉施設っぽいところに瞬間移動してお兄さんの裸を見てしまい、騎士服っぽいのを着た別のお兄さん二人に押さえつけられたのだ。そこからの記憶がないのは、私が気絶したからだろう。人生初の気絶だ。どれだけ体調悪くても目眩が酷くても、これまで気絶なんてしたことなかったのに。

 ――ということは、私はこのお姫様みたいな部屋で介抱されていたってことだろうか。目が覚めたら牢屋行き? となると、警察は既に……


「失礼。目が覚められましたか」

「ひゃあうあぁ?!」


 私が頭を抱えていると、男の人の声がする。突然過ぎて奇声を上げてしまった。それに驚きながらも天蓋をくぐって現れたのは、あの騎士服っぽい男の人だ。もしかすると、警察の人だろうか。それにしても日本人顔はしていないし、騎士服が妙に似合っている。私がわかるのは、この人は私が覗き見をしてしまったあの裸のお兄さんではないということだけ。


「ええと、お加減は如何でしょうか。貴女が倒れられて一日弱といったところなのですが、強く押さえつけてしまいましたので、体の痛みなどなければいいのですが」

「いちにち……いや、はぁ……まあ、多分大丈夫、です」


 そんなに眠っていたのか。おそらくきっと、日頃の疲れとかストレスとかで体が休息を求めてたのだろう。それと現実逃避もあると思っている。あとは体は……さっきジタバタしたけれど、特に痛いところはない。

 私の返答にホッとしたのか、お兄さんは笑顔を見せてくれた。しかしそれは一瞬で、すぐにしょんぼりしてなんだかしょげた子犬みたいだ。いや、このお兄さんデカいけれど。


「申し訳ありません。副団長に結婚を迫るご令嬢や命を狙う暗殺者を想定しましたので、あのように取り押さえてしまい」

「い、いえいえ、こちらこそ多分不法侵入者だし不審者だろうし取り押さえるのは仕方ないかと。あ、でも大丈夫です? 私を捕まえなくていいんですか?」


 凄く親切に対応してくれるのはありがたいが、私には罪があるのでそこまで優しくされてしまったらあとがツラい。覚悟はもう決めてしまうので、大人しくお縄につくからあんまり優しくしないで欲しい。

 お母さんお父さん、都会に出て行ったお兄ちゃんとお義姉ちゃんと姪っ子たち、家族に犯罪者が出てごめんなさい。店長も今までありがとうございました。どうか私のことは忘れてください。

 するとお兄さんの顔が途端に真っ蒼になる。


「捕まえるだなんてとんでもない! むしろこちらが罰せられる側です!」

「え、お兄さんもなにか犯罪を……?」


 もしやお兄さんは他のお兄さんたちと一緒になにか罪を犯し逃げている最中で、たまたま立ち寄った温泉施設で今後を相談しつつ温泉を楽しんでいたところ、私というワケわからんけど瞬間移動で温泉施設に来ちゃった女と遭遇しちゃったのだろうか。


「は……私はこの国の騎士団に所属する者。罪に手を染める行為など、あってはならないことです!」


 うわぁお、と心の中で驚く。お兄さんの声が大きく、強い思いの言葉だったからだ。疑ってごめんなさい。そう、私だけが罪人です。

 そういう立派なお役目がある人は、本来はこうやって清廉潔白であって欲しい。私利私欲のためとかってヤツは滅されたらいいと思う。勿論、綺麗事だけじゃどうにもならない、という考え方も否定はできないけれど。つまり、やるなら上手くやんなさい、ということだ。


「ロドニー様? お嬢様が目を覚まされたのですよね?」


 お兄さんが再びしょんぼりしちゃったのを申し訳なく眺めていると、天蓋の向こうから柔らかい声が聞こえて来た。

 女性の声だ。


「まあまあ、お加減はいかがです? なにか違和感があるなどございませんか?」


 天蓋を少し捲って顔を覗かせた女性は、なんとメイド服を着ていた。メイド服着てる人を、私は生では初めて見る。動画や写真でなら見たことあるし、二次元じゃ見慣れてるけれど。


「えっと、こちらのお兄さん……ロドニーさん? にも言いましたけど、大丈夫です」

「それはようございました。すぐにお茶をお淹れいたしますわ。ロドニー様はどうぞご報告に」


 お姉さんは綺麗な所作でお辞儀をして離れて行った。大変優雅である。


「彼女がいるから私は席を外しますが……そうだ、名乗るのが遅れました。私はロドニー・キーラン。王国騎士団第三部隊に所属しています」

「あ、御丁寧にどうも。私は塚原絢子(つかはらあやこ)です。えーと、スーパー飯山のレジ係をしています」

「ツカァーヤコ、か。すぅぱぁいー……いぃやぁ? とは?」

「ツカハラ、アヤコ、です。アヤコが名前で、ツカハラが苗字。あと、スーパー飯山はそりゃ全国チェーンじゃないけどウチの県内に十店舗はあるんですよ!」


 雇って貰ってる身だからか、従業員的に難アリだと思う会社でも贔屓しちゃう心がこんにちはしてしまう。会社の経営方針には異を唱えたい末端の人間だけど、こういう気持ちは何故か持ってしまう。

 私が力を込めて言うと、ロドニーさんが困惑したまま謝罪してくる。ごめんなさい、こんなに力を込めることではなかった。これじゃ私が職場大好きみたいだけれど、大好きなのはいつもグチを吐き合う同僚の上石さんと優しい店長だけなので間違えないで欲しい。


「申し訳ないです。ええと、アヤコ嬢。しばらくしたら戻りますが、私以外の者もこの場に来るのでそれまでは寛いでいてください」


 ロドニーさんは困惑しょんぼりしながら部屋を出て行った。ごめんなさい。強く言い過ぎたことは自覚がある。


「お嬢様、お茶のご用意ができました」

「あ、はい!」


 こっちもしょんぼりしてると、さっきのお姉さんに声を掛けられる。

 急いでベッドから降りて、靴を探したらすぐに見つかる私の履き慣らしたスニーカー。有名メーカー物ではないが、履き心地がよくてリピートも三回目だ。そばのサイドテーブルには私のバッグも置いてあって、携帯電話やお財布、免許証や車の鍵もしっかりと確認した。それからスニーカーを履いてお姉さんの所へ向かえば、私をふかふかのソファに座らせてお姉さんはティーカップに紅茶を注いでくれる。

 冷や汗が出た。私は紅茶とか珈琲とかが飲めないのだ。紅茶は子供の頃にがぶ飲みし過ぎて一生分を飲んだ気持ちになって飲めなくなり、珈琲は体質的に合わない。匂いで頭痛がするし、飲んだら吐くのだ。

 しかし出されたのが珈琲じゃなく紅茶なので、飲めるぞ飲める、まだ一生分は飲みきってない、まだイケる、と自己暗示を掛ければどうにかなるだろう。そう思い込みながら紅茶を口にすると、不思議なくらいスルスル飲める。私が一生分飲んだ気になってた紅茶はなんだったの、というくらい飲める。


「つい……おいしくて……」


 恥ずかしくなってそんな言い訳みたいなことを口走っちゃうくらいスルスル飲んじゃうものだから、お姉さんにクスクス笑われた。そのまま楽しそうにお給仕してくれる。


「そのご様子だと、体調の方もよろしいようですね。安心いたしました。こちらのお菓子も、お嬢様のお口に合えばよろしいのですが」


 用意されているのはクッキーだろうか。マドレーヌらしきお菓子もある。あとパウンドケーキ。どれも美味しそうで、ナッツが入ったクッキーを一つ、抓ませて貰った。サックリしていて私好み。ナッツのアクセントもいい塩梅。うん、美味しい。思いの外お腹空いてるみたいで、パクパク食べる。

 それもそうだ、一日弱も寝ていたようだし、そもそも仕事帰りでお腹を空かせていたのだ。お腹空き過ぎてどうでもよくなってたのが復活したみたいにパウンドケーキを二切れ、ぺろりと食べる。クッキーも何枚あったかわからないけれど、気付いたら三枚しか残ってなかった。

 食べすぎたかな……私が申し訳なく縮こまると、お姉さんは気にしてないようでにこにこと微笑んでた。優雅だ。

 お姉さんみたいな人をお嬢様というんのではないだろうか。だからそんなお姉さんに『お嬢様』と呼ばれるのは、すごく違和感がある。


「あの……紅茶もお菓子も凄く美味しいです。ありがとうございます」

「それはようございました。お嬢様に喜んでいただけて光栄ですわ」

「その、お嬢様って呼ぶはやめていただきたいなぁと、思うんです、が……」

「まあ、それは失礼いたしました。ではなんとお呼びいたしましょう」


 お姉さんはどうやら柔軟らしい。頑なに拒否されたらどうしようかと思ったから、よかった。


「苗字の塚原か、名前の絢子でお願いします」

「かしこまりました、ツカァラ様」


 私の名前は、どうやら発音しづらいらしい。絢子でいいですと言ってお姉さんの名前を聞こうとすると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。お姉さんが応対すると、ぞろぞろと数人中に入って来る。全員男性で体格もよくて日本人らしき人は一人もいなくて、私は一体これからどうなってしまうのだろうか。予想ができなさ過ぎて、逆に頭が冷静になった。

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