幕間:忠臣ラルフの忙しない日々2 ―ラルフ・マッケンジー
一つ一つと説明していくうちに、殿下の笑みはますます深くなる。対してこちらは段々と蒼褪めてくるので、その対比の激しさに殿下の怒りがどれほど大きいものなのかが測れるようだった。
「ものすごく遺憾だよ。まさか私のティフが狙われるなんてね」
殿下は笑顔でそう仰るが、決して目は笑うことはない。怒りの大きさは最高潮といったところだろうか。それもそのはずで、あの呪具が呪おうとしているのは殿下の最愛のお妃様なのだから、その怒りが小さいわけがなかった。
「騎士団は早くギルバート・カーライルの罪を自白させて。まとまり次第、私が極刑に処してあげるから。魔導師団もなにやってるの。どうして早く対象を見極められなかったの。【聖女】のアヤコ嬢を呪うのは危険が大きいことは術者もわかっているはずだよ。だから別に対象が存在すると、何故考えが及ばない。この世界随一の魔導師を抱えているのに、どうして見逃していたんだ。……一番腹立たしいのは、自分自身に、だ。妻の危機にも気付かず皆のせいにして八つ当たりをしてしまう、愚かな私に腹が立つ」
すまない、と顔を俯かせる殿下を、誰が責められよう。心中を察すれば、先程の言葉に抗議する気も起きない。それは一番咎められたイザベラ嬢やドウェインも同じようで、ずっと頭を下げ続けている。
「おそれながら、殿下。呪いの発動はアヤコ嬢の【聖女】の力により抑止されております。妃殿下への影響は、今のところ確認されておりません。あまりご自身を責めないでくださいませ」
「……うん。みっともなく取り乱してしまった。きつい言葉を発してしまい、申し訳なく思う。宰相の言う通り、ティフにはなにもないよ。今朝も昼から友人とお茶をするのだと言って、楽しそうにしていた」
笑顔を見せようとするが失敗してしまう殿下は、作り笑顔を諦めて唇をキュッと強く閉ざしてしまった。これ以上口を開いてしまえば、またポロポロとよくない言葉を吐き出してしまうのを止めるかのように。
だから私は、現在得ている報告をさせて貰う。自責の念よりも、今はそちらに感情を動かして欲しかったからだ。早期解決を願っているからだ。
「ギルバート・カーライルはお手上げの状態です。やはり自白ができない呪いをどうにかしなければ、なにも聞き出せないでしょう。それから一つの可能性としての【聖女】を囮にした件ですが、そちらも進展は……私の義妹と婚約者の親密さ、だけですかね」
「呪いの効果はなくとも狙われた事実がある以上、アヤコ嬢には【英雄】が付いていると早急に知らしめるべきですからね。犯人を炙り出せなくとも、次への抑止になれば十分だと思います」
「自白不可の呪いの件ですが、先に報告の通りあれを解くのは無理がございます。たとえ私やドウェインが慎重に進めても、声を奪われたり脳に損傷を与える可能性などあり、非常に危険です。それ故に呪具の方の解析を進めておりましたが……妃殿下の件と、また別の事実が判明いたしました」
イザベラ嬢の説明と共にドウェインが紙を数枚、殿下に手渡す。それを読み込んだ殿下は宰相に次々に渡し、そして私の手にも回って来た。
「資料を御覧の通り、呪具にはアーヤの魔力がまとわりついています。その魔力のお陰で感知遮断は解かれ、呪具の術者がギルバート・カーライルだということが判明しましたが……彼が術者とは言い切れないのが現状です。魔導師団でもその方向で呪具の更なる解析を試みた結果、判明したのはアーヤだけではなく妃殿下も呪いの対象だということ。それから、魔法か呪いがもう一枚、呪具を覆うようにして掛かっています。これにも感知遮断が掛かっていて……正直、吐き気がするほど大変厄介で興味深い呪具です」
この際、ドウェインの瞳が輝いていることは目を瞑ろう。研究好きの心が擽られていることは百も承知だが、今はそれよりも新たな案件に頭を悩ませる時だ。
「……魔導師団としては、どう思う?」
「もしかしたら、感知遮断の向こう側に真の術者が隠れている、かもしれません」
「その感知遮断は、どのくらいで解ける?」
「通常なら私とドウェインなら三日なのですが、これは最短でも五日は掛かるかと」
殿下の問いに答えるイザベラ嬢の口元も緩んでいるように見えるが、こちらも目を瞑っておく。この師弟が研究好きだということは周知の事実なので、すべてが終わった後にでもいくらでも研究すればいい。あとで許可を取ってやるから、それまでは大人しくしていろ。
軍務省の長官として部下二人に頭を抱えながらも殿下とのやり取りを聞いていると、イザベラ嬢が一際愉快そうな表情をした。嫌な予感がして、私は眉を寄せることになる。
「しかし【聖女】のお嬢さんならば、もっと早く解けるかもしれません」
「師匠と考えたんです。無意識下かもしれませんが、アーヤの存在するだけの力は確実に今回の呪具にも作用しています。それならば、アーヤが意識して力を使ったらなにもかもすべて解決するのでは、と」
それはつまり、アーヤにこの国の闇の部分を開示して、更に巻き込ませる、ということだ。
とはいえ、既にアーヤは巻き込まれている。呪いの対象、仮定ではある真犯人をおびき出すための囮。しかしそれらはアーヤ自身が知るところではない。呪いは無意識下の力により阻まれており、囮は婚約者との時間を作って貰っていると思っているだろう。
突然この世界に招かれ、右も左もわからない世界でただ存在するだけで世界に神聖な力で覆うことができる【聖女】の彼女に、できるだけ穏やかで幸せにいて欲しいという願いは、ここで食い止められてしまうのか。
アーヤの身を守るため、後ろ盾を強固にするために義兄となった私にできることと言えば、たとえ叶わなくても反対することだ。
「賛成しかねます。彼女自身が自らの意志で力を使ったことはない。どのように力を使うのかさえもわかっていないのでは? ドウェイン、お前は我が義妹に魔法の使い方を教えたか?」
「それは……彼女の体力が基準値に達していないので、使い方までは教えていません」
「ラルフが義妹を心配する気持ちは理解できるよ。けれど、今の状態がいつまでも続くとは限らない。今日か明日、お嬢さんの力が負けて呪いが発動するかもしれない。それだったら、可能性に賭けるしかないだろう。……ラルフ。今は敢えて、軍務省長官と呼ぶよ。魔導師団の師団長として、【聖女】のお嬢さんの力をお借りしたく存じます」
義兄としては、巻き込みたくはない。我々だけで解決できるならば、そうしたい。
軍務省長官としては、イザベラ嬢の言う通り可能性に賭けたい。いつまでも現状維持とは限らないからだ。
呪いの対象者がアーヤだけならば、我々だけで解決の道を探っただろう。時期を見計らって状況を伝え、ギリギリまで粘ってから彼女の力を借りる選択肢もある。しかし、妃殿下をも呪いの対象となっているのならば、また話は別なのだ。アーヤと同じように無意識下でも呪いを抑制できる力を、妃殿下は持ってはいない。
グッと奥歯を噛み締めてから、私は殿下の御尊顔を瞳に映した。心配そうな、不安そうな、申し訳なさそうな殿下のその表情を曇らせている自分自身を、殴りたくなる。年若い王太子殿下に、武のマッケンジー公爵家当主がそのような顔をさせてはならない。
「……わかりました。しかし我が義妹が否やと言えば、私は義妹の意志を尊重します」
「うん。ありがとう、ラルフ」
「アヤコ嬢よりも、ヴィンセント卿が否やと言いそうですけどね」
宰相の苦笑交じりの言葉に、またもや頭を抱える。最難関は間違いなく、ヴィンセント・グレイアムだろう。
◇◇◇
イザベラ嬢とドウェインが文献を調べるために退出するので、私も気分転換がてら退出させて貰った。アーヤとヴィンセントの日課の散歩の邪魔はしたくはない、との殿下のお言葉でもうしばらく時間はある。一度騎士団の詰め所に戻ってもいいかもしれないと思いそちらに足を向けていると、途中でイアンが駆け寄って来た。
「なにかあったか」
「ご報告します。アドルファス公爵家令嬢マルヴィナ様が、ヴィンセント副騎士団長様にお会いしたい、と。……今はアーヤとの散歩中ですし、この後は予定が詰まってるでしょう? なので適当に忙しい旨を伝えて丁重にお断りして帰って貰いましたが、納得してないカンジです」
我がマッケンジー公爵家を含む四大公爵家が一つ、アドルファス公爵家。当主のマーカス・アドルファスは財務省の長官を務めており、嫡男は殿下の側近の一人だ。末娘のマルヴィナ嬢が単身で王城に訪れるのはそう稀でもなく、よく妃殿下にお会いするために登城している。
しかし、ヴィンセント個人に会いに来ることは今までにはなかった。他のご令嬢ならば、婚約者の座を得ようと躍起になっていた時期もある。ヴィンセントが結婚しない宣言をしてからは、少なくなりはしたが。
「アーヤの出現で、秘めていた想いを表に出した可能性もある、か」
「けれどマルヴィナ嬢は王太子殿下の婚約者候補だったじゃないですか」
「だから秘めていたのだろう。憶測に過ぎないがな。今日は帰っていただく判断で大丈夫だ。もし明日以降もあるならば、その時はヴィンセント本人に確認してくれ。まあ、アーヤがいるので応じることはないだろうが」
俺もそう思います、と断言するイアンに苦笑すると、呪いの件が片付いたら次はこの件が待っているような気がした。
その予感は、少し外れることになる。




