絢子、念じる。4
そうは言われても、私にはどうしたらいいかわからない。魔力はあることはドウェインさんとイザベラ様によって証明されているが、魔法の一つも自らの意志で発動したことは一度もない。無意識下ではしっかり発動して、なんと呪いも阻止したり感知遮断も解いたりしているらしいが、それを実績とみなさないで欲しい。
とはいえ、やれるものならやりたい。お世話になっている恩返しになるかもしれないからだ。この世界に招かれて右も左もわからないただのオバチャンが聖女だったというだけで、とても親切に丁寧に扱ってくださっているからだ。すでに貢献しているのでそんなものはいらないと突っ撥ねられてしまいそうだが、他にもできることがあれば食いつく勢いで協力したい気持ちは持っている。
「どうしたらいいんでしょうか」
蛸の足オブジェをしっかりと握りながらも訊ねる。しかし、ドウェインさんもイザベラ様も、グッと口を噤んでしまった。
まさか、なにもわからない? そんなことって、ある?
確かに私は聖女かもしれないけれど、すべての事柄に対応できるわけがない。むしろその逆で、わからないことだらけだ。私の魔力でキャッキャしてもいいけれど、まずは他にすべきことが私も貴方たちもあるのではないのだろうか。
「……言っておきますけど、本当に、ほんっとうに、私はなにもわからないですよ?! そもそも普通の魔法だってどうやって発動するのかとかもわからないのに、聖女の力を引き出すとかわかるワケないじゃないですか! このオブジェを持って念じればいいんですかね、真犯人は誰だ、とかって!」
文献にはなにもなかった、調べてもわからなかった、などと最高位の魔導師たちは目をそらしながらも言い訳をするけれど、可能ならば二人の頬を抓りあげてしまいたい。エル様の脇腹を抓ったように!
王太子様もランドン宰相も俯いてるんじゃない。ラルフお義兄様は自分は関係ないですみたいにそっぽ向かないで。
「ん~……もう一度エル様に会えたら、聖女の力の使い方とかレクチャーして貰えるかな。ヴィンスさん、どう思います?」
「アーヤ」
「はい? ……あ、えっと……ヴィ、ヴィンス。どう思います?」
呼び捨てにしなかったから名を呼ばれたのだと、この時は思っていた。しかし、ヴィンスさんの視線はガッツリと私に向かってはおらず、私の左手に向かっている。同じように視線をそちらに向けたら、蛸の足オブジェの宝石がやかましいくらいにキラキラと点滅するが如く光り輝いていた。例えるならクリスマスのイルミネーションだが、蛸の足オブジェが煌いていてちょっとしたホラーだ。ぶっちゃけ、気持ち悪い。
「ぎゃあ!」
「うわーっ!」
思わず放り投げてしまった私は悪くない。ラルフお義兄様がキャッチしてくれたので無事だったが、放り投げた先が王太子様の方じゃなくてドウェインさん側でよかったと安堵した。あと、ラルフお義兄様が見事にキャッチしてくれて本当に感謝しかない。
「アーヤ、投げるのは流石によくない。殿下に当たったらどうする。義兄の寿命を縮めないでくれ」
「ご、ごめんなさい、ラルフお義兄様……」
「ぼくにもあやまってぇっ」
「ごめんなさい、ドウェインさん……」
涙目のドウェインさんが一番の被害者だろう。それなりの重さがあるから、当たれば怪我は免れない。
「宝石の輝きが元に戻ったね。ラルフが持ったからか、それともアヤコ嬢の手から離れたからか……」
私がドウェインさんに頭を下げていると、王太子様がうーんと唸っていた。既にイザベラ様が動いており、ラルフお義兄様の手にある蛸の足オブジェをジッと見て調べているようだ。
「殿下。お嬢さんの手から離れたから、の方でしょう。呪具に付着しているお嬢さんの魔力がおかしな動きをしています」
「んー……害はないですよ。なんか、こう、アーヤに戻ろうとしている、みたいな動きですよね、師匠」
「私には、足らない、もっと、と言っているようにも見えるよ」
イザベラ様の言葉で私が安易に想像してしまうのは、触手のようなものが得物を探してうようよしている光景だ。蛸の足に見えるオブジェだからだろう、ねちっこいイメージさえある。たとえ自分の魔力がそういう動きをしているのだとしても、さあおいで、と快く両手を広げる気にはならない。むしろ、こっちに来ないで、と泣きながら拒絶する。
「では……はいアヤコ嬢。もう一度持ってください」
「ひっ……!」
想像で鳥肌が立っている私の手に、ランドン宰相がラルフお義兄様から取り上げた蛸の足オブジェを私に強制的に持たせた。なんて人だ、私の顔色が悪いことを気にして欲しい。
左手に舞い戻った蛸の足オブジェは、再びクリスマスのイルミネーションが如く点滅し始める。
「あっは! すごいすごい、アーヤなんかした? アーヤの魔力がすっごくうねってる」
「なんにもしてないですよぉ! ……これ、持ってなきゃダメです?」
「できれば持っていて欲しいね。そのまま……そうだね、また念じてくれないかい。真犯人は誰だ、と」
イザベラ様に言われるがまま、心の中で真犯人は誰だと念じる。すると点滅が激しくなり、真っ白な光が私たちを襲った。まるでエル様と会ったあの不思議な空間に引き込まれた時のような眩しい光は次第に弱まり、蛸の足オブジェは天辺から光線を放っていた。
「これは……」
「もしかして、この光は真犯人の居場所を指しているのでしょうか」
「それならばすぐにでも騎士団で捕縛に向かいます。……が、できればアーヤを連れて行きたくはない」
「でもラルフ様、アーヤの手から離したら光が消えるかもしれませんよ?」
「……物は試しだ。アーヤ、それを俺に渡してくれ」
ヴィンスさんが手を差し出すけれど、本当に渡していいのだろうか。悩んだけれど、ストップの声が掛らないのでそっとヴィンスさんに手渡す。どうか光が消えませんように、と願いながらも蛸の足オブジェの様子を見守るけれど、光線は私の願いも虚しく弱弱しくなっていく。試しにヴィンスさんに繋がれている右手を離してみたら、スッと消えてしまいそうだったので慌ててヴィンスさんと手を繋ぎ直した。
「なにを媒介にしてもお嬢さんと繋がってなけりゃ、光は消えてしまうようだね」
「そのようだね。申し訳ないが、アヤコ嬢。真犯人捕縛への協力をして貰えないだろうか。勿論、騎士団がアヤコ嬢の身の安全を守る。危険な目には決して合わせない」
「マッケンジー騎士団長、それでよろしいですか。グレイアム副団長も」
口だけではなく、本当に私を連れて行きたくないんだろう。ラルフお義兄様の顔は苦渋に満ちている。そっと見上げた先のヴィンスさんの顔も、ラルフお義兄様以上に。義兄と婚約者に過保護にされている嬉しさはあれど、そうするしか手立てがないのならば協力は惜しまない。騎士団の皆さんが守ってくれるのなら、きっとどこであろうと平気だ。
「……殿下も宰相もお忘れですか。この呪具が誰を呪おうとしていたのかを」
大丈夫です、と私が挙手して爽やかに言うつもりだった。しかし、ヴィンスさんが私と繋いでいる手に力を込めて、吐き出すように問う。
そういえば、誰を呪う物だったのかは聞いていなかった。ヴィンスさんの言葉に全員が表情を曇らせるに十分な人物だということしか、今はわからなかった。
――けれど、ヴィンスさんは当初、蛸の足オブジェに私が触れるのをすごく心配していた。それはどうしてだ。得体の知れない呪具だから、安易に触れて欲しくなかった。それだけだろうか。いいや、他の皆さんは特に反応していなかった。
――本当に? 私が心配性なヴィンスさんで一杯になって、皆さんの様子なんて確認できなかっただけじゃないのか。あの時ドウェインさんはなんて言っていた。もうなにも起こらないみたいだから、と言っていた。
それは、つまり。
「もしかして……真犯人は、私を呪おうとしていたんですか?」
私がゆっくりと訊ねると、皆さんの表情が更に曇った。
「アヤコ嬢もだけれど……ティフも、呪いの対象なんだ」
王太子様が苦しそうに告げる。あのふわふわで綺麗で可愛らしいお姫様が、この世界に招かれた私の初めてのお友達のティフ様が、どうして呪われなきゃならないの。自分のことよりも、ティフ様の方が気がかりで仕方なかった。