絢子、念じる。3
「ごめんごめん、勘違いしないで。だからといって、アーヤを疑っているわけじゃないんだ。アーヤには寧ろ感謝してるんだよ」
ヴィンスさんが私の手を離したのは、ラルフお義兄様から紙の束を受け取るためだった。流れるようにその紙の束を私に手渡したヴィンスさんは、元の通りに私の手を握る。どうしてなの。
「それは資料の一部なのですが、アヤコ嬢に見ていただきたいのです。三枚目の下の方に、なにかごちゃっと書いてあるでしょう? 続いて四枚目の絵図は、文章を解り易く表現したものです」
ヴィンスさんに片手は繋がれているけれど、仕方ない。なんとか頑張って紙の束を捲ることにしよう。三枚目のランドン宰相曰くのごちゃっとしている文章をすっ飛ばして、解り易いイラストを見る。そこにはドウェインさんがローテーブルに再び置いた蛸の足オブジェが描かれており、その周囲に私の魔力が漂っているような表現がされていた。そして、オブジェと私の魔力の間には、見知らぬ名前と疑問符が書いてある。
「ギルバート・カーライルさん、とは?」
「その呪具の使用者さ。そいつの魔力も検知した」
なるほど、ではギルバート・カーライルさんがなにかを、誰かを呪った、ということになる。
「アヤコ嬢の魔力が付着しているというのは、おそらくは【聖女】の力だろうと推測している。それを発見した当初は、君の魔力を感知していなかったからね」
「ええと、察しが悪くて申し訳ないんですが、ドウェインさんの言う私に感謝しているというのは?」
呪いの発動を制止したとかだろうか。それとも他になにかあるんだろうか。私が考えていると、ラルフお義兄様が困ったように笑っていた。察しが悪くてごめんなさい。
「呪いの発動の抑止が一番にあり、次いで魔力の持ち主の開示もアーヤの力によるものだろう。隠蔽されていたが、アーヤの魔力を感知したら術者の魔力も開示された、とイザベラ嬢から報告が上がっている」
「おぉー……聖女ってなんか凄いですね」
「他人事なのは、君に自覚がないからかな? 存在するだけでいいというのは、やはり危険だね」
「そのためのマッケンジー公爵家と【英雄】ヴィンセント・グレイアムです。あとはアヤコ嬢に多少なりとも自覚していただかねばなりませんね」
やれやれ、と王太子様にもランドン宰相にもされてしまうので、私は小さくなる。ラルフお義兄様とヴィンスさんが頼もしくも微笑んでくれるので、自身の力を自覚しながらも甘えようと思う。これはもう、悪用されたら駄目な力だ。
「まあ、そこまではいいんだ。あとは騎士団で捕縛して、なにをどうするつもりだったのか聞き出せばいい。しかし、問題が生じた。ギルバート・カーライルは約二週間前に騎士団で捕縛済みなんだ。別件で尋問中にその呪具が発見された。あらかじめ準備していた可能性もあるが、ギルバート・カーライルが設置するには不可能な場所だった」
待って欲しい。いつ振りか以来の待って欲しい案件だ。
そんな話を、私如きにしていいのだろうか。口は堅い方だし、言い触らすような相手はブランシュさんやマリーネさんくらいしかいないし、拡散力はないに等しいが、捜査中のことをほいほいと喋っていい人間でもない。聖女だからといって、私を買い被りすぎではないか。
私が顔面真っ蒼にしているのを気付かない振りをして、ラルフお義兄様は続ける。義妹の顔色の悪さを察して気に掛けて欲しい、義兄ならば。
「奴は財務省の勤務も長いが、役職には就いていない。出世欲はないというのもあるが、お人好しで自分よりも他者を推薦していたらいつまでも下の方にいた、という男だ。だからこそ、立ち入りが困難な場所が多い。信用と信頼があっても、そこの線引きはきちんとせねばならん」
それはよくわかる。長年同じところに勤めていても、金庫を開けられる人物は決まっている。私が勤めていたスーパー飯山でもそうだった。両替や売上精算もそれなりの地位でなければ取り扱えなかった。
蛸の足オブジェは、謂わばそういう場所で発見されたのだろう。そしてここは国を導く王の住まう場所だ、警備も十分なはず。だからこそ、ラルフお義兄様からは憤りが滲み出ているのだ。
「状況はわかりました。でもお義兄様、私にそのような話をしてもよかったんですか?」
「ああ、勿論だ」
「ここから先は、魔導師団が請け負うよ。この呪具についてさ」
イザベラ様が身を乗り出すと、私が手にしたままの紙の束から数枚、するりと引き抜く。その中には先程見ていた四枚目の紙も入っていた。
「まずは大前提の話だ。この呪具が見付かった当初、魔力を追って術者を特定できなかった。感知を遮る術が掛かっていたんだよ。まずはそれを解かなきゃなにもわからん。が、しかし、感知を遮る魔法はとにかく解くのに時間が掛かるんだ。まあ私とドウェインだったら通常三日もあればどうにかできるんだがね」
ドウェインさんがうんうんと頷く。ドウェインさんの師匠であり魔導師団の師団長でもあるイザベラさんや、まだ多分魔力がものすごくあってこの世界随一の魔導師のドウェインさんであっても三日は掛かるのか、感知を遮る魔法は。
私が感心していると、イザベラ様が私の左手を握った。右手は既にヴィンスさんが握っているから、私の両手は完全に塞がれている。この状況でどこか痒くなったらどうしたらいいのだ。
「……けれど、翌日には【聖女】のお嬢さんの魔力がまとわりついていたんだよ!」
イザベラ様のテンションが何故か一気に爆上がりした。私の魔力がまとわりついていたことが、そんなにも楽しいことだったんだろうか。少し怖くなって身を引けば、右手を離してくれないヴィンスさんに寄り掛かってしまった。慌てて離れようとすれば、ヴィンスさんが肩に手を置いて引き寄せる。これでは結局は逆戻りだ。むしろ悪化したかもしれない。ヴィンスさんが私の肩に置いた手をそのままにしているので。
「ひっ……ひゃぁっ」
「なんだい、男に免疫がないのかい? ヴィンス、とことん甘やかしてやりな。ラルフがなんか言っても私が味方するよ」
「俺の味方をするのであれば、アーヤから手を離してください」
「狭量な男は愛想尽かされるよ!」
イザベラ様が手を離してくれたので、その手だけで顔を覆う。心配そうにヴィンスさんが覗き込むけれど、犯人は貴方なのでなにもしないで欲しい。
「まあともかく、【聖女】のお嬢さんの魔力がまとわりついてたからね、これは最高の機会だと思ったんだよ」
「そうそう。アーヤの魔力がどうやってどう作用するのか観察できるからね。でも殿下も宰相も、感知遮断を解く方が先だって言うから……」
「当然です。優先順位というものがあるんですよ」
「ごめんね、イザベラもドウェインも。アヤコ嬢が承諾したら、そちらの研究を許可するから」
「え? あ、はあ。私にできることがあれば協力はしますけど……実際なにもしてないのでどう協力すればいいのかはわからないですよ?」
実際、私はなにもしていない。いくら私が存在するだけで世界平和的な聖女の力を持っていたとしても、私の意志でどうこうできるものではないだろう。多分。おそらく。だから協力したい気持ちはあれど、協力の方法がわからない。そこはまた追々、実際に私の力が必要な時に考えたらいいだろう。
「協力してくれる意思があるなら今はそれでいいさ。それよりもね、私たちが感知遮断を解く準備を着々と進めている間に、お嬢さんの魔力がそれを解いてたことに驚きと喜びと落胆だよ。こっちはほとんどなにもしていないのに、魔力感知できるようになったんだ。……憤りしかないよ」
「でも、予定よりも早くに術者を特定できたから、やったー、って感じなんだけどね。……まあ、どうしてその人物? なんだけど」
ドウェインさんが、蛸の足オブジェを再び手にする。
「そこで僕と師匠は考えた。アーヤなら、本当の術者がわかるんじゃないか、ってね」
そして私に蛸の足オブジェを差し出す。手に取っていいのだろうか。さきほどは止められたのでヴィンスさんを窺えば、なんとも言えない苦虫を噛み潰したかのような表情をしている。それはやはり触るなということだろうか、しかし言葉も動作もないので、渋々と許可、が正解か。
一応、王太子様にもランドン宰相にもラルフお義兄様にも視線でお伺いを立てたけれど、誰も止める気配がなかったので意を決して蛸の足オブジェを受け取った。私でも片手で持てるくらいの重さのそれは、思っていた通り近くで見たら細かな彫りと宝石がとても綺麗だった。