絢子、待遇が決まる。4
例のスウィートルームに戻るなり、私はブランシュさんとマリーネさんに泣き付いた。今朝のブランシュさんの行動を、今度は私がしている。
「どうして一人にしたんですかぁ! 一緒にいてくれたら心強かったのにぃ!」
「まあ、アーヤ様。ヴィンセント様になにかされたのでしょうか?」
「アーヤ様は公爵様の義妹君になられる方です。マッケンジー公爵家からグレイアム辺境伯家へ抗議なされるように、マッケンジー公爵に進言して参りますわ」
善は急げといった様子でマリーネさんが部屋を出て行こうとするのを、私は慌てて止める。そこまでして欲しいとは言っていない。ただ愚痴というか話を聞いて欲しいだけなのだ。尋常じゃないと思ったんだろうロドニーさんも動こうとしているけれど、そっちもきっかりお止め申し上げた。ついでにブランシュさんにお茶の用意をして貰って、みんなで一息つく。
「……それでは、副団長はアーヤさんに花を摘んで差し上げた、だけ、と」
「だけとか言わないでくださいよ、ロドニーさん。そんなこと、私の人生で一度もして貰ったことはありません。あとヴィンセントさんって滅茶苦茶お顔がよろしいので、微笑まれるだけで心臓ドッキドキです」
「なるほど……花を贈られて、副団長に微笑まれて、心が動いたのですね」
まるで心にメモするかのようにロドニーさんが言うけれど、ご自分の婚約者に同じようなことをしようと考えているのならやめてあげて欲しい。その婚約者さんが私と同じタイプの恋愛に免疫ない人だったらどう責任取ってくれるんです。ああそっか結婚して責任取るって話ですね!
「それはようございました。ヴィンセント様はアーヤ様のお心を掴んでしまおうと動かれておりますのね。二人きりにしてよかったですわね、マリーネ」
「そうですね……ヴィンセント様がアーヤ様を想ってらっしゃるのはここの新参者の私から見ても一目瞭然でしたが、互いに想い合っておられるようで、そこは安心いたしました」
のほほんとしているブランシュさんに、安堵の息を吐くマリーネさん。いやいや、計画通りと言わんばかりのその会話、一体どういうことだ。ヴィンセントさんが私を想ってる? 一目瞭然? 互いに想い合って……?
ボンッと本日二回目の、顔面発火。顔が熱い。二人の会話の意味がわかって、ものすごく恥ずかしい。それから、婚約者になったからではなく前からヴィンセントさんに想われていたと知り得てしまい、動揺もある。恥ずかしさが大きいけれど。
「その……ヴィンセントさんにも言いましたけど、そういうのは少しずつで、お願いします……」
私が小さな声でお願いすると、優秀な二人のお世話係はにこりと微笑んで頷いてくれた。ロドニーさんはそんな私たちを見て苦笑してたけど。
◇◇◇
私の日常は、再び勉強に費やされ始めた。もっと深いお作法の勉強を伯爵家の出であるブランシュさんが主に担ってくれて、テーブルマナーから美しいカーテシーの仕方を入念に躾けられている。言葉遣いはマリーネさんが主に担い、ダンスの練習もマリーネさんが担当。結構スパルタで全身が悲鳴を上げそうなんだけれど、美味しいお茶とお菓子で誤魔化されている気がする。
「本当ならきちんとした先生をお招きしたいのですが、形になればいいとのことですので細かいところは美しい所作で誤魔化します。指先まで神経をとがらせて、優雅に見えるような角度で……そうですわ、アーヤ様。大変お上手です」
「ま、マリーネさぁん、足が攣りそうですぅっ」
「弱音を吐かないでくださいな。アーヤ様ならお出来になります。ほら、笑顔を忘れてらっしゃいますよ」
ほんっと、スパルタなんですよね。体力のないアラフォーのオバチャンに、尋常じゃない運動量のダンスをさせながら指先まで神経をとがらせて且つ笑顔を強要するの、やめていただけませんかね。これを優雅にできてこそ淑女なんだろうけど、アラフォーの今になって突然貴族の仲間入りを果たす私には過酷なのでは。公爵令嬢になるから頑張らなきゃいけないんだけれども。
無理矢理笑顔を作ってなんとかダンスを終えると、では休憩しましょう、という声と共にその場に文字通り崩れた。ドレスが皺になろうが知ったこっちゃない。淑女とか今はどうでもいいので床に寝転んでしまう。
「まあ、はしたないですわよ、アーヤ様。せめて椅子にお座りになってくださいませ」
「うぅぅ……動くのもしんどい……」
ヨボヨボと立ち上がる私を見て、イアンさんが吹き出して笑う。キッと睨めば、ごめんごめんと謝られた。謝るくらいなら最初から笑わないで欲しい。笑うならわからないように笑ってくれ。
「だってさ、踊ってる時は結構いい感じに踊れてるのに、やっぱりアーヤには体力が足りないんだよな。ドレスも重いだろ?」
「こんな重量のあるドレスを着て平然と踊るご令嬢たちを尊敬するくらいには重いですね」
「やっぱりな。んー……それはまあヴィンスに言っておくわ。本番は多分、大丈夫」
にっこりとなにが大丈夫なのやらイアンさんがそう言うけれど、ただでさえ体力を消耗しているのにヴィンセントさんの名前を出さないで欲しい。すっかりヴィンセントさんへの耐性がなくなってしまった私には、名前だけでもツライ。
あれからヴィンセントさんと会う機会が、一度もない。護衛にはイアンさんかロドニーさん、もしくは他の騎士の方が付いてくれている。私も部屋から出ることがないように勉強を詰め込まれているけれど、ヴィンセントさんもヴィンセントさんで仕事が忙しいのだろうか。そのことをイアンさんに聞いたら、グレイアム辺境伯家のことで忙しくしている、と返って来た。それって私とのことで忙しくして……? と思考がぶっつり止まって真っ白になって顔は真っ赤になる危険性があったのでそれ以上は考えないようにしたけれど。
とにかく、ヴィンセントさんへの耐性がマイナスから脱却しないので、名前だけ聞いても真っ赤になるようになった。初恋を知った少女かよ、と自分自身にツッコミを入れたい。
ところでイアンさんが言う本番っていうのは、私がどうしてお作法だのダンスだの習っているのか、の理由の一つになる。私が聖女だと国民の皆様へ公表した後に、お披露目パーティーがあるからだ。体力がないし年齢が年齢なので体に叩き込む期間を要するから、すぐに勉強が始まったというわけだ。
「なんで……なんでヴィンセントさんにドレスが重いことを言う必要があるんですか」
お作法とダンスとヴィンセントさんへの耐性の低さで頭がいっぱいな私には、確かにドウェインさんの授業内容が頭から抜けている。さらっとドウェインさんに習った気がするそれを、思い出す余裕がない。元の世界でだって、漫画とかで読んでいたのに。
「そんなの、ヴィンスがアーヤに……失礼。来客だ」
せめて最後まで発言してから来客応対して欲しい。
ブランシュさんもイアンさんに続いて扉の方へと向かうと、すぐにブランシュさんだけが戻って来た。私に一通の手紙を渡し、王太子妃殿下からです、と告げる。
「ティフ様……? あ、お茶会のお誘いだ」
手紙には明後日の午後からはどうかという窺いの内容。場所は、警備もバッチリのはずの薔薇の苑。あそこなら無駄に緊張もあんまりしないような気がするので、ティフ様の心遣いが嬉しい。
ブランシュさんとマリーネさんに明後日の予定を確認して、是非喜んで、とお返事のお手紙をブランシュさんに指導されながらも急いで書く。どうせ勉強しか予定がないから、確認もなにもないんだけれど。
とにかく、お返事のお手紙を使者……おそらくはナディアさんだろう……に託せば、ではお茶会のお作法の復習を、とブランシュさんにいい笑顔を見せられてしまった。マリーネさんだけじゃなく、ブランシュさんも結構スパルタだ。
「お手柔らかにお願いいたします……」
私が力なくへたり込むと、イアンさんが追い打ちをかけるかのようにこんなことを言う。
「アーヤ、アーヤ。明後日の妃殿下とのお茶会の護衛、ヴィンスに頼んでおくな」
「や、やめてください! ヴィンセントさんがいたら余計に緊張しちゃう!」
「あら、それでしたら復習のお勉強はヴィンセント様に付き合って頂きましょう」
ほら、やっぱりブランシュさんもスパルタだ。私が嫌がってるのに、マリーネさんは嬉々としてヴィンセントさんを呼びに行ってしまった。どうしてくれるの、復習にならなかったらティフ様とのお茶会が台無しになるんだから。




