絢子、待遇が決まる。3
翌日、出勤したブランシュさんに泣き付かれてしまった。結果的には危なくなかったとはいえ、自分がいないところで私が得体の知れない事象に巻き込まれたことを悔やんでの涙だった。マリーネと同様になにもできなかったかもしれないけれど、アーヤ様のために美味しいお茶とお菓子を用意することはできました、と泣いて言われた時には思わず頭を撫でてしまった。人妻淑女にすることじゃないけど、女の子の涙と真心には弱いので許して欲しい。
そんなわけで、本日はブランシュさんとマリーネさんの二人体制だ。相変らず仕事はさせて貰えていない。むしろ今後もさせて貰えないことが決定してしまっているので、どうにか仕事ができないか秘かに考えている。
お勤めに出る貴族女性というのは、主に下位貴族の出だったり夫人だったりなのだそう。上位貴族でも三女や四女ともなればお勤めに出たり自ら進んで高官職を志す者がいるらしいけれど、長女や次女は社交で忙しくするのでそんな暇がないのだとか。じゃあ下位貴族の夫人やご令嬢はどうやって社交をしてるのと疑問に思ったけれど、このお勤めこそが社交の一環らしい。例えばこのお城だったら他家の夫人やご令嬢も出仕しているから、情報交換もその合間に行うのだとか。そうでなくともどこかの上位貴族の屋敷に勤められたら、そこの夫人やご令嬢から情報を得ることができる。そして、仕事の合間を縫ってお茶会や晩餐会だの舞踏会だののお呼ばれに出席して人脈を広げる。
はい、それを踏まえて私の話ですよ。私はつい昨日、ラルフお義兄様の義妹になるということが決定した。ラルフお義兄様は公爵様で、上位貴族だ。しかも男ばかりの家系で、お義兄様の奥様とお母様以外に女性はいないのだとか。ということは、私はラルフお義兄様の義妹にして先代マッケンジー公爵の長女、ということになる。
――こちらからは以上です。
「ブランシュさん、お願いです」
「なりません」
「マリーネさんも、ほら。ねえ、少しくらい」
「いいえ、アーヤ様」
私はさっきから、ブランシュさんにもマリーネさんにも拒否されている。仕事の件で駄々を捏ねているわけではない。ちょっとお散歩に行きたいな、と言っているだけなのだ。昨日の今日でなにかあるわけでもなし、昨日だって別になにも……とは言い切れないけど、犯人は神様のエル様だったんだからお散歩くらいは大丈夫でしょうと言っているのに、聞き耳を持ってくれない。
「アーヤもいい加減諦めな? ブランシュとマリーネが困ってんじゃん」
「イアンさん! イアンさんがいるなら大丈夫ですよね、お散歩行きましょう!」
「……アーヤさんよ。昨日はさ、俺もいたじゃん、護衛で。護衛してる時にアーヤは拉致されたじゃん。すっげえ、心に傷を負ってんだよなぁ」
イアンさんがお茶を啜りながらも溜息を吐く。もしかして昨日のことは失態とされて、なにか罰則でも科せられたのだろうか。だとしたらあれは不可抗力で、誰であっても結果は同じだったと申し上げたい。ラルフお義兄様に言えばいいのだろうか、それともランドン宰相か王太子様だろうか。
「いや……うん……どうしても散歩行きたいってなら、ヴィンスに頼んで欲しい。俺じゃなく。本当に。ヴィンスにして」
はっはーん、これは罰則決定だな? とりあえずヴィンセントさんに不当だと申し付けたら、イアンさんの罰則は免除されるだろうか。ロドニーさんも罰則を科せられてるだろうから、それも免除して貰おう。
「じゃあヴィンセントさんに頼みます。……あれ、でも別の仕事中では? そういえば昨日の王太子様とお会いした後から見てませんね」
「大丈夫、大丈夫。もう少しでロドニーが来るはずだし、交代してヴィンスに言いに行ってやるよ」
手をひらひらさせたイアンさんは、もう一つ溜息を吐いた。そんなにきつい罰則を科せられてるのなのかな、とポツリと零せば、マリーネさんにも溜息を吐かれ、ブランシュさんはあらあらと困ったような笑顔をされてしまったけれど。
◇◇◇
薔薇の苑があるあの庭園をお散歩かな、と思ったのに、ヴィンセントさんがお散歩コースに選んだのは騎士団の詰め所のそばにある、小さなお庭だ。これじゃ運動にならないけど、よくよく考えたら私が動ける範囲は限りなく狭かった。あの庭園なら裏の護衛さんたちがいるのかもしれないけれど、他だとまた綿密に計算した後に誰を配置すればいいのかとか決めなきゃならないのだろう、私の護衛専用に。急遽どこかへ、なんて騎士団泣かせにもほどがあるだろう。急なことにも対応できるように訓練はされているんだろうけれど、私の場合はほら、結構ガッチガチに私の知らないところで固めてるみたいだし。聖女って面倒臭いと思う。
「……なんか、ごめんなさい」
「いや、こちらも窮屈な思いをさせている。思っていたような息抜きはできないかもしれないが、少しでも気分転換になれば幸いだ」
この小さなお庭にあるのは、いくつかの広くはない花壇と二脚のベンチ。名前はわからないけれど綺麗な花々は、あちらの庭園で見たような花もあれば、多分見てない花もある。と、思う。多分。知らんけど。
私は向日葵みたいな大輪の花が植わっている方のベンチに座ると、おもむろにその花の香りを嗅いでみた。特に感動するような気分が上がるような香りはしないので、本当に私は花に興味がないのだろう。薔薇の花だって、あー薔薇の香りだねぇ、程度の感動しか起こらないから仕方がない。
いつまでも茎を握っているのは可哀想なので手を離せば、ヴィンセントさんが隣に座って、私が嗅いだ花の香りを同じように嗅いだ。なにか香りがします? と訊ねたら、いいや、とヴィンセントさんはクスクスと笑った。
「花には特に興味がないと聞いたから、なにか気になるような香りでもするのかと思ったんだ」
「特にしないですよね? 薔薇ならまだ薔薇だな~って香りですけど……って、イアンさんから聞いたんですか?」
私が訊ねると、ヴィンセントさんは茎から手を放してまた違う花に手を伸ばす。それを手折ると、スッと私の前に差し出した。
花とヴィンセントさんを交互に見て、油切れのロボットみたいにグギギギと首を傾げる。これは一体なんの真似だろうか。花を差し出されたのだから受け取るべきだろうか。
お作法を教えてください、ブランシュ先生! どうしてこの場に一緒にいてくれないんですかブランシュ先生! マリーネ先生もなんでいないのよ!
わからないので受け取ると、ヴィンセントさんはうっすらと笑む。嬉しそうだ。私に花を受け取って貰って、嬉しそうに、笑う。
ボンッと火を噴いたかのような勢いで、顔が赤くなる。熱い。視線を下の方にやって彷徨わせながら、そういえばこの人は私の婚約者になったのだと急に実感してしまった。
「……ああ、よかった。興味はなくとも贈られたら嬉しい、とも聞いていたからな。その様子なら、喜んでくれたと思ってもいいだろうか?」
「……っ」
イケメンは有罪にするべきである。私が出会った人たちはみんなイケメンなので、この世界の男性は多分みんな有罪で収容されるだろうけれど、真っ先にこの人を収容して欲しい。
ヴィンセントさんは私のせいで宣言を撤回しなきゃならないけれど、自ら言い寄って来るご令嬢たちやお偉いさん方に命じられて近付くご令嬢たちに辟易して、結婚しない宣言までしている人だったはずだ。十年以上はそうやって女性をあしらってた人なのに、どうして女性の扱いに慣れているのだろう。私に免疫がないだけで、このくらいは普通のことなのだろうか。
もしそうだとしたら、私は十年は恋人がいない状態が続いたから耐性がマイナス値なのでお手柔らかにお願いしたい。
「こういうの、もぉちょっと、ゆっくり、お願いできますか……っ」
「そうだな……昨日までは護衛だった俺が婚約者になったんだ。少しずつ、互いに距離を縮めよう」
だからふわりと微笑まないでください。ここです、騎士団の皆さん。ここにイケメン罪の人がいます。あなた方の上官ですけど、しょっ引いて貰っていいですか。
そうか。ブランシュさんもマリーネさんも、詰所の方にいるって言って付いて来なかった理由はこれだ。こんな甘い雰囲気になるって、予想していたんだ。




