絢子、待遇が決まる。2
たとえ王太子様の目の前であっても、頭を抱えて項垂れることは許して欲しい。無礼ではしたない姿をお見せしてしまい申し訳ないが、私の気持ちを察していただければ幸いだ。
私の個人の感情で言わせて貰えば、ランドン宰相曰くの問題ない提案は、やはりと言うべきか問題ありまくりだ。拒否したい。それしか手がないというのなら受け入れるしかないのだろうが、やはり納得できないし受け入れるのも難しい。だからこうして頭を抱えて項垂れて、う~と唸ってもいるけれど、提案はついさっき飲んでしまった。駄々を捏ねたところでこの提案は最初から提案ではなく決定事項で、抗うことなんてできなかったから。
いつまでも唸っていたら、王太子様が優しく声掛けをしてくれる。いや、言葉の意味合いで言えば決して優しくはないけれど。
「ごめんね。でもこうするより他に手がなくて。マッケンジー家は筆頭公爵家だから周囲を黙らせることができるし、【英雄】もとい【勇者】の婚約者となれば余計に君に手出しはできない。一度は無効にした婚姻の件を覆す事態になったし、君には窮屈な思いをさせてしまうだろうが、政治の材料や危険な目に合わせるよりはいいと思うんだ」
「そりゃそうかもしれませんけど……私なんかのために、得体の知れない女を公爵様の義妹にとかヴィンセントさんの結婚歴を穢すとか、申し訳なさ過ぎるんですよぉ! もう承諾しちゃいましたけど、今からでも嫌なら嫌だって言ってください!」
王太子様の隣に座っているラルフ騎士団長……ではなくマッケンジー公爵と、私の隣に座っているヴィンセントさんを交互に見て真剣にお願いする。特にヴィンセントさんへの罪悪感が凄いので、しっかりと目を見る。
「私は大歓迎だよ。我が家は男系でね、妻と母しか女性はいない。とはいえ母は領地にいるし、王都にある屋敷には妻だけだ。君と私は歳が近いから私の養女とはいかないが、義妹だとしても妻も領地の両親も喜ぶだろう」
……歓迎してくださるのなら、有り難い。嫌々引き取られる形じゃないだけマシだ。マッケンジー公爵が好意的だしお世話になってるし、もう覚悟を決めてお言葉に甘えて公爵家の令嬢になろう。
「……よろしくお願いします、マッケンジー公爵」
「こちらこそよろしく。だけど……私のことは、ラルフお義兄様、と呼んでくれたら嬉しいかな」
お茶目にウィンクしてくるから、ついつい笑ってしまった。だから私の隣に座るヴィンセントさんから放たれる、ズーンとした重い空気に気付いた。多分、さっきまでは私の方が重い空気を背負っていたから、そんな雰囲気に気付いていなかったんだろう。
でもまあその空気はわかる。ラルフお義兄様との場合はただ義妹になるだけだったけれど、ヴィンセントさんとは結婚だ。いやその前段階の婚約か。でもゆくゆくは結婚が待っているから同じことか。とにかく、やっぱりヴィンセントさんとの件は考え直した方がいいと思う。
「ヴィンス。腹括れよ。お前の結婚問題も解決するし、いいじゃねえか」
ソファの後ろに立ってるイアンさんがそう言うけど、ヴィンセントさんは相変わらず重い空気を背負ったままだ。たとえ幼馴染であり信頼できる部下の言葉でも、素直に受け取ることはできないだろう。
「僕もイアンと同意見だけどね。神様が仰るように【勇者】と【聖女】が同時に存在することはあり得ないけど、二人が一緒にいてもなにか影響があるかもしれないのに、そのことには触れなかったんでしょ? だったら大丈夫だと仮定して……一緒にいて貰った方が対処もしやすいんじゃないかな」
一人掛けのソファに座るドウェインさんからは、私とヴィンセントさんの肩書きに関することを絡められる。
イアンさんの言うことも、ドウェインさんの言うこともわかるのだ。ヴィンセントさんは次期辺境伯当主でもあるし、独身を貫くのもいいかもしれないけど周囲の声を聞かないわけにもいかないだろう。万が一に【勇者】と【聖女】になにかしらあるのなら、一緒にいてくれた方が対処も簡単にできるかもしれない。
「二人の言うことは理解できる。だが、アーヤの気持ちはどうなる。一貫して結婚の意思がないと言っているのに、今更結婚を強いるのはあまりにも酷じゃないか。俺はいい。これでも貴族だ、政略結婚も受け入れられる。しかしアーヤは違うだろう。この世界にも馴染めたとは言い切れないのに、結婚の話は時期尚早だろう」
「ではウチの義妹では不満というわけではないんだな、グレイアム辺境伯家子息ヴィンセント・グレイアム」
ヴィンセントさん……! なんて感動していると、ラルフお義兄様がにっこり笑顔。これにはヴィンセントさんも苦い顔をしているけれど、ゆっくりと頷く。へえ、不満じゃないんだ。……不満じゃ、ないんだ?
「うん、二人の気持ちはよくわかったよ。マッケンジー公爵。忙しいだろうけれど、アヤコ嬢を公爵家に迎え入れることを最優先にして欲しい」
「承知しました」
「それでは……そうですね、ヴィンセント卿は即刻グレイアム辺境伯に手紙を出し、マッケンジー公爵家令嬢への婚約の申し出の準備をすすめてください。それから婚約式を執り行い、【聖女】を民に公表することになります。その後は城内でお披露目会、という流れになりますので、各々方、よろしくお願いいたします」
ちょっと待って欲しい。本当に、本当に、この世界に来てから一番待って欲しい場面だ。
ランドン宰相が仕事ができる人だということは十分に理解している。だから今後の予定を素早く提案できるのは、百歩譲ってよしとしよう。だけど、そんな重要なことを手早く決めてしまわなくてもいいと思うのだ。王太子様も何故ランドン宰相の提案を確定させてしまうのだろう。ラルフお義兄様も了承してるんじゃないですわよ。ヴィンセントさん、ヴィンセントさんもほら止めて! イアンさんは笑いを堪えてるの、知ってるんですからね。ドウェインさんもニヤニヤしない。ロドニーさんはもう始終ポカーンとしてるから早く戻って来て。マリーネさんだけが私を気遣って大丈夫ですかって聞いてくれるけど、これからお忙しくなりますね、って満面の笑みで言わないで欲しかった。
◇◇◇
ここから先は私が聞いてはいけない話をするらしく、マリーネさんと一緒にイアンさんとロドニーさんの護衛であのスウィートルームへ帰って来た。ぐったりとソファに座り込むと、すかさずマリーネさんがお茶を用意してくれる。同じ茶葉でもブランシュさんとはまた違った、でも優しくて美味しいお茶だ。この世界に来てからすっかり紅茶を克服してしまったので、何杯でもごくごく飲める。
私が優しい味わいのお茶を飲んで疲れを癒していると、あれ、と首を傾げる。いつもなら遠慮なくソファに座るイアンさんもロドニーさんも、座る様子がない。マリーネさんもお茶の用意は私の分しかしていなくて、違和感。今朝はちゃんと人数分、私がマリーネさんも好きに寛いでと言ったので、四人分を用意してくれたのに。
「……どうしたんです? 座ってくださいよ。えと、マリーネさんもほら、今朝も言ったけど自分の分も淹れて寛いでください」
「あー……あのですね、アヤコ嬢。貴女は公爵家のご令嬢であり婚約者もいらっしゃるので、同席はできかねます」
私から離れた、出入り口の扉に近いところにかしこまって立っているイアンさんにそう言われ、私は愕然とする。そういう扱いされるんだと、悲しくなる。
「……突然そういう対応をされると、つらいです。できればこれまで通り接して貰いたいんですけど、それはできませんか?」
知り合いの一人もいないこの世界で、ティフ様とは明確にお友達になった。イアンさんとロドニーさんはお友達ではないかもしれないけれど、仲良くはなったと思っていた。マリーネさんとは二人に比べたら付き合いは浅いけど仲良くなれていると思ったし、今日はお休みのブランシュさんとも、勿論。ヴィンセントさんだって今や私の婚約者様だけど、親交を深めたつもりだ。
私が訴えるように言えば、イアンさんは大きく溜息を吐いた。ロドニーさんは困った顔をする。マリーネさんはどこまでも鉄壁のすまし顔だった。
「当然、なりませんよ。……なーんて言いたいところだけど、アーヤならそう言うと思ってた」
そして、三人とも破顔する。マリーネさんはクスクスと笑う。またしても茶番だ。この世界の人はよく茶番をする。いや、そうせざるを得ないんだろう。儀式みたいなものだ。面倒臭いなあ、とは思うけど、今はそれよりもいつもの調子に戻ってくれたことが嬉しかった。
よかった。安堵していると、マリーネさんが追加のお茶の準備をする。イアンさんとロドニーさんが無遠慮にソファに座ってくれる。
「けれど、公的な場ではそのように接しますので、アーヤさんもご了承くださいね」
「ああでもロドニーはあんまり変わらないだろ。ほら、こいつ真面目だから」
「イアンさんが不真面目すぎるんです。先程の王太子殿下の御前でも、副団長に対してでしたが口調が砕け過ぎでした」
「ヴィンスに喋ってたんだからいいだろ」
「よくないですよ、殿下の御前ですよっ?」
「お二人ともそのくらいにしてくださいませ。アーヤ様に笑われておりますよ」
そうそう、この空気。私の待遇は決まってしまったけれど、この空気感は手放したくないなあ、って笑ってるのよ。多少はこの世界に馴染んだんだろうって、嬉しくなってるのよ。




