絢子、待遇が決まる。1
ヴィンセントさんと二人、顔を見合わせる。ついでに、意味はないとは思うけど自分の頬をそっと抓んでみた。ちゃんと、痛い。きょろきょろと周囲を見回してもあの庭園で、綺麗な花はちゃんと咲き誇っている。それから、呆然としている見知った顔が数名。
「ヴィンス、アーヤ……?」
イアンさんだ。何度も瞬きを繰り返して、信じられないといったような顔をしている。それから目を擦って、確認するかのようにもう一度私たちの名前を呼んだ。
「ヴィンス、アーヤ……お前らなんでっ! いや、戻って来てくれてよかった。無事だよな? なにもねえよな?」
「落ち着け、イアン。俺たちは無事だ」
顔面蒼白のイアンさんがヴィンセントさんの両肩を掴んで強めに確認する。私はヴィンセントさんに同意するように頷いていると、そっと誰かに手を握られた。マリーネさんだ。マリーネさんも涙目になっていて、顔色も悪い。それもそうか、多分だけど、彼女の目の前で私とヴィンセントさんが消えたんだと思う。
「よかった……アーヤ様とヴィンセント様があのふわりとした球体が放った光に包まれて、瞬時に消えてしまったんです。なにかしらの魔術かと思い、ドウェイン様に調べて貰ってもなにもわからず……ご無事ですね? なにかおかしなところはございませんか?」
「ええと、なんか大変なことになってるのはビックリなんですけど、無事です。なにもおかしなことはないです。それよりマリーネさん、心配おかけしたみたいで申し訳ないです」
「なにを仰います! 私がお散歩を提案しなければこのようなことにはならなかったでしょうに……申し訳ありません。アーヤ様を危険に晒してしまいました」
まって! ちょっと待って! ちがう、それは絶対に違う! だって相手はエル様……神様だもの。どこにいたって誰といたって、あの謎の空間に引き込まれていたはず。決してマリーネさんのせいじゃない。
そのことを伝えたいけれど、ハッとする。あの謎の空間での出来事を説明するべきなんだろうけれど、今ここでしてもいいものなのだろうか。こういう報告は、ラルフ騎士団長か王太子様かランドン宰相……王太子様かな……いやお三人様が正解なのでは。
「マリーネさん、あのですね、説明したいんだけど多分まだしちゃダメで、でもこれだけははっきり言えるんだけど、マリーネさんのせいじゃないです。だから、ご自分を責めないでください。これは起こるべくして起こったことです」
ぽろぽろとマリーネさんの大きな目から雫が零れる。急いでポケットからハンカチを取り出してマリーネさんに握らせていると、息を切らしてドウェインさんが走って来た。
「ヴィンス! アーヤ! 二人ともどこ行ってたの!」
ロドニーさんも一緒に走って来て、崩れるように座り込む。どうしたどうした……って、私とヴィンセントさんのせいだ。すごく心配かけたみたいで、ごめんなさい。
「ああ、ドウェイン。ロドニーも。イアンが使い物にならん。此度の件、どうなっている」
「使い物にならんって言うなよ……くそ……気が抜けて頭が回らねえんだよ」
「お前、それでも俺の補佐か?」
「そうだよ! 言っとくけどな、お前がいるから俺もここにいるんだ。そこんとこ、理解しとけ」
ヴィンセントさんとイアンさんは上司と部下という関係だけではなく、幼馴染でもあるのだそう。二人がヴィンセントさんの実家がある領地に戻ったとしても、現在のように上司と部下の関係が続くとのことだ。ずっとそばにいた幼馴染であり上司が目の前で突然消えたら、そりゃあ誰よりも心配してすごく焦るだろう。戦場ならまだ覚悟があったかもしれない。安全の割合が高い城内で、私の護衛中というちょっとイレギュラーなことが起こっている最中だったとしても、まさかこんなことになるとは思ってなかっただろうから。
それにしても、ドウェインさんがヴィンセントさんに報告している内容は、さっき私がマリーネさんから聞いた通り。そうなるとやっぱり私とヴィンセントさんが体験したことは、王太子様やランドン宰相やラルフ騎士団長へ報告することになる。なんと、本当に大変なことになっていたみたいで、ラルフ騎士団長には勿論のこと、王太子様やランドン宰相にも私とヴィンセントさんが消えたことが伝わっているらしい。今頃は帰って来たことが裏で動いているっぽい見知らぬ護衛さんたちから伝わっているだろうけれど、ちゃんと報告しないといけないだろう。
「まずはラルフさんに報告して……ああ、殿下の所へ直接向かうみたいだな」
ラルフ騎士団長が、少し慌てた様子でこちらに向かって来る。
私と言えば、報告会はどれくらい時間が掛かるかなあ、なんて呑気にも考えていた。
◇◇◇
庭園でお散歩中に不可思議なふわふわの球体に遭遇したこと。イアンさんの指示で退避しようとしたら、駆け付けてくれたヴィンセントさんと共に光に包まれて謎の空間に引き込まれたこと。そこで謎の人物……エル様と出会い、ヴィンセントさんが謎の力で英雄から勇者にジョブチェンジしていたことや私が何故この世界に招かれたのか説明をされたこと。エル様の名前を付けたこと。ついでに、エル様が謎で愉快で不審者でポンコツで神様らしい面もあるけどふざけるしぺらっぺらな紙みたいな人だった、というのも報告しておいた。ヴィンセントさんに、アヤコ嬢が脇腹を思いっきり抓っていた、って補足されたけど余計なことは言わないでいただきたい。あれは明らかにエル様が悪いのだから。
「流石は【星の渡り人】と言うべきでしょうか。まさか神様の脇腹を抓るなどとは」
「やめてください、ランドン宰相。そこは深掘りしないでください」
この世界の人の神様への信仰心は敬虔ではないらしいけれど、流石に脇腹を抓る不届き者が聖女だなんて思わないだろう。ランドン宰相がすごいにこやかだけれど黒さも見え隠れする笑顔を向けて来る。王太子様も同じような類の笑顔をしていらっしゃる。笑顔で人を責めるのはやめて欲しい。
「なにがあったんだい?」
「……先程の報告の通りですよ。私がこの世界に招かれた理由の一つとして、勇者のヴィンセントさんが結婚する気配がないけど聖女が相手だったら結婚する気になるかもしれない、というエル様のお節介な配慮があります。けれど、ヴィンセントさんに勝手に私を押し付けるような真似は腹が立ちます。私にもヴィンセントさんにも失礼です」
「そうだね、この世界では政略結婚で見ず知らずの人間と結婚することはあるけれど、アヤコ嬢の世界ではあまりないのだっけ。だったらその感情は正常だ。だけれど、相手が神様ならば自重して欲しかったかな」
私の考えを尊重したうえで、駄目なところは注意する王太子様。私よりも一回り以上年下だけど、有能な上司だ。この世界に招かれてこの国のこともほとんどわからないけれど、きっといい君主になるに違いない。
注意を素直に受け止めてしゅんとしていると、静かに報告を聞いていたラルフ騎士団長が口を開いた。
「それで、殿下。今後のアヤコ嬢のことですが」
「うん、ちょっと難しいね。ラルフはどう思う? そうだね……マッケンジー公爵としての君の意見を聞きたい」
「彼女の本来の役目はヴィンセント・グレイアムが【勇者】になったことでなくなり、神様曰くのまさしく宙ぶらりんの状態でしょう。しかし存在するだけで世界中に神聖な力が行き渡るのならば、その力の独占などを考える愚か者も出てくる。これまでのように秘匿し続けるのも手でしょうが、それにも限界があるでしょう。それならばいっそ公表して、これまでの【聖女】とは違った形の【聖女】とすればよいのでは」
にこり、イケおじが私に微笑む。騎士の笑顔じゃなく、紳士の笑顔だ。上品且つ優雅で、そしてなにを考えているのかまったくわからない。百戦錬磨の公爵様の笑みだ。これが善良な狸の笑みならば、そうじゃない古狸の笑みはどんなものだろう。考えただけでも恐怖だ。
「しかしマッケンジー公爵。そうすることでより一層アヤコ嬢の身が危険に晒されるのではないでしょうか」
ヴィンセントさんの言う通りだ。まったく実感沸かないけれど、この世界に存在するだけで貢献している私を利用しようとする悪人が存在するなら、公表したら標的を絞り易くなって私の身がものすごく危険だ。ヴィンセントさんを始めイアンさんやロドニーさんが護衛に付いてくれてるけれど、知らないところでも他にもいるみたいだけれど、いつまでも護衛に付いて貰えるのだろうか。いつまでも護衛ありきの生活を送らなきゃいけないのだろうか。
そんなのは現実的ではない。もっと他に……たとえば私に関することは全部誤報ということにして、私の存在を完璧に秘匿する方に舵を切るべきだと思う。
それなのに、王太子様は笑顔でこう仰る。
「問題ないよ」
ランドン宰相も、こう仰る。
「むしろ、その方が利は大きいんですよね」
だからなにを考えているかわからない笑顔はやめて欲しい。そしてそれは絶対に問題あるんだと思う。私の本能が、逃げろ、と叫ぶけど逃げることなんてできないから、私は結局この腹黒っぽい王太子様と宰相様の手のひらの上で転がされるのだ。
ランドン宰相は続きを口にする。確かにこの人は古狸なのかもしれない。宰相という地位でもって、これまでもこの国のためにその頭脳と手腕で貢献しているのだろう。例にも漏れず、今この場でも私への遠慮と配慮の欠片もなくその頭脳を華麗に回転させている。そして私は、なすすべもなくランドン宰相の提案を飲むことになった。




