幕間:友は君が心配で ―イアン・デクスター
言い寄って来る令嬢に辟易して結婚しない宣言までしていた男にも、春が来たらしい。
最初の頃は副団長らしく警戒の方が強かったのに、同じ部屋で過ごすうちに気になる存在になったようだ。ずっと見ているわけじゃないが、ふとした瞬間に彼女の方へと視線が向かう。ドウェインの講義を真剣に聞いて自らのものにしようという彼女の姿勢が、ヴィンスの心を揺らしたらしい。
それと、初対面で裸を見られてるっていうのもあるのかもしれない。異性に裸を見られることを良しとしない我が国で、それを意識しない方がおかしい。裸を見られる、または見てしまったとなると、それは婚姻に繋がることなのだから。それなのに、相当の覚悟で再びの対面を果たした際に王太子殿下から婚姻の無効を宣言されたら、そりゃ逆に意識しちゃうって話だろ。俺やロドニーやブランシュが同じ部屋にいるとはいえ、彼女がそばにいたら気になってしょうがないだろ。
だからこれは、そうなるべくしてそうなった、ことかもしれない。それでよかったと安堵するのは、ヴィンセント・グレイアムが俺の幼馴染であり友であり、上司且つ未来の主だからだ。グレイアム辺境伯領の未来が明るくなったことを、すぐにでも現当主のジェフリー様と奥様のステラ様にお知らせしたい。
とはいえ、アーヤの気持ちも尊重したい。ヴィンスの恋は応援したいが、アーヤの心を掴むとなるとおそらくは困難な道だろう。彼女にそんな気がなさそうだからだ。元々そういう話は遠慮したいのかもしれない。俺やロドニーやドウェインは勿論、ヴィンスにも特になにも恋心などは生まれていない様子だから、無意識にそっち方面の心が動かないようにしているのかも、と俺は思うわけですよ。
ロドニーの評判は知らねえけど、ヴィンスは令嬢同士で潰し合いが始まる程度に、ドウェインは変人だけど顔はいいって言われる程度に、俺だってきゃあきゃあ言われる程度には女性に惚れられる事実がある。手紙とか沢山貰うんだよ、この歳になっても。それなのに特にアーヤの反応がないから、恋愛事には蓋をしてるんだと思う。
「……と、言われてもな」
「だからアーヤの心を掴むにはさ、もう少し積極的でもいいと思うんだよ。アーヤの仕事の範囲がお前の執務室周辺っていうのはすげえいい判断だったけど、当分の間は仕事なんてさせないだろ? また熱出して倒れられたら、心配で気が気じゃねえもんな」
アーヤが倒れたのは四日前になる。高熱に魘される彼女を看病したのはブランシュが主だったけど、ヴィンスもなるべくそばにいられるように副団長の仕事を奪っていたのは俺だ。幸い、感染するような症状じゃないと騎士団付きの侍医が診断したから、張り切ってやってやったのだ。
それなのに、アーヤの熱が下がったからか今日は見舞いに行く素振りを見せない。もう心配ないだろうと言って、積極性がなくなった。
これはいかん、と思うだろう。幼馴染として友として、部下としてもグレイアム辺境伯領の領民としてもヴィンスにはアーヤと結婚して幸せになって欲しいというお節介がある。折角心が動いたんだから彼女の心を掴みに行け、と煽りたくなる。
「気持ちは嬉しいが、俺はアーヤとどうこうなるつもりはない。結婚もよほどのことがない限りしない。それに、アーヤに気持ちはないだろう?」
「だから、お前に気持ちが向くようにするんだよ。長年恋愛から遠ざかってヘタクソになったのか? いいからほら、散歩だっつって庭園にでも誘えよ。妃殿下とのお茶会は薔薇の苑だったんだろ? 全部は見て回る暇なんてなかっただろうし、裏の奴らもいるし、ゆっくり見て回ればいい」
「……」
難しい顔するなよ。身分違いなんて言わせねえからな。確かにアーヤはこの国の……この世界の誰よりも地位が高いだろう【星の渡り人】だ。だけど、ヴィンスだって【英雄】には変わりない。お前の肩書きなら、誰にも不釣り合いだなんて言わせない。
「……もし、アーヤが散歩に行きたいと言い出したら、庭園に連れて行ってやってくれ。俺は毎年恒例の全体演習に向けての会議が近々あるから、一緒には行けない可能性がある」
「あっ……悪い、すっかり忘れてた……」
難しい顔をしていたのは、そのことだったか。ずっとヴィンスが手にしていた新しい資料を手渡された俺は、失念していた騎士団内年中行事を恨んだ。
◇◇◇
案の定、療養してウズウズが最高潮だったアーヤが仕事に向かおうとしたので、新しいアーヤの世話係のマリーネに止めて貰った。よかった、先に可能性を話していて。そして庭園への散歩も上手く誘導できると、あとはヴィンスのためにもアーヤから花の好みなんかを聞き出せばいいだろう。あとでヴィンスから花を贈らせたら、少しは意識してくれるだろうから。
そう思っていたけれど、アーヤは一筋縄ではいかない女だった。いや、初めからそうだ。ヴィンスとの結婚云々の時だって、拒否したい心が見えていた。窮屈かもしれないが部屋や行動できる範囲でのんびり過ごしていてもいいのに、仕事をしたいと言い出すし。むしろ仕事には積極的で、体力を付けたら仕事を再開していいかと聞いてきた時は思わず笑ってしまった。
とにかく、アーヤは面白い。ヴィンスの心が動いていなければ、俺が婚約者に立候補したいくらい面白い。そんな面白いアーヤは、基本的に花に興味はないと言う。貰ったら嬉しいけど、特に興味は持ってないので花の名前もよくわからないのだそう。
ロドニーの言う通り、女性というものは総じて花に興味があるものだと思っていた。それが偏見だということを、アーヤははっきりと示した。だからロドニーが自分の婚約者のことで悩み始めたのに、アーヤは恋愛事はよくわからないと俺に放り投げる。言っておくが、俺だって婚約者はいないしまともな恋愛なんて十年くらいしていない。まともな助言なんて、俺にもできるわけがない。
拒否すると、握手を求められる。なんでだ。もしかして、俺もアーヤと同じように結婚する気がないって思われてる? それはヴィンスだけだぜ?
「あのさ、アーヤは結婚する気、ある?」
「……特にないですね」
ほら、やっぱり! このこともヴィンスに報告だな、と思いながらも自分はまだ結婚の意思はあることは主張しておいた。
そうやって、散歩の時間が終わると思っていた。
◇◇◇
目の前で、消えた。へんてこな球体が突然機敏に動き出し、護衛すべきアーヤと一緒にヴィンスをも消してしまった。
護衛に就いていたのに、危機感がまったくなかったのだ。ヴィンスの恋を応援している暇など、どこにもなかったのだ。
動揺して呆然とする俺の周囲で、ロドニーを始め裏で護衛の任に就いていた騎士たちが動き出している。マリーネさえも涙を拭ってなにかしようと動いているのに、剣を収めることもできないままの俺はただ突っ立っているだけだった。
これでは補佐失格だ。【英雄】ヴィンセント・グレイアムの右腕だなんて、烏滸がましいにもほどがある。
「イアン! しっかりしてよ。なにがあったの? アーヤとヴィンスはどうやって消えたの?」
両肩をしっかりと掴まれ、少し揺さぶられる。いつの間にかドウェインの顔がそこにあり、団長も厳しい顔つきでこちらを見ていた。
「なにが……なにが、起こったのかはわからない。不思議な球体がふよふよと漂っているのをアーヤが見つけて、警戒しつつもアーヤとマリーネを退避させようとした。ヴィンスへの報告は……」
「裏の連中が走ったって聞いてる。イアンはロドニーと一緒に、アーヤを守ってたんだよね?」
「ヴィンスがここに来たと同時だった。不思議な球体が突然機敏に動き出して、アーヤとヴィンスを消しました」
ドウェインのお陰かなんとか報告ができると、静かに聞いていた団長が厳しい顔つきのまま、問う。
「その球体は、その後にどうなった」
「二人と共に消えました。……申し訳ありません。私の失態です。最初の頃は球体の動きが鈍かったために油断しました。早々にアヤコ嬢とマリーネを退避させていたら、このような事態にはならなかったのかもしれません」
剣を収め、団長に深く深く謝罪する。そうするしかできない現状が、悔しい。すると、マリーネがこちらにやって来た。おそらく団長に謝罪するんだろう。彼女こそ、目の前、だったのだから。
「ラルフ様、発言を失礼いたします。イアン様は的確に判断なさいました。アーヤ様……アヤコ様を誘導したのはわたくしでございます。そばにいたのもわたくしでございます。罰するならばわたくしを。わたくしがアヤコ様を庇え切れなかったのです」
「団長も承知の通り、彼女は世話係です。護衛の任は私とロドニー、それからヴィンセント副団長で行っております。世話係が、庇え切れなかったと罪を負う必要はありません」
悔しい気持ちはわかる。俺でさえ後悔の念で頭が破裂しそうだ。だけどマリーネには罪はない。そう言って下がるように促すけれど、彼女は彼女で頑固だった。
結局、俺とマリーネは頭を下げ続ける。それに対して団長は大きな溜息を吐いた。
「二人とも、今はそんなことをしている暇はない。沙汰は追って出す。今はアヤコ嬢とヴィンセントを探すことに専念しろ。球体の方はドウェインに一任しても構わないか?」
「すでにロドニーに協力して貰ってますよ。イアンとマリーネもむしろ僕に付いて欲しいんですけど、許可をいただけますか?」
ああ、だからロドニーはマリーネのようにこの場に駆けつけなかったのか。あとで団長に謝罪しておくように言いつけておこう。アイツは真面目だから、今すぐにでも団長に謝罪と報告をしたいに違いない。
団長の許可が出されたので、俺とマリーネはドウェインへの協力に集中することになった。ドウェインが視覚する魔力の流れで、なにかわかればいいのだけれど。