幕間:ひとときの休息を ―ティファニー・フェリス・プレスタン
なんのことでしょう、とわたくしどもがしらを切れば、周囲はそのように振舞う。ですからこちらも間違わないように、間違えてもすぐに対応できるように、慎重にことを運ばなければならないことは、百も承知なのです。
そうやって窮屈さはわたくしを蝕みます。ええ、たとえ王太子殿下がわたくしを大切に思ってくださっても、日々をお城の内部で過ごすわたくしのすべてを把握しているわけでもない。わたくしの心の内を、すべて共感して汲んでくださるわけでもない。
王太子の婚約者として学び、覚悟の上で嫁いだとしても、時折このように深く沈んでしまうことがあります。
わたくしでもそうのようになってしまうのに、まったく別の世界からいらしたという【星の渡り人】様はどのような思いで日々を過ごしていらっしゃるのでしょう。
城内にある噂は本当のことです。この世界に、このプレスタン王国に、口伝や物語でよく知られている【星の渡り人】様が訪れたのです。わたくしは、なんのことでしょう、とお茶会などでしらを切り通しておりますが、誤魔化せてはおりません。もっとも、皆様方はわたくしがそう振舞っておりますので口を閉じていらっしゃいますが。
殿下曰く、【星の渡り人】様におかしな動きがする者がないように騎士団に預けているのだそう。護衛には副団長のヴィンセント卿を筆頭を付け、今はこの世界や国々のお勉強をなさっていらっしゃるとか。とても勤勉で優秀な方だと、教師役のドウェイン師から報告が上がっているとも聞いております。
このお二人がそばにいるならば、きっと誰も手を出せそうにありませんわね。わたくしが五歳という幼き頃に【英雄】となられて早十五年。その肩書きの影響力が未だに続いていらっしゃるのは、きっとこの時のためだったのでしょう。
ですが、生家でわたくしの侍女を務めていたブランシュが付いているとはいえ、お心は休まれているのでしょうか。わたくしが同じ立場になったらば、きっとすぐに寝込んで精神を病み、儚くなっているに違いありませんのに。そうなるのでもなく、凛と立っていらっしゃるのであれば……
「そんなに気になるなら、お茶会に誘ってみたらいいよ」
「まあ、殿下。よろしいのでしょうか?」
「そうだね、ティフだけならいいよ。でも……誘うのはまだ待って欲しい。どうやら仕事を求めているようで、調整をしなければならない。その期間だとちょっと都合が悪いから、もう少し後がいいかな」
殿下がそうおっしゃるのなら、そうした方がよろしいのでしょう。おそらくは【星の渡り人】様の安全を考えてのこと。殿下の足を引っ張ろうとするよからぬ者たちがなにをするかわかりませんものね。
「承知いたしましたわ。……あの、殿下。【星の渡り人】様だけでなく、わたくしのことも考えてくださってのこと、と思ってもよろしいのでしょうか?」
「勿論だよ。私のティフを危ない目に遭わせたくはないからね」
わたくしは、殿下の妃というだけで殿下の弱点となっております。ただの政略結婚だけではなく、心より愛を交わしての婚姻だということはこの国の民ならば誰もが知り得ていることですから。
そんなわたくしが不用意に【星の渡り人】様と接触すれば、きっとよからぬ者たちが飛び付いて来るでしょう。そうならないようにも、殿下は許可をすぐには出さないのです。
「ああ、そうだティフ。少し確認をしたいから、私の言うとおりに【星の渡り人】を誘ってくれないかな?」
わたくしのことを思ってお心を砕いてくださる優しい方で、大変聡明な方なのですが、時折こうしてお茶目になさるところは、わたくしの心も躍らせてくださるの。
◇◇◇
「先触れなしの件、まさか騎士団の動きを確認するためでしたとは……」
「うふふ。ナディアも気付いておりましたか。流石は我が国の騎士たちです。すばらしい動きでした」
とうとう、実行の日が参りました。殿下のご指示通りに【星の渡り人】様……アーヤ様を先触れもなくお誘い申し上げ、こちらの計画通りにヴィンセント卿を伴ってささやかなお茶会に来ていただきましたの。
アーヤ様が気付いていたのかはわかりませんが、薔薇の苑を含む庭園には騎士団の者たちが気配をある程度残して潜んでおりました。わたくしの近衛騎士はヴィンセント卿と同じようにそばに侍っておりましたが、それ以外の騎士の目もあるのだということを知らしめるかのようにして。
それに加え、王太子妃であるわたくしがアーヤ様と親しくしていることを知らしめることもできました。
殿下に仔細を報告すれば、きっと満足なさるでしょう。よからぬ者たちへの牽制ができた、と。
「それにしても、アーヤ様はとてもよい御方でした。お友達になれて嬉しいわ。それから、本当に大変お若く見えたわね。お顔立ちが少し幼いのでしょうが、肌も白くてほっそりしていて」
ですが、瞳はどこか不安そうでした。王太子妃という地位にいるわたくしと対面しているためか緊張の色も強かったですが、不安を隠せない色も強く出ておりましたわ。わたくしの懸念していた通りに。
それから、疲労の色。本日お出ししたお茶は疲労回復効果のある茶葉でしたが、大変気に入っていただいたので後日贈らせていただくつもりです。ブランシュに淹れて貰って、ゆっくりとした時間を過ごしていただきたいわ。
「そうですわね。涙を見せられたのは驚きましたが……ティファニー様が掛けられたお言葉で、これまでの張り詰めていた糸が切れてしまったのでしょうか」
「そう……ですわね。やはり、心休まる場所がないのでしょう。ですからわたくしがお友達になって、少しでもお心を軽く、と思いましたけれど。かえってご負担になっていなければよろしいのですが」
ナディアは大丈夫だと言ってくれたけれど、わたくしの願いも虚しく、アーヤ様はお茶会のその日に高熱を出されて臥せってしまったらしいのです。
◇◇◇
殿下はお優しいので、ティフのせいじゃないよ、とおっしゃいます。けれど、わたくしがお茶会に誘ったことが決定打だということは違いありません。
わたくしが心を痛め続けていると伝わったのでしょう、お忙しくされている殿下がお仕事の最中だというのに会いに来てくださったわ。王太子妃として強くありたいと思っていますのに、このようなことで殿下を煩わせたらいけませんのに。
「私のティフは本当に優しい子だね。これからもその心でアヤコ嬢とお友達でいて欲しいと思っているよ」
「ええ、ええ殿下。勿論ですわ。お友達ですから、心配なのです。自分を責めてしまうのです。もう少し気を遣えばよかったと後悔しております」
「そんなティフに、朗報だよ。アヤコ嬢の熱が下がったのだそう。ティフのお見舞いの品を喜んでいたそうだよ」
まあ、アーヤ様のお熱が! よかった。華奢な方ですもの、高熱に耐えてくださって本当によかった。
殿下はわたくしのために、お仕事を置いて伝えに来てくださったのですね。言付けを誰かに頼まないで殿下自ら来てくださったこと、ティフは嬉しく思います。わたくしを優しいと殿下は仰いますが、殿下の方がやはりお優しいわ。
「それはようございました。わたくしのお気に入りの【英雄】の物語をぜひとも読みたいと仰っていましたので、お花を添えてお贈りしたのです」
「ヴィンスがなんとも言えない顔をしていたけれどね」
それはヴィンセント卿には悪いことをしてしまったわ。でもね、十五年前のことを民は、王家もわたくしも、大変感謝しているの。それ故に、たった十五年前なのに口伝だけでなく物語を記した本がたくさんあるのですわ。それだけのことを、ヴィンセント卿もドウェイン師もなさったのです。お友達になった『アーヤ様』にきちんと知って貰いたかったのです。
「そうだ。彼女がお礼を、と言っているようだけれど、ティフはどうしたい?」
「まあ、そのようなこと! アーヤ様のお体はまだ弱っているはずですわ。まずはしっかりと休養なさって、無理をなさらず過ごしていただくことが一番です」
「ふふふ、そうだね。ティフならそう言うだろうと思って、先に伝えておいたよ。それからまたお茶会に誘いたい、とも」
流石はわたくしの殿下ですわ。わたくしの考えを見抜き、取り計らってくださる。
わたくしは時折、深く沈んでしまいます。それでもすぐに立ち直れるのは、殿下がわたくしのすべてを把握できなくともこうして寄り添ってくださるからです。今回も、殿下はわたくしを引き上げてくださいました。感謝と共に、愛しさも溢れて来ます。
溢れ出す想いを押し込めつつも殿下に感謝の言葉を伝えたわたくしは、殿下をお仕事へ送り出しました。これ以上この場に留まらせていては、仕事を進められない侍従たちが可哀想だわ。行きたくないなぁ、なんて零す殿下の背中を押して、わたくしはナディアにお茶を淹れて貰います。
アーヤ様をお茶に誘う計画を、のんびりと立てられたらいいと思ったのです。次にお会いする時はまずは先触れを出して、アーヤ様の都合のいい日時で。美味しいお茶とお菓子も、勿論ご用意いたしましょう。
わたくしとのお茶会が、アーヤ様のひとときの休息になったら。
そのような思いを抱いて。




