絢子、職を得る。4
熱で魘される。眠ってしまえば夢を見る。この世界に来た時からの映像がまるで走馬燈のように流れる。
まさか死んでしまうんじゃないでしょうね。そもそも異世界転移って事故とかの衝撃でするもんじゃないの? 私、家に帰り着いて玄関開けたら異世界の大浴場だったんですけど。あとなんかこう、大魔法使いとかの召喚魔法でやって来て、大成功だ~っやった~っ救国の聖女様~とかってなる展開。どちらもなかったんですけど、異世界転移モノとして成功してる?
だから都会モドキ田舎モドキ在住のアラフォーのオバチャンなんて異世界転移さすなって言ってるのよ。させるなら大都会に住む健全な若人一択よ!
それになんか特に世界の異変とか脅威もないらしいし、本当になんで私今ここにいるんだろう。平和な世界でのんびりゆったりお城で過ごさせて貰ってるけど、これでいいのか謎過ぎる。平和だからいいのかもしれないけれど、平和だからいろいろと考えてしまう。
だから、そう、生きるためにいろいろと、本当にいろいろと身に着けなきゃいけないのだ。どう頑張ったって元の世界には帰れないのだから。
――帰れないと、誰かが言っただろうか。本当は帰る方法があるのではないのか。
でも、だとしたら、どうして私は帰る方法を望んでないのだろう。お母さんとかお父さんとか、遠くで暮らす兄家族とか、同僚たちとか大好きな店長とか、どうして恋しく思わないのだろう。
おかしい。熱い。くるしい。おかしい。なんだか、キモチワルイ。
「アーヤ、苦しいのか? また熱が上がったようだな。……すまない。ブランシュは今、水を替えに出ている。治癒魔法で熱を下げられたらいいんだがな」
声が聞こえる。優し気な低い声。おでこが少しひんやりとするのは、その声の主が手を置いたから?
「大丈夫だ。心配せずとも、ゆっくりでいい。アーヤがこの世界に訪れたのには必ず意味があるはずだ。だから……もっと甘えていい」
ひんやりしたお陰か、すっと眠りに就けた。
それ以降は覚えている限り、魘されるような夢や思考に襲われたことはなかった。
◇◇◇
と、いうわけで、塚原絢子、完全復活です。
私が高熱で寝込んだのは三日間だけだった。けれど用心のために、それから更に三日間の休養を与えられた。騎士団専属の侍医の方が処方してくれたお薬とたっぷりの睡眠、それから栄養など考えて管理された食事とブランシュさんの看病のお陰でしっかり治った。感謝感謝で感謝しきれない。
この休養期間に、ティフ様からのお見舞いの品がナディアさん経由で届いたり、ドウェインさんが久し振りに顔を出してニヤニヤしながらも私の魔力の流れとやらを確認したり、体が痛むと言えばイアンさんが治癒魔法をかけてくれたり、ヴィンセントさんが頻繁にお見舞いに来てくれたりしたから、特に暇でもなかった。
ティフ様は寝込んでいる間にお見舞いの品をくださっていて、お詫びも兼ねてたみたいで大変恐縮したけれど……だって倒れたのがティフ様とのお茶会の後だった……気にしなくていいのに……お勧めの簡単な物語の本だったからいい暇つぶしになった。登場人物のモデルはヴィンセントさんとドウェインさんで、十五年くらい前の英雄の物語だった。私がこの本を読んでいるところを見たヴィンセントさんが、なんとも言えないような顔をしてておかしかった。
因みに、私はこの世界の文字を読めるし、書ける。そういえばまったく不思議に思わなかったけど言葉も通じるから、これは転移によるオプション的なヤツということに、しておく。
ドウェインさんはお見舞いってわけじゃなく私の所に来たらしい。なんだそれと思ったけれど、ヴィンセントさんに、面白いことがわかったよ、でもまだちゃんと証明できてない、とか言って騒いでた。流石は魔術の研究大好きな変人さん。ヴィンセントさんに、仮にも病人の部屋で騒ぐなって追い出されてたけれど。
イアンさんには、何故か謝られてしまった。彼は治癒魔法が得意らしいけれど、治癒魔法は病に効かないから治せなくてごめんね、と。病以外には効くんだからどうってことないです、と返したけれど、すごい笑っていたからそれでいいのだろうか。元の世界じゃそもそも魔法なんてないし、魔法に頼ろうという概念がそもそも私にはない。
でも、なんだろう、ドウェインさんにでも習っていただろうか。治癒魔法は病には効かないと言われた時、知ってるよ、と思ったのだ。うーん、多分教わってたのかもしれない。魔法については体力がない故に実践が保留にされているから、そんなに詳しくは習わなかったのだけれども。
それから、大分熱が下がった三日目の朝くらいに気付いて驚いたんだけれど、いつの間にか私のお世話係の人が増えていた。ラルフ騎士団長がこんな時だからこそと、もう一人のお世話係を連れて来てくれたらしい。私より三歳年下の、ブランシュさんと同じ子爵夫人で、元は騎士団の詰め所勤めも同じ。しっかり系お姉さんの、マリーネさん。着任後の初仕事が私の看病なのが本当に申し訳ない。ブランシュさんと交代しながら看病してくれてありがとうございます。
あとは、私が寝込んでるし休養中だったので護衛も一時休止かと思ったけれど、出入り口の扉の内側近くで主にロドニーさんが護衛してくれていた。寝込んでる間になにかされる可能性も無きにしも非ず……って、なにをされるというのだろう。よくわかんないけれど、安心安全のためだと思い日々感謝の心を持っている。
そんなわけで、皆さんのおかげで完全復活を遂げたけれど、体が鈍ってしょうがない。この世界に来て最初の勉強期間以上にこの部屋から一歩も出ない生活は、流石にしんどい。あの頃はこの部屋の窓から見える目の前のお庭で気分転換のお散歩ができていたからまだよかったが、これではなけなしの体力が底をつきそうだ。
だからお仕着せを着ていざ出勤しようとしたら、にこりと微笑んだマリーネさんに止められてしまった。ブランシュさんとはまた違った笑みは、なんだろう、ちょっと怖い。助けを求めようにも、ブランシュさんは今日はお休みの日だ。これまで休めなかった分、ゆっくり休んでください。
「アーヤ様は、疲労と精神的なものによる発熱だったとお聞きしております。しばらくはお仕事をお控えなさいませ。ヴィンセント様のご了承は得ております」
う、ずるい。先手を打たれてしまった。でも体が鈍って仕方ないのだ。仕事をさせて欲しい。元が社畜なので、なんだかそわそわしちゃうのだ。
「でももう平気ですし、熱が下がってからも三日も安静にしてたので……だめですか……そうですか……」
「ご無理は禁物です」
マリーネさんの大きな瞳にじっと見詰められたら、声も段々と小さくなる。駄目と言われたなら抗うべきではない。抗えそうな時とそうでない時の見極めは大事だ。今回は撤退あるのみ。強行突破したらマリーネさんにすんごく叱られそうである。私の方がマリーネさんよりも年上なのに。
渋々とお仕着せから軽装ドレスに着替えると、お茶を準備してくれていたマリーネさんに一つ提案をされた。
「アーヤ様。お仕事は承知できませんが、体力回復のためにもお散歩はいかがでしょう? ヴィンセント様には事前に確認しておりますわ。薔薇の苑がある庭園ならば護衛がしやすいとのことです」
「え、あそこってお散歩していいんですか?」
ティフ様とのお茶会に呼ばれた時はいっぱいいっぱいだったから、あんまりお花の記憶がない。なにより目の保養になるほどの可愛らしくてきれいなお姫様、イコール、ティフ様が目の前にいたから十分だったのだ。でものんびり見て回れるなら気分転換にもなるし、行ってもいいかもしれない。
「ああ、行ってみる? いいよ、ヴィンスに言われてたんだ。アーヤが望めば連れて行ってくれって」
「四阿もありますし、疲れたら休憩もできますしね」
現在の護衛は、イアンさんとロドニーさんだ。ヴィンセントさんはラルフ騎士団長に呼ばれて不在である。
手をひらひらさせて許可したイアンさんのお言葉に甘えて庭園に向かうことにした私は、自分が星の渡り人や聖女という肩書きを持っているということを、うっかり失念していた。だってまったくなにもないから、自覚しろって方がおかしいと思うのだ。