エマズワース村、西の森にて3
僕は何度か竜の体を揺さぶる。元々寝汚いのか、一度じゃ起きないんだよね。僕の娘も学生時代は寝坊助で、起こしても目覚ましをセットしてもなかなか起きなかったな。社会人になって一人暮らしをしている今、少しはマシになったらしいけれど。
……そういえばアイツも寝汚かったなあ。
いやいや、感傷に耽っている場合じゃない。今はとりあえず目の前のことをやっていくだけだ。
「ほら、起きて。君、ご飯の時には起こさないと怒るだろう?」
「えっ……?」
「え?」
竜を起こしていると、ルイーズさんが驚いたような声を出す。
「……どうしたの?」
「いや……それはこっちが言いたいかも?」
「なにがだい?」
わからなくて困っていると、不審者を見るような目を向けるコリンが、警戒心丸出しで僕にこんな言葉を投げた。
「トーゴ、誰を起こしたの? そんな地べたになんかあるの?」
誰って……なんかって……竜が、いるだろう?
もしかして、ルイーズさんにもコリンにも竜の姿が見えていない? そうじゃないと、今の発言にはならない。冗談だろうかとも思ったけれど、そんな様子でもないので本気で僕に投げかけたんだろう。
思い返してみよう。
そういえばモリスさんも村長もジョージも、竜に驚く様子はなかったような気がする。若様たちでさえ竜の出現に驚いたり警戒したりだったのに、小さな村の住人たちが揃って無反応というのはおかしい。
つまり、最初から竜が見えていないから、反応なんてあるはずもなかったんだ。
竜も、村の人たちが側にいる時はすごく大人しかった。僕と会話をすることもなくジッとしていたから、村の人たちも違和感がなかったんだろう。
僕は考える。どう答えたらいいんだろう。見えない存在を、しかも竜を、説明してもいいんだろうか。……いいや、駄目に決まっている。これは僕が勝手に判断しては駄目な案件だ。若様かイザベラ様に判断を仰いだ方がいい。
ゲイルも同じように感じたのか、僕が視線を合わせると慎重に頷いて見せた。
「……ごめんね。その件は、僕が簡単に説明してはいけない」
言い聞かせるように言えば、ルイーズさんとコリンは顔を見合わせる。そのタイミングで若様とドウェインさんがやって来ると、どうしたのかを問われた。
「ええと……コレのことで、ちょっと」
地面の方を指差せば、お二人ともが首を傾げる。
「え? なんかやっちゃった?」
「コレがなにかしでかしたならば、申し訳ない。怪我などないだろうか」
そうだよね、そういう反応しちゃうよね。僕も聞かされた立場なら、きっと竜がなにかやらかしてルイーズさんやコリンに怪我させたかと思っちゃうもんね。それか、竜の上から目線の物言いで怒ったとか、そういう心配をしてしまう。
けれど、そうではないんです。そもそもの話になってしまって、竜の存在自体を認知していないんです。
……というのを、どうやって伝えればいいだろうか?
「いえ、特になにも……コレ、っていうのは、そこになにかあるんですか?」
若様に応えたルイーズさんの問いに、今度は若様とドウェインさんが顔を見合わせた。それから僕をジッと見た若様に呼ばれると、少し離れた場所で問われる。どういうことだ、と。
「それが、僕にもよくわからないんです。若様たちに声を掛けた後に寝ていた竜を起こしていたら、二人が僕の行動を不思議そうにしていて……竜を認識していない様子でした」
「なるほど……それで、あの問いか。アオヤギ殿は、それになにか返事を?」
「いいえ、僕だけで判断はできないので、二人にはそう伝えました」
「賢明な判断だ。ドウェイン、今のは聞いていたな?」
僕と若様に付いて来ていたドウェインさんは、離れた場所から竜をジッと観察している。イザベラ様がしていたように、魔力の流れ的な物を見ていたんだろうか。
「聞いてたよー。認識阻害かなあ? 僕にはちゃんと見えるから、人を選んでいるのかも」
「ああ、ニンシキソガイって、認識を阻害するってことか。そういうこともできるんですね」
「一般流通はしてないけどね。そういう魔法が使える人もいるにはいるってこと。まあ、竜なりに気を遣ったんじゃないかな? だって怖いでしょ、竜がトーゴにべったりしてるの見ちゃったら」
確かに、大きなトカゲみたいなのが知り合いにくっ付いていたら悲鳴を上げてしまうだろう。それで村中が混乱に陥ったら、塚原さん捜索及び西の森の調査もできなくなってしまう。傍若無人な竜であっても、そのような混乱は避けたかったらしい。
「こちらとしても、竜のことは知られないままの方がいい。極秘情報により開示はできない旨を俺が伝えよう」
若様が直々に伝えてくれるなら、ルイーズさんもコリンも納得してくれるに違いない。領主様のご子息だし、なにより国の騎士団の副団長様で、世界の英雄だか勇者だかっていう凄い人だからね。そんな方が言うなら、下手に詮索はしないだろう。
「……んー、でもやっぱり……そう、なんだよなあ」
しゃがみ込んだドウェインさんが、再び竜を観察する。相変わらず眠ったままの竜は身動ぎもせず、穏やかに寝息を立てているようだった。
「あの件か」
「そう、あの件」
「だが師団長はその件には懐疑的だが」
「でも、僕が、感じたんだよ? ラヴィロッティの森の残滓もそうだった」
ああ、あの件の話をしているのか。若様とドウェインさんが倒したという魔竜が、実は神様だったんじゃないのかっていう話だ。
若様曰く、その神様が言うには竜は自身の分身で、だから聖獣で、だけど魔竜になったらしい。だけどドウェインさんは、魔竜そのものが神様だったんじゃないのかという説を持っている。
では塚原さんと若様が会うことができる神様は一体何者なんだろうか、という疑問が残るけれど、イコールなんだろうとドウェインさんは言うのだ。
イザベラ様は、ドウェインさんのその意見に賛同はしていない。やはり分身が妥当であり、イコールではなくニアリーイコールなんじゃないか、と言っている。
なんとも微妙なところを争っているけれど、そこが重要だったりするんだろう。
「その残滓とやらはこの森で見つかったんですか?」
「まだー。ラヴィロッティの森には十五年前の残滓がほんのちょーっとあったから、こっちにもカスがあると思ったんだけどな」
そんなことよりお腹空いたー、と主張するドウェインさんに苦笑していると、いつの間にかイザベラ様を探しに行っていたゲイルが戻ってきた。僕たちを視認したイザベラ様は、ルイーズさんたちとの距離感に不思議そうな顔をしている。
「なんだい、まだアレの話をしているのかい?」
「その話はもう終わりましたよー。今はお腹空いたねって話をトーゴとしてました」
「へえ? ……ヴィンスは?」
「えっ……?! あれ?! 若様っ?!」
イザベラ様に訊かれて、気付く。いつの間にか若様の姿がない。僕がキョロキョロしていると、ドウェインさんが笑った。
「大丈夫だって。イアンを探しに行ったんじゃない?」
「あっ! ああ、そっか……イアンを探しに行かなきゃいけなかったこと、忘れてた」
「ひっでー!! 俺のこと忘れてたんだ?!」
「うわあ?!?!」
自分でも大袈裟だと思うくらいに驚いて飛び跳ねてしまうと、いつの間にか側にまで来ていたイアンが噴出してゲラゲラと笑い出した。
対する僕は、物凄く恥ずかしいのと物凄く心臓が壊れそうなくらいバクバクしているので、大混乱でイアンが笑い転げているのは結構どうだっていい。若様がイアンを強めに叩いているけれど、そんなことよりも大袈裟に驚いてしまったことへの羞恥心と、驚かされた体がいつまでも落ち着きを取り戻さないことへの対処で忙しいのだ。
「すまない。こいつは些細なことで笑ってしまう性質なんだ」
「いえ……僕の方こそ凄く驚いちゃったんで……」
まだ心臓はバクバクしているけれど、羞恥心の方はひとまず落ち着いた。笑うのを堪えているイアンの代わりに若様が謝ってくれたので、多分よくあることなんだろう。イアンはおそらく笑い上戸で、若様がそれを止めるというか宥めるというかをしているんだ。
二人は主従関係のはずだけれど、砕けた口調や気安い仕草なんかはそれ以外の関係性も見えてくる。いい友人関係でもあるんだろう。
いいな、そういう関係。
鼓動が少しずつ落ち着きを取り戻しつつある。そのことを感じながらも、僕は元の世界の友人たちに思いを馳せた。
「魔竜=神様」説 。
聖獣は神様の分身。聖獣は魔竜に変貌した。魔竜は聖獣だった。聖獣は神様の分身。魔竜は神様の分身が変貌した姿、と解くのがイザベラ様。
聖獣は神様の分身。聖獣は魔竜に変貌した。……本当に?魔竜からは神様と同じ魔力を感じるので、魔竜は神様そのものなんじゃないか、と疑うのがドウェインさん。
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