序幕:魔竜と【英雄】
はじめまして。よろしくお願いします。
――この世界のどこかでただの人間だけでは太刀打ちできない事象が起こった場合、神が異なる世界より【聖女】もしくは【勇者】を招く。【聖女】ならば選ばれし者へ助力し、【勇者】ならば自ら屠る力を揮う。世界に平和をもたらす存在を、総じて【星の渡り人】と呼ぶ――
この世界は時折平和から遠ざかる。国同士の諍いや魔物による侵攻、大規模な自然災害。どれも多くの民にとっては同じで、恐怖と不安がただ押し寄せるだけだ。
そういう時には必ず、この世界には尊き人が現れる。この世界とは異なる世界からの【星の渡り人】だ。【聖女】や【勇者】と称される者たちの傍には【英雄】が添い、共に困難を打ち払ってくれるのだ。
この時も、そうなるはずだった。
聖歴一〇四八年。プレスタン王国辺境地にて魔竜と呼ばれる悪しき竜が暴れた。プレスタン王国は勿論のこと、多くの国や地域が打倒しようと兵を派遣するも、討伐に至らず。様々な場所で火を吐き暴れ、民を無残にも食い散らかす竜を誰もが恐れた。
そんな折、とある騎士と魔導師がその魔竜の首を刎ねた。もしや【星の渡り人】が現れたのかと古き民は思ったが、違った。騎士も魔導師も、真のプレスタン王国の臣であった。齢にして二十代半ばの男がたった二人で脅威を退けたのだ。
二人の【英雄】は口々に言う。あれが件の魔竜だとは思わなかった。それほどに自分たちに力があったのか、それとも魔竜の力がたまたま衰えていたのか。
真相は不明だが、脅威であった魔竜は滅びた。【星の渡り人】がおらずとも、世界は救われたのだ。もしかしたら、密やかに【星の渡り人】は招かれていたのかもしれないけれど。
◇◇◇
「今日もご苦労様~。あ、ちょっと待ってあんまり僕に近寄らないで」
「うるさい。だったら俺の椅子からどけ」
「ひどーい。この椅子、ふっかふかだから気持ちいいんだもん。副団長になったばっかりで新しいからかな?」
「気に入ったならお前も新調して貰えばいい。師団長に言ったらどうだ」
「え、絶対に無理。師匠はそれよりも寝て研究進めろって言う」
魔導衣の男が顔を顰めながらも渋々と立ち上がれば、騎士の男がどかりと椅子に座った。魔導衣の男の言う通りふかふかな座面だが、その優しさだけでは騎士の男の疲れは取れそうにもない。
「で、今日は何通? うわ、えぐい」
「これの他に侯爵家と伯爵家から直接打診があった」
騎士の男が机に放り投げたのは、十通の手紙。それを手に取った魔導衣の男は顔を引き攣らせたが、瞳を見れば愉快そうにしている。
「君もさぁ、断り続けるの面倒ならちゃんと婚約者選んでみたら? 今なら選り取り見取りじゃん」
「そう言われてもな……どこのご令嬢も同じように見えてしまう。いっそ父が政略ででも相手を見付けてくれたら腹を括るが」
「でも君のご両親って、そういうの放任だったっけ?」
「ああそうだ。貴族には珍しく恋愛結婚だったからな。ある程度は自由にしていいと言われている」
だからこそ、騎士の男は頭を抱えている。この十通の手紙はすべて貴族のご令嬢からで、どれもこの男への想いが綴られている夜会への招待状だ。侯爵や伯爵からの打診というのも、娘や姉や妹を是非妻に、というものである。この中に心が騒ぐような相手がいればいいが、両親のように想い合える令嬢はいないのだ。
「だったらいっそ、結婚なんてしない、って宣言するとか?」
「それは……まあ、最終手段かもな」
「ほんっと、【英雄】になったおかげで大変だね。僕は変人でよかったよ」
そう言いながらも部屋から出て行く魔導衣の男を見送ると、騎士の男は大きく溜息を吐く。
先程の魔導衣の男と共に魔竜を屠ってから、あまりにも周囲が変わった。まだ二十代も半ばひよっこが、あろうことか王国騎士団の副団長に任ぜられてしまったこともその一つだ。脅威を退けた功績で本来ならば騎士団長の座に就かせられるところだったが、固辞したらばそこに押し込まれてしまったのである。いずれ辺境伯領の領主と辺境伯領騎士団の団長となるために王国騎士団に入団したとはいえ、あまりに早い出世に周囲の期待と羨望の目は厄介だ。今はまだ、ただ研鑽の日々を送りたいと思っていたのだから。
これでは周囲が騒がしすぎてなにも集中できない。秋波を送る令嬢たちや、腹の底でなにを考えているかわからないお偉いさん方の相手をしている暇などないというのに。次になんらかの影響がはっきりと出たら、魔導衣の男の言うとおりに結婚しない宣言をしてしまおう。
騎士の男は窓辺に立ち、空を見上げる。すっかり夜は更け、月と星が煌いていた。
その空を彩る光に、問い掛ける。果たしてこの世界に想い想われる相手はいるのだろうか。星は瞬くが、月は雲が隠す。それが答えならば。
「……いない、かもしれないな」
自嘲すると、机の上の手紙をまとめてごみ箱に捨てた。
明日にでも、騎士団の団長を伝い公表しよう。グレイアム辺境伯家ヴィンセント・グレイアムは、当分の間結婚するつもりはない、と。これで周囲が多少大人しくなるのならば、それを貫き生きてもいいのかもしれない。