千客万来
夕食を女中さんが運んで来た。
部屋には紬と、さっき帰ってきたばかりの明日香と鈴がいた。
配膳する女中さんに、俺は軽く訊ねる。
「相馬 聡美さんに聞きたい事があるんですけど、いまお忙しいですか?」
女中さんの動きが、ピタッと止まる。
「……どういう事でしょうか? 私でよければ、代わりにお伺いします」
ぴんと、警戒の糸が張り巡らされる。
「いや、大した事じゃないんですけどね。亜夢美さんに、贈り物をしたいと思って。それで彼女の好みとか、教えてもらえないかと……。亜夢美さんに直接聞くのも、アレですし。驚かせてもあげたいし……。聡美さんなら、そういう事にお詳しいかと思いまして」
はにかみながら、砂糖菓子みたいな甘ったるい声で、俺は言う。
『ゲェー』と吐くような仕草を、鈴がする。
『どこのジゴロよ』と、明日香はこめかみに手を当て、顔を顰める。
『あらあら、まあまあ』と、女中さんは目を輝かせる。
……この落差。
俺という実態を、知っているか知らないかの差だな、こりゃ。
「そういう事ですか! よかった。お嬢さまのお気持ちが、通じたんですね。あれだけ毎日、一生懸命、お手紙を書いていたんですもの、届かない筈がありませんよね。『浅草寺』の『久米平内』様、ありがとうございます。お嬢さまの願いを、聞き届けて頂いて」
女中さんは跪き、祈りを唱える。
俺は顔が引き攣り、お尻の辺りがムズムズとしてきた。
明日香と鈴は頭を抱え、『Oh my God!』と叫んでいる。
……俺も、叫べるものなら叫びたい。
「申し訳ありませんが、相馬さまは不在をしておられます。帰られ次第、お伝えしますね」
弾むような声で、彼女は答える。
「婚約発表の事後処理で、お忙しいのかな。昨日はゆっくり休めたんでしょうか。申し訳ありませんね、殿倉家だけにお任せして」
俺は誘い水を向ける。
「過分なお言葉、勿体なく存じます。元々『大道寺家』は『殿倉家』の主家。主に尽くすは臣の誉れ。例えその任で帰宅できなくとも、何の不満がありましょうか!」
……そうか、聡美は昨日から帰っていないのか。
「そうですか。では帰られたら、お教え下さい。亜夢美さんには内緒で。……照れくさいでしょ、知られたら」
俺は鼻の頭を掻きながら、恥じらう様に言う。
『エロ事師』『スケコマシ』――後ろで罵声がする。
俺だってこんな真似、したかねえよ!
「タラシ兄ちゃんのおかげで、聡美が殿倉邸にいない事が判明しました」
紬が、子供に似つかわしくない言葉を使う。
俺は後ろを振り向き、睨みつける。
鈴が顔を逸らす。
てめえか、変な言葉を教えた犯人は。後でお仕置きだ。
「はいっ、お兄ちゃん。よそ見をしない!」
紬の叱責が飛ぶ。……理不尽だ。
「これは、僥倖よ。彼女がいなければ、アーちゃんとベーちゃんは自由に動ける。飛車角の、道が開けた」
紬は拳を握りしめ、意気揚々と語る。確かにその通りだ。だがしかし……。
「逆に考えると、何で聡美が殿倉邸を留守にしたか、気になるな。俺たちへの警戒が疎かになる事は、理解している筈なのに……」
俺の問いに、明日香が答える。
「私たちを見くびっているか、メアさんを押さえて安心しているか、……それとも私たちよりも大切な何かがあって、そちらに力を注いでいるか」
俺は精神世界で、赤い馬の目が言っていた言葉を思い出す。
『引け! 今は斯様な些事に、かかずらっている場合ではない!』
あいつ等は、何をしようとしているんだ。
俺と鈴は、顔を見合わす。
答えは、出ない。思考の迷路に迷い込む。
ポカッポカッと、俺と鈴の頭から小気味いい音がした。
その音は、俺たちを現実に引き戻す。
「はいはい、余計な事は考えない。今は間近に迫った脱出にだけに集中しましょ。その後の事は、その後。ここで失敗したら、その先はないわよ」
煙をこぶしから出しながら、明日香が仁王立ちしていた。
「アーちゃん、少し手加減してあげて。ベーちゃん涙目だよ」
優しい言葉が、紬から掛けられる。
紬は、二人をより深く認識出来るようになったみたいだ。
顔の詳細は分からないが、感情は読み取れるようになった。
「紬ちゃんは優しいね~。私の妹になる?」
鈴は “将“ ではなく、 “馬“ に狙いを定めたようだ。
「ううん。私のお姉ちゃんは、メアちゃんだよ」
「がーん」
鈴はカウンターを喰らった。
「はいはい。おふざけはその位にして配置について。もうじき、やって来るわよ」
明日香が手をパンパンと叩きながら注意をする。
史実通りなら、もうすぐだ。
手が少し、汗ばんできた。
俺は少し、歴史に波風を立てた。
だがそれはまだ、遠いアメリカまでは届いてない筈だ。
ならば、これからそれは起きる。史実通りに。
バタフライエフェクトは、そこまで速くない。
夜も更けた。
周りは静まり返っている。
鈴は神経を集中して、耳をそばだてている。
「来た! この低い唸るような音、間違いない!」
興奮した面持ちで、鈴は叫ぶ。
時は来たれり。俺は笛を口にし、思いっきり息を吹き込む。
ピィ――――。 静寂を、甲高い音が切り裂く。
その音に誘われるように、ヒュルルーと、口笛みたいな音が空に上ってゆく。
音は空高く上がると、ぱあんと弾けた。
赤、青、緑、……沢山の色を帯び、光の粒となり、空一面に広がってゆく。
我も続けとばかりに、ドーンドーンと音を響かせ、地上から光の玉が飛び立っていく。
屋敷は、爆裂音と光に包まれた。
「よしっ! 打合せ通り! しっかり仕事をしてくれたな、怜司!」
俺は夜空を見上げながら呟く。
空には、大輪の花火が咲いていた。
「大変だったんだからね。こんな短時間で、打ち上げ花火を準備するの。怜司の奴も『後で文句言ってやる』って、頭から湯気を出していた」
鈴が目を細め、恨めったらしく言ってきた。
喜んでお叱りを受けてやる。そして伝えてやる……『ありがとう』と。
「灯火管制されている中で花火を打ち上げるなんて、歴史に残る奇行よ、これ」
明日香が呆れた顔で、俺に話しかける。
「『事実は小説より奇なり』と云うだろう」
「こんな展開、奇をてらっただけよ。こんなプロットを編集に提出したら、間違いなく突き返されるわ」
「まあ、それはそうだがな。これはエンタメじゃない。反抗だ。綺麗で、心躍らなくてもいい。結果だけが全てだ。『兵は詭道なり 』とも云うだろう。あいつ等を騙すには、正規のやり方では、駄目だ」
「意味わかんない! 言ってる事も、やってる事も!」
そうだな。これは心理戦の中でも、異端に属するからな。
王道を歩いて来た明日香には、裏道もいいところだ。
だがな、その裏道にこそ、人は生きているんだぞ。
光の花が、暗い夜空を彩る。
それを、遥か上空から眺める者がいた。
『ヘイ、ジョン。なんだ、あの花火は?』
『お祭りでもしているんじゃないか。人が沢山集まっているみたいだ』
『この戦時下で?』
『お祭りは、人生に欠かすべからざる要素だぜ。イタリア軍の連中が、砂漠で貴重な水を使ってパスタを茹でたように。魂には栄養が必要なんだよ。ハッハッハ』
『そのスピリットは、嫌いじゃない。そんな連中には、生き残ってもらいたいな。よし、あそこでビラを撒こう!』
B-29は、殿倉邸に針路を取る。
『おい、なんだ、あの花火は。殿倉の屋敷の方だぞ。何をやっているんだ?』
灯火管制下での花火。人々は不審に思い、表に飛び出す。
『とにかく行って、様子を見てみよう』
人々は大挙して、殿倉邸に押し寄せる。
人は見知らぬ物に、不安を覚える。そしてそれを、打ち消そうとする。
「B-29のお出ましだよ!」 鈴の叫びが轟く。
殿倉邸は、蜂の巣をつついたような騒ぎとなっていた。
屋敷の周囲から訳の分からない花火が打ち上げられ、挙句の果てにB-29の襲来だ。
みんな我先にと、防空壕に避難する。
俺たちは庭先で、その様子を見ていた。
「私たちも避難しなくていいの?」
紬が心配そうに尋ねる。
「大丈夫だ。投下されるのは、爆弾じゃない……」
俺は紬を腕の中で抱きしめ、自分に言い聞かせるように呟く。顔を上げ、空を見上げながら。
空から、白い物が降ってきた。
ひらひらと、天使の羽のように、舞い降りる。
俺はその一つを、待ちかねるように手を伸ばし、掴み取る。
そしてそれを広げ、むさぼるように、見る。
『 日本國民に告ぐ。あなたは自分の親兄弟や友達を助けようと思ひませんか。助けたければこのビラをよく讀んでください…………』
きた! 歴史の通りだ! 明日香の言った通りだ! 台本通りだ!
俺は、ビラを握りしめる。
ここから先は、創作だ!
「鈴! やってくれ! 思いっきり!」
「りょ~かいっ! ど派手にいくよ~!」
タタタッと鈴は駆けてゆく。
「……いいの? あいつ、リミッター取っ払ったわよ。遠慮なしよ」
「構わん。その位で、丁度いい」
不安そうな顔で、明日香は呟く。――『知らないわよ』と。
「燃えろー、燃えろー、天まで焦がせー。酸素はいっぱい、硫黄もいっぱい、これで燃えずにおりゃりょうか~」
調子っぱずれの、鈴の歌が聴こえてきた。
ドーンという爆発音が響く。
あちこちで巨大な火柱が立ち、黒い煙がもうもうと立ち上る。
……早まったかな。
殿倉邸の周囲には、大勢の人が押し寄せていた。
その人たちが、口々に叫ぶ。
『殿倉の屋敷が、燃えているぞ』
『敵の爆弾か?』
『いや、違う。敵が落としているのは、このビラだけだ。 “日本國民に告ぐ” ――これ、例の噂の空襲予告ビラじゃないか。お告げは、本当だったのか!』
『じゃあ、殿倉の屋敷が燃えているのは?』
『……小麦粉の燃える匂いがする。 “粉塵爆発” じゃないか。殿倉は食料を溜め込んでいるって噂だったし』
『なんて勿体ない! 貴重な食い物が、燃えるているのか』
屋敷の外から、人々のざわめきが聴こえて来る。
聞き覚えのある声が混ざっている。
怜司のアジトで聞いた声だ。
『むざむざ食料を燃やすのは、勿体ないな』
聞き覚えのある声は、語る。
『江戸では昔、火元近くの家を壊して延焼を防ぐ “いろは組” があったよな。蒼森の街を火から守るのは、正義だよな。食料を運び出し、火事から守る事も……』
その提案に、皆はごくっと唾を飲みこむ。そんな幻聴がした。
その道中で自分の懐に入る食料を想像している姿の、幻想と共に。
違う方向から、またも聞き覚えのある声がする。
『警防課に持って行けば、ビラ10枚で米1合と交換してくれるそうだ』
ビラは、殿倉邸に降り注いでいる。宝の山が、目の前にある。
皆の、逡巡する心が伝わって来る。
行くべきか、行かざるべきか。苦悩が渦巻いていた。
『丸太があるぞー。これで門をぶち破れー。屋敷の連中は、火事で逃げ遅れているんだー。これは、人助けだー』
迷いを断ち切る言葉が発せられる。
流れは、決まった。
望むべき行動に、大義が与えられたのだ。水が低きに流れるように、殿倉邸に押し寄せる。
よってらっしゃい、 みてらっしゃい。
撒いてらっしゃい、壊してらっしゃい。
皆さまのご愛顧・ご支援で、俺たちは自由を得ます。
基本、悠真は容赦ありません、はた迷惑です。
でもこういうのも、アリです。
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