勝利の定義
黄金の龍が、空を征く。
バチバチと火花を散らし、泳ぐように大空を舞う。
不意に眼下を眺め、全身から青白い雷光を放つ。
少し遅れて轟音が響く。
何百という雷の矢が突き刺さり、大地が震える。
地表には、切り裂かれ、叩き潰され、焦げ付いた、無数の蟲の躯が転がっていた。
紅い龍が、地を駆ける。
焔の舌が大地を舐める。
高熱により空気は揺らめき、霞みがかったようになる。
炎の龍は崩壊と蒸発をもたらし、屍の山を築きながら、進む。
俺の横で、二人が二柱の龍神を操り、戦っていた。
全身全霊をかけ、神に抗っていた。
敵も黙ってはいない。反撃を始める。
全長2メートルの巨大な蟲たちは、隊列を組み、密集し、迫って来る。
神の軍勢が、牙を剥く。
蟲たちは、糸を吐く。
だがそれは、これまでの様な細い物ではない。
吐かれた糸は絡み合い、ロープのように一つとなる。
2本が1本に、4本が1本に、8本が、16本が、32本が……。
どんどんと巨大化し、その太さは直径3メートルにもなった。
そしてそれが雨のように、俺たちに降り注ぐ。
避けようが、なかった。
「単純な力押しでは、私たちに通用しない」
明日香は少しも怯まず、冷静に分析する。
彼女から、突風が吹き荒れた。
身体中の毛穴から蒸気が吹き出し、奔流となって俺たちの周囲を旋回する。
「その位じゃ、私の “赤壁“ は突破できない!」
押し寄せる柱の大群は、見えない壁にはじかれ、横に逸れてゆく。
風の盾は、ほんのり血の匂いがした。
「よっし、あとは任せて!」
鈴が前面に出て、両手を突き出す。
「ローレンツ力を利用し、誘導加熱を起こす。私のジュール熱は、あっついよ――」
柱たちが、震えだした。
そして青白い炎をあげ、燃え、融け、消えていった。
神の剣が、折れた。
明日香が、鈴の炎に風を送る。
炎は勢いを増し、燃え盛る。
火力を強めた炎は、蟲たちに襲い掛かった。
焦げた匂いが、辺り一面に立ち込めた。
「いける! 神を、駆逐出来る!」
俺は興奮し、拳を握りしめる。
鈴の力が、明日香の力が、神に届くのだ。
お伽話が現実になるみたいな、人類が初めて月に到達するような、不思議な高揚感に満たされた。
だが、黄金の龍を操る鈴の、紅い龍を操る明日香の、二人の表情は曇っていた。
「これ、不味いわね……」
明日香が眉をひそめ、呟く。
鈴も苦虫を嚙み潰したような顔で、頷く。
「どういう事だ? 優勢じゃないか、俺たちの。あいつ等の攻撃はこっちに届かず、俺たちは確実に敵を葬っている。勝利は、目前じゃないか」
俺の問いかけに、二人は顔を見合わせ、溜息をつく。
「ユマ、よく見て。確かに私たちの力は、あいつ等を倒している。けどそれ以上の速度で、新たな敵が誕生している」
鈴の言葉に、戦場を俯瞰し、全体を見る。
焼け爛れた大地に、無数の白い卵が転がっていた。
卵は段々と変色してゆく。少しずつ赤みを帯び、橙色となる。そして黒ずみ、灰色となり漆黒となる。
漆黒の卵に青い点が生じた。そしてそれが、光り始める。
卵が、ひび割れた。穴が、空いた。卵の殻を齧りながら、穴を広げながら、何かが出て来る。
白い芋虫が、這い出て来た。
何百何千という卵が、孵ってゆく。
白い巨大な芋虫の大群が、蠢いていた。
「私たちが千の命を奪う間に、あいつ等は千五百の命を生む。この戦いは私たちとあいつ等の、 “種“ としての戦い。あいつ等の攻撃は、確かに私たちに届かない。けれど圧倒的な “数“ で押せば、周囲を包囲し、ここを “封印の祠“ とする事は出来る。ここで足止めされるのは、都合が悪いでしょ」
鈴の言葉に、慄然とする。
それは、敗北を意味する。
空襲を間近に控え、メアを取り戻すべき現状では、許容できる事ではない。
黒い地表に、白い絨毯が波打っている。
人間の営みを嘲笑うかのように。
「そう悲観する事はないわ。『このままじゃ、不味い』というだけで、やり様はある!」
うなだれる俺と鈴に、明日香が力強く語りかける。
「ここが何処か、忘れたの? 悠真の “精神世界“ よ。ここでは貴方が創造主であり、自然法則なのよ。容量不足、パワー不足なら、外付けのハードディスクを使えばいい。おあつらえ向きの機材が、丁度あるじゃない」
明日香はニコッと笑い、両手で俺の手を握る。
「力を、貸してね……」
ああ、そうか。俺も一緒に、戦えるんだ。
「根こそぎ、持ってけ! ありったけ!」
俺は強く、明日香の手を握り返す。
『……遠慮なく』――彼女は満面の笑みで応える。
「私も……」
鈴がもう一つの俺の手を握る。
俺は彼女を見つめ、コクリと頷く。
「遠慮なく使え。俺の身体は、お前のものだ」
鈴は繋ぐ手に、ぎゅっと力を込める。
『隔てる物よ、なくなれ』とばかりに。
俺たちは呼吸を合わせ、心を合わせ、一体となり、一つの存在となる。
言いようのない陶酔感と、万能感がやって来た。
それは明日香も鈴も、同じように感じているようだった。
「3〇をする時って、こんな気持ちなのかしら……」
明日香がとろんとした顔で、暴言を吐く。
チェリーに、そんな事を聞くんじゃありません!
「私たち三つ首の龍の、死の顎から逃れる術はない!」
鈴が痛い台詞を吐く。
敵が糸を吐く蛾の幼虫だからって、俺たちは宇宙怪獣じゃないぞ!
へんなフラグを立てるな! 放射熱線を吐く大怪獣が現れたら、どうするんだ!
俺の苦悩を他所に、力が見る見る膨れ上がってゆく。
破裂する寸前の風船みたいだった。
「鈴、座標軸の演算は出来た? もう限界! いくわよ!」
「OK、データー送るね。思いっきり、ぶちまけちゃって!」
明日香の赤龍が、とぐろを巻いている。虎視眈々と、獲物を狙っている。
その赤龍に、鈴の黄龍が巻き付いている。
「「いっけぇぇぇ――――」」
二人の号令が響く。
縛めを解かれた獣が、放たれた。
閃光が走る。音がその後をついて来る。
音速を越えているのだろう。ソニックブームが起き、衝撃波が発生し、大地がめくれる。
赤龍が飛び去った跡は地面がズタズタに引き裂かれ、黄龍の雷撃により焼き払われていた。
掘り起こされた土と、黒焦げになった芋虫の帯が、どこまでも続く。
「仰角3度修正。速度そのまま。ヨーソロー」
鈴の指示に赤龍は従い、大地を舐めるように飛んで行く。
その下では、殺戮の宴が催されていた。
これまでよりも倍加した速度と破壊力。堪った物では無い。
天秤は “増殖“ から “衰滅“ に傾いた。
敵は、戦術変更を余儀なくされる。
黒く焦げた蟲たちが記憶の河に向かい、行進を始めた。
逃げる為ではなく、死に場所を求めるように。
息絶え絶えに、河原に到着する。
目的地に達した彼らは、迷いもせずに、一つに固まりだす。
重なるように、溶け合うように、覆い被さる。
そしてその塊は、天に昇るように上へ上へと伸びてゆく。
河の畔に、何本もの大木が生まれた。
その幹は固く、黒ずんでいる。
枝は無限に広がってゆく。
川の上空を覆い尽くさんとばかりに、伸びてゆく。
ここは、賽の河原。
悲しみの石が積み上がる、彼岸との境界。
枝の先に、花の蕾が現れる。淡く、白い、蕾が。
……いや、それは蕾ではなく、蛹だった。
生き残った蟲たちが、最期の力を振り絞って繭を作り、同朋の屍の上に立っていた。
花が、咲いた。
薄紅色の、桜の花だった。
河にせり出した枝に、静かに、厳かに咲いてゆく。ポツポツと咲いてゆく。
花びらは、風も無いのに揺れている。
羽化した成虫が、その翅を打ち震わせていた。
桜の花は、光を放つ。
その光に誘われるように、他の蕾が次々と開花する。
満開の桜が、咲き誇る。
河の上空が、桜に覆われる。
河に、桜雲が掛かっていた。
『桜の樹の下には、屍体が埋まっている』と云う。
桜があんなに美しいのは、その下に屍体が埋まっていて、それを吸っているからだと謂う。
この樹は、屍体を吸っているのではない。屍体で、出来ている。
怨念で、呪詛で、そして希望で。
敵を倒せと、仇花を咲かす。
乗り越えて行けと、望みを託す。
桜の花が、襲い掛かる。
鳳仙花のように弾け、種を飛ばす。
それは、白い卵だった。
白い銃弾が、機関銃のように切れ目なく発射される。
「一発たりとも、食らっちゃ駄目よ。アレが体内に入れば、孵化して、また卵を産んで、躰を貪り尽くす」
明日香の悲鳴のような警告が発せられる。
ぞっとする未来予想図だ。恐らく『こんな死に方したくない』のベストテンに入るだろう。
俺たちは必死に躱す。
桜の花弁が揺れる。
花びらが、散った。いや、白い蛾が羽ばたいた。
鱗粉をまき散らしながら、飛ぶ。
漂う粉がスクリーンとなり、蛾から発せられる光が投影された。
懐かしい、光景だった。
制服を着た俺が、明日香が、鈴が、いた。
狭い教室で机を並べ、気だるい午後の授業を受けていた。
窓から、眩しい陽の光が差し込んで来る。
これは、 “悠真“ の記憶。
懐かしく、退屈な、掛け替えのない日々だった。
明日香と鈴は涙を流す。
切なさに、やるせなさに、打ち震えながら。
その隙をつくように、弾丸が飛ぶ。
明日香はそれを、ぼうっと眺めていた。
弾丸が肉薄する。明日香の目がきっと吊り上がり、その身体から蒸気が噴出する。
哀しみは、怒りに置き換えられた。
ごうっという音と共に、俺たちの周りの空気が渦巻いた。
弾丸はその渦にはじかれ、逸れてゆく。
明日香は投影されている映像を見ながら、呟く。
「ヒトの記憶を吸いあげ、想いを踏みにじる……」
怒りに満ち、今にも爆発しそうな声だった。
「あなた達、うす汚れていますね!」
心底軽蔑しきった、見下す目付きを、蛾たちに向ける。
「自分達の姿を見なさい。白い体が、黒ずんでいる」
蛾は動揺の色を見せる。お互いに視線を向ける。
確かに彼らは、煤けていた。
「私たちは地面をえぐり、粉塵を巻き上げた」
鈴が、低い声で語りかける。
「舞い上がった砂鉄は、あまねく広がり、その身に降り注ぐ」
怒りも憐みも見せず、鈴は淡々と述べる。
「その灰を浴びし者、黄龍の抱擁から逃れ得る術はなし!」
鋭い、針金のような声で、鈴は死刑宣告を下す。
「魔法が解ける時間よ、灰かぶり姫!」
明日香が追い打ちをかける。『十二時の鐘は鳴った』と。
二人が顔を見合わす。小さく頷き、声を揃えて、叫ぶ。
「「赤(黄)龍、その責を果たせ!」」
その声に、二柱の龍は反応する。
赤龍が、蟲たちが居る周囲を、風と水流の膜で覆う。
黄龍が電磁力を発し、砂鉄を動かす。
砂鉄は密閉された空間で、暴れ回る。
それは荒れ狂う刃となり、蟲たちを切り刻む。
黄龍は力を強め、赤龍も風を送り、閉じられた空間はミキサーのようになってゆく。
蟲たちは、見えない刃に躰を削られていった。
少しずつ、逃れる事も能わず、命を削られてゆく。
攪拌される轟音にかき消され、悲鳴さえも届かなかった。
「……もういいわ、赤龍、黄龍……」
明日香が終決の合図をする。
龍たちは力の解放を止める。閉じられていた空間が、露となる。
緑色の液体で、辺り一面がベチャベチャに濡れていた。
周りは生臭い匂いが漂っている。
例えようのない不快感が襲って来た。
これが、戦場の匂いか。
離れた場所に、生き残った成虫が十匹ほどいた。閉鎖空間を免れた奴らだ。
憤怒に燃える目で、俺たちを睨みつけていた。
やれやれ、これもケジメか。やりきれない気持ちで、迎撃態勢をとる。
彼らも密集隊形をとり、一斉に襲い掛かろうとしてた。……このまま終わらす積もりは、ないのだろう。
最後の戦いが始まろうとしていた。
何の益もない、不毛な戦いだ。
ただ心の整理をつけるだけの戦いだった。
飛び掛かろうと、右足に力を込めた瞬間だった。
空が急に暗くなった。
光が失せ、闇に覆われた。
空気が冷え、刺すような風が吹いて来た。
言いようのない恐怖心が湧きあがる。
いけない。敵から目を離すな。
俺は蟲たちに視線を戻す。
すると蟲たちも、俺たちを見ていなかった。
蟲たちはガタガタと震え、空を見上げていた。
そしてその目に、赤い星が映っていた。
「ユマ、なにか……いる……。怖ろしい……モノが…………」
鈴が怯えた声で呼び掛けて来た。
間違いない。蛾の神や、龍神を従える者が、足元にも及ばないモノがいる。
俺は恐る恐る、後ろを振り返る。
月も星も無い闇空だった。
そこにポッカリと、赤い目が浮かんでいた。
少し出っ張って、白目がまるで無く、赤い眼球だけが映る、馬の目だった。
その両眼の目だけが、闇夜に輝いていた。
『引け! 今は斯様な些事に、かかずらっている場合ではない!』
馬の目はギロっと蛾たちを睨みつけ、一喝する。
蛾たちは抗議の声をあげようと、身を起こす。
しかし馬の目を見ると勢いを削がれ、大人しく平伏する。
そして躰の色が段々と抜け、透けるようになり、消えていった。
それを馬の目は、満足そうに見ていた。
そしてその視線を俺に向け、地を震わすような声で呼びかける。
『また、会おうぞ。我が愛し子の、想い人よ――』
そう言いながら彼は、消えて行った。
残された俺たちは、呆然とし、佇んでいた。
「勝った……のか?」
彼らが去ってどの位経ったのだろう。
一分だったのか、一時間だったのか、それすらも分からない。
とにかく疲弊していて、それを言うのが精一杯だった。
「『見逃してもらった』と言うべきでしょうね。他に何か優先するべき事があった。だから手を引いた」
明日香も疲れた声だった。肉体的にではなく、精神的に。
「ううん、これは勝利だよ。私たちの目的は、ユマに付けられた “鎖“ の排除。どっちが強い、弱いを決める戦いじゃない。戦略目的は、果たされた」
鈴の声に救われた気がした。その考え方に、明るさに。
「そうね、鈴の言う通り。私たちは、勝ったのよ、神に……。素直にそれを喜びましょう」
俺たちは、初めて笑顔になった。
そうだ、これは大きな成果だ。
「さあ、帰ろう。紬が待っている。そして……メアと静さんが……」
これで、終わりじゃない。これから赴く戦いへの、下準備だったんだ。
俺たちは帰途に就く。居るべき場所に、在るべき刻に向かって。
待っている人が、救わなければいけない人がいるんだ。
記憶の大河に、花筏が流れている。
そこに浮ぶのは、桜の花ではない。
千切れかけの羽で、ミイラのように干乾びた、命を燃やし尽くした蛾だった。
その姿は、弾倉を全て撃ち尽くした拳銃のように、気高く、満足気であった。
河は魂を乗せ、悠久の時を流れて行く。
桜の花を見に出掛けました。平和公園でした。川崎大空襲の爆心地でした。沢山の平和へのモニュメントに囲まれ、桜の花が咲いていました。
楽しそうな家族連れでいっぱいでした。子ども達が無邪気に走り回っていました。幸せな、光景でした。八十年前の惨劇を思い起こす人は、何処にもいませんでした。
私自身この話を書いていなければ、思いもしなかったでしょう。
この地に眠る人達は、どんな思いでこの光景を見ているのでしょうか。
忘れ去られる事を淋しく思っているのか、幸せに暮らす孫子を嬉しく見ているのか。
『桜の樹の下には、屍体が埋まっている』
その言葉と、そんな気持ちに引きずられ、この話を書きました。
『ブックマーク』、『星評価』、『いいね』をお願いします。下段のマークをポチっとして頂くだけです。それが執筆の何よりの糧となります。……筆者の切なるお願いです。




