孵化(ふか)
昔々ある家に、一人の娘と、一頭の馬がいました。
娘はいつも厩に入り浸り、馬と仲睦まじく過ごしていました。
娘は美しく成長しました。当然、縁談の話が持ち上がります。
ですが娘は、それを全て断ります。娘の行く末を案じた父親は、その理由を問い詰めました。
すると娘は、とんでもない事を口走ります。
『私は、馬と夫婦になりたい』と。
父親は愕然としました。我が耳を疑いました。
しかし娘の真剣な目が、それが真実だと告げます。
父親は娘の目を覚まそうとしました。
とびっきりの青年を用意し、娘を正道に戻そうと、街に出かけました。
その留守に、娘と馬は、夫婦になりました……。
帰って来た父親はその事実を知ります。
激怒しました。
馬を桑の木に吊るし上げ、斧で首を刎ねました。
娘は馬の首に縋りつき、嘆き悲しみます。
すると馬の首は娘を乗せ、天へと昇って行きました。
娘を失った父親は、傷心の日々を送ります。
そしてある日、夢を見ました。
愛しい娘が婚礼衣装を纏い、夢に現れました。
横には、同じく婚礼衣装を纏った馬がいました。
娘は父親に語りかけます。
『桑の木で私たち夫婦を彫り、お祀り下さい。さすれば糸を吐く虫が、富をもたらすでしょう』と。
夢から覚めた父親は、娘たちを祀る事にしました。
桑を削り、その棒の先端に娘たちの顔を彫り、幾重にも布を着せ、祀りました。
するとそれは迷い事などある時に、馬の顔がどちらかへ向き、『お知らせ』してくれました。
娘たちは『お知らせ様』と呼ばれ、やがて『オシラ様』として広く祀られるようになりました。
“家の神“ として、 “農業の神“ として、……そして “ 蚕“の神“ として。
「あれがその、『オシラ様』というのか……」
白雨のように降り注ぐ糸を見ながら、俺は呻く。
「その一部、もしくは分体と言った方が適切かもね」
冷静に、明日香は答える。
「あいつは、何をしているんだ?」
記憶を吸いあげる糸を指差し、尋ねる。
「あの糸はどこかに繋がり、吸い上げた大切な “思い出“ を送ってているんでしょう。お届け先が、相馬 聡美か、殿倉 亜夢美か、殿倉 主馬かは知らないけれど」
どこか投げやりな、明日香の口調だった。
「何で、そんな物を欲しがる?」
やっている事は分かった。問題はその動機だ、目的だ。
「その記憶が、何らかの力に変換されるか。それとも単純に、……その “思い出“ が愛しいとか」
切なそうな表情を、彼女は浮べる。
「『殿倉』という名はね、昔は倉庫の『倉』ではなく、馬の背に乗せる『鞍』を使っていたそうよ」
突然、脈絡の無い事を言い始めた。
「そしてその『殿鞍』家の分家が、『相馬』家。……『聡美』の家よ」
いや、これは、……そういう事なのか?
「……『馬』づくしだな」
俺は『神』の伝承を、思い起こす。
「そうね、『殿倉 主馬』の中にも、入っていたわね。『殿鞍』は男子の名に『馬』の字を付けるのが、代々の慣わしみたい。『殿鞍』は元々、『大道寺』のお馬番だったそうよ」
『殿倉』が、お馬番? 今や『大道寺』を追い落とす勢いの『殿倉』が?
「お馬番も決して低い身分じゃないけど、『殿鞍』はお馬番の中では下っ端だった。それがあれよあれよという間に出世し、筆頭家老の地位にまで昇りつめた。家格が固定化した江戸時代では、異例の事よ」
俺の疑心に応えるように、明日香は説明を続ける。
「……異常だと思わない? 『殿倉』の人間の、『大道寺』の同世代の人間に対する執着を」
俺の脳裏に、亜夢美の『手紙』が、主馬の『祭壇』が、浮かんで来た。
「多分むかし、 『オシラ様』の伝承と似たような事があったんじゃないかな。『お馬番』と『お姫さま』、『馬』と『人間』ぐらいの身分差があったでしょうね、当時は」
「おそらくハッピーエンドでは、なかったでしょう。それを許すような、甘い時代じゃない」
「『大道寺』は、それを恥部として切り捨てた。けど、『殿鞍』はそうじゃなかった。愛しい『姫さま』とのロマンスは、代々語り継がれ、宿願にまで昇華されていった――と思う」
「想像だけどね。けど私の作家としての勘が、『大きく外れてはいない』と言っている」
明日香が語る物語は、真実味を帯び、肉を付け、血を通わせ、俺の目に映し出された。
「『人の思い』と云うのは厄介なものよ。積み重ねられば、『鰯の頭』も『神さま』になる」
そう話す彼女は、どこか達観した表情だった。
「その過程で、『オシラ様』と結び付いたんじゃないかな。『神さま』が『想い』に応えたのか、『想い』が『神さま』を生んだのか、因果関係は分からないけど」
俺と鈴は、何も言えなかった。
その哀れさに、救いのなさに。
ただじっと、神の営みを眺めていた。
糸は公園の鳩みたいに、水面の “思い出“ を啄んでいた。
俺たちの事は、路傍の石の如く黙殺していた。
天は変わらず、そこに在った。
だが、地に変化が起きた。
大地に、白い楕円形の石が敷き詰められていた。
それは次々に亀裂を生じ始める。
パリパリと、その面が崩れ落ちる。
中から、真っ白な芋虫が這い出て来た。
それは、石ではなかった。小さな神の、卵だった。
何百何千という芋虫が、大地をのたうち回る。
ヌメヌメとした粘膜が、俺の肌を粟立たせる。
その動きは鈍重で、鋭い牙も無く、力強い腕も無い。
だがその集団が一つの生命体となり襲い掛かる時、俺たちは成す術が無い。
世界は、真っ白な絨毯に覆われ、蠢いていた。
白い芋虫は口から糸を吐き、記憶の水面に突き立てる。
チュルチュルと、記憶の映像を吸いあげる。
俺と亜夢美の映像だけでなく、周囲の人物や風景まで、根こそぎ、ごっそりと。
記憶の河には、なんの姿も映っていなかった。
透明の川が、ただ流れていた。
「……どうする、アレ? こっちから何かしない限り、攻撃してくる様子は無さそうだが」
その悍ましい光景を眺めながら、俺は尋ねる。
最悪、このままでも構わない。
「排除するべきね、何があろうと。アレが在る限り、あなたの行動は、あいつ等に握られている。そして何より……」
それまで静かに冷静に話していた明日香が、くわっと目を見開き、声を荒げる。
「あんな物があなたの心に巣食っているなんて、 “私が“ 我慢できない!」
昂る感情のまま、息を切らし、明日香は怒りをぶちまける。
神域を穢された、そんな貌をしていた。
「明日香に同意! バグは潰せ!」
鈴が腕を突き上げ、雄叫びをあげる。
俺としても、否はない。元々それが目的で来たのだ。だが、思ったより敵が大物過ぎた。
「どうやる? 相手は曲がりなりにも『神』なんだろう」
特攻をするつもりはない。勝ち目が無いなら、引く事も肝要だ。
大切な人を守る為に、この命を差し出す事は厭わない。しかしここは、そういう場面じゃない。
「通常なら、尻尾を巻いて逃げる所ね。けれどここは、通常空間じゃない、あなたの精神世界なのよ」
顔をニタリと、うふふと笑う。
「信仰は、力となる。信じる心は、存在を生む。力も、命も。ここは、あなたの精神世界。それがより顕著となる場所」
確信に満ちた力強い声が、甘く響く。
「目の前に、格好のお手本があるじゃない。鈴、あの『神さま』を分析して。ひん剥いて、すっ裸にして、あられもない姿を曝け出させて。そしてその衣を、纏わせて貰いましょう」
明日香は、嗤う。創造主に挑む、堕天使のように。
鈴は無垢な妖精の微笑みで、それに応える。
「りょ~かい! ちょっとお手を拝借。力を貸してね」
鈴はそう言うと、片手ずつ俺と明日香と手を繋ぎ、意識を、力を、共有する。
鈴の意識が、流れ込んで来た。
トン・ツー・トン・ツー……、無・有・無・有……、0・1・0・1……、世界の定義が、暴かれてゆく。
神の成り立ちが、露わとなる。
「下手を打ったね。精神体である私たちの前で、そのロードマップを示すなんて。迂闊だよ、セ・ン・パ・イ!」
悪戯っぽく、鈴が呟く。
「新入学のガイダンス、お疲れ様! 花のキャンパスライフを、満喫させて頂くわ」
厭味ったらしく、明日香が囁く。
空が、震えた。糸が、わなないた。
取るに足らない小さな存在から発せられる巨大な力の奔流に、はためく様に。
「なるほど、こうやるのね」
明日香は拳を握り、肘を後ろに引き寄せる。
ブンッと音が鳴り、躰からシューッと蒸気が吹き出す。
周囲がゆらゆらと、霞みがかる。
血液が激しく流れ、身体中に熱を帯びていた。
「出でよ、我が神!」
明日香は右手を正面に伸ばし、人差し指を突き立てる。
蒸気が指の先端に集まる。そして強く強く結び付く。
密度を濃くした蒸気は次第に血の色を露わにした。
一匹の、巨大な赤い龍が現れた。
「ようこそ、赤龍、我が半身。これからよろしくね」
まるで産まれた我が子を見るような、優しい目で語りかけた。
「よっし、上手くいったね。じゃあ、私も」
鈴はそう言うと、両手を横に力いっぱい伸ばした。
指の先端が、バチバチと火花を発している。
その火花が、反対の手に向かって飛んで行く。
火花は電流の渦となり、黄金の龍が現れた。
「ハロー、黄龍、電子の王。いざ共に、真理探究の旅に赴かん」
龍の頭を、鈴が優しく撫でる。
いま、二柱の神が生まれた。
この精神世界だけに限られた、幼い、弱い神かもしれない。
だがそれは天に届き、地の拳を突き刺す、確かな力だった。
その灯火は、俺たちを前へと進ませた。
遂に、現代組二人の活躍回です。
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