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叶えられた望み

ヒバリのさえずりが聴こえる。

柔らかい日差しが差し込む。

朝のまどろみの中、俺は夢の世界から中々抜け出す事が出来なかった。




「お~き~ろ――」


可愛らしい声と、みぞおちへのエルボー・ドロップが、俺の目覚めを(うなが)す。


「……にーちゃん疲れているんだから、も少し優しく頼む」


俺はささやかな望みを述べる。


「し~ら~ない! あんな素敵な女性と深夜の逢瀬をしたのに、そんなしみったれた顔をしている、物の有難みが分からない奴の言う事なんて、し~ら~ない!」


紬は追い打ちのエルボーをかます。

俺の可愛い目覚ましは、スヌーズ機能搭載のようだ。


「で、どうだったの。メアちゃんと会えたの、話せたの……」


心配そうに、気遣うように訊いて来た。


「会えた。今後の計画も伝えた……」


俺は事実を述べる。


「それにしては浮かない顔をしてるよね。そっちが返事だよ、私が訊きたい事への」


……こいつは本当に心の機微に(さと)い子だ。


「まっ、勝ち負けじゃないんだから、男女の関係は難しいよね。すれ違い、思い違い、空回りは当たり前。それが思いやりから生まれているから、タチが悪い。……上手く折り合いつけてね。そんなんでダメになったら、泣くに泣けない」


……おまえ、初恋もまだだろう。なに言ってやがる。



「お~カッコいいね、紬ちゃん。わかってる――」


横から鈴が茶々を入れて来た。


「伊達に与謝野晶子を読んでいません。恋愛マスターと呼ぶがよい!」


紬が吼える。

あれ? これって?


「紬、こいつの言う事、聞こえるのか?」


「うん、なんとなくね。昨日ぐらいから、 “アーちゃん“ と “ベーちゃん“ の声が聞こえるようになったの。まあ洞窟の中で聞くみたいに、こもったエコーが掛かった感じだけど、分るよ、言っている事!」


朗報だ。これで伝達手段が飛躍する。

……それにしても、 “アーちゃん“ と “ベーちゃん“ か。正体がバレなければいいけど。



廊下から、誰かがやって来る気配がした。

俺は口に指を当て、会話を中断させる。




「おはようございます。皆さまお揃いで……」


相馬(そうま) 聡美(さとみ)が、能面のように表情を押し殺した顔で挨拶する。


「本日のお便りです」


三通の文を手渡す。……まめな事で。


「昨日お渡しした文はお読みになられましたか? もし読まれたなら、五歳の亜夢美様がお書きになられた分をお渡ししますが」


聡美はそう言うと後ろをチラッと見る。

そこには大きな葛籠(つづら)を二人がかりで抱える女中さんたちがいた。


読めるか! 千通はあったぞ。読めたとしたら、それは内容をすっ飛ばして読んだ事に違いない。

どんな相手であれ、そんな真似はしたくない。


「まだだ。斜め読みでいいなら可能かもしれないが、そんな扱いをしていい手紙じゃないだろ。まだ時間はあるんだ。ゆっくり読ませてもらう」


俺の言葉に、聡美は『ふんっ』と鼻を鳴らす。


「この屋敷に、暫くはいらっしゃると云う事ですね。……けっこう。ではここに身を置く以上、その責をお果たし下さい」


まあ、明日にはおさらばするつもりなんだが、そう思ってくれるなら都合がいい。




「今夜、青翠(せいすい)館で、地元有力者の集いがあります。『勇哉さんにも出席して頂きたい』との旦那様の仰せです」



『青翠館』――殿倉家の蒼森市内にある別邸。迎賓館のような役割を担っている。


地上二階、地下一階の、ヴィクトリアン様式の洋館。

赤い焼成レンガの荘厳な造り。

張り出した六角形の尖塔。

床には “ヴィクトリアン・フロア・タイル“ を使い、部屋々々によってその幾何学模様は異なり、多彩な表情を見せている。


主馬(かずま)が殿倉家当主となり、真っ先に行ったのが、この館を建立(けんりつ)する事だった。


それまでの殿倉家の集まりは、五十畳の大広間を使って行っていた。

それを主馬は変えた。

この洋館の大ホールで、畳に座す時の席次などを取っ払い、自由に語り合う事を推奨した。

流動性が生まれ、闊達な意見が交わされ、連帯感を持つようになった。

そこに招かれる者はそれを誇りに思い、いにしえの『円卓の騎士』になぞらえ、自らを『円蓋(えんがい)の志士』と呼んだ。

殿倉は、発展した。



その集まりに、俺を参加させるというのか。

まあ、主家筋を公の場で粗略に扱えば、殿倉の損になるだけだから、下手な事はしないだろうが。




「衣装は、こちらにご用意しています」


聡美は葛籠を持つ女中さんたちの、その更に後ろに居る女中さんに目線を向ける。

長方形の衣装盆を、両手で抱えている。盆には黒い服が乗っていた。


「タキシードを、ご用意しました」


聡美は二ッと笑う。嫌がらせかよ、こんなもん着せるなんて。


「……きっとお似合いですよ。楽しみです」


満面の笑みで、去って行った。






「皆さま、ようこそ。ご婦人方が美しく着飾り、その耳もとで紳士が甘い言葉を囁き、舞踏に興じた日々も、今や昔。大正ロマンの(おもむき)は記憶の彼方。今や軍靴と銃剣の時代です」


ホールから、殿倉 主馬の声が聞こえて来る。

俺はそれを隣室で、ホールと隔てる扉の前で聞いている。


「先日この地は、災厄に見舞われました。多くの船が失われました。多くの命が失われました。港に弔鐘が鳴り響きました」


活動写真の弁士のような、装飾過多な言い回しだ。質実剛健な彼らしくもない。


「ですが、悲しみは、これまでです。今宵、悲しみは、死の床に就きます。喜びという、次代の支配者が誕生します。希望、歓喜、といった従者を引き連れて」


こんな話し方は、彼本来の物ではない。

だがそんな事は気にしないのだろう。

自分の望む物を得る為なら、どんな衣装を纏おうとも、構わない。

それが、彼本来の気質なのだろう。


「近年、心無い噂が横行しました。『大道寺は力を失った』『殿倉がそれに取って代わる』――嘆かわしい次第です。全くもって嘆かわしい。二家は表と裏、昼と夜、山と海、対立するものではなく、分け隔てられるものでもなく、地続きで繋がっているのです。それを(かんが)みれば、噂のなんと愚かなことか」


かなり踏み込んだ内容を口にする。

公然の秘密として、黙殺してきた事を。

俺は主馬の狙いを推し量る。



「しかしそんな噂は、今日を限りに消え去ります。大道寺と殿倉が、一つとなるのです。二つの川が交わり、一つの大河となり、大海に向かうように――」


なるほど。自分の権力の正統性を主張したいのか。

主家である “大道寺“ の承認の(もと)、力を振るっていると。

だがな、それはリスクが大きいぞ。

俺がこの場で否定したら、台無しだぞ。

ここに居るのは、へそ曲がりで、お家の事など鼻紙程度にしか思わない、バカ殿だぞ。



「ご紹介します。大道寺家当主、大道寺 勇哉氏!」


俺の前の扉が開かれる。

眩しい光が飛び込んで来た。



「大道寺の新たなる指導者!」


「蒼森の守護者!」


「奥羽の王!」


思い思いの賛辞が降り注ぐ。

まるで魔女の予言か、呪いのように。

俺はその中を進んで行く。




「皆さま、大道寺 勇哉氏です。勇猛果敢、頭脳明晰、清廉潔白、まさに我らが(おさ)に相応しい人物!」


主馬は、なおも持ち上げる。

……気持ちが悪い。


「今宵彼は、一人の女性を(めと)ります。……殿倉家の娘を!」


おおぉーと喚声があがる。

その喚声よりも、主馬の一言が俺の耳を刺した。

いま……なんと言った。



「勇哉氏を支え、これから大道寺の一員となる人物を紹介します」


ファンファーレが響く。

スポットライトが照らされる。

薄暗い室内に、太陽が現れた。

世界が、金色に染まった。


「長き不在の為、彼女を知る人は少ないでしょう。だがこの国難の時に、己の責務に目覚め、蒼森の為に立ち上がると決意しました。勇哉氏と力を合わせ、尽力する事を誓いました」


中央階段を降りて来る女性を見て、俺は言葉を失う。

『まさか』『有り得ない』『そんな旨い話はない』――そんな言葉が頭を巡る。


「これは、政治的な縁組だけではありません。二人は、深く想い合っているのです。幼き日から、その想いを(はぐく)んできました」


現実なのか。夢じゃないのか。


「正直私は、この縁談には反対でした。両家は独立した存在であるべき、補完すべき存在だと思っていたからです。けれどこの二人の姿を見て、考えを改めました」


輝く黄金の髪。

清く澄んだ碧い瞳。


「愛する二人を引き裂くなど、するべきではないと。もし引き裂けば、心も二つに裂けるでしょう。『心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえども其の味を知らず』――抜け殻のようになるでしょう」


永遠に一緒だと誓った、愛しい人。


「だがもし、この二人が添い遂げればどうなるか。生まれて来る子どもに、ひとかたならぬ愛情を注ぎ、その子の為にも蒼森の発展に力を尽くすでしょう」


こいつの為なら、死んでも構わないと思える人。


「この二人の婚礼に、異を唱える方もいらっしゃるかもしれません。ですが寛容な心で、新たなる時代を、若い二人をお受け止め下さい。……伏して、お願い申し上げます」


主馬は深々と頭を下げる。

ホールは、万雷の拍手に包まれた。

拍手の渦の中、一人の女性が歩いて来る。満面の笑顔で。


夢なら、醒めないでくれ。もう少し、この笑顔を見させてくれ。

俺は、神に祈った。




愛しい人が、近づいて来る。

純白のドレスを着て、髪を纏め、幸せと云うブーケを携え、俺に向かって真っすぐに歩いて来る。


彼女は俺の前に立つ。

その手を伸ばし、俺に差し出す。

俺は宝物のように、その手を取る。

「メア!」 俺は歓喜の声をあげた。


何度心の中で描き、夢見た光景か。

世界は、限りない喜びに満ちていた。




メアの細い五本の指に、俺の指を藻のように絡ませる。

彼女は気恥ずかしさと嬉しさで頬を染める。

俺は渦巻く喜びを抑えきれず、メアを引き寄せる。

象牙のような白い額が、視界を覆う。


「ずっと、一緒だ。これからずっと、何があろうと……」


俺は誓いを立て、その額に、口づけした。




それは、彼女にとっての喜悦の瞬間だった。

俺にとっての絶望の瞬間だった。


彼女は口を三角形に吊り上げ、眼を妖しく光らせ、嗤った。


「メア……?」


俺は不安に苛まれ、細い声で呼びかける。

何かを予兆したかのように、疑念を払拭するかのように。


俺の声が彼女に届く。

するとピシッという音を立て、彼女の額から亀裂が走った。

幾筋もの線が、放射線上に走った。


世界が、軋んだ。

見ている物が、砕けて行く。

ガラガラと、音を立てて崩れ落ちた。



「望みが、叶いました。欲しかった言葉を、頂けました」


そこにいたのは、蠱惑的に微笑む、細い絹のような黒髪の少女。

殿倉(とのくら) 亜夢美(あゆみ)だった。


なぜだ! なぜ見間違えた。


「契約は成されました。永遠(とわ)の愛の……」


違う! これはペテンだ!

そう叫ぼうとした。だが、出来なかった。氷のように固まった。

亜夢美の後ろのあるものに、釘付けとなった。




アーチ窓から、月明かりが差している。

月光に照らされ、黄金の髪の少女が外に立っていた。

彼女はこちらを見つめている。

その姿は青い光を浴び、幻想のように窓に映し出されていた。


少女は顔が強張(こわば)るほどの驚きに襲われ、愕然(がくぜん)としていた。

衝撃の激流に飲み込まれ、立ちすくんでいた。


やがて事態を察知したように、驚きは悲しみに姿を変える。

荒涼とした砂漠に吹く風みたいな、乾いた悲しみだった。

諦めの色濃い、もの悲しい貌をしていた。


そして彼女は阿修羅の如く、三つ目の、最後の貌を見せる。


優しく慈愛に満ちた、聖母の貌だった。

己と云うものをこそぎ落としたような、澄んだ、哀しい表情だった。

自分の幸せを置き忘れたような、切ない微笑みだった。


彼女は目を細め、涙を(こら)え、俺に語りかける。


「お・し・あ・わ・せ・に」


彼女の口元は、そう呟いていた。

心から、そう願っているかのように。



彼女は駆け出した。

未練を、執着を、振り切るかのように。




「待ってくれ! 違うんだ! これは間違いなんだ!」


俺は必死に窓へ向かう。あの窓を飛び越え、メアを追わなくては。


いきなり奇声をあげ、人波を掻き分け走る俺に、参列者たちは奇異な目を向ける。

構うもんか! どう思われようと。


窓まで辿り着き、外に飛び出そうとした瞬間だった。

突然、脳が鷲掴みされたような感覚に襲われた。

体中の力が抜け、意識が遠のいてゆく。



「しょうがない方ですね。妻の前で、他の女のお尻を追いかけるなんて。……そんな気が起きないように、これからたっぷりと、私の色に染めて差し上げますね」




霞む世界の中で、そんな言葉だけが響いてくる。

天国が、遠ざかって行った。

想い 想われ 振り 振られ。 人の気持ちは厄介です。それが二つ、三つと重なれば。


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