燎原の火(りょうげん の ひ)
俺たちは今、かけがえのないモノを得られた。
金でも利でもなく、情によって協力してくれる味方を得た。
彼らは俺たちを裏切らない。そう確信出来た。……雄兵郎に感謝した。
これで、計画を進める事が出来る。
「まず越えなければいけないハードルが、二つある」
俺はそう言いながら、大きな紙を広げる。
一つは殿倉邸の見取り図、そしてもう一つは蒼森市の地図だ。
「一つ目は、メアと静さんの奪還。彼女たちは殿倉邸の北にある、 “八の倉“ に居る」
見取り図の端を指さす。俺たちが居る “東の離れ“ からは随分と距離がある。
「決行は明後日、7月27日深夜。ビラが撒かれる日だ。君たちが噂を流してくれたお陰で、ビラを求めて民衆が殺到する事は間違いない。その混乱に乗じる」
多分いま俺は、人の悪い顔をしているに違いない。
「ついては君たちに、もう一仕事頼みたい。噂を流して欲しい。『これから食料配給も覚束なくなる。殿倉には、食べ物がたんと有る。……襲え!』と」
怜司は悪魔を見る目付きで、俺を見る。
「昭和の米騒動だよ。打ちこわし、待ったなしだ。あ、出来ればその辺りに破城槌を置いていてくれれば、ありがたい。丸太みたいな物で結構だ」
彼は眉をひそめ、呆れたような顔をする。
「君たちは、何もしない。ただ噂を流し、丸太を置くだけだ。あれだけ炊き出しを行なっているんだ、そんな噂が流れても、何の不思議もない。たまたま噂が流れ、たまたま置き忘れた丸太があっただけだ。君たちに、罪はない」
詭弁だ! 彼の瞳はそう語っていた。
「民衆も、殿倉を傷つけようとはしないだろう。ただ水が高い所から低い所に流れるように、食料が流れて行くだけだ。俺が求めるのは、その混乱だけ。メアと静さんだけだ、奪うのは」
『慎み深いのか、悪辣なのか、よく分かりませんね』と怜司は独り言を言う。
俺は構わず、次を続ける。
「二つ目は、二人を抱えての蒼森市街からの脱出」
蒼森市の地図を広げる。
「問題は、静さんだ。彼女は歩く事が出来ない。殿倉邸からの脱出時には布担架を使うが、流石にそれでは市街への長距離は、担ぐ者の体力が持たない。リヤカーとかで運ぶ必要がある。そうなると問題になるのは、東なら堤川、西なら新城川を越える時だ。橋に検問を敷かれたら、一巻の終わりだ」
「北の海を舟で逃げるというのは?」
「蒼函連絡船空襲で、いま港は混乱している。出港する船は減り、小さな舟でも目立ってしまう」
「残るは南ですか。けれど山に阻まれますね……。羽州街道を使って逃げますか?」
「今言ったのは、単なる状況だ。状況は、変える事が出来る」
俺の言葉に怜司はがばっと地図から顔を上げ、俺を見つめる。
「問題があるなら、その問題を取り除けばいい。河豚の毒を取り除くように。そうすれば問題は消失。相手の得意技を受けてやるような、プロレスをするつもりは無いよ」
「具体的には?」
興味深そうに、彼は尋ねる。
「あと二つ、噂を流して欲しい。一つは民衆に、『明日、28日になったら、憲兵が街を封鎖する。逃げるなら、28日の夜明けまでだ』と。そうすれば我先に、みんな街から脱出しようとする」
怜司は大きく頷き、俺の言葉に耳を傾ける。
「そしてもう一つは、検問している殿倉の息が掛かった連中に、『殿倉邸に暴徒が押し寄せて、殿倉の一族は殺された。殿倉は、終わりだ』と。……信じる信じないは、問題じゃない。襲撃があるのは事実。そして殿倉の連中が、わざわざ安否を知らせる為にみんなの前に姿を現す事は有り得ない。危機管理の上で、やる筈がない」
俺は確信に満ちた声で述べる。
「押し寄せる民衆、崩れ落ちる拠り所、必ず疑念は湧く。『殿倉にこのまま忠義立てをして、本当にいいのか。民衆を虐げるような真似をして、誰が責任を取ってくれるのか』と」
俺の脳裏には、その情景が鮮明に浮かぶ。
「そうなれば、検問どころじゃない。その中に紛れ――橋を渡る」
俺は言い切った、自信に満ちて。
「そう上手く、いきますかね……」
揶揄するように、怜司は言う。
「いく訳ないだろ! 世の中そんなに甘くない!」
「…………は?」
『なに言ってんだ』といった顔で、怜司は間抜けな声を出す。
「いま話したのは、あくまで基本パターン――『プランA』だ。状況によって対応出来るよう、プランB、C、D、E、F、G…………、各種用意した」
俺は一枚の紙を手渡す。
「何ですか、この真っ黒な紙は。うわっ! 小さな文字がびっちりと書き込まれている。読めね――」
怜司は悲鳴をあげる。ついでに、サイコさんを見るような目つきを俺に向ける。
「虫眼鏡でも使え。こっちも大変だったんだからな。持っているのがバレないように一枚に纏めるの」
普通に書いて紙を何十枚も持っていたら、流石にバレる。マイクロフィルムじゃないだけ、有難く思え。
怜司はブツブツ言いながら虫眼鏡を持って来て、顔を顰めながら文書を読む。
一通り見終わり、ふぅと溜息をつき、こちらを見る。
「大筋は理解しました。しかしこれを運用するには、綿密な連絡が必要です。貴方が殿倉に戻れば、それが出来なくなる」
予想された指摘に、俺はニコッと笑う。
「連絡については心配無用! こいつらに連絡役をしてもらう」
俺が言葉と同時に、机の上にあった鉛筆が宙に持ち上がる。
そして鉛筆は紙の上に直立し、すらすらと文字を書き始めた。
『 “アース“ です。お見知り置きを』
明日香の “はね“ も “はらい“ も完璧な字が書かれた。
『はーい、 “ベール“ でーす。よろしくね―― (⁎˃ᴗ˂⁎)』
鈴の踊るような丸い字が書かれる。……顔文字は、やめろ。
「これは一体!」
怜司の顔に、汗が流れる。
「言っとくが、こいつらは人間だぞ。ただ肉体から精神が離れて、魂だけの存在になっているだけだ」
「『だけ』って……。それは『生霊』と謂うんじゃないですか」
「……人間だ。誰が何と言おうと」
それは、譲れない。何があろうと。
俺と怜司の間に、緊迫した空気が流れる。
『奥にあるバイク、キャブレターが “かぶって“ いたから直しておいたね。あー楽しかった!』
『貴方たちが使っている暗号、単一換字式暗号でバレ易いから、多表式暗号に改良しておいたわ。 “エニグマ“ ほどじゃないけど、これで簡単に解読できない筈よ』
おまえら、俺たちが演奏している間に何してやがった。大人しくしておけと言ってただろうが!
怜司はその文字を見ると慌てて表に行き、仲間を二人連れて来た。
表から来た二人は奥の部屋へ入る。すると、驚きとも悲鳴ともつかない声が聞こえた。
「おお、吹き上がりが全然違う! それになんだ、変なチューンナップがされているぞ」
「なんじゃ、この複雑な解読法は! ヴィジュネル暗号? めんどくせー」
……おまえら、やりすぎだ。
怜司が怪訝な表情でこちらを見る。
「分かりました。その二人の有能さも、そして貴方がそう言うのなら信用も置けるのでしょう。……人間か亡霊かは、ひとまず置いておきます」
実利主義的な考え方は、嫌いじゃない。
「連携は、アメリアさん達とも取らないといけません。そちらもその二人に?」
「いや、それは止めておく。相馬 聡美には、こいつらが見えているんだ」
「では、彼女達への連絡は?」
「……俺がする」
もし万一見つかっても、俺なら言い逃れが出来る。
「……分かりました、お気をつけて。いつ、します?」
怜司は神妙な顔をする。その危険性を理解しているのだろう。
「今夜、草木が眠る時に」
俺は、決意を込めて返答にする。
そんな俺に、彼は祈るように呟く。
「魔に、魅入られないように……」
“魔“ とは、何だろう。
殿倉邸には、 “オシラ様“ が住まうと謂う。
殿倉 主馬は何かに魅入られ、 “魔王“ となった。
俺は現実世界に居るようで、魔界の縁を歩いているのかもしれない。
これで、方針が定められた。
だが、もう一つの懸念がある。
それを晴らす為に、俺は勇気を振り絞る。
「それはそれとして、え~と、その、なんだ」
「なんです、歯切れの悪い。貴方らしくもない。はっきり言って下さい」
俺はごくっと喉を鳴らす。手が汗ばむ。心臓がどくどくと鳴っているのが聴こえる。
身を切るような緊張の中、彼の肩に腕を回し、耳もとに口を寄せ、囁くように言った。
「……紬のこと、どう思う?」
賽は投げられた。
俺は怜司の返答を、合格発表を見る受験生の気持ちで待ち受ける。
「技のキレ、瞬間の判断力は一級品です。だがそれを活かす体格がない、筋力がない。一対一なら相手の隙を突きそれを補えますが、集団戦では力任せの攻撃になす術がないでしょう」
「いや、そういうんじゃなくてな……」
丸っきり戦力としか見られていない。
まあ、仕方ないか。『恋愛脳』という言葉があるが、こいつはその対極に位置する。
俺は『う~ん』と唸り、再び彼の耳に口を近づける。
紬に聞こえない様に細心の注意を払い、思い切って言う。
「ぶっちゃけ、付き合いたいとか、……嫁さんにしたいとか」
「はぁ~あ????」
彼は、固まった。
意味が解らず、俺の言葉を頭の中で反芻しているようだ。
「なにを言うんです。僕に幼女趣味はありません!」
彼はキッパリと叫ぶ。『ふざけんな、この野郎!』と。
紬は『何してんだ、こいつ等』といった、キョトンとした顔をしている。
紬は七歳。幼稚園から小学校に上がる齢。
怜司は十二歳。中学校に上る齢。
……犯罪だよな。
「今すぐどうこうと言うんじゃなくてな、五年後、十年後を見据えて考えて欲しいんだが……」
俺は、なおも食い下がる。
「五年後でも、十二歳と十七歳! ――犯罪です」
怜司の容赦ない言葉が返される。
「十年待たないと、ダメか~」
俺は大きな溜息をつく。
彼は怒りに眉を吊り上げ、唇を噛みしめ、肩を震わせている。
『二十二歳まで清い体でいろ』と言ってる様なもんだもな。そりゃ怒るよな。
「なにか、下衆な事を考えているでしょう。言っときますが、僕は蒼森が落ち着くまで誰とも付き合う心算はありません。公平性を保つのに、特別な人は邪魔になります」
見透かすような、見下すような視線で言い放つ。少し、ムッとした。
「若いね――。完璧なシステムであろうとするのは良いけど、人は感情の生き物だよ。人を愛するという気持ちを理解しないと、理想の集団は作れないよ」
ちょっと意地悪を言ってみた。この位はいいだろう。
だが俺の言葉は、思ったより深く刺さったようだ。怜司は傷ついた顔をしている。
多分、俺の言った事は自覚しているのだろう。けれど “人を愛する“ という気持ちは、なろうと思ってなる物じゃない。自然となる物だ。彼には、それがまだ訪れていない。俺は祈る。その日が訪れる事を。願わくば、その相手が紬である事を……。
俺の祈りを、怜司は迷惑そうな顔で見ていた。
なんとか言い返したい。そんな気持ちが、彼の表情にありありと表れていた。
「噂一つで、殿倉に立ち向かうつもりですか?」
意趣返しをするかの様に、怜司は冷たい声を放つ。
これは、彼に一言言って置かないといけないな。
「噂を見くびるなよ……。流言飛語で、国が滅ぶ事もある。自覚してないかもしれないが、君たちが持っている力は、ネットワークは、使い様によってはとんでもない力となる。そしてそれは一度放たれると、生み出した者にも手が付けられなくなり――燃え広がる」
さっき迄と打って変わり、真剣な表情で答える。
怜司の持っている力は、彼が思っているより巨大だ。
よく『力は持つ者次第で、神にも悪魔にもなる』と云う。
彼は、それを自覚しなければならない。
「俺たちへの協力が、雄兵郎への義理というなら、止めてくれても構わない。行う内容に納得してなければ、現実に直面した時に決意を翻す事がある。それは、俺たちにとっても君たちにとっても不幸だ。降りるのなら、今のうちだ」
俺は最後の決断を促す。
「僕たちは……貴方たちに協力します。雄兵郎への義理は確かにあります。けどそれ以上に、殿倉が信用出来ないんです。炊き出しとか行って、民衆の支援をしています。けどその裏で知事を動かし、蒼森からの避難を阻害しています。どこか、ちぐはぐです。一貫性がない。民衆の事を考えているとは、到底思えない。貴方たちに協力するのは、それが一番大きな理由です!」
理解した。安心した。信頼した。
俺たちは、本当の意味での仲間を得られた。
もはや、後戻りは出来ない。
俺たちが放つ火は、蒼森の街に燃え広がる。
“燎原の火“ のように、激しく、手の打ちようもなく、焼き尽くす。
それが希望のともし火となるか、地獄の業火となるか、神ならぬ俺には、知る由もなかった。
第六章『燎原之火(りょうげん の ひ)』はこれで終わりです。
次回から最終章『天の下 地の上 時の狭間』が始まります。
少しでも面白い話となるよう、全力を尽くします。
是非最後までお付き合い下さい。
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