真夏の夜の夢
お目当ての限定品を購入し、ほっと一息をつく。
売り切れてはいけないと思い、開店と同時に入店した甲斐があった。
オープンが11時半と遅かった為、もうとっくに昼を回っていた。
外には燦々と金色の光が降りそそいでいる。
蝉の青春の雄叫びが、けたたましい。
生命に満ちあふれた夏の日だ。ビルの中に閉じこもるのは勿体ない。
俺はテイクアウトを片手に、公園へと向かう。
公園の樹々は、訪れる者を優しく迎える。
日光の陰影に色づく木の葉陰は、光の遊泳を眺める水族館のトンネルのようだった。
広場では中学生がバスケットゴールの下で3on3をしている。
ボールの弾む音、バッシュの軋む音がリズミカルに響く。
俺は木陰のベンチに座り、それを眺めながらクラブハウスサンドを頬張る。
最高の休日だった。
「待って~。そっちに行っちゃ駄目ぇ~」
少女の叫び声が聴こえる。何事だ?
考える間もなく、なにかが俺に覆いかぶさってきた。
茶色と白のグラデーションをしている。
さわさわとする毛が俺の顔をくすぐる。
ザラザラな舌が、俺の頬を舐めた。
その感触に、覚えがあった。
「おまえ、パックか。うわっ、懐かしい!」
俺はじゃれつく秋田犬を抱きしめる。
久々の、親友との再会だった。
「ごめんなさい、うちの子がご迷惑をかけて」
じゃれ合う俺たちに少女が声をかけてくる。
俺は声の方向に振り向く。
妖精が、そこにいた。
麦わら帽子に白いワンピース。
涼し気にむき出しになった肩。
風にはためく長い裾。
夏の少女だ。
「大丈夫ですか?」
少女は不安そうに俺を見つめる。
その亜麻色の髪は肩先で切り揃えられ、日の光を反射していた。
硝子のような一片の曇りもない瞳が、キラキラと輝いている。
全身から眩い光を放っていた。
この少女を俺は知っている。
新開 鈴――『フェアリー・クイーン』。
俺のクラスメイト。
「夢宮……くん?」
彼女は俺の名を零す。
知っていたのか、俺の名を。
違う意味で有名だからな、俺も。
さて、どうしよう。嫌われ者の俺と関わってしまった。どう収めよう。
俺はお互いに平和的な不干渉を模索する。
「なんでパックがこんなに懐いているの? この子、知らない人には絶対懐かないのに」
気になっているのはそっちか。
まあ、隠すような事でもないし、いずれ分かる事だ。
「小さい頃の知り合いだからな。小学校低学年の時かな。その頃よく一緒に遊んだ」
世界が広がるのが楽しくて、自転車で遠征していた頃の話だ。その時出会った。
「貴方の名前、確か『悠真』だったわよね。……小学校低学年の時、……悠真。………………もしかして貴方、『ユマくん』?」
懐かしい名だ。幼い頃の俺は『悠真』と上手く言えず、自分のことを『ユマ』と呼んでいた。
俺はこくりと頷く。
「そっか。貴方がユマくんだったんだ……」
俺と彼女の面識は無い。
俺がパックと会っていた頃、彼女は父親の転勤で地方にいたはずだ。
「とにかく、その汚れた服をなんとかしましょう。土とパックの涎でドロドロよ。ウチに一緒に来て!」
言われてみて、自分の恰好を改めて見る。
確かにこれじゃあ電車に乗れない。
俺は大人しくパックと一緒に彼女に引かれ、家へと連れて行かれる。
「すまねえな、兄弟!」
パックはそう言っているようだった。
彼女の家は公園のすぐそば、歩いて五分の所にあった。
重く古びた門扉を開き、彼女は叫ぶ。
「おじいちゃん、お客さん!」
笛のように澄んだ声が、波紋のように一面に広がる。
「なんでえ、鈴。騒々しい」
奥から熊のような男が出て来た。
老齢ながら、がっしりとした体躯。
みなぎる力が集まったような引き締まった腕。
生命力に溢れた赤銅色の肌。
十年前と変わらぬ姿が、そこにあった。
新開 雄兵郎。俺は『おべ爺』と呼んでいた。
「……その男はナニモンだ? おめえの彼氏か?」
怪訝な顔で俺を見つめる。
「なに言ってんの。『ユマくん』よ。いつもおじいちゃんが話していた、あの!」
彼女は不本意だ、と言わんばかりに目を吊り上げる。
その言葉におべ爺は目を丸くして、俺を凝視する。
「おめえ、ユマか! ……本当に、ユマか」
おべ爺は大声をあげ、駆け足で俺のもとに近づいてくる。
「よく来てくれた……」
そう言うとおべ爺は俺をその逞しい腕で抱きしめる。昔みたいに。
瞳には涙が浮かんでいる。
「おべ爺、ただいま!」
俺は七歳の子どもに還っていた。
ひとしきり再会を喜び、俺たちは離れる。
鈴とパックは優しい目で見守っていた。
「そうだ、ばあさんにも教えなきゃ。おい、ばあさん。ちょっとこっちに来い!」
おべ爺は奥に向かって大声で呼びかける。
「なんです、おじいさん、大声を出して。近所迷惑ですよ」
上品な、楚々とした老婦人が奥から顔を出す。
頭は白く、長い髪は綺麗に一つに纏められていた。
真夏に輝く霊峰の雪のようだった。
「千多ばあちゃん!」
俺は老婦人に呼びかける。
「ユマ……かい? ユマなの?」
千多ばあちゃんは信じられないものを見る目で俺を見つめる。
「うん、ユマだよ。久しぶり!」
懐かしさに震えながら俺は答える。
「おっきくなったね……」
千多ばあちゃんは目を細め、俺の頭を撫でる。昔みたいに。
「立ち話もなんだ。奥でゆっくり話そう」
おべ爺に促され、俺たちは家の中に入ってゆく。
「改めてあの時のことを詫びさせてもらう。すまなかったな。……傷は、残ったのか?」
畳敷きの居間で、おべ爺は握り拳を畳に着け、頭を深く下げ、俺に謝罪する。
俺は素直に謝罪を受け入れる。
別に謝って欲しいとは微塵も思っていない。だがこれはおべ爺の心の問題だ、けじめだ。
受けとらないのは、おべ爺を苦しめることになる。
「大丈夫だよ。ちょっと残ったけど、大したことはない。武勇伝のネタとして使わせてもらっている」
俺はニカッと笑い、うっすらと傷跡の残る右腕を見せる。
小さい頃、ここでついた傷跡だ。
パックを連れてドッグランに行った時のことだ。
大型犬に、パックが襲われた。ジャーマン・シェパードだった。
不幸な事故だった。
元来ジャーマン・シェパードは賢く、従順で、親しい者を守ろうとする愛情深さを持っている。
それが、仇となった。
ジャーマン・シェパードの飼い主である子どもを、パックが威嚇した。
それを飼い主の危機と取ったジャーマン・シェパードが、パックを襲う。
周りに大人はいなかった。偶々少し離れた所にいた。俺しかいなかった。
俺は二匹の間に割って入る。
鋭い痛みが右腕に走る。
ジャーマン・シェパードの牙が食い込んでいた。
それが、俺とパックの最後の思い出だった。
「けど、おめえ。あれ以来ここに来なくなっちまって……」
しゅんとした表情で、大柄な身体を丸めておべ爺は言う。
俺はぷっと吹き出す。
「それはまた別の理由。ほらあの頃、小説家の子どもが誘拐された事件があっただろう。あれで校区外、つまり県境を越えたこっちに子どもだけで行く事が禁止になったんだ」
桐生と話していたことを思い出す。
あいつもとばっちりを受けたが、こっちもこっちで大変だった。
「そっか、ここが嫌になった訳じゃないんだな……」
心細い表情を浮べながら訊いてくる。
「そんな訳ないじゃん。ずっと気にはなってはいたんだ。でも心配そうな親の顔を見ると、来る訳にも行かなくて……」
いっそ高圧的に禁止してくれれば、反発しようもあった。
だがあんな心配そうな顔をされると、逆らうことなど出来ない。
優しい、あたたかな空気が流れてきた。
雪解けを誘うような風が吹いて来た。
「さあさあ、お話はそのくらいにして、お風呂に入って着替えておいで。服、ぐちょぐちょじゃない。着替えを用意しておくから。これは洗って、帰る迄に乾かしてあげる」
千多ばあちゃんは俺の肩をぽんと叩く。
俺は風呂に入り、いろいろなものを洗いながした。
着替えは、浴衣が用意されていた。
最近のぺらぺらの生地ではない、昔ながらのしっかりとしたものだ。
さらっとした着心地が気持ちいい。
「西瓜、切ったわよ。縁側にいらっしゃい」
ちりんという風鈴の音と一緒に、千多ばあちゃんの声が聴こえた。
俺は縁側へと向かう。
縁側には、蚊取り線香の煙が漂っていた。
緑色のぐるぐるから立ち上る煙。
深みのある心地よい香りだった。
浴衣姿の少女が、美味しそうに西瓜にかじりついていた。
「よく冷えていて、甘くて美味しいよ。ユマくんも食べな」
濃紺の地に、流水紋の上を水色の蝶が飛び交う浴衣を着た少女が言う。
清廉に妖艶に、いろいろな魅力が積み込まれていた。
俺は受け取った西瓜にかじりつく。
「……甘い」
俺は何とは無しに呟く。
少女はそれを聞き、にかっと笑う。
静かな時間が、ゆっくりと過ぎていった。
陽が、陰ってきた。
周りが薄い青に変わってゆく。
色褪せ、儚げな、頼りない青だ。
縁側に腰かけていた彼女が、すくっと立ち上がる。
「花火をしよう! 去年のがあるんだ!」
彼女は元気良く奥へと駆けて行く。
「お待たせ――」
片手に花火、もう片手にブリキのバケツを持って帰ってきた。
「さあ、やるぞ――。テンション上がってきた――」
彼女ははしゃぐ。だがその言葉に、気持ちが透けて見えた。
深刻になるな、過去を悔やむな、未来を見つめろ。
そんな気持ちが透けて見えた。
「よっしゃ、やるぞ――」
俺はその気持ちに乗っかった。
最初はススキ花火だ。
長い火花が前方に吹き出し、さまざまな色に変化する。
「次はこいつだ――」
俺は手筒花火を取り出す。
カラフルな光の玉が、先端から噴出された。
彼女はきゃっきゃと喜んでいる。
俺たちは様々な花火を楽しんだ。
陽はとっぷりと暮れ、墨色の空へと変わっていた。
「こいつで、最後にするか……」
線香花火を取り出した。
花火に、火をつける。
紅く小さな玉から、か細い火花が散りだした。
火花は段々と勢いを増してゆく。
そして力尽きるように、火は小さくなる。
ぽとりと玉が落ちた。
名残惜しく、切ない気持ちになる。
次の線香花火に火をつけた。
暗闇のなか、花火は下から俺たちの顔を朧気に照らしていた。
おべ爺と千多ばあちゃんは、そんな俺たちをじっと見つめていた。
「時が……巻き戻ったみたい……」
千多ばあちゃんは、涙ぐんでいた。
「あの日の……ままだ」
おべ爺の瞳にも涙が浮かんでいる。
やさしい夜風が、俺たちの周りに吹いていた。
ちょっと長目になってしまいました。
投稿間隔が空き、申し訳ありませんでした。
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