セッション
人は “ぶつかり“ 、 “こわし“ 、 “なおし“ 、そして “まじわる“ ものらしい。
いま二人は、その過程を経ようとしていた。
「そりゃぁ――――」
夢宮 怜司は脚を鞭のようにしならせ、紬に襲いかかる。
「くっ!」
紬は大きく窓際まで下がり、それを避ける。
棚に、ぶつかった。置かれた物がぶちまけられ、紬に雨のように降り注ぐ。
「ぎゃぁ――――」
悲鳴が響いた……怜司の。
彼は大声を上げ、紬には目もくれず、一目散に窓際に駆け寄る。
……あれ?
「動け、動け、動けぇ――――」
怜司は何かを拾い上げ、必死でパチパチといじっている。
“エリミネーターラジオ“ ――昔の真空管ラジオだ。
「頼む、動いてくれ!」
怜司は涙目だ。
紬はバツが悪そうにそれを眺める。
「悪かったわよ。弁償するから。いくら位すんの?」
大事な物を壊してしまった。紬にもそれは理解できたようだ。
「金でなんでも解決しようとすんなっ!」
火に油を注ぐように、怜司はさらに激昂する。
自分の謝罪を突き返されたようで、紬はムッとする。
金でどうにかしようとする態度が気に食わないのか――紬はそう捉えているようだ。
だがな紬、そうじゃないんだ。
「確かに金でどうこうなる代物じゃないな」
俺はドライバーを握り、怜司に近づく。
「どれ、見せてみろ」
怜司からラジオを受け取る。
「直せるんですか?」
彼は不安そうに、縋るように俺を見る。
「まあ、見てろ。俺はこういう事は、間違えない」
蓋を外し、基板が露になった。
『ふむふむ、配線は切れていないみたい。あー、ここの半田が剥離しかけている。これだね』
技術アドバイザーが目を輝かせて、俺に囁きかける。
好きだな――こいつ、こういうの。お陰で俺は、間違う事がない。
俺は半田ごてを借り、鈴の声に従い、それを直す。
「よし、これで直った」
怜司はホッとした顔で、修理したラジオを受け取る。
そしていそいそと電源に繋げ、スイッチを入れる。
音が鳴りだした。
「日本の皆さん、こちら『ボイス・オブ・アメリカ』。サイパンから皆さまにお届けします。私たちの敵は貴方たちではありません。日本の軍閥です。私たちは一日も早い貴方たちの解放を、願っています」
ザーザーという雑音にまみれ、衝撃的な声が聴こえてきた。
「なに、これ、お兄ちゃん!」
紬は目を大きく見開き、尋ねてくる。
「『ボイス・オブ・アメリカ』――『アメリカの声』、アメリカの対外宣伝工作機関だ。遠方まで電波が届く短波放送を使って、アメリカの主張をし、戦況を正しく伝える事で揺さぶりをかけている。一種の情報戦だよ」
第二次世界大戦でドイツ・日本に対応する為に生まれた『ボイス・オブ・アメリカ』は、その後冷戦時代もソ連相手に活躍し、現代まで続いている。
「因みに短波放送が受信できるこのラジオ、持っているだけでスパイと見做されて、極刑に処せられる。どこにも売ってないし、修理になんて出せない。『金でどうこうなる代物じゃない』と言ったのは、そういう事だ」
紬は神妙な面持ちをする。
自分の考えの浅さを恥じいるように。
「アメリカ軍は次の都市を爆撃します。私たちは日本国民の犠牲は望みません。避難してください。爆撃する都市は……」
ラジオから、日本の都市名が次々と流れて来る。
空襲予告がされると聞いた事があるが、本当だったのか。
「……まだ蒼森の名は出て来ませんね。一体どこから情報を仕入れてきたのやら。おまけにビラが撒かれる日まで予告するなんて……。ありえない」
怜司は悪魔を見る目付きで、俺を睨む。
現状、この放送が一番早くて正確な情報だ。政府や軍の高官も、これを聞いている程だ。
それを上回る俺の情報速度。いや、なんならアメリカ軍でさえその日時は決定していない案件だ。
それを知るものは、この世のものではない。
「本当に、 “オシラ様“ の予言なんですか?」
ああ、そういう設定にしていたな。あまりにも現実離れした内容なんで、いっそのことそっちに振り切っていた。
「殿倉家は、昔から “オシラ様“ を祀ってきました。その祭祀として相馬家を設けて。……そこから得た情報ですか?」
いや、違うからな。オカルトとか一切関係ない。これは純然たるSFだ。
だが、それを言う訳にはいかない。
『僕は貴方と紬の孫で、80年後の未来から来ました』 …………言えっこない。
言ったら、くっつくものも、くっつかない。 ――俺は額に手をやり、深い溜息をつく。
「……なにか、深い事情があるんですね」
怜司はなにかを察し、言葉をかける。
うん、あるよ。深い――家庭の事情が。 お前らの恋愛事情だよ! 孫に迷惑をかけるな! ……そう叫んでやりたかった。二人はそんな俺に、思いやるような視線を向ける。……言えねーよな、そんなこと。俺は未来の、二人の顔を思い浮かべた。
俺の知っているじいちゃんは、いつも笑っていて、陽に焼けていて、……仏壇の中にいた。
じいちゃんは、俺が生まれる三年前に亡くなった。62歳だった。
「あの人も好き勝手生きたから、未練はないだろう。ああ、ひとつあったね。『孫の顔が見たい』と言っていたっけ。悠真、お線香あげてくれるかい」
紬ばあちゃんの家に行くと、ばあちゃんは何時もそう言っていた。
「おじいさん、悠真が来てくれたよ」
紬ばあちゃんは、笑いながら仏壇のじいちゃんに呼びかける。
写真のじいちゃんも、笑っていた。
部屋の中が、畳と線香の匂いに包まれる。
そして紬ばあちゃんは、決まってレコードをかけた。
「あの人は造り酒屋のくせにお酒は飲まないし、煙草も吸わない、女遊びもしない。道楽とは縁遠い人だった。けどね、そんなあの人が夢中になったのが、これだよ」
紬ばあちゃんは針を落とす。
ルイ・アームストロング、マイルス・デイヴィス、ビル・エヴァンス、ジョン・コルトレーン、……。
彼らの音楽が、じいちゃんに供えられた。
なんか、いいな――と思った。
そうやって生き、それを理解してくれた人がいる。
死んでもなお、想ってくれる人がいる。
いいな――と思った。
そのじいちゃんがいま、写真ではなく、生きた人間として俺の目の前にいる。
じいちゃんは――怜司は耳を澄ましてラジオを聞いている。
俺はそんな彼を、瞬きもせずに見つめていた。
ラジオでは、アナウンサーが放送を終えた。そして、音楽が流れて来る。……ジャズだった。
怜司は、蕩けるような顔をした。
いまジャズは、 “敵性音楽“ として禁じられている。
公に、聴くことが出来ない。
このような違法な手段でもなければ。
ジャズは、空気を変えてくれた。
弾むような音、明るく乾いたリズム、日本のじめっとした空気とは、違っていた。
ピアノが、サックスが、ベースが、軽快な音を紡ぐ。
音が、羽を持って飛び回っていた。
懐かしい、音だった。
遠い異郷で望郷の念に駆られる、流離人になったようだった。
愛しく、切なく、やるせない気持ちが、押し寄せて来る。
古いアルバムの写真を見るように、俺は音楽に聴き入った。
アドリブ・ソロが始まった。 “Fメジャー“ から “Dフラット・メジャー“ に転調する。
俺は、我慢出来なくなった。
何か使える物はないか? 俺は周りを見渡す。
あった! 俺は目当ての物に近寄る。
ブリキのバケツがあった。
俺はそれを、逆さまにして並べる。
転がっていた菜箸を手に掴む。
そして箱の上に座り、すぅーと息を吐く。
正面のバスドラムとなるバケツを両足で挟み、軽く浮かせる。
カッツカッツカッツ、菜箸をバケツの縁に当て、探るように音を鳴らす。
リズムを曲に合わせ、音を染み込ませてゆく。
ベースが、大木のように揺るぎない音を響かせる。
サックスが、甘く囁くように音を吐く。
ピアノが、引き締まった硬質な音を奏でる。
俺はジャズの鼓動に、身を委ねた。
俺は、悠真は、――飢えていたんだと思う。
この時代に来て、訳の分からない状況に放り込まれて、日常に、慣れ親しんだ平穏な世界に、飢えていたんだと思う。
そしてここに、その源流があった。
でたらめなメロディ、でたらめなリズム、それが許されるこの音楽。
当たり前のように受容していた自由が、ここにあった。
俺は心の赴くまま、音を鳴らす。
ドドッツッタッタ――。気持ちいい音が響く。
様式に、約束事に縛られない音だ。
グルーヴを奏でろ、ビートに乗れ。
バケツドラムは、やっぱりいい。
俺はラジオから流れる音と、セッションした。
どこからともなく、笛の音が聴こえて来た。
俺は音のする方向を見る。
紬が篠笛を口に当てていた。
『何かあったら、これで知らせるように』と、俺が持たせた物だ。
紬のいつもの笛の音は、艶があり、真っすぐで、澄み切った音色だ。
その旋律はずっと連なり、長く、ビブラートのように揺れる。
だが今日の音は、いつもと少し違っていた。
スタッカート気味に、弾くように吹いていた。
飛んだり跳ねたり、自由闊達に音を放つ。
一音一音愛おしそうに、大切に音を奏でていた。
「人のラジオで好き勝手しやがって……」
怜司は隅で、ごぞごぞとしている。
「ああ、あった。これだ!」
棚から何やら取りだした。
普通の三味線より大きく厚みのある、津軽三味線だ。
「あんたらの音には “情念“ がないんだよ!」
そう言い捨てると右手にバチを持ち、津軽三味線を掻き鳴らす。
バチを激しく叩き付けるように弾き、疾風みたいに速弾きする。
左手で糸を揺すり、音を震わす。
バチを持つ右手親指の腹部分を弦に当て、ミュートする。
多彩な技を使い、音を色付けする。
底知れぬ哀しみに、悲愁に、染まってゆく。
皆が思い思いに、感情をぶつける。
『拳で語り、理解しあう』と、古より云ふ。
だが音楽だって、負けちゃいない。
剥き出しの感情がぶつかる音は、拳のぶつかる音、骨の軋む音にも、負けちゃいない。
魂から搾りだした音は自分そのもので、その語らいは幾千の言葉より――雄弁だ。
バケツが、笛が、三味線が、――スウィングする。
俺たちは、セッションに酔いしれた。
部屋の中に、音符が舞う。
それぞれ違う、でもどこかで繋がった音が、みんなの胸に、突き刺さった。
音には、その人が顕れます。剝き出しの自分が。
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