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幽霊となったクラスの女子が、僕のパンツから這い出て来た  作者: 相沢 真琴
第六章 燎原之火(りょうげん の ひ)
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けんかをやめて

数知れぬ想いが、落葉のように敷き詰められてゆく。

俺と紬は、その絨毯の上を連れ添い歩く。

深く、密に、積み重なった想いは、俺たちに幸せを運んで来てくれた。


そんな俺たちに、ひとつの影が近づいて来る。


大道寺(だいどうじ) 勇哉(ゆうや)さんですね……。付いて来て下さい。尾行は僕の仲間がなんとかします」


昨日接触した少年だった。彼は足早に俺の横に並び、そっと囁く。

そして速度を緩めず俺の前に出る。5メートル程前に出て、少年はチラッと後ろを振り返る。



「おう、おっちゃん。どうしてくれんだよ。せっかく貰った豚汁がぶちまけちゃったじゃねえか。俺に腹を空かせて、くたばれって言うのか!」


俺たちの後ろで、騒動が持ち上がっていた。典型的な因縁だ。尾行していた男が、子どもに絡まれている。尾行が剥がされた。


「いまだ!」


俺たちは急ぎ足で少年を追いかける。

俺と紬は、久々に自由の身となった。




昏い路地裏に来た。

少年は朽ちかけた建物に入る。

俺たちはそれに続く。



建物は窓が木で打ちつけられ、暗闇に覆われていた。

微かに射す光が、舞い上がる埃と一緒に、少年の顔を照らす。

血の気の失せた陽光が、噴水のように彼に注がれていた。


細長い顔、痩せた手足、血色の悪い躰は、神の恩寵が無縁の存在だと感じさせられた。

暗闇の中でその目は、 “明けの明星(ルシファー)“ のように妖しく輝いていた。


「むさ苦しいところへ、ようこそ」


彼は芝居じみた身振りで大きく手を広げ、俺たちを迎え入れる。


「街の声は、聞かれましたか?」


後ろ手を組み、コツコツと部屋の中を歩く。

尊大というよりも、警戒しているみたいだった。


「貴方に頼まれた仕事は、やり遂げました」


恩に着せるでもなく、まるで『洗濯物を取り込んでおきました』みたいに軽く言う。


「正直、協力する気はなかったんです。けれど、雄兵郎(おべろう)から頼まれましたから……。僕たちは、仲間は大切にします」


俺の為にした訳ではない。そう釘を刺してきた。



「雄兵郎は今どこに?」


俺は感謝を伝えたかった。


「出発しました、茅崎(かやさき)に。今朝早く、噂が広がったのを見届けて。あいつから伝言を言付かっています。……『今度会ったら、盃を交わそう。オレたちは、家族だ』――以上です」


「そうか……ありがとう」


俺は少年を通し、雄兵郎に感謝を述べる。心からの……。


少年はフンと鼻を鳴らす。

いかにも『不本意だ』という感情が伝わってきた。

だが敵意は感じられない。それだけでも、ありがたかった。




「空襲は、本当にあるんですか」


数舜の沈黙のあと、彼は切り出してきた。

俺たちをここに招いたのは、これを訊きたかったのだろう。


「ない! ――――と答える方がおかしいだろう。いま日本中で空襲が行われている。問題は『いつ』あるかだ」


「28日に、それがあると?」


疑わしい目つきで尋ねてくる。


「雄兵郎が『オレの命を賭けてもいい』と言うからこの話に乗りましたが、今でも信じられません」


だろーな。俺だってそう思う。


「信じられないのは当然だ。何の根拠も無いんだからな。だが、こう考えろ。これは災害だ、地震みたいなもんだ。前震があれば、本震がある。27日のビラ投下があれば、28日の空襲もある。もしこの話が嘘でも、失う物はない。だが真実なら、大勢の命が救われる事になる」


少年は(なお)も疑いの目を向ける。


「今すぐ信じろとは言わない。27日の結果を見て、それから考えてくれ」


ビラは必ず撒かれるはずだ。






「雄兵郎には、貴方の力になってやってくれと頼まれています。……貴方の望みは、何ですか?」


少年は渋々と訊いてくる。

雄兵郎には本当に、いくら礼を言っても言い足りない。ここまで手筈を整えてくれるとは。


「殿倉からの脱出、それだけだ」


ここで躊躇(ちゅうちょ)するのは、雄兵郎の心意気を台無しにする行為だ。俺は遠慮なく言った。


「今この場で逃げ出すならば、簡単に叶うんじゃないですか、その望み」


少年は、揶揄(からか)うように嘲笑う。


「脱出するのは俺と紬だけじゃない。『殿倉(とのくら) (しずか)』とその娘『アメリア』、『殿倉(とのくら) 主馬(かずま)』の妹と姪、彼女たちも一緒だ」


「『殿倉の放蕩娘』と『飛鳥山の鬼』ですか?」


「不愉快だな、その言い方」


彼の言葉は、俺の逆鱗に触れた。

俺の大事なものを穢した。


「気分を害されたなら、謝ります。礼儀をわきまえない、下賤の生まれですので」


少年は白々しい言葉を吐く。

身なりは貧しく、薄汚れているが、その所作は美しく、言葉の端々から育ちの良さが滲んでいる。


「君の名は?」


俺は何気なしに尋ねる。


夢宮(ゆめみや) 怜司(れいじ)です」




――――すったまげた。




祖父(じい)ちゃんじゃねえか! 紬の旦那さんじゃねえか!

俺のお祖父(じい)ちゃん? 義弟(おとうと)? 訳が分からなくなった。




「夢宮って油川(あぶらかわ)にある造り酒屋の?」


紬が将来の伴侶に問いかける。


待てよ、蒼函(せいかん)連絡船空襲の日、防空壕にいた男が、『夢宮の子どもは小学校にあがったばかりだ』と言っていた。こいつはどう見ても十二歳くらいに見える。


「そこの、しがない分家の子どもですよ」


恐らく本家の子どもが亡くなり、同年代の分家のこいつが養子に迎えられるのだろう。……よくある事だ。だが今は、本家の跡取りが健在だ。こいつは夢宮本家の庇護を受けていない。


「あなた方みたいな大きな家でなければ、本家を守る為に分家を切り捨てるのは仕方ありません。そんな時代なんですよ、今は」


彼は自分の窮状を嘆く。




「はん! 誰かに守ってもらおうなんて、甘々もいいところ。男なら、自分一人の力で生き抜いてみな!」


辛口で知られる紬が、毒を吐く。

おい、やめろ! お前の未来の旦那だぞ。


「世間知らずのお嬢さまは黙ってろ!」


祖父(じい)ちゃんも落ち着いて! 孫の前で、けんかはやめて!


「ふん。格の違いを見せてやる!」


夫婦喧嘩はやめてくれ――――。

俺の願いも虚しく、バトルが始まった。





紬が、踏み込む。二人の距離が、狭まる。怜司の拳は、届く距離だ。だがリーチの短い紬の拳は、まだ届かない。


「芯を喰わなければ、問題なし!」


紬は構わず突っ込む。視線は怜司の拳、それを繰り出す腕、発動の予兆を出す肩・胸に注がれている。喰らっても受け流し、決定打を避ける戦法か。……女の子らしさの欠片もありゃしない。


「……バカか。最初っから身を削るような戦い方しやがって。ジリ貧だぞ、それじゃ」


『付き合ってられるか、そんな戦い』と言わんばかりに、怜司はバックステップして距離を取る。


「臆病者! 逃げるな!」


紬は怒りの声をあげ、追いかける。


「逃げてんじゃない。間合いを取っているんだ」


怜司は優雅に舞う。

腕をふわりと広げ、羽のように宙に揺らめく。


「金持ちのお嬢さんらしい戦い方だな。惜しげもなく、持っている物を注ぎ込む。勿体なくて、僕みたいな貧乏人には真似できない戦い方だ」


揶揄(やゆ)するように、彼は呟く。


「これが、僕の戦い方だ――」


怜司の右脚が、伸びてきた。槍のように長く、真っすぐに。

その槍は鞭のようにしなり、拳に集中していた紬の虚を突き、襲いかかる。



「うおぉぉぉぉ――――」


紬は吠え、両手を交差させ、その鞭を受け止める。

ズサッと、紬の靴と床が噛み合う音を立て、彼女は横へと流れた。


紬はキッと怜司を睨みつける。


「誇りは、ないの。 “武“ は自らを高めるもの。そこには自分の生き方、信念が現れる。恥ずかしくないの、こんな戦い方!」


紬は(なじ)った。許せなかったんだろう。安全圏からリスクを負わず、正面から相手を受け止めない戦い方が。


「僕は、倒れる訳にはいかないんだ。戦って、満足して、笑いながら死んでゆくような贅沢は許されないんだ。僕には、まだまだ守らなければいけない、弱くて小さな仲間が一杯いるんだ」


二人の価値観が、ものの見事にすれ違っていた。


「ほざけ――。その腐った根性、叩き直してやる!」


「こいっ、お嬢さま。世間の厳しさを、教えてやる!」




大丈夫か、これ。初対面がこれで。

この二人、結婚するんだよな。俺の父さん、産むんだよな。タイムパラドックス、起きないよな。

こんなんで俺の存在が消滅したら、死んでも死にきれないぞ。

俺は新たな危機に震えた。




「うりゃぁ――。くたばれ――」


「そんな口を利いていると、嫁の貰い手がないぞ」


「構うもんか! 私は一生お兄ちゃんの傍にいる!」



やめてくれ――。頼むから、そいつの所に嫁に行ってくれ――。




将来結ばれる筈の二人が憎しみ合い、血みどろの戦いを繰り広げている。

俺の誕生を左右する戦いを、ただ呆然と眺めていた。




土煙がもうもうとあがる。周りは燻っている。俺の未来のように。

明日(あした)が、迷子になっていた。

最初の出会いが最悪で、徐々に惹かれてゆくのはラブコメの王道ですが……。どうなるんでしょう、これ。二人が結ばれず、悠真が誕生しないバットエンドも、それはそれで面白いかも……。創作意欲を、ちょっとくすぐられます。


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